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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~ 4
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さて、安永2(1773)年の2月20日に萬壽姫までもが亡くなったことで今度こそ千穂は本丸の大奥へと帰ってくるものと思われた。
それは他でもない、本丸の大奥には千穂が傅かねばならない相手は最早、誰一人としていないからだ。
それどころか今度は千穂が唯一人の「お内証様」、いや、実質的には「お部屋様」として、皆から…、本丸の奥女中の皆から傅かれる立場にあった。
そうであれば千穂としても、そろそろ本丸の大奥へと戻っても良いような気がした。
だが千穂に仕える奥女中たち…、年寄の玉澤を始めとする奥女中たちがそれを許さなかった。それと言うのも、
「本丸の大奥に比べて警備・監察が手薄なここ、西之丸の大奥での暮らしの方が快適だから…」
それに尽きた。
西之丸の大奥においては濫費は勿論のこと、男芸者をその西之丸の大奥へと引き入れ、その男芸者に芝居を演じさせるという狂態を演じたところだ、誰一人として注意する者はいなかった。
西之丸の大奥を取り締まるべき西之丸留守居は元より、警備・監察の最高責任者である西之丸の廣敷番之頭にしても西之丸の大奥での「狂態」については、
「見て見ぬフリ…」
ズバリそれであった。
西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても千穂、と言うよりは西之丸の大奥全体の「乱行」は薄々察していた。
いや、それどころかその「乱行」に西之丸の留守居や廣敷番之頭の奥方や、あるいはその娘、さらには女中たちまで誘って一緒に「乱行」を楽しんでいるのだから、これでは西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても千穂や、千穂に仕える奥女中たちの「乱行」を諫めることなど元より出来ようはずもなかった。
これはやはり知恵者とも言うべき、いや、悪知恵の良く働く年寄の発案によるものであり、
「どうせ楽しまれますならば、大奥を取り締まるべき者の縁者と一緒に楽しまれましたる方が…」
要は、「巻き込んでしまえ…」というわけで、玉澤のそのアドバイスは適確であり、大奥を取り締まるべき留守居や廣敷番之頭の奥方やその実娘、果ては女中までその西之丸の大奥に招いては一緒に「乱行」に参加していたのだから、西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても例え、西之丸の大奥での「乱行」に気付いていながらも、それを諫めることも、ましてや摘発することなども出来よう筈がなかった。
いや、「乱行」に参加させた奥方やその娘、果ては女中は何も西之丸の留守居や廣敷番之頭に留まらない。
玉澤は何と、西之丸の老中や、それに西之丸の若年寄、それに西之丸の御側衆や、果ては西之丸の目付といった連中の奥方やその娘、果ては女中まで西之丸の大奥へと招き、やはり千穂や、それに千穂に仕える玉澤たちは彼女らとも「乱行」を楽しんだのであった。
この「乱行」に加わらなかったのは、
「硬骨の士」
正にそう呼ぶに相応しい御側衆の一人である水上美濃守興正程度であり、興正は千穂や、それに玉澤からの「誘い」、即ち、
「奥方様やご息女様、それに女中をもこの西之丸の大奥へと参られ、我らと楽しみませぬか…」
いつにても大歓迎ですよ…、千穂や、それに玉澤も折を見て水上興正にそう誘いをかけたものの、逆に水上興正よりその「乱行」を窘められる始末であった。
千穂も、それに玉澤も己の言いなりにならぬこの「硬骨の士」である水上興正を随分と疎ましく思い、それが昂じて水上興正の、
「排除…」
千穂も、それに玉澤も本気でそれを考えたものの、しかし他でもない西之丸の主とも言うべき家基がこの水上興正を信頼していたので、玉澤は元より、家基の実母である千穂が水上興正の「排除」を陳情したものの、家基が首を縦に振ることは遂になく、それゆえ千穂も、それに玉澤も水上興正の「排除」は諦めた。
だが水上興正が一人、「硬骨」ぶりを見せつけたところで、他の御側衆が千穂や、それに玉澤、つまりは西之丸の大奥に取り込まれている以上、正に、
「多勢に無勢…」
であった。
水上興正は千穂のためを思えばこそ…、次期将軍である家基の母堂…、実母に相応しいよう、乱行は慎まれるべしと、そう千穂当人や、或いは千穂に年寄として仕える玉澤に対してそう諫めたものの、しかし、興正のこの心よりの忠言が千穂の胸に届くことはなく、そこで興正は本気で本丸の留守居、或いは直接、将軍の家治に対して千穂のその「乱行」ぶりを告発しようかと、興正にそこまで思わせる程に追い詰めてしまった。
だが興正は「硬骨の士」に相応しく、
「告げ口…」
そのような真似には抵抗感があり、それに何よりその…、千穂やそれに玉澤が主催する西之丸の大奥での「乱行」に西之丸の老中や若年寄、御側衆や、果ては留守居や目付、廣敷番之頭の奥方やその実娘、更には女中までかかわっている現状に鑑みれば、例え、将軍・家治に対してその「乱行」ぶりを告発したところで、幕閣がそれをまともに取り上げてくれるとは思えなかった。
その点、玉澤の狙いが正に、
「図に当たった…」
と言うべきであろうか。
玉澤は所謂、「絵島生島事件」から、
「大奥にて乱行に及ぶのなら、老中や若年寄、さらには御側衆や留守居、目付、廣敷番之頭といった連中も乱行に巻き込むのが一番…」
そう教訓を得たので、そうであればこそ、玉澤は彼らの奥方や実娘、女中なども特に大奥に招いては一緒になって「乱行」に興じたのであった。
無論、これは何かと警備や監察が厳しい本丸の大奥では不可能であっただろう。仮に老中や若年寄、御側衆や留守居、目付や廣敷番之頭に声をかけたところで、将軍の目を恐れて誰一人として応ずる者はいないであろう。何しろ本丸は征夷大将軍が盟主であるからだ。
だがそれが西之丸ともなると些か事情が異なる。本丸とは違い、西之丸は基本的には次期将軍が盟主であり、しかもその次期将軍が少年ともなれば、尚更、
「次期将軍に一々、気を遣う必要がない…」
ということで、その上、本丸から目が届きにくいという事情も手伝い、西之丸の老中たちも遠慮なく千穂やそれに玉澤からの誘いに乗れるというものであった。
ともあれ、このような事情から将軍・家治も西之丸の大奥での「乱行」…、千穂の「乱行」ぶりが伝わっても、どうにもできなかった。それに「乱行」のそもそもの原因はいつまでも千穂を「お部屋様」の地位に留め置いた将軍・家治自身にあった。
そうであれば家治が千穂に対してその「乱行」を諫められる筈もなかった。
が、いつまでもこのまま見て見ぬフリを続けて良いわけもなく、そこで家治は将軍たる己に附属する高岳を始めとする年寄たちに対して、
「何か良き思案はないか…」
千穂の「乱行」を止めさせるための「アドバイス」を求めたのであった。
それに対して高岳たち年寄から真っ先に出された「アドバイス」が、
「それはやはり…、お千穂の方様をお部屋様にして差し上げるのが何より…」
千穂を一介の側室である「お内証様」から正式に、次期将軍の母堂…、生母である「お部屋様」へと昇格させるのが一番、というものであった。
確かにそれは家治も考えていたことであった。
繰り返しになるが、家基という立派な次期将軍を産んだ千穂を「お部屋様」ではなく、「お内証様」に留め置いたのは主に萬壽姫のためであった。
将軍・家治の正室…、御台所の倫子の息女…、実娘として、一介の「お内証様」に過ぎなかった千穂よりも大奥での席次が上であった萬壽姫が、それが千穂が「お内証様」から「お部屋様」へと昇格を果たすことで、今度は逆に、千穂が萬壽姫よりも大奥の席次が上となり、そうなればそれまでは千穂が萬壽姫に傅いていたのが、今度は逆に萬壽姫が千穂に傅かねばならないこととなる。
だが愛妻家を自認する将軍・家治としてはその愛妻である倫子が正に、
「お腹を痛めた…」
萬壽姫が一介の側室に過ぎない千穂に傅かねばならないとは、家治には萬壽姫は元より、その実母である、つまりは愛妻である倫子が、
「忍びない…」
というもので、そこで萬壽姫が千穂に対して傅かなくても良いように、いつまでも千穂を一介の側室である「お内証様」に留め置いたのであった。
家治はその代わり…、謂わば、
「代償措置」
として千穂には「濫費」は勿論のこと、ある程度の「乱行」にも、
「目を瞑ってやる…」
そうしてやることにしたわけだが、近頃の…、萬壽姫が亡くなった年である安永2(1773)年頃の千穂の「乱行」ぶりたるや、流石に看過できないものになりつつあった。
そして、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった…、つまりは大奥より消えた今…、安永2(1773)年2月20日以降は、千穂を「お部屋様」として本丸の大奥へと、「召還」しても、
「最早、萬壽姫が千穂に傅くことはない…」
というわけで、家治は千穂の「召還」に乗り出すべく、高岳たち年寄が「アドバイス」した通り、千穂を「お部屋様」へと昇格させることを考えていたので、そこで家治は高岳たち年寄の「後押し」もあって、千穂に対して、
「お部屋様として本丸大奥に迎えるゆえ、早うに西之丸の大奥より戻って参れ…」
そう「メッセージ」を届けたのであった。
その「メッセージ」を受け取った千穂は本丸の大奥に戻っても良いような気がした。
だが千穂に仕える、年寄の玉澤を始めとする奥女中がそれを許さなかった。
それと言うのも玉澤たち奥女中は皆、西之丸の大奥での享楽的な生活にすっかり慣れきっていたからだ。
それが本丸の大奥へと戻ろうものなら、今までのような享楽的な生活が許されるとも思えず、それこそが玉澤たち奥女中の猛反対…、西之丸の大奥から窮屈な本丸の大奥へと戻ることへの猛反対の理由であった。
それに対して千穂も、「確かに…」と玉澤たち奥女中に同調した。千穂もまた、西之丸の大奥での享楽的な生活にすっかり慣れきってしまった一人であるからだ。
それに将軍・家治への「反撥心」もあった。即ち、
「何を今さら…」
という反撥心である。
千穂にしてみれば、家治が今になって己を「お内証様」から「お部屋様」へと昇格させてやると言い出した背景は明らかであった。
要は倫子に続いて、萬壽姫までが亡くなったことで、己を「お部屋様」として本丸の大奥へと迎えたところで、最早、萬壽姫が己に…、「お部屋様」となった己に傅くことはあるまいと、それで今になって己を、
「お内証様から、お部屋様へと昇格させてやる…」
そう言い出したに違いないと、千穂は家治の心底を見透かしていた。
だがそれは…、家治が千穂を「お内証様」から「お部屋様」へと昇格させてやろうとするその「動機」たるや…、「行動原理」と言い換えても良いだろうそれは、萬壽姫、ひいては倫子の視点、都合といったものが中心、基点としており、千穂の視点、都合といったものはスッポリ抜け落ちていた。
それゆえ、家治が今になって…、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった今になって、
「お部屋様に昇格させてやるから…」
それで本丸の大奥へと戻って来いと言われたところで、ノコノコ戻ってなるものかと、かえって千穂の反撥心を煽ってしまった。
いや、これでただ単純に、
「本丸の大奥には最早、奥女中以外いないので、お前だけでも戻ってきてはくれまいか…」
家治がそう頼んでいたならば、千穂も深くは考えずに、玉澤たちの反対に遭いながらも、或いは西之丸の大奥に玉澤たちを残して、身|ひとつで本丸の大奥へと戻っていたやも知れぬ。
元より千穂は物事に対して「深読み」するような女ではない。
それが家治が下手な「小細工」を弄したがために、千穂に本来する筈のなかった「深読み」をさせてしまい、挙句、大反撥を招いてしまったのだ。これは家治の失敗だったと言えよう。
結局、家治が弄した「小細工」の所為で千穂は玉澤たちと共に西之丸の大奥にそれこそ、
「籠城…」
立て籠もる道を選択し、これには家治もとんだ誤算であったと、渋面となった。
それは他でもない、本丸の大奥には千穂が傅かねばならない相手は最早、誰一人としていないからだ。
それどころか今度は千穂が唯一人の「お内証様」、いや、実質的には「お部屋様」として、皆から…、本丸の奥女中の皆から傅かれる立場にあった。
そうであれば千穂としても、そろそろ本丸の大奥へと戻っても良いような気がした。
だが千穂に仕える奥女中たち…、年寄の玉澤を始めとする奥女中たちがそれを許さなかった。それと言うのも、
「本丸の大奥に比べて警備・監察が手薄なここ、西之丸の大奥での暮らしの方が快適だから…」
それに尽きた。
西之丸の大奥においては濫費は勿論のこと、男芸者をその西之丸の大奥へと引き入れ、その男芸者に芝居を演じさせるという狂態を演じたところだ、誰一人として注意する者はいなかった。
西之丸の大奥を取り締まるべき西之丸留守居は元より、警備・監察の最高責任者である西之丸の廣敷番之頭にしても西之丸の大奥での「狂態」については、
「見て見ぬフリ…」
ズバリそれであった。
西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても千穂、と言うよりは西之丸の大奥全体の「乱行」は薄々察していた。
いや、それどころかその「乱行」に西之丸の留守居や廣敷番之頭の奥方や、あるいはその娘、さらには女中たちまで誘って一緒に「乱行」を楽しんでいるのだから、これでは西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても千穂や、千穂に仕える奥女中たちの「乱行」を諫めることなど元より出来ようはずもなかった。
これはやはり知恵者とも言うべき、いや、悪知恵の良く働く年寄の発案によるものであり、
「どうせ楽しまれますならば、大奥を取り締まるべき者の縁者と一緒に楽しまれましたる方が…」
要は、「巻き込んでしまえ…」というわけで、玉澤のそのアドバイスは適確であり、大奥を取り締まるべき留守居や廣敷番之頭の奥方やその実娘、果ては女中までその西之丸の大奥に招いては一緒に「乱行」に参加していたのだから、西之丸の留守居にしても廣敷番之頭にしても例え、西之丸の大奥での「乱行」に気付いていながらも、それを諫めることも、ましてや摘発することなども出来よう筈がなかった。
いや、「乱行」に参加させた奥方やその娘、果ては女中は何も西之丸の留守居や廣敷番之頭に留まらない。
玉澤は何と、西之丸の老中や、それに西之丸の若年寄、それに西之丸の御側衆や、果ては西之丸の目付といった連中の奥方やその娘、果ては女中まで西之丸の大奥へと招き、やはり千穂や、それに千穂に仕える玉澤たちは彼女らとも「乱行」を楽しんだのであった。
この「乱行」に加わらなかったのは、
「硬骨の士」
正にそう呼ぶに相応しい御側衆の一人である水上美濃守興正程度であり、興正は千穂や、それに玉澤からの「誘い」、即ち、
「奥方様やご息女様、それに女中をもこの西之丸の大奥へと参られ、我らと楽しみませぬか…」
いつにても大歓迎ですよ…、千穂や、それに玉澤も折を見て水上興正にそう誘いをかけたものの、逆に水上興正よりその「乱行」を窘められる始末であった。
千穂も、それに玉澤も己の言いなりにならぬこの「硬骨の士」である水上興正を随分と疎ましく思い、それが昂じて水上興正の、
「排除…」
千穂も、それに玉澤も本気でそれを考えたものの、しかし他でもない西之丸の主とも言うべき家基がこの水上興正を信頼していたので、玉澤は元より、家基の実母である千穂が水上興正の「排除」を陳情したものの、家基が首を縦に振ることは遂になく、それゆえ千穂も、それに玉澤も水上興正の「排除」は諦めた。
だが水上興正が一人、「硬骨」ぶりを見せつけたところで、他の御側衆が千穂や、それに玉澤、つまりは西之丸の大奥に取り込まれている以上、正に、
「多勢に無勢…」
であった。
水上興正は千穂のためを思えばこそ…、次期将軍である家基の母堂…、実母に相応しいよう、乱行は慎まれるべしと、そう千穂当人や、或いは千穂に年寄として仕える玉澤に対してそう諫めたものの、しかし、興正のこの心よりの忠言が千穂の胸に届くことはなく、そこで興正は本気で本丸の留守居、或いは直接、将軍の家治に対して千穂のその「乱行」ぶりを告発しようかと、興正にそこまで思わせる程に追い詰めてしまった。
だが興正は「硬骨の士」に相応しく、
「告げ口…」
そのような真似には抵抗感があり、それに何よりその…、千穂やそれに玉澤が主催する西之丸の大奥での「乱行」に西之丸の老中や若年寄、御側衆や、果ては留守居や目付、廣敷番之頭の奥方やその実娘、更には女中までかかわっている現状に鑑みれば、例え、将軍・家治に対してその「乱行」ぶりを告発したところで、幕閣がそれをまともに取り上げてくれるとは思えなかった。
その点、玉澤の狙いが正に、
「図に当たった…」
と言うべきであろうか。
玉澤は所謂、「絵島生島事件」から、
「大奥にて乱行に及ぶのなら、老中や若年寄、さらには御側衆や留守居、目付、廣敷番之頭といった連中も乱行に巻き込むのが一番…」
そう教訓を得たので、そうであればこそ、玉澤は彼らの奥方や実娘、女中なども特に大奥に招いては一緒になって「乱行」に興じたのであった。
無論、これは何かと警備や監察が厳しい本丸の大奥では不可能であっただろう。仮に老中や若年寄、御側衆や留守居、目付や廣敷番之頭に声をかけたところで、将軍の目を恐れて誰一人として応ずる者はいないであろう。何しろ本丸は征夷大将軍が盟主であるからだ。
だがそれが西之丸ともなると些か事情が異なる。本丸とは違い、西之丸は基本的には次期将軍が盟主であり、しかもその次期将軍が少年ともなれば、尚更、
「次期将軍に一々、気を遣う必要がない…」
ということで、その上、本丸から目が届きにくいという事情も手伝い、西之丸の老中たちも遠慮なく千穂やそれに玉澤からの誘いに乗れるというものであった。
ともあれ、このような事情から将軍・家治も西之丸の大奥での「乱行」…、千穂の「乱行」ぶりが伝わっても、どうにもできなかった。それに「乱行」のそもそもの原因はいつまでも千穂を「お部屋様」の地位に留め置いた将軍・家治自身にあった。
そうであれば家治が千穂に対してその「乱行」を諫められる筈もなかった。
が、いつまでもこのまま見て見ぬフリを続けて良いわけもなく、そこで家治は将軍たる己に附属する高岳を始めとする年寄たちに対して、
「何か良き思案はないか…」
千穂の「乱行」を止めさせるための「アドバイス」を求めたのであった。
それに対して高岳たち年寄から真っ先に出された「アドバイス」が、
「それはやはり…、お千穂の方様をお部屋様にして差し上げるのが何より…」
千穂を一介の側室である「お内証様」から正式に、次期将軍の母堂…、生母である「お部屋様」へと昇格させるのが一番、というものであった。
確かにそれは家治も考えていたことであった。
繰り返しになるが、家基という立派な次期将軍を産んだ千穂を「お部屋様」ではなく、「お内証様」に留め置いたのは主に萬壽姫のためであった。
将軍・家治の正室…、御台所の倫子の息女…、実娘として、一介の「お内証様」に過ぎなかった千穂よりも大奥での席次が上であった萬壽姫が、それが千穂が「お内証様」から「お部屋様」へと昇格を果たすことで、今度は逆に、千穂が萬壽姫よりも大奥の席次が上となり、そうなればそれまでは千穂が萬壽姫に傅いていたのが、今度は逆に萬壽姫が千穂に傅かねばならないこととなる。
だが愛妻家を自認する将軍・家治としてはその愛妻である倫子が正に、
「お腹を痛めた…」
萬壽姫が一介の側室に過ぎない千穂に傅かねばならないとは、家治には萬壽姫は元より、その実母である、つまりは愛妻である倫子が、
「忍びない…」
というもので、そこで萬壽姫が千穂に対して傅かなくても良いように、いつまでも千穂を一介の側室である「お内証様」に留め置いたのであった。
家治はその代わり…、謂わば、
「代償措置」
として千穂には「濫費」は勿論のこと、ある程度の「乱行」にも、
「目を瞑ってやる…」
そうしてやることにしたわけだが、近頃の…、萬壽姫が亡くなった年である安永2(1773)年頃の千穂の「乱行」ぶりたるや、流石に看過できないものになりつつあった。
そして、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった…、つまりは大奥より消えた今…、安永2(1773)年2月20日以降は、千穂を「お部屋様」として本丸の大奥へと、「召還」しても、
「最早、萬壽姫が千穂に傅くことはない…」
というわけで、家治は千穂の「召還」に乗り出すべく、高岳たち年寄が「アドバイス」した通り、千穂を「お部屋様」へと昇格させることを考えていたので、そこで家治は高岳たち年寄の「後押し」もあって、千穂に対して、
「お部屋様として本丸大奥に迎えるゆえ、早うに西之丸の大奥より戻って参れ…」
そう「メッセージ」を届けたのであった。
その「メッセージ」を受け取った千穂は本丸の大奥に戻っても良いような気がした。
だが千穂に仕える、年寄の玉澤を始めとする奥女中がそれを許さなかった。
それと言うのも玉澤たち奥女中は皆、西之丸の大奥での享楽的な生活にすっかり慣れきっていたからだ。
それが本丸の大奥へと戻ろうものなら、今までのような享楽的な生活が許されるとも思えず、それこそが玉澤たち奥女中の猛反対…、西之丸の大奥から窮屈な本丸の大奥へと戻ることへの猛反対の理由であった。
それに対して千穂も、「確かに…」と玉澤たち奥女中に同調した。千穂もまた、西之丸の大奥での享楽的な生活にすっかり慣れきってしまった一人であるからだ。
それに将軍・家治への「反撥心」もあった。即ち、
「何を今さら…」
という反撥心である。
千穂にしてみれば、家治が今になって己を「お内証様」から「お部屋様」へと昇格させてやると言い出した背景は明らかであった。
要は倫子に続いて、萬壽姫までが亡くなったことで、己を「お部屋様」として本丸の大奥へと迎えたところで、最早、萬壽姫が己に…、「お部屋様」となった己に傅くことはあるまいと、それで今になって己を、
「お内証様から、お部屋様へと昇格させてやる…」
そう言い出したに違いないと、千穂は家治の心底を見透かしていた。
だがそれは…、家治が千穂を「お内証様」から「お部屋様」へと昇格させてやろうとするその「動機」たるや…、「行動原理」と言い換えても良いだろうそれは、萬壽姫、ひいては倫子の視点、都合といったものが中心、基点としており、千穂の視点、都合といったものはスッポリ抜け落ちていた。
それゆえ、家治が今になって…、倫子に続いて萬壽姫までが亡くなった今になって、
「お部屋様に昇格させてやるから…」
それで本丸の大奥へと戻って来いと言われたところで、ノコノコ戻ってなるものかと、かえって千穂の反撥心を煽ってしまった。
いや、これでただ単純に、
「本丸の大奥には最早、奥女中以外いないので、お前だけでも戻ってきてはくれまいか…」
家治がそう頼んでいたならば、千穂も深くは考えずに、玉澤たちの反対に遭いながらも、或いは西之丸の大奥に玉澤たちを残して、身|ひとつで本丸の大奥へと戻っていたやも知れぬ。
元より千穂は物事に対して「深読み」するような女ではない。
それが家治が下手な「小細工」を弄したがために、千穂に本来する筈のなかった「深読み」をさせてしまい、挙句、大反撥を招いてしまったのだ。これは家治の失敗だったと言えよう。
結局、家治が弄した「小細工」の所為で千穂は玉澤たちと共に西之丸の大奥にそれこそ、
「籠城…」
立て籠もる道を選択し、これには家治もとんだ誤算であったと、渋面となった。
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しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
戦国ニート~さくは弥三郎の天下一統の志を信じるか~
ちんぽまんこのお年頃
歴史・時代
戦国時代にもニートがいた!駄目人間・甲斐性無しの若殿・弥三郎の教育係に抜擢されたさく。ところが弥三郎は性的な欲求をさくにぶつけ・・・・。叱咤激励しながら弥三郎を鍛え上げるさく。廃嫡の話が持ち上がる中、迎える初陣。敵はこちらの2倍の大軍勢。絶体絶命の危機をさくと弥三郎は如何に乗り越えるのか。実在した戦国ニートのサクセスストーリー開幕。
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