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意知、若年寄就任前夜 一橋家の反応 ~治済は清水家と田安家に「スパイ」を送り込んでいた~ 2

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「その上、重好しげよしめ、大奥おおおくともよしみふかめようとの所存しょぞん…、これは郷右衛門ごうえもんよりもたらされたものだが…」

 治済はるさだくちにした郷右衛門ごうえもんとは上野うえの郷右衛門ごうえもん猷景のりかげのことであり、上野うえの郷右衛門ごうえもん清水しみずやかたにて廣敷ひろしき用人ようにんとしてつかえていた。

 つまり、清水しみずやかた大奥おおおく女主おんなあるじである重好しげよししつ田鶴宮たずのみや貞子ていしつかえていたのだ。

 この上野うえの郷右衛門ごうえもんもまた、治済はるさだの「スパイ」であった。上野うえの郷右衛門ごうえもん附切つけきりとして清水しみず家につかえており、実兄じっけいにして上野うえの家の当主とうしゅである左兵衛さへえ資郷すけさと嫡男ちゃくなんすなわち、郷右衛門ごうえもんおいたる四郎三郎しろうさぶろう資善すけたかはここ一橋ひとつばし家にて近習きんじゅうとしてつかえる成田なりた喜太郎きたろう勝永かつながむすめめとっていたのだ。

 治済はるさだ成田なりた喜太郎きたろうよりそのことを、つまりはむすめ清水しみず家の廣敷ひろしき用人ようにんである上野うえの郷右衛門ごうえもんおい四郎三郎しろうさぶろうもとへととつがせたことをけられるや、上野うえの郷右衛門ごうえもんを「スパイ」に仕立したてることをおもき、爾来じらい治済はるさだ成田なりた喜太郎きたろうかいして上野うえの郷右衛門ごうえもん接待せったいけにして一橋ひとつばし家の「スパイ」に仕立したてることに成功せいこうしたのであった。

 それからというもの、上野うえの郷右衛門ごうえもんもまた、上原うえはら大助だいすけおなじく、黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもん情報じょうほうを…、清水しみずやかた大奥おおおくにおける情報じょうほうつたえては黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんにその情報じょうほう書付かきつけとしてしたためさせるのをつねとしていた。

 このように治済はるさだみずからにつかえるしん縁戚えんせき利用りようして「スパイ」に仕立したてるのを得意とくいとし、ちなみに黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんにしてもそうであった。

 いや、黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもん場合ばあい上野うえの郷右衛門ごうえもんよりも、無論むろん上原うえはら大助だいすけよりも一橋ひとつばし家と、と言うよりは治済はるさだ個人こじんつながりのある、もっと言えばきずなむすばれていた「スパイ」と言えた。

 それというのも黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんもまた、附切つけきりとして清水しみず家につかえており、実兄じっけいにして黒川くろかわ家の当主とうしゅであった左太郎さたろう盛武もりたけ嫡男ちゃくなん、つまりは黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんおいたる内匠たくみ盛胤もりつぐは何と、一橋ひとつばし家の家臣かしんどころか、治済はるさだ愛妾あいしょうとみ実妹じつまいめとっていたのだ。つまりは次期じき将軍たる家斉いえなり叔母おばめとっていたわけで、それゆえ黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんの場合、上原うえはら大助だいすけ上野うえの郷右衛門ごうえもんとはちがい、みずかすすんで一橋ひとつばし家の、と言うよりは治済はるさだ個人こじんの「スパイ」となった経緯いきさつがあった。

 無論むろん、それでも治済はるさだはそれにあまえることなく黒川くろかわ久左衛門きゅうざえもんに対して過分かぶん報酬ほうしゅう支払しはらっていたが。

 ともあれ治済はるさだにとって清水しみず家のおく、それも大奥おおおく情報じょうほう貴重きちょうであった。何しろ御三卿ごさんきょう大奥おおおくにしてもまた、江戸城のそれと同じく男子だんしりがきびしく規制きせいされており、当主とうしゅやその子弟していのぞけば精々せいぜい男子だんし役人やくにんである廣敷ひろしき用人ようにんることがゆるされている程度ていどであった。

 だがうらかえせば廣敷ひろしき用人ようにんなれば堂々どうどう大奥おおおくることが出来でき、そこでひろげられるたとえば当主とうしゅしつとのやり取りを耳にすることも可能かのうであり、今、治済はるさだにしている書付かきつけしたためられている内容ないようがそれであった。

重好しげよしめは、しつである貞子ていし大奥おおおくへとして高岳たかおかと…、年寄としより筆頭ひっとう高岳たかおかよしみつうずることまでかんがえておるようだ…」

 治済はるさだがそうげるや、「御簾中ごれんじゅうみずか大奥おおおくへと?」と久田ひさだ縫殿助ぬいのすけが信じられない思いでかえした。

然様さよう…、重好しげよしめが貞子ていしにそのむね打診だしんしたようだ…」

 治済はるさだはそうこたえると書付かきつけをヒラヒラとかかげてみせた。

「それに対しまして御簾中ごれんじゅう如何いかに?」

 どのような反応はんのうしめしたものか、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけはそれをうた。

「されば貞子ていし重好しげよしめいなればと、快諾かいだくしたそうな…」

「なれど御簾中ごれんじゅうは仮にも先帝せんていの…、霊元れいげん天皇てんのう御血筋おちすじではありませぬか…」

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけの言う通り、重好しげよししつ貞子ていし皇族こうぞく伏見宮ふしみのみや貞建さだたけ親王しんのう皇女こうじょであり、伏見宮ふしみのみや貞建さだたけ親王しんのう霊元れいげん天皇てんのう外祖父がいそふつ。すなわち、霊元れいげん天皇てんのう息女そくじょである福子ふくこ内親王ないしんのう伏見宮ふしみのみや邦永くになが親王しんのうとのあいだになしたのが貞子さだこが父である伏見宮ふしみのみや貞建さだたけ親王しんのうであり、そうであれば貞子ていしもまた、霊元れいげん天皇てんのういていた。

 そのような貞子ていしを将軍・家治に附属ふぞくする年寄としよりのそれも筆頭ひっとうである高岳たかおかよしみつうずるべく、使者ししゃにしようなどとは、霊元れいげん天皇てんのう貞子ていし自尊心じそんしんみにじることにもなりかねない。

 だが実際じっさいには貞子ていし重好しげよしのその依頼いらい快諾かいだくしたわけで、それが久田ひさだ縫殿助ぬいのすけにはしんがたかった。

「さればだれぞ、奥女中おくじょちゅうにでも…、それこそ老女ろうじょでもけますれば良いものを…」

 それが普通ふつうであった。

「いや、重好しげよしとしては老女ろうじょなどではのうて、しつ高岳たかおかへとけることで、高岳たかおか歓心かんしんようとほっしているのやもれぬ。いや、そこまでは書付かきつけにはしたためられてはおらなんだが…」

 しかし久田ひさだ縫殿助ぬいのすけは、そして岩本いわもと喜内きない治済はるさだ見立みたどおりだと思った。

「それにしても斯様かようたのみを快諾かいだくせしとは…」

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけはしみじみとした口調くちょうでそう言った。

「いや、重好しげよし貞子ていし鴛鴦おしどりぶりはつとられておるからのう…、まさいたような夫唱婦随ふしょうふずいぶりにて、その点だけは重好しげよしめがうらやましい…」

 治済はるさだもまたしみじみとした口調くちょうでそうげ、岩本いわもと喜内きない久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ反応はんのうこまった。それと言うのも治済はるさだしつである壽賀宮すがのみや在子ありこは明和7(1770)年にしゅっしていたからだ。

「いや、貞子ていしはその上で、大奥おおおくへとまいるならば、一人ひとりよりも御母上おははうえともに、とも提案ていあんせしそうな…」

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ一瞬いっしゅん、何ゆえ貞子ていし実母じつぼをと、勘違かんちがいし、だがぐにそれが勘違かんちがいであることに気づくと、

安祥院あんしょういん様を?」

 治済はるさだたしかめるようにたずねた。

然様さよう…、されば安祥院あんしょういんはかつては大奥おおおくにてつかえていたからのう…」

 安祥院あんしょういん当初とうしょは江戸城西之丸にしのまる大奥おおおくにてその当時とうじ次期じき将軍であったのち九代くだい将軍・家重いえしげ附属ふぞくする中臈ちゅうろうとしてつかえており、その時はまだ遊喜ゆき名乗なのっていた。

 それが家重いえしげがつき、家重いえしげとのあいだになしたのが重好しげよしであった。

 そして家重いえしげれて将軍として本丸ほんまるへとうつると、遊喜ゆき生後せいごもない重好しげよしこと萬次郎まんじろうとも本丸ほんまる大奥おおおくへとうつったのであった。

 遊喜ゆきはその後…、家重いえしげ歿後ぼつご落飾らくしょくして今の安祥院あんしょういん名乗なのり、日比谷ひびや御門ごもんそとにある櫻田さくらだ御用ごよう屋鋪やしきにてらしていたが、今でも大奥おおおくにはそれなりの人脈じんみゃくがあり、成程なるほど貞子ていし提案ていあんもっともであった。

重好しげよしめもそれはもっともであると、近々きんきん安祥院あんしょういん貞子ていし大奥おおおくへとける腹積はらづもりらしい…」

 治済はるさだ苦虫にがむしつぶしたような表情ひょうじょうでそう言った。

「さればこちらとしても大奥おおおく…、西之丸にしのまる大奥おおおくめておくべきやに…」

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけがそう提案ていあんし、治済はるさだおなじことをかんがえていたのでふかうなずいた。

 重好しげよしうごき、すなわち、安祥院あんしょういん貞子ていし本丸ほんまる大奥おおおくへとけて年寄としより筆頭ひっとう高岳たかおかよしみつうじて清水しみず家と大奥おおおく、それも本丸ほんまる大奥おおおくとのむすびつきをつよめようとする重好しげよしのそのうごきはめられないにしても、治済はるさだ一子いっし家斉いえなり次期じき将軍として鎮座ちんざする西之丸にしのまる大奥おおおくにはさしもの重好しげよし手出てだしは出来できまいだろう。何しろ西之丸にしのまる大奥おおおくは今や、すべてが一橋ひとつばし派と言っても過言かごんではないからだ。

 しかし、油断ゆだん禁物きんもつである。清水しみず寝返ねがえやからあらわれるやもれず、あるいは一橋ひとつばし派のかおをしながら、清水しみず家と「二股ふたまた膏薬こうやく」をやからあらわれないともかぎらない。

 そこで久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ西之丸にしのまる大奥おおおくめておくことを提案ていあんしたのであった。そしてそれは治済はるさだかんがえていたことであったのだ。

「いや、今は西之丸にしのまる一橋ひとつばし天下てんがにて…、何しろ家斉いえなりこう次期じき将軍としておわしますれば、それにとみ…、いえ、とみかた様が西之丸にしのまる大奥おおおくにてひからせておりますれば…」

 岩本いわもと喜内きない楽天的らくてんてき口調くちょうでそう言った。成程なるほどたしかにそのとおりでもあった。家斉いえなり次期じき将軍として一橋ひとつばし家から江戸城西之丸にしのまるりをたしたさいに、家斉いえなり実母じつぼであるとみもまた、それにしたがい、西之丸にしのまる大奥おおおくりをたしたのであった。

 とみもまた、大奥おおおくつかえていたことがあり、それゆえ今の大奥おおおくにもそれなりに人脈じんみゃくはあった。

 もっともとみつかえていたのは本丸ほんまる大奥おおおくであり、西之丸にしのまる大奥おおおくではなく、そこに一抹いちまつ不安ふあんはあった。

「それに大崎おおさき高橋たかはし年寄としよりとしてひからせておりますれば…」

 これもまた岩本いわもと喜内きないの言う通りであった。大崎おおさき高橋たかはし西之丸にしのまる大奥おおおくにて家斉いえなりづき年寄としよりとして君臨くんりんしていた。そしてこの大崎おおさき高橋たかはし一橋ひとつばし派であると自信じしんをもって断言だんげん出来できた。

 そうであればその大崎おおさき高橋たかはし年寄としよりとして西之丸にしのまる大奥おおおくひからせているかぎりは西之丸にしのまる大奥おおおくから「裏切者うらぎりもの」が、すなわち、清水しみず家にまれるようなやからは出ないものとおもわれ、成程なるほど岩本いわもと喜内きない楽天的らくてんてきになるのも無理むりはなかった。

 それでも治済はるさだは、「いや、油断ゆだん禁物きんもつぞ」と岩本いわもと喜内きないのその楽天らくてんぶりをいましめ、喜内きないを「ははぁっ」と平伏へいふくさせたものであった。
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