14 / 197
波乱の月次御礼 ~次期将軍が一橋豊千代に決まった背景~ 1
しおりを挟む
「されば畏れ多くも上様におかせられては来月の5月には一橋様の豊千代君を将軍家御養君として西之丸へとお迎えあそばされる所存にて…」
将軍家御養君とは将軍・家治の養嗣子という意味であり、即ち、御三卿の一橋家よりその当主である治済の嫡男の豊千代を養嗣子として、つまりは次期将軍として来月の5月に西之丸に迎える…、将軍・家治はそのつもりでいるということであった。
だがその程度のことなれば、既定路線であり、とりたてて秘密にするほどのものではない。無論、だからといってあえて言い触らす話でもないが、ともあれ他言無用などとわざわざ思わせぶりに前置きする必要はなかった。
「そのことなれば、身共も存じており申す…」
源太郎もここ江戸城にて、しかも将軍のプライベートエリアである中奥にて将軍の警護役として勤仕していたので、表向の役人よりも早くにその既定路線に接することができた。
また準松にしてもそのことに…、己が中奥番士としていち早く、情報を「キャッチ」できる立場にいることを知っている筈であり、それゆえ源太郎はわざわざ思わせぶりに、
「他言無用…」
などと前置きした準松の思惑をはかりかねた。
一方、準松にしても源太郎のそんな胸中には勿論、気付いていたので、
「いや、問題はこの先ぞ…」
さらに思わせぶりなことを口にした。
「この先とは?」
「この先からが他言無用なのだが…、上様は果たして豊千代君を西之丸へと迎えても良いものかと、悩まれているご様子…」
それは源太郎も初耳であった。中奥にて将軍を警護する源太郎でさえ知らないことだから、表向の役人はまず知らないものと考えて差し支えなかった。
恐らくは中奥役人の中でも、御側御用取次の準松など、ごく限られた、いわゆる最高幹部しか知らない最高機密に属するものに違いなく、そうであればなるほど、準松がわざわざ、
「他言無用…」
などと思わせぶりな前置きをしたことにも頷けた。
「まずは血統の問題…」
「血統…、それは…、清水様の方が相応しいと?」
源太郎が尋ねると、準松は頷いた。
将軍・家治には腹違いとは言え、弟がいた。その弟こそが御三卿の清水家の当主である重好であった。
今から2年前の安永8(1779)年に将軍・家治の嫡男の家基が卒したために、家基にかわる次期将軍レースが激化した。
本来ならば家治がもう一人、子を…、嫡男をなせば済む話であったが、しかし、家治は元来、淡白な質であり、最早、側室との間で新たに子をもうける気力はなく、そこで養嗣子を迎えることにした。
その際、養嗣子…、将軍家御養君の筆頭候補が重好であった。
何しろ腹違いとは言え、将軍・家治の弟である。何よりも血統が重視される徳川将軍家において、将軍・家治に最も血筋が近い重好が次期将軍の筆頭候補に祭り上げられたのは当然であり、重好もその気でいた。
だがそこに待ったをかけた者がいた。誰あろう、同じく御三卿の一橋家の当主である治済であった。
治済は重好が将軍家御養君になることに…、次期将軍になることについての「デメリット」を言い立てたのであった。
曰く、
「重好殿は兄・上様とは8歳しか違わず、上様の養嗣子となるには些か年が行き過ぎている」
曰く、
「重好殿には未だ、子がなく、されば重好殿が将軍になったところで、再び、跡継ぎの問題が出来する…」
などと、治済は重好が将軍になることの「デメリット」を言い立てて、待ったをかけ、あまつさえ、自らの嫡男である豊千代を推挙する始末であった。
「臆面もなく…」
とは正にこのことであろう。
ともあれそれらの「デメリット」はいずれも反駁できるものであり、例えば年齢の問題ならば、確かに兄・家治とは8歳しか離れていない弟の重好を家治の養嗣子として迎え入れるのはいかがなものかと思われるかも知れないが、こと養親子関係は養親が養子よりも1つでも年が上であればそれで良く、それが8歳も離れているのだから別段、問題はなかった。
また、治済は重好には子がいないことをも「デメリット」として挙げたが、これとて今はまだ子がいないというだけで、重好は安永8(1779)年の時点では34歳であり、それから2年後の今でもまだ、36に過ぎなかった。子をなすのを諦める年齢とも言えず、これとて「デメリット」とはなりようがなかった。
ところが治済の横槍にまず、福井藩主の松平越前守重富が呼応した。これは予想されたことであり、それと言うのも重富は治済の実兄に当たるからだ。御三卿の一橋家こそ弟の治済が継いだものの、兄弟仲は良く、それ以上に、
「将軍位を清水徳川家にみすみす掻っ攫われてはたまらない…」
一橋家出身の重富がそう思ったであろうことは想像に難くなく、その上で、弟にして一橋家当主である治済の嫡男の豊千代が晴れて将軍位に就けば、
「同じく一橋出身たる己の栄達も夢ではない…」
重富がそうも思ったであろうことはやはり想像に難くなく、一方、弟の治済としても兄・重富の呼応は心強かったに違いなく、仮に嫡男の豊千代が将軍位に就いた暁には勿論、兄・重富が望む栄達を果たさせるつもりでいた。
具体的には重富が藩主を務める福井松平家の家格の向上であった。
ともあれ、一橋家より将軍家御養君を迎えることについては、重富と治済との利害は完璧に一致しており、周囲もそれを当然のことと見ていたので、重富の呼応はさして驚くものではなかった。
将軍家御養君とは将軍・家治の養嗣子という意味であり、即ち、御三卿の一橋家よりその当主である治済の嫡男の豊千代を養嗣子として、つまりは次期将軍として来月の5月に西之丸に迎える…、将軍・家治はそのつもりでいるということであった。
だがその程度のことなれば、既定路線であり、とりたてて秘密にするほどのものではない。無論、だからといってあえて言い触らす話でもないが、ともあれ他言無用などとわざわざ思わせぶりに前置きする必要はなかった。
「そのことなれば、身共も存じており申す…」
源太郎もここ江戸城にて、しかも将軍のプライベートエリアである中奥にて将軍の警護役として勤仕していたので、表向の役人よりも早くにその既定路線に接することができた。
また準松にしてもそのことに…、己が中奥番士としていち早く、情報を「キャッチ」できる立場にいることを知っている筈であり、それゆえ源太郎はわざわざ思わせぶりに、
「他言無用…」
などと前置きした準松の思惑をはかりかねた。
一方、準松にしても源太郎のそんな胸中には勿論、気付いていたので、
「いや、問題はこの先ぞ…」
さらに思わせぶりなことを口にした。
「この先とは?」
「この先からが他言無用なのだが…、上様は果たして豊千代君を西之丸へと迎えても良いものかと、悩まれているご様子…」
それは源太郎も初耳であった。中奥にて将軍を警護する源太郎でさえ知らないことだから、表向の役人はまず知らないものと考えて差し支えなかった。
恐らくは中奥役人の中でも、御側御用取次の準松など、ごく限られた、いわゆる最高幹部しか知らない最高機密に属するものに違いなく、そうであればなるほど、準松がわざわざ、
「他言無用…」
などと思わせぶりな前置きをしたことにも頷けた。
「まずは血統の問題…」
「血統…、それは…、清水様の方が相応しいと?」
源太郎が尋ねると、準松は頷いた。
将軍・家治には腹違いとは言え、弟がいた。その弟こそが御三卿の清水家の当主である重好であった。
今から2年前の安永8(1779)年に将軍・家治の嫡男の家基が卒したために、家基にかわる次期将軍レースが激化した。
本来ならば家治がもう一人、子を…、嫡男をなせば済む話であったが、しかし、家治は元来、淡白な質であり、最早、側室との間で新たに子をもうける気力はなく、そこで養嗣子を迎えることにした。
その際、養嗣子…、将軍家御養君の筆頭候補が重好であった。
何しろ腹違いとは言え、将軍・家治の弟である。何よりも血統が重視される徳川将軍家において、将軍・家治に最も血筋が近い重好が次期将軍の筆頭候補に祭り上げられたのは当然であり、重好もその気でいた。
だがそこに待ったをかけた者がいた。誰あろう、同じく御三卿の一橋家の当主である治済であった。
治済は重好が将軍家御養君になることに…、次期将軍になることについての「デメリット」を言い立てたのであった。
曰く、
「重好殿は兄・上様とは8歳しか違わず、上様の養嗣子となるには些か年が行き過ぎている」
曰く、
「重好殿には未だ、子がなく、されば重好殿が将軍になったところで、再び、跡継ぎの問題が出来する…」
などと、治済は重好が将軍になることの「デメリット」を言い立てて、待ったをかけ、あまつさえ、自らの嫡男である豊千代を推挙する始末であった。
「臆面もなく…」
とは正にこのことであろう。
ともあれそれらの「デメリット」はいずれも反駁できるものであり、例えば年齢の問題ならば、確かに兄・家治とは8歳しか離れていない弟の重好を家治の養嗣子として迎え入れるのはいかがなものかと思われるかも知れないが、こと養親子関係は養親が養子よりも1つでも年が上であればそれで良く、それが8歳も離れているのだから別段、問題はなかった。
また、治済は重好には子がいないことをも「デメリット」として挙げたが、これとて今はまだ子がいないというだけで、重好は安永8(1779)年の時点では34歳であり、それから2年後の今でもまだ、36に過ぎなかった。子をなすのを諦める年齢とも言えず、これとて「デメリット」とはなりようがなかった。
ところが治済の横槍にまず、福井藩主の松平越前守重富が呼応した。これは予想されたことであり、それと言うのも重富は治済の実兄に当たるからだ。御三卿の一橋家こそ弟の治済が継いだものの、兄弟仲は良く、それ以上に、
「将軍位を清水徳川家にみすみす掻っ攫われてはたまらない…」
一橋家出身の重富がそう思ったであろうことは想像に難くなく、その上で、弟にして一橋家当主である治済の嫡男の豊千代が晴れて将軍位に就けば、
「同じく一橋出身たる己の栄達も夢ではない…」
重富がそうも思ったであろうことはやはり想像に難くなく、一方、弟の治済としても兄・重富の呼応は心強かったに違いなく、仮に嫡男の豊千代が将軍位に就いた暁には勿論、兄・重富が望む栄達を果たさせるつもりでいた。
具体的には重富が藩主を務める福井松平家の家格の向上であった。
ともあれ、一橋家より将軍家御養君を迎えることについては、重富と治済との利害は完璧に一致しており、周囲もそれを当然のことと見ていたので、重富の呼応はさして驚くものではなかった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
近江の轍
藤瀬 慶久
歴史・時代
全ては楽市楽座から始まった―――
『経済は一流、政治は三流』と言われる日本
世界有数の経済大国の礎を築いた商人達
その戦いの歴史を描いた一大叙事詩
『皆の暮らしを豊かにしたい』
信長・秀吉・家康の天下取りの傍らで、理想を抱いて歩き出した男がいた
その名は西川甚左衛門
彼が残した足跡は、現在(いま)の日本に一体何をもたらしたのか
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載しています
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる