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1.失恋

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「ごめん」

 目の前に立つ、伏し目がちの男を見上げながら、意外に睫毛が長いのだなとティオは思った。

「好意を持ってもらえて嬉しい。けど、お前の気持ちには…応えられない」

 彼は首をさすりながら、ばつが悪そうにそう言った。ティオのことを傷つけまいと言葉を選んでくれているのがわかって、やっぱり好きだなあと改めて実感する。そんな優しい彼だからこそ、好きになった。

「ううん、気持ち悪いって思われなかっただけでもすごく嬉しい。聞いてくれてありがとうな、ソルダート」

 ティオはソルダートが罪悪感を抱かないように、にっこりと笑って見せた。

「虫の良い話だけど…その、ソルダートさえ良ければこれからも友人でいさせて欲しい」
「そんなの…!当たり前だ!」

 ソルダートの真っ直ぐな瞳に、紛れもない本心なのだと、胸がときめく。
 実は、断られるのはわかっていた。それでも、ティオは彼に自分の思いを伝えることにしたのだ。

 ティオは薬師見習いとして、ソルダートは兵士見習いとして、地獄の第六階層に配属された同期だった。九貴族の一人にして第六階層の主であるイェゼロに薬師の素質を見込まれ、厳しい指導を受けて物陰でこっそり泣いていたのを見られたのがきっかけだった。自分だって日々きつい訓練をさせられて、疲弊しているはずなのに、笑顔を絶やすことなくティオの愚痴を聞いてくれる。ましてや、ティオには俺がついている、なんて励まされるものだから、彼を好きになるのにそう時間はかからなかった。だが、彼には意中の相手がいると噂を耳にした。侍女らしいと知って、ティオは失恋に傷ついたが、友人としてソルダートの隣にいられるだけで良いと思っていた。
 転機となったのは、深淵の森への探索チームに加わるように、との召集命令だった。イェゼロの屋敷は周囲を森に囲まれている。森の奥深くは木々が隙間なく群生しており、地獄の住人も魔獣も寄せ付けない。だが時折、森が開くのだと言う。生き物が入るのを歓迎するかのように、木々が湾曲し、入口を作るのだと。その入口手前で中を覗き込んでも、闇が濃くて様子が全く窺えないのだそうだ。
 そこで調獣師を中心としたチームを組んで調査することが決まった。調獣師二名、兵士二名、薬師一名。調獣師は第九階層から、兵士は第七階層からの選りすぐりの優秀な人材だそうだ。一方でティオは、まだ新米だ。選ばれたことへの喜びよりも、不安や恐怖の方がずっと大きい。それに、未知未踏の森の探索など、命を落としてもおかしくない。
 ソルダートへの思いを伝えずに死ぬくらいなら、振られると分かっていても気持ちを伝えたい。そうティオは決心したのだった。

 出発を翌日に控えた前日、ティオは執務室に呼び出された。珍しい、と思いながら扉を叩く。イェゼロは執務室よりも、自分の薬学室にいることのほうが多い。

「失礼しまー…えっ!?」

 返事を耳にして扉を開ける。ティオは驚きに目を見開いた。
 師匠であるイェゼロ、見慣れない四名の顔。そこに、第九階層のゼルヴェストルと第七階層のイヴァハの伴侶であるルルテラの姿もあった。

「アホ面してねーで早く入れ」

 アホ面、と言われてティオは唇を尖らせつつも入室して扉を閉めた。ソファに腰掛けるお偉方を前に、四人の隣に並ぶ。
 九貴族達の圧倒的な存在感に、ティオは内心圧倒されていた。やはり纏う雰囲気が違う。イェゼロは毎日顔を合わせているから見慣れているものの、ゼルヴェストルとルルテラを実際に目にするのはこれが初めてだ。只者ではない、と本能で感じる。
 ルルテラは九貴族ではないとは言え、イヴァハの右腕を務めており、実力は九貴族に匹敵すると言っても過言ではない。なにしろ第七階層を覆う防膜を張っているのは彼だし、一度だけだがイヴァハを負かしたという噂まである。

「これで探索のメンバーが全員揃ったね」

 ゼルヴェストルの言葉に、ティオはなぜ彼とルルテラがここにいるのか理解した。
 隣に並ぶ、仲間となる四名を横目で見る。体格の良い獣人が二名と、中肉中背の住人が二名。見た限りでは獣人の方が第七階層出身で、残り二名が第九階層から来たのだろうとティオは予想した。

「知っての通り、深淵の森は未踏の森だ。何が起こっても不思議じゃない」
「だから準備はぬかりなく!」
「君達は言わば斥候だ。何かあればすぐに戻って来てくれ。第一に己の身の安全を考えて行動して欲しい。こちらとしても優秀な人材を失いたくはないからね」
「間違っても深入りしようとすんなよ、餓鬼共」
「はいっ!」
「…は、はいっ」

 兵士二名と調獣師二名が大きな声で返事をする。一拍遅れて返事をしたティオに、八対の鋭い視線が横から突き刺さる。変に目立ってしまう形になって、なんだか気まずい。

「よろしい。じゃあ今日のところは解散。明日に備えて英気を養ってくれ」
「あ、ティオは後で薬学室に集合な」

 師匠の呼びかけに、青年はこくりと頷いた。探索メンバーと共に執務室を後にする。

「ゼル、ルル、お前ら泊まってく?」
「いや、第九階層に戻ろうかな。明日の朝また来るよ」
「ボクも戻る。愛しのハニーが寂しくて泣いてるかもしれないし」
「ぎゃっは、イヴァハが泣くかよ!嘘つくなって!」
「えー泣くよ割と。特にベッドの上でにゃんにゃん」
「ぎゃははは、まじかよ。想像できねーっ」
「人は見かけに寄らないんだね」

 扉が閉まる僅かな間、九貴族達の会話が聞こえてくる。
 第七階層を統べるイヴァハはと言えば、獅子の鬣のような髪をした筋骨隆々の男だ。魔力がないという弱点をものともせず、己の腕だけで九貴族に上り詰めたというプライドの塊で扱いにくいと聞く。そんな彼が、細身で小柄なルルテラにベッドの上で泣かされている光景など想像だにできない。
 ちらりと、獣人を見遣る。ティオの視線に気がついた獣人は、気まずそうに視線を逸らした。聞くな、聞くんじゃねえ、と言わんばかりの態度に、ルルテラの話は本当なのだと知る。ふざけて藪をつついて蛇が出ては困るので、ティオは今聞いた話を記憶から削除することにした。
 五人で話せる場所が欲しいとの提案に、ティオは自室に皆を案内した。形や大きさの異なる椅子を四脚かき集めて、座るように促す。

「自己紹介しなきゃな。俺、リンクス。第七階層出身の鷹の獣人だ」
「同じく第七階層のトウツ。兎の獣人や」
「僕は調獣師のネフ。第九階層から来た」
「ノインも、調獣師。ネフと一緒」

 四人が名乗るのを聞きながら、ティオは茶を配った。

「俺は、薬師のティオです。よろしくお願いします」

 盆を胸に抱えたまま、見習い薬師は軽く頭を下げた。

「ティオ、よろしく。…お茶、おいしいよ」
「ほんまや、うま」
「へへ、ありがとう」

 口々においしいと言われて、ティオの顔が綻ぶ。四人に出したお茶は、彼が自分で調合したものだ。師匠であるイェゼロやソルダートからも褒められる程に出来が良くて、彼も自慢に思っていた。
 もう一杯、とねだるネフとノインにお代わりを注ぐ。リンクスとトウツにも注ごうと彼らに視線をやれば、逆にじっと見つめられていた。

「ティオ、あんさん自衛は出来るんかいな」
「え?」
「そうだ。一応、俺とトウツが君達三人を護衛する。だが、ゼルヴェストル様が仰った様に何が起こるかわからない。散り散りになるかもしれないし、俺とトウツが真っ先に倒されるかもしれない。もしそうなった時に、残り三人には自衛してもらわないといけない」
「ネフとノインは調獣師なんやから、防衛に特化した魔獣くらいは呼び出せんねやろ?」

 トウツの問いかけに、ネフとノインは頷いて肯定した。

「で、問題は君だ。ティオ」

 どうなんだ、と視線で問われて、ティオは返答に窮した。ソルダートに付き合って、稽古や筋トレをしているが自分のはお遊びみたいなものだ。ソルダートのように真剣にやっている訳ではない。なにしろ武器の扱い方さえ知らない。いつも持ち歩いている小さなナイフは採取用で、小さなトカゲや虫くらいしか殺せない。わざと殺傷能力を抑えた刃物なのだ。

「えっと…武器は扱えないけど、発煙玉や閃光玉で目くらましくらいなら、まあ…」

 頬を掻いて苦笑する青年に、四人は呆れた様子で溜息を吐いた。

「運、悪い…」
「僕、今回の探索に選ばれたのは精鋭ばかりって聞いていたのに」
「薬師の腕がよほど優秀ってことで選ばれたんやなあ」

 先程までは和やかな雰囲気だったはずだが、一転して彼らの顔に失望が窺える。直接的な言葉は無くとも、足手まといだと言われている気持ちになる。
 彼らの自信に満ち溢れた姿を見ていると、自分よりも長く修行に打ち込んでいるのだろう、とティオは思った。ひよっ子だと言う自覚はあるために、ティオは唇をきゅっと引き結んでうつむくことしか出来なかった。
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