天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~ 4

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 さて、安永2(1773)年の2月20日に萬壽ますひめまでもがくなったことで今度こそ千穂ちほ本丸ほんまるの大奥へと帰ってくるものと思われた。

 それは他でもない、本丸ほんまるの大奥には千穂ちほかしずかねばならない相手は最早もはやだれ一人ひとりとしていないからだ。

 それどころか今度は千穂ちほただ一人ひとりの「お内証ないしょう様」、いや、実質的には「お部屋へや様」として、皆から…、本丸ほんまるおく女中じょちゅうの皆からかしずかれる立場にあった。

 そうであれば千穂ちほとしても、そろそろ本丸ほんまるの大奥へともどっても良いような気がした。

 だが千穂ちほつかえるおく女中じょちゅうたち…、年寄としより玉澤たまざわを始めとするおく女中じょちゅうたちがそれを許さなかった。それと言うのも、

本丸ほんまるの大奥にくらべて警備けいび監察かんさつ手薄てうすなここ、西之丸にしのまるの大奥でのらしの方が快適かいてきだから…」

 それにきた。

 西之丸にしのまるの大奥においては濫費らんぴ勿論もちろんのこと、男芸者をその西之丸にしのまるの大奥へと引き入れ、その男芸者に芝居しばいえんじさせるという狂態きょうたいえんじたところだ、だれ一人ひとりとして注意する者はいなかった。

 西之丸にしのまるの大奥を取りまるべき西之丸にしのまる留守居るすいは元より、警備けいび監察かんさつの最高責任者である西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしても西之丸にしのまるの大奥での「狂態きょうたい」については、

「見て見ぬフリ…」

 ズバリそれであった。

 西之丸にしのまる留守居るすいにしても廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしても千穂ちほ、と言うよりは西之丸にしのまるの大奥全体の「乱行らんぎょう」は薄々うすうす察していた。

 いや、それどころかその「乱行らんぎょう」に西之丸にしのまる留守居るすい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら奥方おくがたや、あるいはその娘、さらには女中じょちゅうたちまでさそって一緒いっしょに「乱行らんぎょう」を楽しんでいるのだから、これでは西之丸にしのまる留守居るすいにしても廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしても千穂ちほや、千穂ちほつかえるおく女中じょちゅうたちの「乱行らんぎょう」をいさめることなど元より出来できようはずもなかった。

 これはやはり知恵ちえしゃとも言うべき、いや、わる知恵ぢえの良く働く年寄としより発案はつあんによるものであり、

「どうせ楽しまれますならば、大奥を取りまるべき者の縁者えんじゃ一緒いっしょに楽しまれましたる方が…」

 要は、「んでしまえ…」というわけで、玉澤たまざわのそのアドバイスは適確てきかくであり、大奥を取りまるべき留守居るすい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら奥方おくがたやその実娘、ては女中じょちゅうまでその西之丸にしのまるの大奥にまねいては一緒いっしょに「乱行らんぎょう」に参加していたのだから、西之丸にしのまる留守居るすいにしても廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしても例え、西之丸にしのまるの大奥での「乱行らんぎょう」に気付いていながらも、それをいさめることも、ましてや摘発てきはつすることなども出来できようはずがなかった。

 いや、「乱行らんぎょう」に参加させた奥方おくがたやその娘、ては女中じょちゅうは何も西之丸にしのまる留守居るすい廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらとどまらない。

 玉澤たまざわは何と、西之丸にしのまるの老中や、それに西之丸にしのまるの若年寄、それに西之丸にしのまる御側おそばしゅうや、ては西之丸にしのまる目付めつけといった連中の奥方おくがたやその娘、ては女中じょちゅうまで西之丸にしのまるの大奥へとまねき、やはり千穂ちほや、それに千穂ちほつかえる玉澤たまざわたちは彼女らとも「乱行らんぎょう」を楽しんだのであった。

 この「乱行らんぎょう」にくわわらなかったのは、

硬骨こうこつの士」

 正にそう呼ぶに相応ふさわしい御側おそばしゅうの一人である水上みずかみ美濃守みののかみ興正おきまさ程度ていどであり、興正おきまさ千穂ちほや、それに玉澤たまざわからの「さそい」、すなわち、

奥方おくがた様やご息女そくじょ様、それに女中じょちゅうをもこの西之丸にしのまるの大奥へとまいられ、我らと楽しみませぬか…」

 いつにても大歓迎だいかんげいですよ…、千穂ちほや、それに玉澤たまざわおりを見て水上みずかみ興正おきまさにそうさそいをかけたものの、逆に水上みずかみ興正おきまさよりその「乱行らんぎょう」をたしなめられる始末しまつであった。

 千穂ちほも、それに玉澤たまざわも己の言いなりにならぬこの「硬骨こうこつの士」である水上みずかみ興正おきまさ随分ずいぶんうとましく思い、それがこうじて水上みずかみ興正おきまさの、

排除はいじょ…」

 千穂ちほも、それに玉澤たまざわも本気でそれを考えたものの、しかし他でもない西之丸にしのまるあるじとも言うべき家基いえもとがこの水上みずかみ興正おきまさ信頼しんらいしていたので、玉澤たまざわは元より、家基いえもと実母じつぼである千穂ちほ水上みずかみ興正おきまさの「排除はいじょ」を陳情ちんじょうしたものの、家基いえもとが首をたてることはついになく、それゆえ千穂ちほも、それに玉澤たまざわ水上みずかみ興正おきまさの「排除はいじょ」はあきらめた。

 だが水上みずかみ興正おきまさが一人、「硬骨こうこつ」ぶりを見せつけたところで、他の御側おそばしゅう千穂ちほや、それに玉澤たまざわ、つまりは西之丸にしのまるの大奥に取りまれている以上、まさに、

多勢たぜい無勢むぜい…」

 であった。

 水上みずかみ興正おきまさ千穂ちほのためを思えばこそ…、次期将軍である家基いえもと母堂ぼどう…、実母じつぼ相応ふさわしいよう、乱行らんぎょうつつしまれるべしと、そう千穂ちほ当人とうにんや、あるいは千穂ちほ年寄としよりとしてつかえる玉澤たまざわに対してそういさめたものの、しかし、興正おきまさのこの心よりの忠言ちゅうげん千穂ちほの胸に届くことはなく、そこで興正おきまさは本気で本丸ほんまる留守居るすいあるいは直接、将軍の家治に対して千穂ちほのその「乱行らんぎょう」ぶりを告発しようかと、興正おきまさにそこまで思わせるほどめてしまった。

 だが興正おきまさは「硬骨こうこつの士」に相応ふさわしく、

「告げ口…」

 そのような真似まねには抵抗感ていこうかんがあり、それに何よりその…、千穂ちほやそれに玉澤たまざわ主催しゅさいする西之丸にしのまるの大奥での「乱行らんぎょう」に西之丸にしのまるの老中や若年寄、御側おそばしゅうや、ては留守居るすい目付めつけ廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら奥方おくがたやその実娘、さらには女中じょちゅうまでかかわっている現状げんじょうかんがみれば、例え、将軍・家治に対してその「乱行らんぎょう」ぶりを告発したところで、幕閣ばっかくがそれをまともに取り上げてくれるとは思えなかった。

 その点、玉澤たまざわねらいがまさに、

に当たった…」

 と言うべきであろうか。

 玉澤たまざわ所謂いわゆる、「絵島えじま生島いくしま事件」から、

「大奥にて乱行らんぎょうおよぶのなら、老中や若年寄、さらには御側おそばしゅう留守居るすい目付めつけ廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらといった連中も乱行らんぎょうむのが一番…」

 そう教訓きょうくんを得たので、そうであればこそ、玉澤たまざわは彼らの奥方おくがたや実娘、女中じょちゅうなども特に大奥にまねいては一緒いっしょになって「乱行らんぎょう」にきょうじたのであった。

 無論むろん、これは何かと警備けいび監察かんさつが厳しい本丸ほんまるの大奥では不可能であっただろう。仮に老中や若年寄、御側おそばしゅう留守居るすい目付めつけ廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらに声をかけたところで、将軍の目を恐れてだれ一人ひとりとして応ずる者はいないであろう。何しろ本丸ほんまるは征夷大将軍が盟主めいしゅであるからだ。

 だがそれが西之丸にしのまるともなるといささか事情が異なる。本丸ほんまるとは違い、西之丸にしのまるは基本的には次期将軍が盟主めいしゅであり、しかもその次期将軍が少年ともなれば、尚更なおさら

「次期将軍に一々いちいちつかう必要がない…」

 ということで、その上、本丸ほんまるから目が届きにくいという事情も手伝い、西之丸にしのまるの老中たちも遠慮えんりょなく千穂ちほやそれに玉澤たまざわからのさそいに乗れるというものであった。

 ともあれ、このような事情から将軍・家治も西之丸にしのまるの大奥での「乱行らんぎょう」…、千穂ちほの「乱行らんぎょう」ぶりが伝わっても、どうにもできなかった。それに「乱行らんぎょう」のそもそもの原因はいつまでも千穂ちほを「お部屋へや様」の地位にいた将軍・家治自身にあった。

 そうであれば家治が千穂ちほに対してその「乱行らんぎょう」をいさめられるはずもなかった。

 が、いつまでもこのまま見て見ぬフリを続けて良いわけもなく、そこで家治は将軍たる己に附属ふぞくする高岳たかおかを始めとする年寄としよりたちに対して、

「何か良き思案しあんはないか…」

 千穂ちほの「乱行らんぎょう」を止めさせるための「アドバイス」を求めたのであった。

 それに対して高岳たかおかたち年寄としよりからさきに出された「アドバイス」が、

「それはやはり…、お千穂ちほ方様かたさまをお部屋へや様にしてげるのが何より…」

 千穂ちほ一介いっかい側室そくしつである「お内証ないしょう様」から正式に、次期将軍の母堂ぼどう…、生母せいぼである「お部屋へや様」へと昇格しょうかくさせるのが一番、というものであった。

 確かにそれは家治も考えていたことであった。

 かえしになるが、家基いえもとという立派りっぱな次期将軍を産んだ千穂ちほを「お部屋へや様」ではなく、「お内証ないしょう様」にいたのは主に萬壽ますひめのためであった。

 将軍・家治の正室せいしつ…、御台所みだいどころ倫子ともこ息女そくじょ…、実娘として、一介いっかいの「お内証ないしょう様」に過ぎなかった千穂ちほよりも大奥での席次せきじが上であった萬壽ますひめが、それが千穂ちほが「お内証ないしょう様」から「お部屋へや様」へと昇格しょうかくたすことで、今度は逆に、千穂ちほ萬壽ますひめよりも大奥の席次せきじが上となり、そうなればそれまでは千穂ちほ萬壽ますひめかしずいていたのが、今度は逆に萬壽ますひめ千穂ちほかしずかねばならないこととなる。

 だが愛妻あいさい自認じにんする将軍・家治としてはその愛妻あいさいである倫子ともこまさに、

「おなかいためた…」

 萬壽ますひめ一介いっかい側室そくしつぎない千穂ちほかしずかねばならないとは、家治には萬壽ますひめは元より、その実母じつぼである、つまりは愛妻あいさいである倫子ともこが、

しのびない…」

 というもので、そこで萬壽ますひめ千穂ちほに対してかしずかなくても良いように、いつまでも千穂ちほ一介いっかい側室そくしつである「お内証ないしょう様」にいたのであった。

 家治はそのわり…、わば、

代償だいしょう措置そち

 として千穂ちほには「濫費らんぴ」は勿論もちろんのこと、ある程度ていどの「乱行らんぎょう」にも、

「目をつむってやる…」

 そうしてやることにしたわけだが、近頃ちかごろの…、萬壽ますひめくなった年である安永2(1773)年頃の千穂ちほの「乱行らんぎょう」ぶりたるや、流石さすが看過かんかできないものになりつつあった。

 そして、倫子ともこに続いて萬壽ますひめまでがくなった…、つまりは大奥より消えた今…、安永2(1773)年2月20日以降は、千穂ちほを「お部屋へや様」として本丸ほんまるの大奥へと、「召還しょうかん」しても、

最早もはや萬壽ますひめ千穂ちほかしずくことはない…」

 というわけで、家治は千穂ちほの「召還しょうかん」に乗り出すべく、高岳たかおかたち年寄としよりが「アドバイス」した通り、千穂ちほを「お部屋へや様」へと昇格しょうかくさせることを考えていたので、そこで家治は高岳たかおかたち年寄としよりの「あとし」もあって、千穂ちほに対して、

「お部屋へや様として本丸ほんまる大奥にむかえるゆえ、はように西之丸にしのまるの大奥よりもどってまいれ…」

 そう「メッセージ」を届けたのであった。

 その「メッセージ」を受け取った千穂ちほ本丸ほんまるの大奥にもどっても良いような気がした。

 だが千穂ちほつかえる、年寄としより玉澤たまざわを始めとするおく女中じょちゅうがそれを許さなかった。

 それと言うのも玉澤たまざわたちおく女中じょちゅうは皆、西之丸にしのまるの大奥での享楽きょうらく的な生活にすっかりれきっていたからだ。

 それが本丸ほんまるの大奥へともどろうものなら、今までのような享楽きょうらく的な生活が許されるとも思えず、それこそが玉澤たまざわたちおく女中じょちゅう猛反対もうはんたい…、西之丸にしのまるの大奥から窮屈きゅうくつ本丸ほんまるの大奥へともどることへの猛反対もうはんたいの理由であった。

 それに対して千穂ちほも、「確かに…」と玉澤たまざわたちおく女中じょちゅう同調どうちょうした。千穂ちほもまた、西之丸にしのまるの大奥での享楽きょうらく的な生活にすっかりれきってしまった一人であるからだ。

 それに将軍・家治への「反撥はんぱつ心」もあった。すなわち、

「何を今さら…」

 という反撥はんぱつ心である。

 千穂ちほにしてみれば、家治が今になって己を「お内証ないしょう様」から「お部屋へや様」へと昇格しょうかくさせてやると言い出した背景はいけいは明らかであった。

 要は倫子ともこに続いて、萬壽ますひめまでがくなったことで、己を「お部屋へや様」として本丸ほんまるの大奥へとむかえたところで、最早もはや萬壽ますひめが己に…、「お部屋へや様」となった己にかしずくことはあるまいと、それで今になって己を、

「お内証ないしょう様から、お部屋へや様へと昇格しょうかくさせてやる…」

 そう言い出したに違いないと、千穂ちほは家治の心底しんてい見透みすかしていた。

 だがそれは…、家治が千穂ちほを「お内証ないしょう様」から「お部屋へや様」へと昇格しょうかくさせてやろうとするその「動機どうき」たるや…、「行動こうどう原理げんり」と言いえても良いだろうそれは、萬壽ますひめ、ひいては倫子ともこ視点してん都合つごうといったものが中心、基点きてんとしており、千穂ちほ視点してん都合つごうといったものはスッポリけ落ちていた。

 それゆえ、家治が今になって…、倫子ともこに続いて萬壽ますひめまでがくなった今になって、

「お部屋へや様に昇格しょうかくさせてやるから…」

 それで本丸ほんまるの大奥へともどって来いと言われたところで、ノコノコもどってなるものかと、かえって千穂ちほ反撥はんぱつ心をあおってしまった。

 いや、これでただ単純たんじゅんに、

本丸ほんまるの大奥には最早もはやおく女中じょちゅう以外いないので、お前だけでももどってきてはくれまいか…」

 家治がそうたのんでいたならば、千穂ちほも深くは考えずに、玉澤たまざわたちの反対にいながらも、あるいは西之丸にしのまるの大奥に玉澤たまざわたちを残して、|ひとつで本丸ほんまるの大奥へともどっていたやも知れぬ。

 元より千穂ちほ物事ものごとに対して「ふかみ」するような女ではない。

 それが家治が下手へたな「細工ざいく」をろうしたがために、千穂ちほ本来ほんらいするはずのなかった「ふかみ」をさせてしまい、挙句あげくだい反撥はんぱつまねいてしまったのだ。これは家治の失敗だったと言えよう。

 結局、家治がろうした「細工ざいく」の所為せい千穂ちほ玉澤たまざわたちと共に西之丸にしのまるの大奥にそれこそ、

籠城ろうじょう…」

 もる道を選択し、これには家治もとんだ誤算ごさんであったと、渋面じゅうめんとなった。
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