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平蔵の提案
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平蔵はそれから只今より、治済と重好、この両名を監視下に置くことを提案した。
即ち、それぞれの邸である一橋邸、清水邸へと帰邸するまでは目付による厳重なる監視下に置き、そしてそれぞれの邸へと帰邸後には目付配下の徒目付、小人目付、中間目付が交代で、それこそ、
「昼夜を分かたず…」
それぞれの邸を見張らせることとする。これは勿論、治済、及び重好が外部との連絡、接触を防ぐためであった。
それゆえ邸の周囲を目付配下の彼ら徒目付や小人目付、中間目付に徹底的に、
「24時間体制で…」
見張らせることで、治済や重好といった当人は元より、家臣が外出できぬようにする。治済、あるいは重好が家臣に対して、
「証拠隠滅」
あるいはその指示を命ずる書状の類を携えさせているかも知れないからだ。ゆえに、全く止むを得ない事情で彼ら、家臣や、あるいは治済、もしくは重好の当人が外出する場合には邸の監視役に当たる彼らに徹底的に衣服を検めさせ、のみならず、その目的地ま同行することとする。やはり証拠隠滅防止のためである。
また、一橋邸、及び清水邸は一橋御門内、及び清水御門内にある、上屋敷とも言うべきその一橋邸、及び清水邸の他にも、中屋敷や下屋敷がこの江戸に点在しており、そこでそれら中屋敷や下屋敷についても監視下に置くことを平蔵は提案した。これもやはり証拠隠滅の防止のためであった。
仮に中屋敷や下屋敷に証拠が隠されているとして、上屋敷にて主の治済、あるいは重好が囚われの身となっていることを、中屋敷、あるいは下屋敷にて勤仕している、何より証拠を握る家臣が察して、証拠隠滅を図らないとも限らない。
そこでそれら中屋敷や下屋敷も徹底的な監視下に置くことで、証拠の隠滅を防止するのが狙いである。
但し、この場合の監視には流石に目付配下の彼ら、徒目付や小人目付、中間目付にやらせるわけにはまいらぬ。それと言うのも彼らには治済、及び重好がこれから暫くの間…、事件が解決するまでの間、上屋敷とも言うべき一橋御門内、清水御門内にあるそれぞれの邸にて蟄居謹慎してもらうわけだが、その邸を「24時間体制」にて見張ってもらうために、とてもではないが中屋敷や下屋敷の監視までは手が回らないと思われるからだ。
そこで平蔵は中屋敷や下屋敷については幕府の所謂、武官五番方を構成する大番組に属する与力と同心にその監視役に当たらせることにした。
大番組は全部で12組あり、うち2組は俗に、
「上方在番」
と称してそれぞれ二条城、大坂城の警衛に当たっていたために、現在、この江戸に残っている大番組は10組である。
そして大番組には1組につき与力10騎、同心30人が附属していた。つまり1組につき与力と同心合わせて40人が附属しているというわけで、それが10組で総勢400人もの大番組に附属する与力や同心がこの江戸にいるというわけだ。
彼ら大番組に附属する、それも江戸にいる400人もの与力や同心は普段、平時においては西之丸や二ノ丸の警衛、及び江戸市中を巡回していた。ゆえに、江戸市中にある一橋、及び清水、両徳川家の中屋敷、下屋敷を巡回させるには大番組に附属する彼ら与力や同心は正にうってつけであり、且つ、人数、頭数も申し分ない。
この平蔵の提案についても将軍・家治はやはり許可を与えると、早速、治済と重好にはそれぞれ5人ずつの目付が配され、その監視役の任に当たることになった。
即ち、目付は通称、「十人目付」とも称され、目付の定員は10人であり、今、この評定所内の評席にて大目付と共に評定の監察役を務める目付は確かに10人いた。
そこでこの10人をきれいに5人ずつ、2組に分けてそれぞれ、治済と重好の監視役に当たらせることとした。
治済にしろ重好にしろ、いったん中奥に戻らねばならなかった。それと言うのも二人は中奥にある御風呂屋玄関より殿中へと上ったからだ。
それゆえ目付も治済と重好の監視役である以上、中奥に足を踏み入れる必要があった。目付は表向の役職であり、本来ならば、自由に中奥へと足を踏み入れることは許されなかったものの、今回は特にそれが許されたのであった。
「それから…、我ら4人が畏れ多くも大納言様の薨去の真相、そしてそこから派生せし奥医師・池原長仙院殺害、この二つの事件の探索に当たるに際して、お墨付を頂戴致し度…」
「探索に協力せよ…、とのお墨付だの?」
家治はニヤリと笑みを浮かべて尋ねたので、平蔵はそれに対して叩頭しつつ、「御意…」と答えた。
正しく家治の言う通りであった。
探索ともなれば聞き込みなども必要となってくる。その際、将軍からのお墨付は探索の大きな「武器」となる。
例えば聞き込みの際、相手によっては口を割らない者もいるやも知れないが、その場合には将軍・家治のお墨付…、
「探索に協力せよ」
その「お墨付」があれば、相手は嫌でも話さざるを得なくなる。何しろその「お墨付」に反することは将軍・家治の言葉、ひいては将軍・家治に逆らうも同然だからだ。
いや、聞き込みだけでなく「捜査協力」という場面においてもその「お墨付」は絶大なる効果を発揮するに違いなかった。
それと言うのも事と次第によっては、町方の手を借りねばならない場面も出て来るやも知れぬ。
とりわけ奥医師・池原良誠斬殺事件に「臨場」した南町奉行所の定町廻同心に対して、「捜査協力」を求める場面があるやも知れぬ。その際、同心を支配する南町奉行の協力を仰がねばならぬがお、しかし、南町奉行の牧野成賢が果たして、
「快く…」
捜査協力に応じてくれるかどうかは、甚だ疑わしかった。だが、その際にも、
「探索に協力せよ…」
との将軍・家治からの「お墨付」があれば、牧野成賢とて、嫌でも「捜査協力」に応じざるを得ないであろう。
事程左様に、
「将軍のお墨付」
というものは役に立つのであった。
家治にも平蔵のその思惑を十分に察せられたので、「相分かった」とやはりこれを承知して、評定はいったん幕を閉じた。
さて、将軍・家治も中奥へと戻ると、御座之間に一橋家老の田沼意致と清水家老の本多讃岐守昌忠の両名を召し出した。今日はこの二人がそれぞれ、江戸城に登城する日、その当番であったからだ。
治済にしても今日は意致が登城する当番日であり、邸には相役…、同僚の水谷勝富が残ることを把握していたからこそ、意致に悟られぬよう早く登城したわけだ。勿論、意次を断罪するのがその「お目当て」であり、それが結果は逆に己の方に断罪の刃が向けられることとなった。
ともあれ御座之間へと召し出された意致と昌忠の二人はそこで陪席していた御側御用人の水野出羽守忠友より今日の評定の一部始終が伝えられた。水野忠友もまた、評定への出席が許されていたからだ。
その忠友より今日の評定の内容を聞かされた意致と昌忠は共に仰天したものだ。それはそうだろう。何しろ、己が仕える主が奥医師殺し、ひいては次期将軍であった家基殺しにまでかかわっている、それもただ関与しているに留まらず、その首魁であると聞かされれば、驚かない方がどうかしている。
いや、意致にしろ昌忠にしろ、御三卿家老とは言え、その身はあくまで幕臣、つまりは幕府に仕える身であり、それゆえ御三卿は正確には主君ではない。
それどころか御三卿家老は御三卿の「お目付役」の色彩が濃かった。いや、そうであればこそ、仮に御三卿が…、一橋治済にしろ、清水重好にしろそのような重大犯罪に関与していたとしたら、その御三卿の「お目付役」とも言うべき御三卿家老の責も到底、免れ得ぬところであろう。
「一体、御三卿家老として何をしていたのだ」
そう管理責任を問われるのは必至であるからだ。意致にしろ昌忠にしろ、それに…、管理責任が問われるやも知れぬと、そのことにすぐに思い至り、顔色を蒼くさせたものである。
ともあれ意致と昌忠も監視下に置かれること、その上、御三卿家老は御三卿共々、事件が解決するまでの間、
「登城には及ばず…」
そのことを忠友より告げられたのであった。
即ち、意致と昌忠は御座之間に控えていた中奥番士の監視下に置かれ、そして表向に出るや、そこで今度は徒目付にバトンタッチ、徒目付に監視されながら、下城、それぞれの邸へと引き上げて行った。
即ち、それぞれの邸である一橋邸、清水邸へと帰邸するまでは目付による厳重なる監視下に置き、そしてそれぞれの邸へと帰邸後には目付配下の徒目付、小人目付、中間目付が交代で、それこそ、
「昼夜を分かたず…」
それぞれの邸を見張らせることとする。これは勿論、治済、及び重好が外部との連絡、接触を防ぐためであった。
それゆえ邸の周囲を目付配下の彼ら徒目付や小人目付、中間目付に徹底的に、
「24時間体制で…」
見張らせることで、治済や重好といった当人は元より、家臣が外出できぬようにする。治済、あるいは重好が家臣に対して、
「証拠隠滅」
あるいはその指示を命ずる書状の類を携えさせているかも知れないからだ。ゆえに、全く止むを得ない事情で彼ら、家臣や、あるいは治済、もしくは重好の当人が外出する場合には邸の監視役に当たる彼らに徹底的に衣服を検めさせ、のみならず、その目的地ま同行することとする。やはり証拠隠滅防止のためである。
また、一橋邸、及び清水邸は一橋御門内、及び清水御門内にある、上屋敷とも言うべきその一橋邸、及び清水邸の他にも、中屋敷や下屋敷がこの江戸に点在しており、そこでそれら中屋敷や下屋敷についても監視下に置くことを平蔵は提案した。これもやはり証拠隠滅の防止のためであった。
仮に中屋敷や下屋敷に証拠が隠されているとして、上屋敷にて主の治済、あるいは重好が囚われの身となっていることを、中屋敷、あるいは下屋敷にて勤仕している、何より証拠を握る家臣が察して、証拠隠滅を図らないとも限らない。
そこでそれら中屋敷や下屋敷も徹底的な監視下に置くことで、証拠の隠滅を防止するのが狙いである。
但し、この場合の監視には流石に目付配下の彼ら、徒目付や小人目付、中間目付にやらせるわけにはまいらぬ。それと言うのも彼らには治済、及び重好がこれから暫くの間…、事件が解決するまでの間、上屋敷とも言うべき一橋御門内、清水御門内にあるそれぞれの邸にて蟄居謹慎してもらうわけだが、その邸を「24時間体制」にて見張ってもらうために、とてもではないが中屋敷や下屋敷の監視までは手が回らないと思われるからだ。
そこで平蔵は中屋敷や下屋敷については幕府の所謂、武官五番方を構成する大番組に属する与力と同心にその監視役に当たらせることにした。
大番組は全部で12組あり、うち2組は俗に、
「上方在番」
と称してそれぞれ二条城、大坂城の警衛に当たっていたために、現在、この江戸に残っている大番組は10組である。
そして大番組には1組につき与力10騎、同心30人が附属していた。つまり1組につき与力と同心合わせて40人が附属しているというわけで、それが10組で総勢400人もの大番組に附属する与力や同心がこの江戸にいるというわけだ。
彼ら大番組に附属する、それも江戸にいる400人もの与力や同心は普段、平時においては西之丸や二ノ丸の警衛、及び江戸市中を巡回していた。ゆえに、江戸市中にある一橋、及び清水、両徳川家の中屋敷、下屋敷を巡回させるには大番組に附属する彼ら与力や同心は正にうってつけであり、且つ、人数、頭数も申し分ない。
この平蔵の提案についても将軍・家治はやはり許可を与えると、早速、治済と重好にはそれぞれ5人ずつの目付が配され、その監視役の任に当たることになった。
即ち、目付は通称、「十人目付」とも称され、目付の定員は10人であり、今、この評定所内の評席にて大目付と共に評定の監察役を務める目付は確かに10人いた。
そこでこの10人をきれいに5人ずつ、2組に分けてそれぞれ、治済と重好の監視役に当たらせることとした。
治済にしろ重好にしろ、いったん中奥に戻らねばならなかった。それと言うのも二人は中奥にある御風呂屋玄関より殿中へと上ったからだ。
それゆえ目付も治済と重好の監視役である以上、中奥に足を踏み入れる必要があった。目付は表向の役職であり、本来ならば、自由に中奥へと足を踏み入れることは許されなかったものの、今回は特にそれが許されたのであった。
「それから…、我ら4人が畏れ多くも大納言様の薨去の真相、そしてそこから派生せし奥医師・池原長仙院殺害、この二つの事件の探索に当たるに際して、お墨付を頂戴致し度…」
「探索に協力せよ…、とのお墨付だの?」
家治はニヤリと笑みを浮かべて尋ねたので、平蔵はそれに対して叩頭しつつ、「御意…」と答えた。
正しく家治の言う通りであった。
探索ともなれば聞き込みなども必要となってくる。その際、将軍からのお墨付は探索の大きな「武器」となる。
例えば聞き込みの際、相手によっては口を割らない者もいるやも知れないが、その場合には将軍・家治のお墨付…、
「探索に協力せよ」
その「お墨付」があれば、相手は嫌でも話さざるを得なくなる。何しろその「お墨付」に反することは将軍・家治の言葉、ひいては将軍・家治に逆らうも同然だからだ。
いや、聞き込みだけでなく「捜査協力」という場面においてもその「お墨付」は絶大なる効果を発揮するに違いなかった。
それと言うのも事と次第によっては、町方の手を借りねばならない場面も出て来るやも知れぬ。
とりわけ奥医師・池原良誠斬殺事件に「臨場」した南町奉行所の定町廻同心に対して、「捜査協力」を求める場面があるやも知れぬ。その際、同心を支配する南町奉行の協力を仰がねばならぬがお、しかし、南町奉行の牧野成賢が果たして、
「快く…」
捜査協力に応じてくれるかどうかは、甚だ疑わしかった。だが、その際にも、
「探索に協力せよ…」
との将軍・家治からの「お墨付」があれば、牧野成賢とて、嫌でも「捜査協力」に応じざるを得ないであろう。
事程左様に、
「将軍のお墨付」
というものは役に立つのであった。
家治にも平蔵のその思惑を十分に察せられたので、「相分かった」とやはりこれを承知して、評定はいったん幕を閉じた。
さて、将軍・家治も中奥へと戻ると、御座之間に一橋家老の田沼意致と清水家老の本多讃岐守昌忠の両名を召し出した。今日はこの二人がそれぞれ、江戸城に登城する日、その当番であったからだ。
治済にしても今日は意致が登城する当番日であり、邸には相役…、同僚の水谷勝富が残ることを把握していたからこそ、意致に悟られぬよう早く登城したわけだ。勿論、意次を断罪するのがその「お目当て」であり、それが結果は逆に己の方に断罪の刃が向けられることとなった。
ともあれ御座之間へと召し出された意致と昌忠の二人はそこで陪席していた御側御用人の水野出羽守忠友より今日の評定の一部始終が伝えられた。水野忠友もまた、評定への出席が許されていたからだ。
その忠友より今日の評定の内容を聞かされた意致と昌忠は共に仰天したものだ。それはそうだろう。何しろ、己が仕える主が奥医師殺し、ひいては次期将軍であった家基殺しにまでかかわっている、それもただ関与しているに留まらず、その首魁であると聞かされれば、驚かない方がどうかしている。
いや、意致にしろ昌忠にしろ、御三卿家老とは言え、その身はあくまで幕臣、つまりは幕府に仕える身であり、それゆえ御三卿は正確には主君ではない。
それどころか御三卿家老は御三卿の「お目付役」の色彩が濃かった。いや、そうであればこそ、仮に御三卿が…、一橋治済にしろ、清水重好にしろそのような重大犯罪に関与していたとしたら、その御三卿の「お目付役」とも言うべき御三卿家老の責も到底、免れ得ぬところであろう。
「一体、御三卿家老として何をしていたのだ」
そう管理責任を問われるのは必至であるからだ。意致にしろ昌忠にしろ、それに…、管理責任が問われるやも知れぬと、そのことにすぐに思い至り、顔色を蒼くさせたものである。
ともあれ意致と昌忠も監視下に置かれること、その上、御三卿家老は御三卿共々、事件が解決するまでの間、
「登城には及ばず…」
そのことを忠友より告げられたのであった。
即ち、意致と昌忠は御座之間に控えていた中奥番士の監視下に置かれ、そして表向に出るや、そこで今度は徒目付にバトンタッチ、徒目付に監視されながら、下城、それぞれの邸へと引き上げて行った。
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