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ニート・吉良尊氏という男

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【プロローグ】
 窓から差し込む陽光が俺の顔を照らした。朝が来たのだ…、俺はようやくそう認識すると寝惚け眼を擦りながらベッドから起きだした。

 今日は休日ではない。平日である。ではどうして平日にも関わらず午前10時過ぎまで寝ていられるかというと、それは俺が定年退職して仕事の第一線からリタイアした御隠居だから…、では勿論なく、昨日が運動会で今日はその振り替え休日だから…、でも勿論ない。俺は今年で28歳だ。まだ隠居する年でもないが、さりとて運動会に参加出来る年でもない。そんな年は当の昔に過ぎ去っていた。

 では大人の俺が平日に何故、10時過ぎまで眠っていられるのか、それは夜勤明けだから…、でも残念ながらなかった。

 何しろこの俺は仕事についていないからだ。そう、何を隠そう俺は紛うことなき立派な無職だからだ。人によっては俺の事を、

「ニート」

 そう呼ぶ輩もいるらしい。母国語を大事にする愛国心に溢れた俺としてはそんな外来語で自身を形容されるのは甚だ不本意ではあったが、しかし、「ニートと呼ぶな」と言ったところで効果がない事は明らかであった。何しろ俺のような無職の人間には発言権はない、というのが大勢らしいので、俺としては、

「ニート」

 と呼ばれても聞き流すより他に術はなかった。

 自室を出るとまずは洗面所で顔を洗い、それから居間へと向かうとテーブルに置きっ放しになっていた朝刊を手に取るとソファに腰を下ろして新聞を読み始めた。と言ってもテレビ欄であるが。

 新聞の一面には年金情報の流出やら失業率云々、夏のボーナスがどうのこうの、といった記事で氾濫していたが、そもそもニート故に収入がないので年金保険料が免除になっている俺には年金情報が流出しようが失業率が改善しようが、ましてや夏のボーナスがアップしようが俺とは関係のない別世界の話であった。

 テレビ欄に目を通すと新聞紙を広げ、今度は社会面に目を通した。社会面には殺人、傷害、詐欺、横領、贈収賄といった、さしずめ犯罪のデパート広告の様相を呈していた。

 殺人―無職の男、俺と同い年の25歳の男、長男、これも俺と同じだが、そいつはどうやら両親を刺し殺したらしい。警察では詳しい動機について調べる方針…、というのが記事内容であるが、調べるまでもなく恐らくは両親から事ある毎に働けと、そう言われ続け、その憤懣が積もりに積もった末での犯行であろう事はニートの俺ならば容易に想像がつく。

 いや、俺のようなニートならずとも一般人にも分かる事であろう。馬鹿なヤツだ…、俺はそう思わずにはいられなかった。聞き流すという技術に欠けていたのだ。何を隠そうこの俺もかつては両親共々、働け、と言われ続けていた身であった。

 俺が大学を卒業したのは24歳の時であった。大学合格までに二浪したから…、ではなく、大学卒業までに六年もかかった故である。

 俺が大学に入学したのは18歳の時、つまり現役合格ではあったが、しかし、

「喜びもひとしお…」

 とはお世辞にも掛け離れていた。それは一重に希望する大学ではなかったから、というのが最大の理由であった。もっと言えば三流、いや、四~五流大学であったからだ。

 これが名もなき公立高校から四~五流大学へと進学するならばそれも納得出来たかも知れない。正確には俺、というよりは両親が、と言うべきところであろうか。

 だが俺の通っていた高校は私立の中高一貫校であり、公立高校よりも遥かに入学金・授業料共に桁外れに高かったのだ。つまりそれだけ両親は、それも母親は俺の教育に金を掛けていたという事であった。

 だが蓋を開けてみれば公立高校に通う子供たちより遥かに金を掛けたはずの倅の進学先は東大・京大を始めとする旧七帝どころか、早稲田・慶應を始めとする六大学にも引っ掛からず、結局、俺が引っ掛かったのは四~五流の私大、偏差値で言えば40が精々の馬鹿大学であった。

 しかも俺の同級生は皆、東大・京大を始めとする旧七帝へとぞくぞくと現役合格を果たしており、その他の同級生も皆、六大学に進学した。それが両親、特に母親の嫉妬心を大いに刺激したらしい。

 どうして、なぜこれだけ金を掛けたのにどうして、なぜ…、母は俺に繰言の様に言い募った。あんたの息子だからだよ…、俺は余程、そう言ってやろうかとも思ったがそんな事をすれば火に油を注ぐ、いや火事場にガソリンを注ぐのと同じぐらい危険な行為であるとも容易に想像出来たので、俺は何も言わず母の不満の台風が通り過ぎるのを黙って耐えた。

 母の怒りや不満は一過性のものに過ぎないと知っていたからだ。だが今回は一過性ではなく長引いた。それは近所の住人の息子や娘達もやはり俺と同い年で、しかも皆、公立高校に通っている子弟で、そして旧七帝、六大学に現役合格を果たしたからだ。

 母は俺が私立の中高一貫校に合格した折は散々、近所の住人に俺の事を吹聴…、要するに自慢、言い触らしたわけだが、それが今度は正反対に、俺の自慢を散々、聞かされた近所の住人が俺の母に自慢話を提供する番であった。

 正に因果応報、というヤツであった。だが母にはそれが耐えられず俺に浪人をすすめる始末であった。だが俺はそれを断った。理由は例え浪人したところで母が望む様な一流大学に受かる自信がないからであった。それに勉強はもう限界、というのもその理由であった。

 俺は母に言われるがままに小学四年から塾通いを始め、そして私立の中高一貫校に合格したが思えばあの時が俺のピークだったのかも知れない。それ以降は進学先の中高一貫校の授業について行くだけで精一杯であった。それこそ俺よりも出来の良い連中がゴロゴロいた。

 俺がどんなに努力しても追い付かない程の天才が腐る程いた。段々と俺から勉学への意欲を失わせた。一方で俺とは違って公立の中学、高校へと進学した近所の子弟は身の丈に合った学校で伸び伸びと学校生活を送り、それが精神にゆとりを与えたのであろう、皆、希望の、そして母が望む様な大学へと進学して行った。母にはそれが許せなかったらしいが俺としては最早、母が望む様な大学へと進学する為に勉強する気にもなれず、

『俺に期待するのはもう止めてくれ』

 と止めの一言を放って母を泣く泣く納得させた、いや、諦めさせた、と言うべきか。

 そして俺自身、進学したい大学ではなかった、という事もあり無為に大学生活を送るうちに卒業への意欲も失いかけてただ大学の図書館で本を読んでは時間を潰すという生活に明け暮れるうち、いつしか大学生活六年目を迎えていた。

 そして四~五流大学を規定の年限を遥かに過ぎた六年という年月を掛けて卒業した俺に声を掛ける企業なぞ当然、ないわけで、俺としてもその時から既にニートになるであろう、との予感があった。それでもその時はまだ両親も俺にニートをさせる事など許さない、という態度でいたので俺としてもそれなりに、金融・保険といった企業を中心に就職活動をしたが結果は玉砕であった。面接では必ずと言って良い程に、

『どうして卒業するのに六年も掛かったのか』

 と問われ、その度に俺は、

『愛校精神に溢れていたからですよ』

 とユーモアたっぷりに答え、俺のそのユーモアに対して面接官が失笑してくれるのはまだ良い方で、中には馬鹿にされたと思ったのか険しい顔付きになる面接官もいた。どうやらユーモアを解するだけのゆとりがないらしい。いずれにしろそれで結果はずべてオジャンである。

 また面接ではこの他にも、

『六年間の大学生活で部活の経験は?』

 と聞かれた事もしばしばであった。やはり部活と就職は大いに関係があるらしいが部活に入っていなかった俺としては、

『ありません』

 と正直に答えるしかなった。

『どうして?』

 と重ねて尋ねる面接官もおり、それに対してもやはり正直に、

『部活動が面倒臭いからです』

 と答える事もしばしばであった。正直さは俺の最大の美点だ。

 他にも履歴書の資格欄が空白なのを目に留めた面接官に、

『運転免許は持っていないのか?』

 と尋ねられる、と言うよりは責められる事もやはりしばしばであり、

『教官と殴り合いの喧嘩を演じました』

 そうブラフをかます事もあった。但し、ブラフが効き過ぎて案の定、不採用となった。それから圧迫面接なるものも受けた事があり、

『三流大学を六年かけて卒業するなんて、君って馬鹿なの?』

 そう露骨に聞かれた事もある。自分が馬鹿なのは事実なので、

『確かに馬鹿だが、初対面の人間に馬鹿呼ばわりする人間よりは馬鹿ではない自信はあります』

 そう上から目線で答えた。その瞬間、面接官の顔色が変わった。結果は勿論、言うまでもない。

 こうして面接が悉く、失敗に終わり、正確には意図的に失敗に終わらせて、俺はニートになる格好の口実を一つ得た。だがそれで両親がすんなり俺にニートになる事を許してくれる筈もなく、

『アルバイトでもしろ』

 今度はそう言われたので俺は生まれて初めてアルバイトなるものを経験した。但し、一週間だけであったが。

 俺がバイト先として選んだのは某レンタルビデオ店であった。だがそこは大手の看板とは裏腹にブラック企業であり、早速、店長からパワハラ紛いの被害を受ける事になった。店長がどうにも学歴コンプレックスの塊らしく、俺が四大卒なのが気に入らないらしい。つまりは高卒なのだが、それにしても四大卒とは言え一流大学の人間をいびるのならまだしも、四~五流の大学卒に過ぎない俺をいびったところで仕方ないだろうにと、そう思わずにはいられなかった。

 バイト初日、早々と俺が六年もかけて大学を卒業した事をネタにして馬鹿よばわりしてきたので、

『それなら店長も大学に入学されてみて実際に四年で卒業出来るかどうか、体験される事をおすすめしますよ』

 と軽口で返したらそれが店長の学歴コンプレックスをいたく刺激してしまったらしく、気付いた時には胸倉を掴まれていた。それ以降、店長は俺を目の敵にするようになり、俺も止せば良いのに店長の言葉の一つ一つに丁寧な反論を加えてしまったので一週間後には馘首された。

 たったの一週間でバイト先をクビになった俺に両親は呆れ果てた様子であった。やれ堪え性がないだの、根性がないだのと、特に母から散々、嫌味を言われたものだ。尤もそれらの母の嫌味に対しても俺は蛙の面に小便、といった風情で聞き流すぐらいには堪え性も根性も持ち合わせていた。

 両親は今度は俺にハローワークへ行く様に命じたので言われた通り、区内のハローワークに足を伸ばした。だがそこでも案の定、俺の学歴、四~五流大学、それも六年掛けての卒業がネックになり、更には運転免許もなければ部活もバイトもロクに経験がない事も相乗効果となってマイナス作用が増大し、ホワイトカラーの職種には有り付けない事がはっきりした。つまりはブルワーカーになるしかない、という事であったがそれでは俺は兎も角、両親、特に母は許さないに違いない。きっと、

『大学まで卒業させたのに何で肉体労働をしなくちゃいけないのよっ!』

 なぞと金切り声を上げるに相違なく、難しい顔をしているとハローワークの職員は、

『駄目だよ、仕事を選んでちゃ。あんたみたいに何の取り得もない人間は今時、仕事を選んでなんかいられないんだから。どんな仕事でも、それが例え嫌な仕事であっても我慢しなくちゃ』

 とまるで人生相談員の様な口振りで俺に説教を始めた。正に人生相談コーナー、といった趣である。尤も俺は人生相談なるものを全くと言って良い程、信じておらず、そもそもあんなものに相談してくる人間の気が知れず、何より赤の他人から説教されるのが大嫌いな俺としてはハローワークの職員の上から目線の説教には勿論、反発を覚えると同時にきっちり言い返さずにはいられなかったので、

『職業選択の自由は日本国憲法で保障されている人権の一つの筈だが、そんな高校時代に習う様な基本的な事も知らないでハローワークの職員が務まるのならば俺の様な馬鹿な人間にも務まるという事だから、あんたの仕事を俺に譲り、その上であんたの言うところの嫌な仕事なるものをあんたが引き受ければそれで失業問題は一つ解決するな』

 そう言い返したところ、そのハローワークの職員は途端に無表情となり、

『どうぞ御引き取り下さい』

 俺にハローワークから退去するように命じたのであった。勿論、俺としてもこんな所に長居するつもりは毛頭なかったので素直にその指示に従った。ハローワークから追い出された俺は帰宅後に両親に対して今の俺には最早、肉体労働しか他に仕事がないらしい、との現実を教えてやるとやはり母は俺が想像した通り、寸分違わぬ、といった態度であった。

『それなら母さんが俺にさせたい仕事を紹介してくれよ』

 俺がそう反論を試みると母はそれっきり、働け、と口にはしなくなった。一方で父の方は、

『それなら仕方ないな』

 とまずは現実を受け入れ、そして、

『でもお前が肉体労働は嫌だ、って言うなら俺の仕事を継ぐか?』

 そう聞かれた。俺が気楽なニート生活を満喫しようと思えるのも一重に父の存在があっての事である。

 父はサラリーマンではなく自営業者、それも金融会社を経営していた。いわゆるサラ金である。昨今、グレーゾーン金利の廃止等で金融屋を取り巻く環境は厳しいものがあるが、それでも父の経営する金融会社は中々に売り上げがあり、だからこそ俺も父の収入でニート生活を送る事が出来る、との甘えもあった。

 そして何より、父は母程には口喧しくもなければ、現実を受け入れるだけの度量もある。つまりは俺にとっては甚だ物分りの良い父親、という事になる。どうして父がそこまで俺に甘いのか、それは恐らく父が俺に対して負い目があるのだろう、というのが俺の想像である。父は俺が小学校の頃から家に帰って来る事があまりなく、自営業者ゆえにどうしてもサラリーマンの様に規則正しい時間に帰って来れないのだ。

 それゆえ、サラリーマン家庭の子弟ならば必ずや一度や二度は父親とキャッチボールをしたり、或いは家族旅行に出掛けたり、といった経験をした事がなかった。父親はその事をずっと気に病んでいる様子であった。

 尤も俺としては幼い頃より親とベタベタするのは好きな方ではなかったので、父が仕事で家を空ける事に対して全くと言って良い程に気にした事もなければ、それでグレてやろうとも思った事もない。自分でも極めてドライな性格な子供だと思うが、それが子供時代の俺であった。

 俺は父から、

『但し、俺の仕事を継ぐとなればこれから俺の会社で下働きから始める事になるが、どうだ?』

 と聞かれたので俺としてはこれからニート生活を送りたい、と思っていたので腕組みをして考え込むポーズをした。そんな俺に、

『まあ、良く考えて結論を出せ』

 と父は声を掛けて遠回しに俺に暫くの間、ニートでいる事を許してくれた。

 俺と同じ無職の長男が両親を刺し殺した、という記事を見て、ふとそんな昔の事を思い出してしまった。

 俺は別の記事にも目を通した。

 傷害―これは先程の無職の長男が両親を刺し殺したのとは正反対の構図であった。即ち、会社員の父親が無職の長男を刺した、というものであった。

 長男は病院に搬送されて全治二週間の軽傷。そして父親が傷害容疑で逮捕された。馬鹿なヤツだ…、俺はそう思った。刺されたニートの倅に対して…。ではなくニートの倅を刺した父親に対して、であった。

 これでニートの倅は堂々と入院先の病院で望み通り、今度は大手を振って入院生活、という名の下で快適なニート生活を送れるわけだから、今頃は恐らくニートの倅は父親に感謝しているやもしれなかった。或いはこれならもう一度、死なない程度に刺されても良いかもしれない、と思っているやもしれなかった。

 中段には詐欺と贈収賄の記事も掲載されていた。

 詐欺―息子、と名乗る男から電話が掛かってき、応対に出た母親に対してその息子なる男が会社の金を横領し、逮捕されるかもしれず、会社との間で示談を交わす為には横領した金の弁済がどうしても必要で、横領した金は300万円との事で弁済しなければ刑事告訴され逮捕されてしまう、そうなれば刑務所行きは免れず、何とか立て替えてはくれないだろうか、と哀願調で頼む息子なる男の言葉を信じた母親は、実際に息子に連絡して事の真意を確かめる事もせず、息子なる男の言う通り、自宅に会社側の代理人弁護士を寄越すからその代理人に300万円を渡して欲しい、との言葉を信じて母親は複数の銀行口座から預金を引き出して300万円の金を作り、自宅にやって来たその会社側の代理人弁護士に300万円を渡してしまった、との事である。

 発覚した経緯は金を渡した事で冷静になった母親が実の息子に連絡を取って確かめて初めて自分が騙された、という事に気付いたらしい。典型的な振り込め詐欺、それも母さん助けて詐欺の手口であった。金を渡して初めて冷静になった、というのは何とも皮肉としか言い様がなかった。

 横領―化粧品会社の経理担当の女性社員が十年間に渡って会社の金を4億円も横領していたとの事である。4億円、という金額に俺はまずは驚き、次いで保証人がこれから地獄を見るに違いないとも思った。そして最後に十年間も女性社員に経理を任せていた会社の管理体制の不備、もっと悪く言えば間抜けさに呆れた。

 金を扱う経理部門は常に血の入れ替え、つまりは人事異動が必要なのは常識、というのは父の受け売りであるが、十年間も経理を任されていたら魔が差したとしても不思議ではない。それにしても4億円とは、この化粧品会社はニートの俺でも知っている様な最大手の企業ではあるが、それでも4億円もの大金を横領されて泰然自若としていられる程、余裕がある会社なのか、それは分からず、いずれにしろ女性の保証人に対してこれから横領された4億円を請求する事は間違いなく、そうなれば保証人は4億円の弁済義務が発生し、下手をすれば、いや、ほぼ間違いなく家屋敷を取られる事になるであろう。他人事とは言え可哀想にと、俺は他人事ながら同情した。

 最下段には贈収賄の記事が掲載されていた。

 贈収賄、それはニートの俺には最も縁遠い犯罪、いや、嫉妬心さえ搔き立てられる犯罪、とでも言おうか、どうせ賄賂とは無縁のニートですよ…、俺はその記事を読み飛ばそうかとも思ったが、NTT法なる時々耳にする法律に関心が惹かれてしまい記事に目を通してしまった。

 それによるとNTT東日本の社員がNTT法違反(収賄容疑)で警視庁捜査二課に逮捕された、との事である。NTTは民間企業の筈だが、それでも収賄罪が適用されるのか、なぞと思いつつ、今度は社会面から政治欄へと新聞紙を捲った。

 政治欄には安全保障法制の行方の記事で埋められていた。徴兵制復活の足音が聞こえる、と連呼している政治家もいるらしい。

 徴兵制が復活されたら俺の様なニートも兵隊に取られるのであろうか…、俺はそう思うと、ニートを矯正する一環として自衛隊に入れるべし、と主張している評論家がいる事に思いを馳せた。

 だが仮に、ニートが率先して兵隊に取られるとして、そうなれば当然、国は給与を支払わなければならない、という事である。ニート脱却の良い機会、とも捉える向きもあるが、果たして国家財政が持つのかどうか、そちらの方が心配である。

 いや、ニートだから雀の涙の給与で扱き使われるのだろうか。だがそうなればニートが一斉にストライキを起こす、いや、そもそも毎日がストライキのニートにしてみれば日常生活に戻るだけ、とも言えるが、ともかく、働かないと兵舎でニートが皆、寝てしまえばどうなるのだろうか…、そんな想像をするだけで、それはそれで中々、面白い光景ではあった。

 働いて下さい、動いて下さいと、果たして自衛官が懇願するのであろうか。だとしたらそれはもう滑稽としか言い様がない。

 しかし自衛隊は可哀想な存在だなと、俺はそう思わずにはいられなかった。ニートの矯正施設として真っ先に挙げられるのが自衛隊なのだから。

 そもそも自衛隊は社会不適合者の矯正施設ではない。国を守る、という崇高な使命を担う立派な仕事の筈である。だがそんな自衛隊、という組織にニートを矯正させる役割を期待する、という事はそんな崇高な使命を帯びる自衛隊に対する重大な侮辱に他ならないと思うのだが、どういう訳か普段は自衛隊をしきりに持ち上げる保守政治家に限って特にその傾向が強い。

 もしかしたら彼等、保守政治家こそ、その深層心理において自衛隊を侮辱しているのかもしれなかった。そうでない、決して自衛隊を侮辱なぞしていないと断言出来るのならば、ニートを矯正させる為に自衛隊に期待する筈はなく、例えばニートを矯正させるべく国会議員にしてしまおう、という発想が何故、出てこないのであろうか…、俺にはそれが不思議でならなかった。

 ふとハローワークで俺に説教をした職員の顔とそれら国会議員の顔がダブって見えた。

 新聞を読み終えると畳んでテーブルの上に置いた。

 俺は部屋に戻ると普段着に着替えて、玄関へと向かった。勿論、外出する為である。俺はニートではあるがひきこもりではないので、いつもこの時間帯になると外出するのが俺の日課であった。そして外出先は決まっていた。

 外出先、それは俺の様なニートにとっての聖地、いやホームレス一歩手前の失業者の聖地、とも言える図書館であった。
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