天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大詰め ~将軍・家治、毒殺さる。2~

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 ぜん奉行の詰所つめしょは申すまでもなく、ぜん奉行である高尾たかお惣十郎そうじゅうろう信福のぶとみ山木やまき次郎八じろはち勝明かつあきらにとっての詰所つめしょであるが、しかし、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人はまるでしめあわわせたかのように、ぜん奉行たる己らの後を勝手について来た小納戸こなんど岩本いわもと正五郎しょうごろう正倫まさとも松下まつした左十郎さじゅうろう正邑まさむらの二人にかみゆずったのであった。

 それに対して岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうはと言うと、松下まつした左十郎さじゅうろう流石さすが遠慮えんりょする素振そぶりを見せたものの、しかし、それとは正反対に岩本いわもと正五郎しょうごろうが、

「さも当然…」

 そのような態度でかみちゃくしてしまったことから、松下まつした左十郎さじゅうろうは結局、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人にられる格好かっこうかみに、岩本いわもと正五郎しょうごろうの隣にちゃくした。

 一方、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちはと言えばそんな好対こうたいしょうな二人の態度の差に、それも岩本いわもと正五郎しょうごろうの態度に内心ないしんしょうさせられた。

 それと言うのも、仮にこの詰所つめしょあるじとも言うべきぜん奉行である高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人からかみに座るようすすめられたからと言って、しょう遠慮えんりょする素振そぶりを見せるというのが常識的な態度であり、松下まつした左十郎さじゅうろうの態度はまさにそうであった。

 ひるがえって岩本いわもと正五郎しょうごろうはと言うと、松下まつした左十郎さじゅうろうのように遠慮えんりょする素振そぶりを見せるどころか、かみをすすめられるのが当然といった態度で堂々どうどうかみちゃくしたものである。

 いや、岩本いわもと正五郎しょうごろうはそれ以前に、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人からかみをすすめられる前に、かみへと足を運んだものである。

岩本いわもと正五郎しょうごろうはどうやら完全にてんになってしまっておるわ…」

 それが高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの共通認識であった。

 だが同時に、

「それも無理からぬこと…」

 そのような共通認識も抱いていた。

 何しろ岩本いわもと正五郎しょうごろうは次期将軍たるとよ千代ちよせいとみ実弟じっていなのである。つまり岩本いわもと正五郎しょうごろうは次期将軍の叔父おじに当たるわけだ。

 もっとも、叔父おじと言っても、岩本いわもと正五郎しょうごろうは25歳であるが、それでも次期将軍の叔父おじであることに変わりはなく、また、25歳という若さ、いや、じゅくさもあいって、岩本いわもと正五郎しょうごろうは今や完全にてんになっていたのだ。

 その点、松下まつした左十郎さじゅうろうは己のぶんというものを良くわきまえていた。

 いや、実を言えば松下まつした左十郎さじゅうろう岩本いわもと正五郎しょうごろう従兄じゅうけいに当たるのだ。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう実父じっぷにして小普こぶしん奉行の岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正利まさとし実姉じっしすなわち、岩本いわもと正五郎しょうごろう伯母おばは今はさきゆみがしら重職じゅうしょくにある市岡いちおか左大夫さだゆう正峰まさみねもとへと後妻ごさいとして入り、夫・左大夫さだゆうとの間に生んだ子供こそ、左十郎さじゅうろう正邑まさむらであったのだ。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう伯母おば後妻ごさいとして市岡いちおか左大夫さだゆうもとへと入った頃にはすでに、先妻せんさいの子である、今は岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうと同じく、小納戸こなんどつとめる市岡いちおか但馬守たじまのかみ房仲ふさなか市岡いちおか家の嫡男ちゃくなんとして将軍に御目見得おめみえみであり、それゆえ左十郎さじゅうろう正邑まさむら他家たけようとして出されることになり、そこでよう先に選ばれたのが松下まつした家であり、左十郎さじゅうろう正邑まさむらは今はやはり小納戸こなんどつとめる松下まつした蔵人くらんど統筠むねのよう嗣子ししとしてむかえられたのであった。つまり松下まつした左十郎さじゅうろうは、蔵人くらんどようとは言え、

父子ふしどうしょく

 というわけだ。

 ともあれ、松下まつした左十郎さじゅうろうれきとした岩本いわもと正五郎しょうごろう従兄じゅうけいである以上、松下まつした左十郎さじゅうろうもまた、岩本いわもと正五郎しょうごろうと同様、次期将軍たるとよ千代ちよ縁者えんじゃというわけだ。正確には、松下まつした左十郎さじゅうろうとよ千代ちよにとっては祖父そふ岩本いわもと正利まさとしの姉の子…、おお伯母おばの子に当たるわけで、つまり松下まつした左十郎さじゅうろうとよ千代ちよ従祖父いとこおじというわけだ。

 そうであれば松下まつした左十郎さじゅうろう岩本いわもと正五郎しょうごろうのように次期将軍たるとよ千代ちよ縁者えんじゃ…、従祖父いとこおじということで、てんになっても良さそうだが、しかし、生憎あいにく、いや、さいわいにもと言うべきであろう、松下まつした左十郎さじゅうろうてんになることはなかった。

 それはやはり松下まつした左十郎さじゅうろうおさなぶんより他家たけへとように出されたことで、それなりに、

世間せけんまれた…」

 そのために、松下まつした左十郎さじゅうろうは例え、次期将軍の縁者えんじゃになろうともてんになるようなことはなく、そしてそれこそが岩本いわもと正五郎しょうごろうとの最大の違いと言えた。

 すなわち、岩本いわもと正五郎しょうごろうの場合は岩本いわもと家のちゃくなんとして、つまりは松下まつした左十郎さじゅうろうのように他家たけようとして出されることもなく、それこそ、

ちょうよ花よ…」

 まさにそのように育てられ、その上、実姉じっしとみが生んだとよ千代ちよが次期将軍に内定したとあっては、これでてんになるなと言う方が無理というものであろう。

 ともあれ、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人はかみ岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人を座らせると、下座げざちゃくして向かい合った。

まことくのであろうな?」

 全員が座ったところでそうくちを切ったのは他でもない、岩本いわもと正五郎しょうごろうであり、己よりもはるかに年上としうえの…、今年で45になる高尾たかお惣十郎そうじゅうろうに向けて発せられたものである。

 それに対して高尾たかお惣十郎そうじゅうろうはと言うと、己から見れば若僧わかぞうに過ぎぬ岩本いわもと正五郎しょうごろうのその口のかたはや、腹を立てることもなく、

「ご安心されませ。必ずやき申す…」

 そう太鼓判たいこばんしたのであった。

 二人は勿論もちろん、将軍・家治が食する夕膳ゆうぜんこんにゅうされた毒物どくぶつについて会話をしており、しかし、この詰所つめしょのすぐ隣にはいし之間のま番所ばんしょがあり、そこの番人ばんにんはロクに番人ばんにんとしてのやくを果たしていないものの、それでも一応、「耳」はあるわけで、ゆえにぼかしたわけである。

「なれど…、何ゆえに鳥料理に?」

 毒物どくぶつは鳥料理にこんにゅうされていた。ろんこんにゅうしたのは高尾たかお惣十郎そうじゅうろうその人である。

「されば上様うえさましるからおし上がりになられ、その後でめしを…」

 高尾たかお惣十郎そうじゅうろうは声を落とした。ここから先はどうしてもぼかすことができないからだ。

 すると岩本いわもと正五郎しょうごろうもそれに合わせ、

「されば汁物しるものか、あるいはめしに…、飯桶めしおけこんにゅうすれば良かったではあるまいか…、その方が…」

 すぐに将軍・家治の命をうばうことが出来ると、ごえでもってそう示唆しさしたものである。

 それに対して高尾たかお惣十郎そうじゅうろうしょうした。

「何がおかしい」

 岩本いわもと正五郎しょうごろうは笑われることがかいであるらしく、ムッとした表情でそう応じた。ようせいけ切れていないようであった。

「いきなり上様にたおれられては、我らのどく瑕疵かしでもあったのではあるまいかと疑われ申す…」

 しょう、いや、嘲笑ちょうしょうする高尾たかお惣十郎そうじゅうろうに代わって、山木やまき次郎八じろはちがやはりごえでそう答えた。

「どのみち疑われるであろうが…」

 岩本いわもと正五郎しょうごろう不貞ふてくされた様子でそう答えた。

「いやいや、ここはなるべく時間的な余裕を置きましたる方が賢明けんめいかと…」

 山木やまき次郎八じろはち岩本いわもと正五郎しょうごろうなだめるようにそう言った。

「そういうものかの…」

「そういうものでござります」

「それでとり料理に…、かも料理にぜたわけか?」

 岩本いわもと正五郎しょうごろうは気を取り直して、今度は山木やまき次郎八じろはちの方を向いてたずねた。

左様さよう、さればとり料理は大抵たいてい、最後の方でおし上がりになられるゆえ…、いや、これで二のぜんまであれば、二のぜんに…、ものや焼き魚、あるいはたい平目ひらめかれいかつおこんにゅういたしましょうが、生憎あいにく夕膳ゆうぜんでは…」

 二のぜんはつかない…、山木やまき次郎八じろはちはそう示唆しさした。

 山木やまき次郎八じろはちの言う通りで、将軍の食事で二のぜんまでつくのは朝食と昼食のみで、夕食には二のぜんはつかず、代わりに大きなぜんであった。

 そして将軍はまず一のぜんから食し、そして二のぜんへと食を進める。この際、二のぜんには朝食の場合には今、山木やまき次郎八じろはちが口にしたものや焼き魚、昼食には同じく、たい平目ひらめかれいかつおなどの魚料理が各々おのおの、二のぜんならぶのであった。

 ゆえに二のぜんまである朝食や昼食ならば、二のぜん毒物どくぶつこんにゅうすることで、そうすぐには将軍に…、家治に毒物どくぶつ摂取せっしゅさせないでむというわけだ。

 だが一のぜんだけの夕食では果たして、将軍は…、家治は何から食べるのか分からない。

 それでも一応いちおう見当けんとうぐらいはつくというもので、それこそが鳥料理…、かも料理というわけだ。

 将軍のぜんきょうされる大きな、一つだけの夕膳ゆうぜんにはがんつるかもなどの鳥料理がならぶことが多く、今夕こんゆうまさにそのかも料理がぜんならべられており、そして、将軍は大抵たいてい、「メインディッシュ」とも言うべき鳥料理は最後に食するものなので、そこで高尾たかお惣十郎そうじゅうろうかも料理に毒物どくぶつこんにゅうしたというわけだ。

「いや、本来ほんらいなれば朝食や昼食が理想的なのであるが…」

 将軍・家治を毒殺どくさつするには理想的…、しょうを止めた高尾たかお惣十郎そうじゅうろうはそう口をはさんだかと思うと、「なれど、朝食や昼食のぶんではのう…」とも付け加えた。

 つまりはこういうことである。

 将軍・家治を毒殺どくさつするには、家治が食べるであろう順番の予想が立てやすい朝食や昼食が望ましい。朝食や昼食なればほぼ間違いなく、将軍・家治はまず、めししる刺身さしみものなどの向付むこうづけあるいはひらしょうするものせられた一のぜんからはしをつけ、その後で二のぜんせられた料理へとはしを進めるに違いなく、それゆえ二のぜんせられた料理に毒物どくぶつこんにゅうすることで、すぐには将軍・家治の口には届かずにむというわけだ。

 ゆえに二のぜんまである朝食や昼食の場合にはそれに加えて飯桶めしおけまであるので、二人のぜん奉行だけでは、小納戸こなんどが待つ膳立ぜんだて之間のまへとそれらを一時いちどきに運ぶことができず、そこでその場合…、二のぜんまである朝食や昼食の場合には膳番ぜんばんの二人の小納戸こなんどの方からどくになぜん奉行の詰所つめしょへと足を運び、そしてまず初めに二人のぜん奉行によるどくませたその一のぜん、二のぜん膳番ぜんばんの二人の小納戸こなんどがそれぞれ両手でかかえて膳建ぜんだて之間のまへと運び、一方、ぜん奉行はと言うと、一人のぜん奉行がやはりまず初めにどくませたばかりの飯桶めしおけ膳建ぜんだて之間のまへと運ぶこととなるのであった。

 一方、一のぜんだけの…、大きなぜんだけの夕食の場合、二人だけで十分に持ち運びが可能というわけで、高尾たかお惣十郎そうじゅうろうは大きなぜんを、山木やまき次郎八じろはち飯桶めしおけをそれぞれ両手でかかえて岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうが待つ膳建ぜんだて之間のまへと足を運び、さら膳建ぜんだて之間のまから御小座おこざしき之間のままでは岩本いわもと正五郎しょうごろうが大きなぜんを、一方、松下まつした左十郎さじゅうろう飯桶めしおけをそれぞれやはり両手でかかえて運んだわけである。

 さて、朝食や昼食ではもう一人のぜん奉行である坂部さかべ三十郎さんじゅうろう廣保ひろやすが登場し、それが「ネック」であった。

 すなわち、今のここ本丸ほんまるにて将軍・家治につかえるぜん奉行は高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの他にもう一人、坂部さかべ三十郎さんじゅうろう廣保ひろやすがおり、しかし、この坂部さかべ三十郎さんじゅうろうは今年で御齢おんとし71と高齢こうれいであり、ゆえに宿直とのい免除めんじょされていた。つまりは将軍の夕食のどく免除めんじょされていたというわけだ。

 その代わり、坂部さかべ三十郎さんじゅうろう日中にっちゅうすなわち、将軍の朝食と昼食のどくになっており、その際、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちはどちらかが坂部さかべ三十郎さんじゅうろうと共に朝食のどくにない、そしてもう片方が昼食のどくをやはり坂部さかべ三十郎さんじゅうろうと共にになうことになるわけで、今日の場合、朝食のどく山木やまき次郎八じろはち坂部さかべ三十郎さんじゅうろうと共ににない、昼食のどく高尾たかお惣十郎そうじゅうろう坂部さかべ三十郎さんじゅうろうと共にになった。

 いや、これで坂部さかべ三十郎さんじゅうろう高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちのように一橋ひとつばし家と何らかのえにしがあれば、そのえにしにより将軍・家治の毒殺どくさつ計画に引き入れることも可能であり、そうであれば夕食に限らず、朝食、あるいは夕食のぶんにでも…、それらどくおりにでも将軍・家治が口にするはずのそれら朝食や昼食に毒物どくぶつこんにゅうすることも可能であったが、しかし生憎あいにく坂部さかべ三十郎さんじゅうろう一橋ひとつばし家とは何らえにしで結ばれてはおらず、つまりは将軍・家治の命をあずかるべき立場であるぜん奉行としてのそのしょくちゅうじつであり、そうであればその坂部さかべ三十郎さんじゅうろうが加わる朝食や昼食、それらのどくの機会を利用して、まともにどくをするどころか、逆に、毒物どくぶつを料理にこんにゅうさせるなど、大よそ、不可能な芸当げいとうと言えた。

 そこで必然的に夕食の機会を…、坂部さかべ三十郎さんじゅうろうどくになわない夕食の機会を利用…、夕食のおり毒物どくぶつこんにゅうさせるしかほかに選択肢はないと言うわけだ。

「ともあれ、上様うえさまにあらせられては間もなく、かも料理を口にされている頃にそうなく、されば中奥なかおくも必ずや大騒おおさわぎになり申す…」

 高尾たかお惣十郎そうじゅうろうはそう断言だんげんしてみせた。つまりはそれだけ、かも料理に仕込しこんだどくがすぐにくと言っているわけだ。

 すると岩本いわもと正五郎しょうごろうもそうと察して、

「それほどまでに良くくのかえ?それな、ハンミョウと申す毒物どくぶつは…」

 高尾たかお惣十郎そうじゅうろうに対して確かめるようにたずねたのであった。

 それに対して高尾たかお惣十郎そうじゅうろうは「勿論もちろん」とむねを張ってそう即答そくとうしたかと思うと、

「さればハンミョウを口にされれば、ただちにおう症状しょうじょうが、続いて、しき混濁こんだくとなり申す…」

 岩本いわもと正五郎しょうごろうが口にした「ハンミョウ」の効能こうのうについて解説したのであった。

 そして実際、それから間もなくして、高尾たかお惣十郎そうじゅうろう予期よきした通り、中奥なかおくさわがしくなり始めたのであった。
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