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5月18日(木)晴れ 『小さな事件』

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 今日はひとつ気にかかる事件があった。

 体育の授業の後いつものようにこっそりと更衣室を抜け出した僕は、旧校舎のトイレで着替えを済ませ、教室に戻ろうとドアを開け廊下に出たのだが、そこで栗谷くりたにに出くわしたのだ。

 もちろん、その遭遇自体に問題があるわけではない。

 生物準備室は旧校舎のすぐ隣だから、生物教師である栗谷がそこのトイレを使っていてもおかしくないし、同じく旧校舎に面した体育館で体育の授業を受けていた僕が授業後にそのトイレに駆け込んだとしても不自然ではないだろう。

 付け加えれば、僕の行状にも見咎められるところはなかったはずだ。

 かかる事態に備えて、脱いだ体操着はいつも通りトイレの掃除用具入れに隠して出てきたから、僕は手ぶらだったのだ。

 ちなみにトイレへ向かうときも制服を抱えて更衣室を出たわけではない。そんなことをすればクラスメイトに不審に思われるのは火を見るよりも明らかだからだ。

 そのために、僕は体育のある日には早朝のうちにそのトイレの掃除用具入れに予備の制服を隠し、何も持たず入っても着替えを済ませられるようにしているのである。

 だからトイレに入るときも出るときも、僕は別段あやしまれるような振舞いはしていない。

 それだけに、トイレから出ようとドアを開けたときばったり出くわした栗谷の表情が気にかかるのだ。

 ちょうどトイレに入って来ようとしていたのか、僕がドアを開けたとき栗谷はすぐ目の前にいた。

 いきおい、二人の目が合った。僕は少し驚きはしたが、それを表情には出さずにいられたと思う。

 だが、栗谷は逆だった。目を丸くするという言い回しそのままの表情で僕を見たあと、今度は値踏みするような……あるいは目でじろじろと僕を睨めまわしてきたのだ。

 なにしろ『クリーチャー』と渾名されるほど醜悪な顔をした栗谷である。身体に突き刺さる無遠慮な視線に、今はもう女子に片足を突っ込んでいる僕が生理的嫌悪を覚えたのも無理のない話だろう。

 あそこで済みませんと言い残して逃げるようにその場をあとにしてしまったのには、やはり後悔が残る。僕はただトイレに入っただけで、咎められるようなことは何もしていなかったのだから、もっと堂々としていれば良かったのだ。

 幸い、栗谷は僕の秘密に気づいたわけではないように思う。

 トイレに残してきた体操服も放課後には回収できた。もしあのあと栗谷に見つけ出されてしまっていたら、と気が気ではなかったから、それが掃除用具入れにちゃんと残っていたのを目にしたときには思わず大きな溜息がこぼれた。

 もっとも冷静になって考えれば、それが見つかったところでたいして問題になっていたとも思えない。

 所詮、男子生徒が男子便所で、男ものの体操服から男ものの制服に着替えたというだけの話だ。

 あのとき栗谷が何を思ってあんな目で僕を見たのかは少し気になるが、あるいは僕の顔に何かついていたのかも知れない。

 ともあれ、体育の授業がある日は気が抜けない。

 問題は水泳の授業が始まったらどうするかだが、とりあえず今の僕には、それまでにあまり胸が大きくならないように祈ることしかできない。
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