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一橋家と縁のある御膳奉行の高尾惣十郎信福と山木次郎八勝明 ~将軍・家治、毒殺の危機~
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「だが仮に、平蔵殿の見立て通り、一橋治済の意を受けし…、万が一、大納言様が死の真相を上様がお知りあそばされるような事態とも相成ろうものなら…、それが予期できる暁には今度は上様のお命を奪えとの、その一橋治済の意を受けし高尾惣十郎たちが…、御膳奉行の高尾惣十郎と山木次郎八、小納戸の岩本正五郎と松下左十郎らが遊佐信庭を通じて小野章以より毒物を…、それも今度は即効性のある毒物を入手し、その毒物を用いて上様を害し奉らんとしているとしても、今日明日…、どんなに早くとも今日…、今晩というわけにはまいるまいて…」
景漸の言う通りであった。既に今宵、上様こと将軍・家治の夕食の毒見を担う小納戸は決まっているやも知れず、そうなればこれを岩本正五郎と松下左十郎に変更するのは至難の技というものであろう。
いや、百歩譲って、岩本正五郎と松下左十郎が今宵、将軍・家治の夕食の毒見を担うとしても、今度は一体、どうやって毒物を入手するかという問題が浮上する。
仮に、今宵、岩本正五郎と松下左十郎の二人が将軍・家治の夕食の毒見を担う当番日だとして、その場合には当然、宿直となる。
そして宿直ともなれば、夕七つ(午後4時頃)に登城することになる。
「なれど今日、松下左十郎の方は分からぬが、岩本正五郎の姿なれば見たぞえ…」
景漸の思わぬ告白に平蔵は思わず、「真でござりますか?」と聞き返していた。
「真ぞ」
「なれど…、岩本正五郎は小納戸なれば…」
「中奥役人である岩本正五郎を何ゆえに表向役人たる町奉行のわしが見かけることが出来るのか、であろう?」
景漸は平蔵の疑問をピタリと言い当ててみせた。
「それはな、下城前、岩本正五郎が父と話している姿を見かけたからよ…」
「曲淵様が下城前に?」
「左様。されば岩本正五郎が父は小普請奉行の岩本内膳正正利なれば…」
景漸にそう教えられ、平蔵も漸くに思い出したらしく、「ああ、そう言えば…」と声を発した。
「されば小普請奉行の詰所…、それも勤務場所はわしのような町奉行を始めとせし者たちの下部屋のすぐ近くにて…」
「確かに…」
そうであったと、平蔵はやはり思い出した。
小普請奉行は作事奉行や普請奉行と並んで、所謂、
「下三奉行」
と称せられている。これは作事・普請・小普請の三奉行が寺社奉行、江戸町奉行、勘定奉行の所謂、それも正真正銘とも言うべき、
「三奉行」
その下に位置することから、
「下三奉行」
その名が冠せられたのであった。
ともあれこの下三奉行、もとい作事・普請小普請の三奉行は奏者番や高家衆、それに曲淵景漸のような江戸町奉行や勘定奉行、大目付や大番頭などの下部屋が並ぶ一角、さしずめ、「フロア」と大廊下を隔てたところを詰所、それも勤務場所としていた。
そして下城の際には必ず、下部屋へと足を運ばねばならず、景漸もその例外ではないので、景漸が下城の折、下部屋に差しかかったところで、岩本正五郎が父にして小普請奉行の岩本正利と話し込んでいたというその話は頷けた。
「一体、親子で如何な心温まる話をしていたか、そこまでは分からぬが…」
景漸の言葉は嫌味に満ち溢れていた。
「さればわしがその現場を通りかかりしは昼八つ(午後2時頃)の少し前にて…、されば仮に岩本正五郎が宿直であれば、些か早過ぎる登城ではあるまいか?」
確かに景漸の言う通りであった。宿直の当番であれば、どんなに早くとも、昼の八つ半(午後3時頃)に登城するのが一般的だ。
「そうであれば本日は岩本正五郎は宿直ではない…、つまりは畏れ多くも上様がお召しあがりになられしご夕食の毒見を担いし日ではないと考えるべきであろう?」
「確かに…」
「されば岩本正五郎としては…、中奥役人である以上、当然に大納言様の死の真相を調べるようにと田沼様…、息・意知様が畏れ多くも上様よりその旨、命じられしことは把握しているであろうから、父・内膳にもそのことを告げたのやも知れぬ…」
「それこそが、曲淵様がご覧になった岩本親子の会話…、正五郎と父・内膳との間で繰り広げられし会話、いや、密談だと?」
「恐らくはな…、そして岩本正五郎は同時に…、父・内膳に打ち明けるよりも前にか、それとも後か、そこまでは分からぬが、ともあれ御膳奉行の高尾惣十郎か、或いは山木次郎八の両名にも打ち明けたものと思われる…」
「前なれば…、父・内膳よりも前なれば、日勤の、後なれば日勤、若しくは宿直の…」
「左様…、先ほども申した通り、三人おる御膳奉行のうち、坂部殿は高齢のために夕食の毒見は免除されておる…、即ち、宿直は免除されておるゆえ、畢竟、高尾惣十郎と山木次郎八が毎日、夕食の毒見を…、即ち、宿直を行うことになる…、しかも高尾惣十郎と山木次郎八は毎日、交代で日勤をも勤める…」
「坂部殿と共に、その上様がお召しあがりになられしご朝食とご昼食の毒見を行うというわけでござるな?」
「左様…、坂部殿はご夕食の毒見が…、宿直が免除されている代わりに、毎日のご朝食とご昼食の毒見を担われるわけだが、二の膳までありしご朝食とご昼食、その毒見を坂部殿お一人に任せるわけにもゆかんでな…」
「確かに…」
「してみると、高尾惣十郎と山木次郎八は隔日にて…、一日おきに朝から晩まで…、それも翌朝まで御城に詰めることになる…」
「成程…」
「尤も、御膳奉行は番方…、武官ではのうて、役方…、文官であるゆえに、宿直と申しても、一日中、起きている必要はないゆえに、ご夕食の毒見が終われば御膳奉行の詰所…、勤務場所である御膳奉行御用詰所にて休むことと相成ろうぞ…」
中奥にある石之間番所の直ぐ近くに御膳奉行の勤務場所である「御用詰所」があり、つまりは中奥に御膳奉行の勤務場所があるということで、そこで宿直の御膳奉行は将軍が一日の終わりに最後に摂る夕食の毒見を終えるなり、そこで休み、また仮眠をも取るということであった。
「されば上様が評定所にて、意知様に対して大納言様が死の真相を探るようにと、左様にお命じあそばされしは昼前にて…」
「昼過ぎには…、坂部殿と共に、ご昼食の毒見を担いし…、毒見を終えし高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳にまずそのことを入れた後、表向へと出向いて、そこで小普請奉行として勤めし父・内膳にもそのことを耳に入れたと?岩本正五郎は…」
「或いは相役の、いや、共犯者の山木次郎八が日勤の高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳に入れたか…、そこまでは分からぬが、ともあれ、日勤の御膳奉行である高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳へと意知様がことが入った後、岩本内膳の耳にも、息・正五郎より入れられたのは間違いなかろうて…」
「成程…」
「されば岩本正五郎としてはこの後…、或いは松下左十郎のうちのどちらかが小野章以の元へと足を運び、残る一方が宿直の高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の元へと足を運ぶつもりやも知れぬ…」
「一橋治済が恐れていた事態が出来した…、即ち、畏れ多くも上様が意知様に対して大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされた…、これはいよいよ容易ならざる事態であり、そこで一橋治済よりかねて命じられていた通り、上様の口をもいよいよ封じる時がきた…、左様に伝えるためでござるな?」
「如何にも。その上で、小野章以には致死性は当然として、最早、遅効性などではのうて、即効性のありし毒物を用立てるようにと命じるやも知れぬ…」
「遊佐信庭を介さずに?」
「或いは介するやも知れぬが、事態が切迫しているともなれば、もしかしたら遊佐信庭を介さぬやも知れぬ…、無論、事後報告は行うであろうが…」
「成程…」
「そうであれば、毒物の調達の期間をも見積もる必要があろうぞ…」
「確かに…、致死性にして、それも今度は即効性のある毒物を用意しろと言われても、直ぐに用意出来るとも思えませぬからなぁ…」
平蔵がそう応じると、景漸は「左様」と応ずるや、
「されば高尾らが上様を毒殺せしは早くとも明日、いや、明後日と見るべきではあるまいか?」
景漸はそのような見立てを口にし、平蔵もそれに対して「成程…」といったんは納得しかけたものの、あることに気付いて、「いや、待てよ…」と口にしたのであった。
「如何なされた?」
景漸は首をかしげた。
「確かに…、畏れ多くも上様におかせられては本日の評定にて意知様に対して…、そしてこの平蔵めに対してもでござるが、ともあれ大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされました…」
「うむ」
「なれど上様はその前にも…、先月、と申しても今から九日ほど前の3月24日にも一度、意知様に大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされたとのこと…、尤も、意知様はその一度目の命令…、上様よりのご命令は拒まれたとのことでござるが…」
平蔵がそこまで言いかけると、景漸も漸くに平蔵の言わんとすることが飲み込めたようで、「ああっ」と大きな声を上げたかと思うと、
「上様が意知様に対して何やら…、それも大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされしことは中奥役人なれば…、とりわけ脛に疵を持つ身の岩本正五郎と松下左十郎なればすぐにそうと察することができる筈…、いや、実際その通りではあるが、なれど、さしもの岩本正五郎にしろ松下左十郎にしろ、意知様がそのご命令を拒みしことまでは気付かず、そこで上様を毒殺すべく、遊佐信庭を介せしかどうか、そこまでは分からぬが、ともあれ九日前、遅くとも八日前の時点にて小野章以に対して致死性にして、それも今度は即効性のある毒物の調達を命じたと?」
景漸は平蔵の胸中を見事に言い当ててみせた。
「左様…、同時に一橋治済にもこのことを打ち明け、そして一橋治済はこの間にも大納言様の死が清水様、或いは田沼様…、意次様の手によるものと、左様に見せかけるべく、あれこれと画策せしが、決してうまくいったようには思えず…」
「確かに…、清水様共々、屋敷にて蟄居謹慎を命ぜられしわけだからの。一橋治済は…」
「左様…、そこで高尾たちはいよいよもって上様のお命を頂戴するより他にないと…」
「左様に考えて、小野章以に命じて、調達させた毒物でもって上様を亡き者に、と…」
「うむ…、確かに平蔵殿が見立て…、勘働き通りだとして、八日もあれば十分であろうぞ…、致死性にして即効性のある毒物を調達せしには…」
「如何にも…」
「なれど最前、申した通り、わしは今日、それも昼八つ(午後2時頃)の少し前に岩本正五郎が姿を見ておる…」
「されば明日にも…」
「いや、もしかしたら小納戸頭取衆にでも頼み込むやも知れぬな…、今宵、宿直をしたいと…、上様がお召しあがりになられしご夕食の毒見をしたいと、左様に頼み込むやも…」
確かに景漸の言う通り、その可能性もあり得た。
「いずれにしろ用心した方が良いな…、今宵から…」
これもまた景漸の言う通りであり、景漸は思わず執務室に設えてある和時計に目をやった。和時計の針は既に夕七つ(午後4時頃)を刻もうとしていた。
「曲淵様…」
「何だ?」
「ひとつ、罠を仕掛けようかと…」
平蔵がそう告げると、景漸は両眼を光らせた。
景漸の言う通りであった。既に今宵、上様こと将軍・家治の夕食の毒見を担う小納戸は決まっているやも知れず、そうなればこれを岩本正五郎と松下左十郎に変更するのは至難の技というものであろう。
いや、百歩譲って、岩本正五郎と松下左十郎が今宵、将軍・家治の夕食の毒見を担うとしても、今度は一体、どうやって毒物を入手するかという問題が浮上する。
仮に、今宵、岩本正五郎と松下左十郎の二人が将軍・家治の夕食の毒見を担う当番日だとして、その場合には当然、宿直となる。
そして宿直ともなれば、夕七つ(午後4時頃)に登城することになる。
「なれど今日、松下左十郎の方は分からぬが、岩本正五郎の姿なれば見たぞえ…」
景漸の思わぬ告白に平蔵は思わず、「真でござりますか?」と聞き返していた。
「真ぞ」
「なれど…、岩本正五郎は小納戸なれば…」
「中奥役人である岩本正五郎を何ゆえに表向役人たる町奉行のわしが見かけることが出来るのか、であろう?」
景漸は平蔵の疑問をピタリと言い当ててみせた。
「それはな、下城前、岩本正五郎が父と話している姿を見かけたからよ…」
「曲淵様が下城前に?」
「左様。されば岩本正五郎が父は小普請奉行の岩本内膳正正利なれば…」
景漸にそう教えられ、平蔵も漸くに思い出したらしく、「ああ、そう言えば…」と声を発した。
「されば小普請奉行の詰所…、それも勤務場所はわしのような町奉行を始めとせし者たちの下部屋のすぐ近くにて…」
「確かに…」
そうであったと、平蔵はやはり思い出した。
小普請奉行は作事奉行や普請奉行と並んで、所謂、
「下三奉行」
と称せられている。これは作事・普請・小普請の三奉行が寺社奉行、江戸町奉行、勘定奉行の所謂、それも正真正銘とも言うべき、
「三奉行」
その下に位置することから、
「下三奉行」
その名が冠せられたのであった。
ともあれこの下三奉行、もとい作事・普請小普請の三奉行は奏者番や高家衆、それに曲淵景漸のような江戸町奉行や勘定奉行、大目付や大番頭などの下部屋が並ぶ一角、さしずめ、「フロア」と大廊下を隔てたところを詰所、それも勤務場所としていた。
そして下城の際には必ず、下部屋へと足を運ばねばならず、景漸もその例外ではないので、景漸が下城の折、下部屋に差しかかったところで、岩本正五郎が父にして小普請奉行の岩本正利と話し込んでいたというその話は頷けた。
「一体、親子で如何な心温まる話をしていたか、そこまでは分からぬが…」
景漸の言葉は嫌味に満ち溢れていた。
「さればわしがその現場を通りかかりしは昼八つ(午後2時頃)の少し前にて…、されば仮に岩本正五郎が宿直であれば、些か早過ぎる登城ではあるまいか?」
確かに景漸の言う通りであった。宿直の当番であれば、どんなに早くとも、昼の八つ半(午後3時頃)に登城するのが一般的だ。
「そうであれば本日は岩本正五郎は宿直ではない…、つまりは畏れ多くも上様がお召しあがりになられしご夕食の毒見を担いし日ではないと考えるべきであろう?」
「確かに…」
「されば岩本正五郎としては…、中奥役人である以上、当然に大納言様の死の真相を調べるようにと田沼様…、息・意知様が畏れ多くも上様よりその旨、命じられしことは把握しているであろうから、父・内膳にもそのことを告げたのやも知れぬ…」
「それこそが、曲淵様がご覧になった岩本親子の会話…、正五郎と父・内膳との間で繰り広げられし会話、いや、密談だと?」
「恐らくはな…、そして岩本正五郎は同時に…、父・内膳に打ち明けるよりも前にか、それとも後か、そこまでは分からぬが、ともあれ御膳奉行の高尾惣十郎か、或いは山木次郎八の両名にも打ち明けたものと思われる…」
「前なれば…、父・内膳よりも前なれば、日勤の、後なれば日勤、若しくは宿直の…」
「左様…、先ほども申した通り、三人おる御膳奉行のうち、坂部殿は高齢のために夕食の毒見は免除されておる…、即ち、宿直は免除されておるゆえ、畢竟、高尾惣十郎と山木次郎八が毎日、夕食の毒見を…、即ち、宿直を行うことになる…、しかも高尾惣十郎と山木次郎八は毎日、交代で日勤をも勤める…」
「坂部殿と共に、その上様がお召しあがりになられしご朝食とご昼食の毒見を行うというわけでござるな?」
「左様…、坂部殿はご夕食の毒見が…、宿直が免除されている代わりに、毎日のご朝食とご昼食の毒見を担われるわけだが、二の膳までありしご朝食とご昼食、その毒見を坂部殿お一人に任せるわけにもゆかんでな…」
「確かに…」
「してみると、高尾惣十郎と山木次郎八は隔日にて…、一日おきに朝から晩まで…、それも翌朝まで御城に詰めることになる…」
「成程…」
「尤も、御膳奉行は番方…、武官ではのうて、役方…、文官であるゆえに、宿直と申しても、一日中、起きている必要はないゆえに、ご夕食の毒見が終われば御膳奉行の詰所…、勤務場所である御膳奉行御用詰所にて休むことと相成ろうぞ…」
中奥にある石之間番所の直ぐ近くに御膳奉行の勤務場所である「御用詰所」があり、つまりは中奥に御膳奉行の勤務場所があるということで、そこで宿直の御膳奉行は将軍が一日の終わりに最後に摂る夕食の毒見を終えるなり、そこで休み、また仮眠をも取るということであった。
「されば上様が評定所にて、意知様に対して大納言様が死の真相を探るようにと、左様にお命じあそばされしは昼前にて…」
「昼過ぎには…、坂部殿と共に、ご昼食の毒見を担いし…、毒見を終えし高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳にまずそのことを入れた後、表向へと出向いて、そこで小普請奉行として勤めし父・内膳にもそのことを耳に入れたと?岩本正五郎は…」
「或いは相役の、いや、共犯者の山木次郎八が日勤の高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳に入れたか…、そこまでは分からぬが、ともあれ、日勤の御膳奉行である高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の耳へと意知様がことが入った後、岩本内膳の耳にも、息・正五郎より入れられたのは間違いなかろうて…」
「成程…」
「されば岩本正五郎としてはこの後…、或いは松下左十郎のうちのどちらかが小野章以の元へと足を運び、残る一方が宿直の高尾惣十郎か、若しくは山木次郎八の元へと足を運ぶつもりやも知れぬ…」
「一橋治済が恐れていた事態が出来した…、即ち、畏れ多くも上様が意知様に対して大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされた…、これはいよいよ容易ならざる事態であり、そこで一橋治済よりかねて命じられていた通り、上様の口をもいよいよ封じる時がきた…、左様に伝えるためでござるな?」
「如何にも。その上で、小野章以には致死性は当然として、最早、遅効性などではのうて、即効性のありし毒物を用立てるようにと命じるやも知れぬ…」
「遊佐信庭を介さずに?」
「或いは介するやも知れぬが、事態が切迫しているともなれば、もしかしたら遊佐信庭を介さぬやも知れぬ…、無論、事後報告は行うであろうが…」
「成程…」
「そうであれば、毒物の調達の期間をも見積もる必要があろうぞ…」
「確かに…、致死性にして、それも今度は即効性のある毒物を用意しろと言われても、直ぐに用意出来るとも思えませぬからなぁ…」
平蔵がそう応じると、景漸は「左様」と応ずるや、
「されば高尾らが上様を毒殺せしは早くとも明日、いや、明後日と見るべきではあるまいか?」
景漸はそのような見立てを口にし、平蔵もそれに対して「成程…」といったんは納得しかけたものの、あることに気付いて、「いや、待てよ…」と口にしたのであった。
「如何なされた?」
景漸は首をかしげた。
「確かに…、畏れ多くも上様におかせられては本日の評定にて意知様に対して…、そしてこの平蔵めに対してもでござるが、ともあれ大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされました…」
「うむ」
「なれど上様はその前にも…、先月、と申しても今から九日ほど前の3月24日にも一度、意知様に大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされたとのこと…、尤も、意知様はその一度目の命令…、上様よりのご命令は拒まれたとのことでござるが…」
平蔵がそこまで言いかけると、景漸も漸くに平蔵の言わんとすることが飲み込めたようで、「ああっ」と大きな声を上げたかと思うと、
「上様が意知様に対して何やら…、それも大納言様が死の真相を探るようにとお命じあそばされしことは中奥役人なれば…、とりわけ脛に疵を持つ身の岩本正五郎と松下左十郎なればすぐにそうと察することができる筈…、いや、実際その通りではあるが、なれど、さしもの岩本正五郎にしろ松下左十郎にしろ、意知様がそのご命令を拒みしことまでは気付かず、そこで上様を毒殺すべく、遊佐信庭を介せしかどうか、そこまでは分からぬが、ともあれ九日前、遅くとも八日前の時点にて小野章以に対して致死性にして、それも今度は即効性のある毒物の調達を命じたと?」
景漸は平蔵の胸中を見事に言い当ててみせた。
「左様…、同時に一橋治済にもこのことを打ち明け、そして一橋治済はこの間にも大納言様の死が清水様、或いは田沼様…、意次様の手によるものと、左様に見せかけるべく、あれこれと画策せしが、決してうまくいったようには思えず…」
「確かに…、清水様共々、屋敷にて蟄居謹慎を命ぜられしわけだからの。一橋治済は…」
「左様…、そこで高尾たちはいよいよもって上様のお命を頂戴するより他にないと…」
「左様に考えて、小野章以に命じて、調達させた毒物でもって上様を亡き者に、と…」
「うむ…、確かに平蔵殿が見立て…、勘働き通りだとして、八日もあれば十分であろうぞ…、致死性にして即効性のある毒物を調達せしには…」
「如何にも…」
「なれど最前、申した通り、わしは今日、それも昼八つ(午後2時頃)の少し前に岩本正五郎が姿を見ておる…」
「されば明日にも…」
「いや、もしかしたら小納戸頭取衆にでも頼み込むやも知れぬな…、今宵、宿直をしたいと…、上様がお召しあがりになられしご夕食の毒見をしたいと、左様に頼み込むやも…」
確かに景漸の言う通り、その可能性もあり得た。
「いずれにしろ用心した方が良いな…、今宵から…」
これもまた景漸の言う通りであり、景漸は思わず執務室に設えてある和時計に目をやった。和時計の針は既に夕七つ(午後4時頃)を刻もうとしていた。
「曲淵様…」
「何だ?」
「ひとつ、罠を仕掛けようかと…」
平蔵がそう告げると、景漸は両眼を光らせた。
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