シンフォニエッタ

外鯨征市

文字の大きさ
上 下
2 / 17

しおりを挟む
「病気の治療で部活を辞めるとしたらどう思いますか?」
 部活が終わったあと、楠本は膝にのせていたチューバを床に置くと、黒板を消していた顧問の藤岡美奈子にそう聞いた。
 ほかの部員はもう帰っている。音楽室に残っているのは合奏隊形に並べられた椅子と譜面台だけ。誰かに聞かれてあらぬ噂がたつ心配はない。
「楠本、どこか悪いの?」
「たとえばの話です」
「たとえば、ねぇ……。病気だったら仕方ないんじゃない? 吹奏楽は中学の部活だけじゃないし、体がよくなってから社会人吹奏楽団にはいるというのもあるよ。なんならオーケストラに転向するのもアリだし」
 吹奏楽部の引退後、吹奏楽に関わらなくなるというのはよくあるケース。なぜなら経験者は吹奏楽の厳しさを知っているから。理想と現実のギャップで吹奏楽が嫌いになってしまうのだ。本来は楽しいはずの吹奏楽。それを知ったがために吹奏楽から離れてしまうというのは何とも勿体ない話だ。
もちろん卒業した今でも吹奏楽を続けている元部員もいる。
『吹奏楽の為のシンフォニエッタ』
日向市立赤岩中学校吹奏楽部の全国大会初出場を記念して、地元日向市出身の作曲家に委託して作られた楽曲。それが吹奏楽の為のシンフォニエッタ。
 秋に行われる定期演奏会で毎年かならず演奏される。卒業した先輩たちを呼んで共に演奏しているのだ。吹奏楽を続けている先輩も、辞めた先輩も。誰もが里帰りして。
 なかにはこのシンフォニエッタが作曲された当時のOBOGも参加しているほど。ふらりと突然戻ってくることもある。
 中学の部活で吹奏楽はそれっきりというのは何とも勿体ない。
 藤岡にとって楠本は思い入れのある部員だ。当時小学生だった楠本をスカウトしたのは藤岡だった。入部する前からチューバを任せるつもりだった。
「でも俺が辞めたら低音パートがいなくなります。ほかに低音楽器もいないし」
 先輩が卒業し、今は二年生と後輩の一年生だけの編成。二十人ほどの部員の中で楽団全体を支える低音楽器は楠本のチューバ一本のみ。バスクラリネット、バリトンサックス、コントラバスといった他の低音楽器はいない。
 楽団にとって低音楽器がいなくなるというのは致命的だ。ハーモニーの組み立てはめちゃくちゃになり、リズムはバラバラになる。仮にいま練習している入学式に演奏する曲だってチューバの表打ちがないとまとまらない。
「大丈夫。それを考えるのは指揮者の仕事よ。それに今度入ってくる新入部員を一人チューバに回すのは確定しているから」
「その新入部員に誰が教えるんですか? ここの吹部には俺以外にチューバが吹けるやつはいません」
「チューバ吹きには心当たりがある。市民吹奏楽団にもコネはあるし、大先輩の宗太郎先輩を知っているでしょう? いざとなったら彼にも頼んでみるから」
 藤岡は仮にも吹奏楽部顧問。
 他校の吹奏楽部や市民吹奏楽団と繋がりを持っている。定期演奏会に招待するために卒業生の連絡先も知っている。ほかの楽器に比べると少ないが、それでもチューバを教えてくれる人を探すのは難しいことではない。
「辞めた後のことは気にしないで。それよりも辞めるかどうかはもう少し考えたほうがいいね。決断を急ぐんじゃないよ」
 そう言い残すと藤岡は譜面台に鍵を置いて音楽室を出て行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

処理中です...