天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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留守居(るすい)・高井(たかい)土佐守(とさのかみ)直熙(なおひろ)への聴取

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 それからしばらった後、3人の小姓こしょう…、角南すなみ國明くにあきら山本やまもと茂孫もちざね、そして一色いっしき政方まさかた留守居るすい高井たかい直熙なおひろを連れてここ、中奥なかおく御休息之間ごきゅうそくのまのそれも下段げだんめんした入側いりがわ…、廊下ろうかに戻って来た。

 家治は彼ら3人の小姓こしょうに対して、「大儀たいぎであった」とねぎらいの言葉をかけると、入側いりがわ…、廊下ろうかより退がるよう命じた。

 将軍・家治より席をはずすよう命じられた彼ら3人の小姓こしょういささ不本意ふほんい、いや、もっと言うなら不満顔であったが、それでも将軍たる家治の命である以上、したがわないわけにはゆかず、彼ら3人の小姓こしょうは内心の不満をおさえつつ、平伏へいふくしてその場をあとにした。

 一方、高井たかい直熙なおひろ入側いりがわ…、廊下ろうかにて左右にひかえる意知おきともと平蔵の間にはさまれる格好にて、つまりはなか着座ちゃくざすると、下段げだんにて鎮座ちんざする将軍・家治と向かい合い、家治が制するよりも早く、平伏へいふくしたので、意知おきともと平蔵もそれにならって平伏へいふくした。

 家治は内心、やれやれと思いつつ、「一同いちどうの者、おもてを上げぃ…」といつもの「決まり文句」を口にした。この「決まり文句」を口にせぬことには始まらないからだ。

 そうして皆が頭を上げたところで、家治は向かい合って座る高井たかい直熙なおひろに対して、

宿直とのいのところ、急に呼び立てて、まなんだな…」

 まずはそうびの言葉を述べた後、意知おきともの方を向き、意知おきともに目でうながした。

 すると意知おきとももそうと察して、了解りょうかいと言わんばかりに叩頭こうとうしてみせると、高井たかい直熙なおひろに対してこれまでの経緯けいい、それも一切いっさい経緯けいいを伝えたのであった。すなわち、

一橋ひとつばし治済はるさだ陰謀いんぼうにより家基いえもとが殺害された可能性があること」

「その際、一橋ひとつばし治済はるさだは病死に見せかけるべく、毒殺どくさつという手法を用いたこと」

「仮に、毒殺どくさつだと発覚はっかくした場合でもそのうたがいが田沼意次、あるいは清水しみず重好しげよしに向かうよう、遅効ちこう性にして致死ちし性のあるシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケという毒キノコを用いた可能性があること」

なお、その毒キノコは小児しょうに専門のまち医者いしゃである小野おの章以あきしげなる者が莫大ばくだいなる報酬ほうしゅうとひきかえに用意した可能性が高いこと」

「しかも小野おの章以あきしげ一橋ひとつばし治済はるさだよりその毒キノコを、と言うよりは遅効ちこう性にして致死ちし性のある毒物どくぶつ調達ちょうたつを命じられたのは明和5(1768)年の可能性が高いこと」

小野おの章以あきしげは3年かけて、その遅効ちこう性にして致死ちし性のある毒物どくぶつとしてシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケなる毒キノコに行き当たり、その効能をためすために、人体じんたい実験を行った可能性が高いこと」

「そして倫子ともこ萬壽ます姫がその人体じんたい実験の被験ひけんしゃにされた可能性が高いこと」

 意知おきとも高井たかい直熙なおひろに対してそれらの事情を要領ようりょう良く、簡潔かんけつに説明したのであった。

 高井たかい直熙なおひろすべての事情を打ち明けることについては、先ほどの3人の小姓こしょう高井たかい直熙なおひろを呼びに行っている間に家治と意知おきとも、そして平蔵が談合だんごうの上、決めたことであった。高井たかい直熙なおひろにはすべての事情を打ち明けないことには要領ようりょうを得ないだろうと思ったからだ。

 一方、高井たかい直熙なおひろはと言うと、あまりの重大じゅうだい流石さすがに驚きの様子をかくせなかったようだ。

 家治はそのような直熙もりひろの様子に無理もないと理解を示しつつ、その当時…、倫子ともこ萬壽ます姫の食事の毒見どくみつとめた者が、それも倫子ともこ萬壽ます姫が死ぬ直前、わば、最期さいご毒見どくみつとめた者が誰なのかを尋ねた。

「されば…、その者たちは一橋ひとつばし殿の息がかかっていると、左様さようおぼされているわけで?」

 直熙なおひろは家治の問いに答える前に、家治にそう聞き返し、「左様さよう」と家治をうなずかせた。

「さればおそれ多くも御台みだい様と萬壽ます姫様…、大奥の姫君ひめぎみ様がおしあがりになられしお食事を毒見どくみ申し上げしは番之頭ばんのかしら…、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら中年寄ちゅうどしよりにて…」

「その二人が毒見どくみいたすわけか?」

 家治が尋ねると、直熙なおひろは「正確には四人と申すべきやに…」と曖昧あいまいな答え方とした。

「そは…、如何いかな意味ぞ?」

 首をかしげる家治に対して直熙なおひろは順を追って説明した。

 つまりはこういうことで、中年寄ちゅうどしよりというのは将軍正室や、あるいはその姫君ひめぎみ附属ふぞくする大奥の女中で、ちょうど将軍につかえる小納戸こなんど相当そうとうし、ゆえに将軍には中年寄ちゅうどしよりされることはない。

 この中年寄ちゅうどしより姫君ひめぎみ一人につき一人の割合わりあいにてされ、それゆえ正室せいしつであった倫子ともこに一人、その息女そくじょ萬壽ます姫にも一人がされた。

 そしてこの中年寄ちゅうどしより各々おのおの、己がつかえる姫君ひめぎみの食事の毒見どくみになうわけだが、その前に廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら毒見どくみを行うのであった。

「その、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによる毒見どくみだが、やはり一人につき…、姫一人につき、一人の廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら毒見どくみになうわけか?」

 家治が尋ねると、直熙なおひろは「御意ぎょい」と答え、

「それで…、四人というわけか…」

 家治は納得した様子でそうつぶやいた。

「されば…、覚えているであろうか…」

 家治がそう示唆しさしただけで、直熙なおひろは家治が何をきたがっているのか、気付いた様子で、

「さればおそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様がキノコ料理を、それもご薨去こうきょあそばされます前に、おし上がりになられしことはあるのか、でござりまするな?」

 直熙なおひろは先回りして尋ね、それに対して家治はと言うと、まさしくその通りであったので、うなずいてみせた。

 すると直熙なおひろが、「ござりまする」と即答そくとう、それも認めたことから家治たち…、家治や意知おきとも、平蔵を心底しんそこおどろかせたものである。

「して、それはいつのことだ?」

 家治は勢いんで尋ねた。

「されば、おそれ多くも御台みだい様におかせられましては8月13日に山菜さんさい料理をおし上がりになられたと記憶しておりまする…」

 直熙なおひろがやはり即答そくとうしたので、家治たちをふたたおどろかせたものである。

「良く覚えておるの…、もう10年も前のことだというに…」

 家治は目を丸くしてそうつぶやいた。それこそが家治たちが驚いた理由であった。

 8月13日とは言うまでもなく、今から10年前の明和8(1771)年の8月13日のことだからだ。そんな10年前の出来事、それも事件や事故といったたぐいのものではなく、食事の献立こんだてを覚えているとは尋常じんじょうでは考えられなかった。

 すると直熙なおひろもそうと察したらしく、

留守居るすい閑職かんしょくなれば、日々ひび出来事できごとをこの頭にきざむことぐらいしか楽しみがなく…、痴呆ちほう防止ぼうしにも役立ちますゆえ…」

 直熙なおひろはそう弁解べんかいして家治たちを苦笑くしょうさせた。

「ちなみに…、それは朝食か、昼食か、はたまた夕食か…」

 そこまで直熙なおひろが覚えてくれているか、家治には自信がなかったものの、それでも一応、尋ねた。

 すると今度もまた、直熙なおひろ即答そくとうしてみせた。

「されば夕食にて…」

「と申すと、直熙なおひろ宿直とのいであったと?」

 正室せいしつ倫子ともこの夕食の献立こんだてまで覚えているからには、直熙なおひろはその日は宿直とのいではなかったのかと、家治はそう思えばこそ、そのように尋ねたのであった。

 だがそれに対して直熙もりひろは、「いえ、違いまする」と否定した上で、

「されば宿直とのいではのうて、まわりにて…」

 直熙なおひろがそう答えたので、家治たちは皆、「成程なるほど…」と合点がてんがいった。

 それと言うのも大奥の取りまりにも当たる留守居るすい宿直とのいはあくまでここ本丸ほんまる表向おもてむきにある芙蓉之間ふようのまにてまりむに過ぎず、大奥へと足を運んで、大奥の男子役人のスペースである廣敷ひろしきにてまりむわけではなかった。

 しかし留守居るすいには3日に一度の割合わりあいにて大奥をまわることが義務付けられており、倫子ともこが夕食に山菜さんさい料理、いや、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを食したと思われる8月13日、その日はちょうどその3日に一度の留守居るすいまわり日であり、それも依田よだ政次まさつぐの当番日であったと言うことだろう。

 3日に一度の大奥のまわりにしても宿直とのいと同じく、輪番りんばん制であったからだ。

 そして直熙なおひろは大奥のまわりを終えた依田よだ政次まさつぐに対して、大奥の様子と共に倫子ともこが今日、口にする夕食の献立こんだてについてもたずねたのであろう。

 それと言うのも留守居るすいまわ刻限こくげんたるや、老中のそれと同じく夕七つ(午後4時頃)であったからだ。

 老中にしても留守居るすいと同じく大奥のまわりがあった。と意っても留守居るすいのように頻繁ひんぱんに大奥をまわるわけではなく、一月ひとつきに一度の割合わりあいであり、その際には夕七つ(午後4時頃)にまわるのが慣例であり、それゆえいつもは昼八つ(午後2時頃)、遅くとも昼の八つ半(午後3時頃)には下城げじょうする老中もこの日は…、大奥をまわる日は夕七つ(午後4時頃)まで御城おしろに残って大奥をまわるのであった。

 それゆえ留守居るすいも老中にならい、3日に一度の割合わりあいによる大奥のまわりにしても夕七つ(午後4時頃)に行うのを慣例としていた。

 そして夕七つ(午後4時頃)と言えば、大奥に住まう御台所みだいどころや、あるいは姫君ひめぎみの夕食の時間に近く、それゆえ大奥をまわった依田よだ政次まさつぐはもしかしたら今夜の御台所みだいどころ…、倫子ともこの夕食の献立こんだてについても留守居るすいの案内役である廣敷ひろしき添番そえばんか、あるいは留守居るすいの応対に当たる女中の表使おもてづかいにでもたずねたのではあるまいかと、直熙なおひろはそうと察したからこそ政次まさつぐに対してそのむねたずねたのだろうと、意知おきともはそうと察して、それを直熙なおひろに直接、ぶつけてみると、やはり結果は「ビンゴ」であった。

如何いかにもその通りぞ…」

 直熙なおひろ意知おきともの方へと向いて、意知おきともの考えを首肯しゅこうしてみせると、ふたたび、家治の方へと向き直り、

「さればそれがし、依田よだ豊前ぶぜんに対しまして、好奇こうきしんより、おそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様におかせられては今宵こよいはご夕食に何をおしあがりになられる所存しょぞんかと、豊前ぶぜんに対しましてたずねましたる次第しだいにて…」

「それで…、豊前ぶぜん素直すなおに答えてくれたかの?」

 家治が尋ねるや、直熙なおひろからは「いえ、それが…」と否定的な答えが返ってきたので、

「されば…、豊前ぶぜんめは中々なかなかに教えてくれなかったと見ゆるが…」

 家治がさきまわりしてそう当たりをつけると、直熙なおひろは「御意ぎょい」とそれを認めたのであった。

「なれど直熙なおひろは結果的には豊前ぶぜんより聞き出すことに成功したのであろう?」

御意ぎょい…、いえ、それがしといたしましては…、斯様かように申し上げましてはご無礼ぶれいなれど、正直しょうじきおそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様がご夕食に何をおしあがりになられるのか、それにつきましてはそれほどの興味も関心もなく…」

「ただ、成り行きにて…、要は何となくたずねただけであるにもかかわらず、豊前ぶぜんめが過剰かじょう反応をいたしたというわけだな?」

御意ぎょい。それゆえ、それがしといたしましても、おそれ多くも御台みだい様や萬壽ます姫様におかせられましてはご夕食に一体、何をおしあがりになられるご所存しょぞんかと、俄然がぜん興味がきましてござりまする…」

 成程なるほど豊前ぶぜんこと依田よだ政次まさつぐは心にやましいところがあるからこそ、思わず過剰かじょう反応はんのうをしてしまったのであろうが、それは失敗と言えた。なぜなら直熙なおひろの興味をき立てさせてしまったからだ。

 これで仮に、政次まさつぐ直熙なおひろのその問いに対して過剰かじょう反応はんのうせずにただ、山菜さんさい料理ですと、サラリと答えていれば、直熙なおひろにしてもそれ以上、くわしくたずねることもなかったであろう。

 だが実際には政次まさつぐ過剰かじょう反応はんのうを見せてしまったがために、直熙なおひろをして山菜さんさい料理のこまかな内容にまでたずねさせるにいたったのであろうと、意知おきともはそうと当たりをつけ、やはりこのことも直熙なおひろにぶつけて、直熙なおひろうなずかせたのであった。

「ああ。ちなみにおそれ多くも御台みだい様におかせられましても、萬壽ます姫様におかせられましても、共にそのご夕食の内容に変わりはなく…」

 直熙なおひろは思い出したようにそう告げた。

 確かに、倫子ともことその娘である萬壽ます姫、この二人の夕食の献立こんだてが違うとも思えず、そうであれば毒キノコであるシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケは倫子ともこが口をつける山菜さんさい料理にだけ混入こんにゅうさせたものと思われる。

 そしてそのような芸当げいとうが出来るのは倫子ともこ毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらか、あるいは倫子ともこづき中年寄ちゅうどしよりに限られる。

 いや、その毒見どくみにしても、倫子ともこが口にする食事と萬壽ます姫が口にする食事、この二つの食事の毒見どくみ別々べつべつに行うとは考えづらく、つまりは倫子ともこが口にする食事と萬壽ます姫が口にする食事、この二つの食事の毒見どくみは同時に行われるものと考えられ、そうであれば倫子ともこが口にする食事…、山菜さんさい料理の毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら毒物どくぶつを…、シロタマゴテングタケか、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうした場合には、同じ場所で萬壽ます姫が口にする山菜さんさい料理の毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにその様子を「バッチリ」目撃もくげきされることになるわけで、にもかかわらずその萬壽ます姫が口にする山菜さんさい料理の毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらとがめられずに、倫子ともこが口にする山菜さんさい料理にシロタマゴテングタケか、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうするにはその萬壽ます姫が口にする山菜さんさい料理の毒見どくみにな廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの、

黙認もくにん…」

 それが必要となってくる。

 そしてそれはもう一人の毒見どくみ役とも言うべき中年寄ちゅうどしよりについても同じことが言える。

 すなわち、倫子ともこづき中年寄ちゅうどしより倫子ともこが口にする山菜さんさい料理の毒見どくみになう際にもやはり、同じ場所で萬壽ますづき中年寄ちゅうどしより萬壽ます姫が口にする山菜さんさい料理の毒見どくみになっているものと考えられ、そうであれば倫子ともこづき中年寄ちゅうどしよりがその倫子ともこが口にする山菜さんさい料理にシロタマゴテングタケか、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうする場合には萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりにも「バッチリ」その現場を目撃もくげきされてしまうわけで、にもかかわらず、萬壽ますづき中年寄ちゅうどしより
とがめられずにその倫子ともこが口にする山菜さんさい料理にシロタマゴテングタケか、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうしようと思えば、萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりの、

黙認もくにん…」

 やはりそれが不可欠ふかけつであった。

 そこで意知おきともは大奥における御台所みだいどころすなわち、倫子ともことその息女そくじょ萬壽ます姫が口にする食事の毒見どくみについて…、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら中年寄ちゅうどしよりによる毒見どくみについて、そのくわしい様子を直熙なおひろたずねた。

 すると、将軍や次期将軍のそれと変わらぬことが判明した。すなわち、廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらによる毒見どくみを終えたその料理は毒見どくみにないし廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの手により中年寄ちゅうどしよりもとへと運ばれてくるのであるが、続いて中年寄ちゅうどしより毒見どくみになう際には廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら監視かんしもと毒見どくみを行うとのことであり、ちょうど廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら御膳ごぜん奉行ぶぎょうに、中年寄ちゅうどしより小納戸こなんどにそれぞれ相当そうとうする。

 これで4人が…、倫子ともこが口にした山菜さんさい料理の毒見どくみになった廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら萬壽ます姫が口にした山菜さんさい料理の毒見どくみになった廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらさらには倫子ともこづき中年寄ちゅうどしより萬壽ますづき中年寄ちゅうどしよりの4人が共犯者…、倫子ともこ毒殺の共犯者である、それも一橋ひとつばし治済はるさだめいにより「動いた」可能性がたかまったというわけだ。
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