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留守居(るすい)・高井(たかい)土佐守(とさのかみ)直熙(なおひろ)への聴取
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それから暫く経った後、3人の小姓…、角南國明と山本茂孫、そして一色政方は留守居の高井直熙を連れてここ、中奥は御休息之間のそれも下段に面した入側…、廊下に戻って来た。
家治は彼ら3人の小姓に対して、「大儀であった」と労いの言葉をかけると、入側…、廊下より退がるよう命じた。
将軍・家治より席を外すよう命じられた彼ら3人の小姓は些か不本意、いや、もっと言うなら不満顔であったが、それでも将軍たる家治の命である以上、従わないわけにはゆかず、彼ら3人の小姓は内心の不満を抑えつつ、平伏してその場をあとにした。
一方、高井直熙は入側…、廊下にて左右に控える意知と平蔵の間に挟まれる格好にて、つまりは真ん中に着座すると、下段にて鎮座する将軍・家治と向かい合い、家治が制するよりも早く、平伏したので、意知と平蔵もそれに倣って平伏した。
家治は内心、やれやれと思いつつ、「一同の者、面を上げぃ…」といつもの「決まり文句」を口にした。この「決まり文句」を口にせぬことには始まらないからだ。
そうして皆が頭を上げたところで、家治は向かい合って座る高井直熙に対して、
「宿直のところ、急に呼び立てて、済まなんだな…」
まずはそう詫びの言葉を述べた後、意知の方を向き、意知に目で促した。
すると意知もそうと察して、了解と言わんばかりに叩頭してみせると、高井直熙に対してこれまでの経緯、それも一切の経緯を伝えたのであった。即ち、
「一橋治済の陰謀により家基が殺害された可能性があること」
「その際、一橋治済は病死に見せかけるべく、毒殺という手法を用いたこと」
「仮に、毒殺だと発覚した場合でもその疑いが田沼意次、或いは清水重好に向かうよう、遅効性にして致死性のあるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケという毒キノコを用いた可能性があること」
「尚、その毒キノコは小児専門の町医者である小野章以なる者が莫大なる報酬とひきかえに用意した可能性が高いこと」
「しかも小野章以が一橋治済よりその毒キノコを、と言うよりは遅効性にして致死性のある毒物の調達を命じられたのは明和5(1768)年の可能性が高いこと」
「小野章以は3年かけて、その遅効性にして致死性のある毒物としてシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケなる毒キノコに行き当たり、その効能を試すために、人体実験を行った可能性が高いこと」
「そして倫子や萬壽姫がその人体実験の被験者にされた可能性が高いこと」
意知は高井直熙に対してそれらの事情を要領良く、簡潔に説明したのであった。
高井直熙に全ての事情を打ち明けることについては、先ほどの3人の小姓が高井直熙を呼びに行っている間に家治と意知、そして平蔵が談合の上、決めたことであった。高井直熙には全ての事情を打ち明けないことには要領を得ないだろうと思ったからだ。
一方、高井直熙はと言うと、余りの重大事に流石に驚きの様子を隠せなかったようだ。
家治はそのような直熙の様子に無理もないと理解を示しつつ、その当時…、倫子や萬壽姫の食事の毒見を務めた者が、それも倫子や萬壽姫が死ぬ直前、謂わば、最期に毒見を務めた者が誰なのかを尋ねた。
「されば…、その者たちは一橋殿の息がかかっていると、左様に思し召されているわけで?」
直熙は家治の問いに答える前に、家治にそう聞き返し、「左様」と家治を頷かせた。
「されば畏れ多くも御台様と萬壽姫様…、大奥の姫君様がお召しあがりになられしお食事を毒見申し上げしは番之頭…、廣敷番之頭と中年寄にて…」
「その二人が毒見を致すわけか?」
家治が尋ねると、直熙は「正確には四人と申すべきやに…」と曖昧な答え方とした。
「そは…、如何な意味ぞ?」
首をかしげる家治に対して直熙は順を追って説明した。
つまりはこういうことで、中年寄というのは将軍正室や、或いはその姫君に附属する大奥の女中で、ちょうど将軍に仕える小納戸に相当し、ゆえに将軍には中年寄が附されることはない。
この中年寄は姫君一人につき一人の割合にて附され、それゆえ正室であった倫子に一人、その息女の萬壽姫にも一人が附された。
そしてこの中年寄が各々、己が仕える姫君の食事の毒見を担うわけだが、その前に廣敷番之頭が毒見を行うのであった。
「その、廣敷番之頭による毒見だが、やはり一人につき…、姫一人につき、一人の廣敷番之頭が毒見を担うわけか?」
家治が尋ねると、直熙は「御意」と答え、
「それで…、四人というわけか…」
家治は納得した様子でそう呟いた。
「されば…、覚えているであろうか…」
家治がそう示唆しただけで、直熙は家治が何を訊きたがっているのか、気付いた様子で、
「されば畏れ多くも御台様や萬壽姫様がキノコ料理を、それもご薨去あそばされます前に、お召し上がりになられしことはあるのか、でござりまするな?」
直熙は先回りして尋ね、それに対して家治はと言うと、正しくその通りであったので、頷いてみせた。
すると直熙が、「ござりまする」と即答、それも認めたことから家治たち…、家治や意知、平蔵を心底、驚かせたものである。
「して、それはいつのことだ?」
家治は勢い込んで尋ねた。
「されば、畏れ多くも御台様におかせられましては8月13日に山菜料理をお召し上がりになられたと記憶しておりまする…」
直熙がやはり即答したので、家治たちを再び驚かせたものである。
「良く覚えておるの…、もう10年も前のことだというに…」
家治は目を丸くしてそう呟いた。それこそが家治たちが驚いた理由であった。
8月13日とは言うまでもなく、今から10年前の明和8(1771)年の8月13日のことだからだ。そんな10年前の出来事、それも事件や事故といった類のものではなく、食事の献立を覚えているとは尋常では考えられなかった。
すると直熙もそうと察したらしく、
「留守居は閑職なれば、日々の出来事をこの頭に刻むことぐらいしか楽しみがなく…、痴呆の防止にも役立ちますゆえ…」
直熙はそう弁解して家治たちを苦笑させた。
「ちなみに…、それは朝食か、昼食か、はたまた夕食か…」
そこまで直熙が覚えてくれているか、家治には自信がなかったものの、それでも一応、尋ねた。
すると今度もまた、直熙は即答してみせた。
「されば夕食にて…」
「と申すと、直熙が宿直であったと?」
正室・倫子の夕食の献立まで覚えているからには、直熙はその日は宿直ではなかったのかと、家治はそう思えばこそ、そのように尋ねたのであった。
だがそれに対して直熙は、「いえ、違いまする」と否定した上で、
「されば宿直ではのうて、見回りにて…」
直熙がそう答えたので、家治たちは皆、「成程…」と合点がいった。
それと言うのも大奥の取り締まりにも当たる留守居の宿直はあくまでここ本丸の表向にある芙蓉之間にて泊まり込むに過ぎず、大奥へと足を運んで、大奥の男子役人のスペースである廣敷にて泊まり込むわけではなかった。
しかし留守居には3日に一度の割合にて大奥を見回ることが義務付けられており、倫子が夕食に山菜料理、いや、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを食したと思われる8月13日、その日はちょうどその3日に一度の留守居の見回り日であり、それも依田政次の当番日であったと言うことだろう。
3日に一度の大奥の見回りにしても宿直と同じく、輪番制であったからだ。
そして直熙は大奥の見回りを終えた依田政次に対して、大奥の様子と共に倫子が今日、口にする夕食の献立についても訊ねたのであろう。
それと言うのも留守居が見回る刻限たるや、老中のそれと同じく夕七つ(午後4時頃)であったからだ。
老中にしても留守居と同じく大奥の見回りがあった。と意っても留守居のように頻繁に大奥を見回るわけではなく、一月に一度の割合であり、その際には夕七つ(午後4時頃)に見回るのが慣例であり、それゆえいつもは昼八つ(午後2時頃)、遅くとも昼の八つ半(午後3時頃)には下城する老中もこの日は…、大奥を見回る日は夕七つ(午後4時頃)まで御城に残って大奥を見回るのであった。
それゆえ留守居も老中に倣い、3日に一度の割合による大奥の見回りにしても夕七つ(午後4時頃)に行うのを慣例としていた。
そして夕七つ(午後4時頃)と言えば、大奥に住まう御台所や、或いは姫君の夕食の時間に近く、それゆえ大奥を見回った依田政次はもしかしたら今夜の御台所…、倫子の夕食の献立についても留守居の案内役である廣敷添番か、或いは留守居の応対に当たる女中の表使にでも訊ねたのではあるまいかと、直熙はそうと察したからこそ政次に対してその旨、訊ねたのだろうと、意知はそうと察して、それを直熙に直接、ぶつけてみると、やはり結果は「ビンゴ」であった。
「如何にもその通りぞ…」
直熙は意知の方へと向いて、意知の考えを首肯してみせると、再び、家治の方へと向き直り、
「さればそれがし、依田豊前に対しまして、好奇心より、畏れ多くも御台様や萬壽姫様におかせられては今宵はご夕食に何をお召しあがりになられる所存かと、豊前に対しまして訊ねましたる次第にて…」
「それで…、豊前は素直に答えてくれたかの?」
家治が尋ねるや、直熙からは「いえ、それが…」と否定的な答えが返ってきたので、
「されば…、豊前めは中々に教えてくれなかったと見ゆるが…」
家治が先回りしてそう当たりをつけると、直熙は「御意」とそれを認めたのであった。
「なれど直熙は結果的には豊前より聞き出すことに成功したのであろう?」
「御意…、いえ、それがしと致しましては…、斯様に申し上げましてはご無礼なれど、正直、畏れ多くも御台様や萬壽姫様がご夕食に何をお召しあがりになられるのか、それにつきましてはそれ程の興味も関心もなく…」
「ただ、成り行きにて…、要は何となく訊ねただけであるにもかかわらず、豊前めが過剰反応を致したというわけだな?」
「御意。それゆえ、それがしと致しましても、畏れ多くも御台様や萬壽姫様におかせられましてはご夕食に一体、何をお召しあがりになられるご所存かと、俄然興味が沸きましてござりまする…」
成程、豊前こと依田政次は心に疚しいところがあるからこそ、思わず過剰反応をしてしまったのであろうが、それは失敗と言えた。なぜなら直熙の興味を掻き立てさせてしまったからだ。
これで仮に、政次が直熙のその問いに対して過剰反応せずにただ、山菜料理ですと、サラリと答えていれば、直熙にしてもそれ以上、詳しく訊ねることもなかったであろう。
だが実際には政次が過剰反応を見せてしまったがために、直熙をして山菜料理の細かな内容にまで訊ねさせるに至ったのであろうと、意知はそうと当たりをつけ、やはりこのことも直熙にぶつけて、直熙を頷かせたのであった。
「ああ。ちなみに畏れ多くも御台様におかせられましても、萬壽姫様におかせられましても、共にそのご夕食の内容に変わりはなく…」
直熙は思い出したようにそう告げた。
確かに、倫子とその娘である萬壽姫、この二人の夕食の献立が違うとも思えず、そうであれば毒キノコであるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケは倫子が口をつける山菜料理にだけ混入させたものと思われる。
そしてそのような芸当が出来るのは倫子の毒見を担う廣敷番之頭か、或いは倫子附の中年寄に限られる。
いや、その毒見にしても、倫子が口にする食事と萬壽姫が口にする食事、この二つの食事の毒見を別々に行うとは考え辛く、つまりは倫子が口にする食事と萬壽姫が口にする食事、この二つの食事の毒見は同時に行われるものと考えられ、そうであれば倫子が口にする食事…、山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭が毒物を…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入した場合には、同じ場所で萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭にその様子を「バッチリ」目撃されることになるわけで、にもかかわらずその萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭に見咎められずに、倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入するにはその萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭の、
「黙認…」
それが必要となってくる。
そしてそれはもう一人の毒見役とも言うべき中年寄についても同じことが言える。
即ち、倫子附の中年寄が倫子が口にする山菜料理の毒見を担う際にもやはり、同じ場所で萬壽姫附の中年寄が萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担っているものと考えられ、そうであれば倫子附の中年寄がその倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入する場合には萬壽姫附の中年寄にも「バッチリ」その現場を目撃されてしまうわけで、にもかかわらず、萬壽姫附の中年寄に
見咎められずにその倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入しようと思えば、萬壽姫附の中年寄の、
「黙認…」
やはりそれが不可欠であった。
そこで意知は大奥における御台所、即ち、倫子とその息女の萬壽姫が口にする食事の毒見について…、廣敷番之頭と中年寄による毒見について、その詳しい様子を直熙に訊ねた。
すると、将軍や次期将軍のそれと変わらぬことが判明した。即ち、廣敷番之頭による毒見を終えたその料理は毒見を担いし廣敷番之頭の手により中年寄の許へと運ばれてくるのであるが、続いて中年寄が毒見を担う際には廣敷番之頭の監視の下、毒見を行うとのことであり、ちょうど廣敷番之頭が御膳奉行に、中年寄が小納戸にそれぞれ相当する。
これで4人が…、倫子が口にした山菜料理の毒見を担った廣敷番之頭と萬壽姫が口にした山菜料理の毒見を担った廣敷番之頭、更には倫子附の中年寄と萬壽姫附の中年寄の4人が共犯者…、倫子毒殺の共犯者である、それも一橋治済の命により「動いた」可能性が高まったというわけだ。
家治は彼ら3人の小姓に対して、「大儀であった」と労いの言葉をかけると、入側…、廊下より退がるよう命じた。
将軍・家治より席を外すよう命じられた彼ら3人の小姓は些か不本意、いや、もっと言うなら不満顔であったが、それでも将軍たる家治の命である以上、従わないわけにはゆかず、彼ら3人の小姓は内心の不満を抑えつつ、平伏してその場をあとにした。
一方、高井直熙は入側…、廊下にて左右に控える意知と平蔵の間に挟まれる格好にて、つまりは真ん中に着座すると、下段にて鎮座する将軍・家治と向かい合い、家治が制するよりも早く、平伏したので、意知と平蔵もそれに倣って平伏した。
家治は内心、やれやれと思いつつ、「一同の者、面を上げぃ…」といつもの「決まり文句」を口にした。この「決まり文句」を口にせぬことには始まらないからだ。
そうして皆が頭を上げたところで、家治は向かい合って座る高井直熙に対して、
「宿直のところ、急に呼び立てて、済まなんだな…」
まずはそう詫びの言葉を述べた後、意知の方を向き、意知に目で促した。
すると意知もそうと察して、了解と言わんばかりに叩頭してみせると、高井直熙に対してこれまでの経緯、それも一切の経緯を伝えたのであった。即ち、
「一橋治済の陰謀により家基が殺害された可能性があること」
「その際、一橋治済は病死に見せかけるべく、毒殺という手法を用いたこと」
「仮に、毒殺だと発覚した場合でもその疑いが田沼意次、或いは清水重好に向かうよう、遅効性にして致死性のあるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケという毒キノコを用いた可能性があること」
「尚、その毒キノコは小児専門の町医者である小野章以なる者が莫大なる報酬とひきかえに用意した可能性が高いこと」
「しかも小野章以が一橋治済よりその毒キノコを、と言うよりは遅効性にして致死性のある毒物の調達を命じられたのは明和5(1768)年の可能性が高いこと」
「小野章以は3年かけて、その遅効性にして致死性のある毒物としてシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケなる毒キノコに行き当たり、その効能を試すために、人体実験を行った可能性が高いこと」
「そして倫子や萬壽姫がその人体実験の被験者にされた可能性が高いこと」
意知は高井直熙に対してそれらの事情を要領良く、簡潔に説明したのであった。
高井直熙に全ての事情を打ち明けることについては、先ほどの3人の小姓が高井直熙を呼びに行っている間に家治と意知、そして平蔵が談合の上、決めたことであった。高井直熙には全ての事情を打ち明けないことには要領を得ないだろうと思ったからだ。
一方、高井直熙はと言うと、余りの重大事に流石に驚きの様子を隠せなかったようだ。
家治はそのような直熙の様子に無理もないと理解を示しつつ、その当時…、倫子や萬壽姫の食事の毒見を務めた者が、それも倫子や萬壽姫が死ぬ直前、謂わば、最期に毒見を務めた者が誰なのかを尋ねた。
「されば…、その者たちは一橋殿の息がかかっていると、左様に思し召されているわけで?」
直熙は家治の問いに答える前に、家治にそう聞き返し、「左様」と家治を頷かせた。
「されば畏れ多くも御台様と萬壽姫様…、大奥の姫君様がお召しあがりになられしお食事を毒見申し上げしは番之頭…、廣敷番之頭と中年寄にて…」
「その二人が毒見を致すわけか?」
家治が尋ねると、直熙は「正確には四人と申すべきやに…」と曖昧な答え方とした。
「そは…、如何な意味ぞ?」
首をかしげる家治に対して直熙は順を追って説明した。
つまりはこういうことで、中年寄というのは将軍正室や、或いはその姫君に附属する大奥の女中で、ちょうど将軍に仕える小納戸に相当し、ゆえに将軍には中年寄が附されることはない。
この中年寄は姫君一人につき一人の割合にて附され、それゆえ正室であった倫子に一人、その息女の萬壽姫にも一人が附された。
そしてこの中年寄が各々、己が仕える姫君の食事の毒見を担うわけだが、その前に廣敷番之頭が毒見を行うのであった。
「その、廣敷番之頭による毒見だが、やはり一人につき…、姫一人につき、一人の廣敷番之頭が毒見を担うわけか?」
家治が尋ねると、直熙は「御意」と答え、
「それで…、四人というわけか…」
家治は納得した様子でそう呟いた。
「されば…、覚えているであろうか…」
家治がそう示唆しただけで、直熙は家治が何を訊きたがっているのか、気付いた様子で、
「されば畏れ多くも御台様や萬壽姫様がキノコ料理を、それもご薨去あそばされます前に、お召し上がりになられしことはあるのか、でござりまするな?」
直熙は先回りして尋ね、それに対して家治はと言うと、正しくその通りであったので、頷いてみせた。
すると直熙が、「ござりまする」と即答、それも認めたことから家治たち…、家治や意知、平蔵を心底、驚かせたものである。
「して、それはいつのことだ?」
家治は勢い込んで尋ねた。
「されば、畏れ多くも御台様におかせられましては8月13日に山菜料理をお召し上がりになられたと記憶しておりまする…」
直熙がやはり即答したので、家治たちを再び驚かせたものである。
「良く覚えておるの…、もう10年も前のことだというに…」
家治は目を丸くしてそう呟いた。それこそが家治たちが驚いた理由であった。
8月13日とは言うまでもなく、今から10年前の明和8(1771)年の8月13日のことだからだ。そんな10年前の出来事、それも事件や事故といった類のものではなく、食事の献立を覚えているとは尋常では考えられなかった。
すると直熙もそうと察したらしく、
「留守居は閑職なれば、日々の出来事をこの頭に刻むことぐらいしか楽しみがなく…、痴呆の防止にも役立ちますゆえ…」
直熙はそう弁解して家治たちを苦笑させた。
「ちなみに…、それは朝食か、昼食か、はたまた夕食か…」
そこまで直熙が覚えてくれているか、家治には自信がなかったものの、それでも一応、尋ねた。
すると今度もまた、直熙は即答してみせた。
「されば夕食にて…」
「と申すと、直熙が宿直であったと?」
正室・倫子の夕食の献立まで覚えているからには、直熙はその日は宿直ではなかったのかと、家治はそう思えばこそ、そのように尋ねたのであった。
だがそれに対して直熙は、「いえ、違いまする」と否定した上で、
「されば宿直ではのうて、見回りにて…」
直熙がそう答えたので、家治たちは皆、「成程…」と合点がいった。
それと言うのも大奥の取り締まりにも当たる留守居の宿直はあくまでここ本丸の表向にある芙蓉之間にて泊まり込むに過ぎず、大奥へと足を運んで、大奥の男子役人のスペースである廣敷にて泊まり込むわけではなかった。
しかし留守居には3日に一度の割合にて大奥を見回ることが義務付けられており、倫子が夕食に山菜料理、いや、シロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケを食したと思われる8月13日、その日はちょうどその3日に一度の留守居の見回り日であり、それも依田政次の当番日であったと言うことだろう。
3日に一度の大奥の見回りにしても宿直と同じく、輪番制であったからだ。
そして直熙は大奥の見回りを終えた依田政次に対して、大奥の様子と共に倫子が今日、口にする夕食の献立についても訊ねたのであろう。
それと言うのも留守居が見回る刻限たるや、老中のそれと同じく夕七つ(午後4時頃)であったからだ。
老中にしても留守居と同じく大奥の見回りがあった。と意っても留守居のように頻繁に大奥を見回るわけではなく、一月に一度の割合であり、その際には夕七つ(午後4時頃)に見回るのが慣例であり、それゆえいつもは昼八つ(午後2時頃)、遅くとも昼の八つ半(午後3時頃)には下城する老中もこの日は…、大奥を見回る日は夕七つ(午後4時頃)まで御城に残って大奥を見回るのであった。
それゆえ留守居も老中に倣い、3日に一度の割合による大奥の見回りにしても夕七つ(午後4時頃)に行うのを慣例としていた。
そして夕七つ(午後4時頃)と言えば、大奥に住まう御台所や、或いは姫君の夕食の時間に近く、それゆえ大奥を見回った依田政次はもしかしたら今夜の御台所…、倫子の夕食の献立についても留守居の案内役である廣敷添番か、或いは留守居の応対に当たる女中の表使にでも訊ねたのではあるまいかと、直熙はそうと察したからこそ政次に対してその旨、訊ねたのだろうと、意知はそうと察して、それを直熙に直接、ぶつけてみると、やはり結果は「ビンゴ」であった。
「如何にもその通りぞ…」
直熙は意知の方へと向いて、意知の考えを首肯してみせると、再び、家治の方へと向き直り、
「さればそれがし、依田豊前に対しまして、好奇心より、畏れ多くも御台様や萬壽姫様におかせられては今宵はご夕食に何をお召しあがりになられる所存かと、豊前に対しまして訊ねましたる次第にて…」
「それで…、豊前は素直に答えてくれたかの?」
家治が尋ねるや、直熙からは「いえ、それが…」と否定的な答えが返ってきたので、
「されば…、豊前めは中々に教えてくれなかったと見ゆるが…」
家治が先回りしてそう当たりをつけると、直熙は「御意」とそれを認めたのであった。
「なれど直熙は結果的には豊前より聞き出すことに成功したのであろう?」
「御意…、いえ、それがしと致しましては…、斯様に申し上げましてはご無礼なれど、正直、畏れ多くも御台様や萬壽姫様がご夕食に何をお召しあがりになられるのか、それにつきましてはそれ程の興味も関心もなく…」
「ただ、成り行きにて…、要は何となく訊ねただけであるにもかかわらず、豊前めが過剰反応を致したというわけだな?」
「御意。それゆえ、それがしと致しましても、畏れ多くも御台様や萬壽姫様におかせられましてはご夕食に一体、何をお召しあがりになられるご所存かと、俄然興味が沸きましてござりまする…」
成程、豊前こと依田政次は心に疚しいところがあるからこそ、思わず過剰反応をしてしまったのであろうが、それは失敗と言えた。なぜなら直熙の興味を掻き立てさせてしまったからだ。
これで仮に、政次が直熙のその問いに対して過剰反応せずにただ、山菜料理ですと、サラリと答えていれば、直熙にしてもそれ以上、詳しく訊ねることもなかったであろう。
だが実際には政次が過剰反応を見せてしまったがために、直熙をして山菜料理の細かな内容にまで訊ねさせるに至ったのであろうと、意知はそうと当たりをつけ、やはりこのことも直熙にぶつけて、直熙を頷かせたのであった。
「ああ。ちなみに畏れ多くも御台様におかせられましても、萬壽姫様におかせられましても、共にそのご夕食の内容に変わりはなく…」
直熙は思い出したようにそう告げた。
確かに、倫子とその娘である萬壽姫、この二人の夕食の献立が違うとも思えず、そうであれば毒キノコであるシロタマゴテングタケ、或いはドクツルタケは倫子が口をつける山菜料理にだけ混入させたものと思われる。
そしてそのような芸当が出来るのは倫子の毒見を担う廣敷番之頭か、或いは倫子附の中年寄に限られる。
いや、その毒見にしても、倫子が口にする食事と萬壽姫が口にする食事、この二つの食事の毒見を別々に行うとは考え辛く、つまりは倫子が口にする食事と萬壽姫が口にする食事、この二つの食事の毒見は同時に行われるものと考えられ、そうであれば倫子が口にする食事…、山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭が毒物を…、シロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入した場合には、同じ場所で萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭にその様子を「バッチリ」目撃されることになるわけで、にもかかわらずその萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭に見咎められずに、倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入するにはその萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担う廣敷番之頭の、
「黙認…」
それが必要となってくる。
そしてそれはもう一人の毒見役とも言うべき中年寄についても同じことが言える。
即ち、倫子附の中年寄が倫子が口にする山菜料理の毒見を担う際にもやはり、同じ場所で萬壽姫附の中年寄が萬壽姫が口にする山菜料理の毒見を担っているものと考えられ、そうであれば倫子附の中年寄がその倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入する場合には萬壽姫附の中年寄にも「バッチリ」その現場を目撃されてしまうわけで、にもかかわらず、萬壽姫附の中年寄に
見咎められずにその倫子が口にする山菜料理にシロタマゴテングタケか、或いはドクツルタケを混入しようと思えば、萬壽姫附の中年寄の、
「黙認…」
やはりそれが不可欠であった。
そこで意知は大奥における御台所、即ち、倫子とその息女の萬壽姫が口にする食事の毒見について…、廣敷番之頭と中年寄による毒見について、その詳しい様子を直熙に訊ねた。
すると、将軍や次期将軍のそれと変わらぬことが判明した。即ち、廣敷番之頭による毒見を終えたその料理は毒見を担いし廣敷番之頭の手により中年寄の許へと運ばれてくるのであるが、続いて中年寄が毒見を担う際には廣敷番之頭の監視の下、毒見を行うとのことであり、ちょうど廣敷番之頭が御膳奉行に、中年寄が小納戸にそれぞれ相当する。
これで4人が…、倫子が口にした山菜料理の毒見を担った廣敷番之頭と萬壽姫が口にした山菜料理の毒見を担った廣敷番之頭、更には倫子附の中年寄と萬壽姫附の中年寄の4人が共犯者…、倫子毒殺の共犯者である、それも一橋治済の命により「動いた」可能性が高まったというわけだ。
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有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
【武田家躍進】おしゃべり好きな始祖様が出てきて・・・
宮本晶永(くってん)
歴史・時代
戦国時代の武田家は指折りの有力大名と言われていますが、実際には信玄の代になって甲斐・信濃と駿河の部分的な地域までしか支配地域を伸ばすことができませんでした。
武田家が中央へ進出する事について色々考えてみましたが、織田信長が尾張を制圧してしまってからでは、それができる要素がほぼありません。
不安定だった各大名の境界線が安定してしまうからです。
そこで、甲斐から出られる機会を探したら、三国同盟の前の時期しかありませんでした。
とは言っても、その頃の信玄では若すぎて家中の影響力が今一つ足りませんし、信虎は武将としては強くても、統治する才能が甲斐だけで手一杯な感じです。
何とか進出できる要素を探していたところ、幼くして亡くなっていた信玄の4歳上の兄である竹松という人を見つけました。
彼と信玄の2歳年下の弟である犬千代を死ななかった事にして、実際にあった出来事をなぞりながら、どこまでいけるか想像をしてみたいと思います。
作中の言葉遣いですが、可能な限り時代に合わせてみますが、ほぼ現代の言葉遣いになると思いますのでお許しください。
作品を出すこと自体が経験ありませんので、生暖かく見守って下さい。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
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