122 / 162
意知、若年寄就任前夜 一橋家の反応 ~治済は清水家と田安家に「スパイ」を送り込んでいた~ 2
しおりを挟む
「その上、重好め、大奥とも誼を深めようとの所存…、これは郷右衛門より齎されたものだが…」
治済が口にした郷右衛門とは上野郷右衛門猷景のことであり、上野郷右衛門は清水館にて廣敷用人として仕えていた。
つまり、清水館の大奥の女主である重好が室の田鶴宮貞子に仕えていたのだ。
この上野郷右衛門もまた、治済の「スパイ」であった。上野郷右衛門は附切として清水家に仕えており、実兄にして上野家の当主である左兵衛資郷が嫡男、即ち、郷右衛門の甥に当たる四郎三郎資善はここ一橋家にて近習として仕える成田喜太郎勝永の娘を娶っていたのだ。
治済は成田喜太郎よりそのことを、つまりは娘を清水家の廣敷用人である上野郷右衛門が甥の四郎三郎の許へと嫁がせたことを打ち明けられるや、上野郷右衛門を「スパイ」に仕立てることを思い付き、爾来、治済は成田喜太郎を介して上野郷右衛門を接待漬けにして一橋家の「スパイ」に仕立てることに成功したのであった。
それからというもの、上野郷右衛門もまた、上原大助と同じく、黒川久左衛門に情報を…、清水館の大奥における情報を伝えては黒川久左衛門にその情報を書付として認めさせるのを常としていた。
このように治済は自らに仕える臣の縁戚を利用して「スパイ」に仕立てるのを得意とし、ちなみに黒川久左衛門にしてもそうであった。
いや、黒川久左衛門の場合、上野郷右衛門よりも、無論、上原大助よりも一橋家と、と言うよりは治済個人と繋がりのある、もっと言えば絆で結ばれていた「スパイ」と言えた。
それというのも黒川久左衛門もまた、附切として清水家に仕えており、実兄にして黒川家の当主であった左太郎盛武が嫡男、つまりは黒川久左衛門の甥に当たる内匠盛胤は何と、一橋家の家臣どころか、治済が愛妾の富の実妹を娶っていたのだ。つまりは次期将軍たる家斉の叔母を娶っていたわけで、それゆえ黒川久左衛門の場合、上原大助や上野郷右衛門とは違い、自ら進んで一橋家の、と言うよりは治済個人の「スパイ」となった経緯があった。
無論、それでも治済はそれに甘えることなく黒川久左衛門に対して過分の報酬を支払っていたが。
ともあれ治済にとって清水家の奥、それも大奥の情報は貴重であった。何しろ御三卿の大奥にしてもまた、江戸城のそれと同じく男子の立ち入りが厳しく規制されており、当主やその子弟を除けば精々、男子役人である廣敷用人が立ち入ることが許されている程度であった。
だが裏を返せば廣敷用人なれば堂々と大奥に立ち入ることが出来、そこで繰り広げられる例えば当主と室とのやり取りを耳にすることも可能であり、今、治済が手にしている書付に認められている内容がそれであった。
「重好めは、室である貞子を大奥へと派して高岳と…、年寄筆頭の高岳と誼を通ずることまで考えておるようだ…」
治済がそう告げるや、「御簾中を自ら大奥へと?」と久田縫殿助が信じられない思いで聞き返した。
「然様…、重好めが貞子にその旨、打診したようだ…」
治済はそう応えると書付をヒラヒラと掲げてみせた。
「それに対しまして御簾中は如何に?」
どのような反応を示したものか、久田縫殿助はそれを問うた。
「されば貞子は重好の命なればと、快諾したそうな…」
「なれど御簾中は仮にも先帝の…、霊元天皇の御血筋ではありませぬか…」
久田縫殿助の言う通り、重好が室の貞子は皇族・伏見宮貞建親王の皇女であり、伏見宮貞建親王は霊元天皇を外祖父に持つ。即ち、霊元天皇の息女である福子内親王が伏見宮邦永親王との間になしたのが貞子が父である伏見宮貞建親王であり、そうであれば貞子もまた、霊元天皇の血を引いていた。
そのような貞子を将軍・家治に附属する年寄のそれも筆頭である高岳と誼を通ずるべく、使者にしようなどとは、霊元天皇の血を引く貞子の自尊心を踏みにじることにもなりかねない。
だが実際には貞子は重好のその依頼を快諾したわけで、それが久田縫殿助には信じ難かった。
「されば誰ぞ、奥女中にでも…、それこそ老女でも差し向けますれば良いものを…」
それが普通であった。
「いや、重好としては老女などではのうて、室を高岳へと差し向けることで、高岳の歓心を得ようと欲しているのやも知れぬ。いや、そこまでは書付には認められてはおらなんだが…」
しかし久田縫殿助は、そして岩本喜内も治済の見立て通りだと思った。
「それにしても斯様な頼みを快諾せしとは…」
久田縫殿助はしみじみとした口調でそう言った。
「いや、重好と貞子の鴛鴦ぶりは夙に知られておるからのう…、正に絵に描いたような夫唱婦随ぶりにて、その点だけは重好めが羨ましい…」
治済もまたしみじみとした口調でそう告げ、岩本喜内と久田縫殿助は反応に困った。それと言うのも治済が室である壽賀宮在子は明和7(1770)年に卒していたからだ。
「いや、貞子はその上で、大奥へと参るならば、身一人よりも御母上と共に、とも提案せしそうな…」
久田縫殿助は一瞬、何ゆえ貞子の実母をと、勘違いし、だが直ぐにそれが勘違いであることに気づくと、
「安祥院様を?」
治済に確かめるように尋ねた。
「然様…、されば安祥院はかつては大奥にて仕えていたからのう…」
安祥院は当初は江戸城西之丸の大奥にてその当時、次期将軍であった後の九代将軍・家重に附属する中臈として仕えており、その時はまだ遊喜と名乗っていた。
それが家重の手がつき、家重との間になしたのが重好であった。
そして家重が晴れて将軍として本丸へと移ると、遊喜も生後間もない重好こと萬次郎と共に本丸の大奥へと移ったのであった。
遊喜はその後…、家重歿後は落飾して今の安祥院と名乗り、日比谷御門外にある櫻田御用屋鋪にて暮らしていたが、今でも大奥にはそれなりの人脈があり、成程、貞子の提案も尤もであった。
「重好めもそれは尤もであると、近々、安祥院と貞子を大奥へと差し向ける腹積もりらしい…」
治済は苦虫を噛み潰したような表情でそう言った。
「さればこちらとしても大奥…、西之丸の大奥を引き締めておくべきやに…」
久田縫殿助がそう提案し、治済も同じことを考えていたので深く頷いた。
重好の動き、即ち、安祥院と貞子を本丸の大奥へと差し向けて年寄筆頭の高岳と誼を通じて清水家と大奥、それも本丸の大奥との結びつきを強めようとする重好のその動きは止められないにしても、治済が一子・家斉が次期将軍として鎮座する西之丸の大奥にはさしもの重好も手出しは出来まいだろう。何しろ西之丸の大奥は今や、全てが一橋派と言っても過言ではないからだ。
しかし、油断は禁物である。清水に寝返る輩が現れるやも知れず、或いは一橋派の顔をしながら、清水家と「二股膏薬」を決め込む輩が現れないとも限らない。
そこで久田縫殿助は西之丸の大奥を引き締めておくことを提案したのであった。そしてそれは治済も考えていたことであったのだ。
「いや、今は西之丸は一橋の天下にて…、何しろ家斉公が次期将軍としておわしますれば、それに富…、いえ、富の方様が西之丸の大奥にて目を光らせておりますれば…」
岩本喜内が楽天的な口調でそう言った。成程、確かにその通りでもあった。家斉が次期将軍として一橋家から江戸城西之丸入りを果たした際に、家斉の実母である富もまた、それに随い、西之丸の大奥入りを果たしたのであった。
富もまた、大奥に仕えていたことがあり、それゆえ今の大奥にもそれなりに人脈はあった。
もっとも富が仕えていたのは本丸の大奥であり、西之丸の大奥ではなく、そこに一抹の不安はあった。
「それに大崎と高橋が年寄として目を光らせておりますれば…」
これもまた岩本喜内の言う通りであった。大崎と高橋は西之丸の大奥にて家斉附の年寄として君臨していた。そしてこの大崎と高橋は一橋派であると自信をもって断言出来た。
そうであればその大崎と高橋が年寄として西之丸の大奥に目を光らせている限りは西之丸の大奥から「裏切者」が、即ち、清水家に取り込まれるような輩は出ないものと思われ、成程、岩本喜内が楽天的になるのも無理はなかった。
それでも治済は、「いや、油断は禁物ぞ」と岩本喜内のその楽天ぶりを戒め、喜内を「ははぁっ」と平伏させたものであった。
治済が口にした郷右衛門とは上野郷右衛門猷景のことであり、上野郷右衛門は清水館にて廣敷用人として仕えていた。
つまり、清水館の大奥の女主である重好が室の田鶴宮貞子に仕えていたのだ。
この上野郷右衛門もまた、治済の「スパイ」であった。上野郷右衛門は附切として清水家に仕えており、実兄にして上野家の当主である左兵衛資郷が嫡男、即ち、郷右衛門の甥に当たる四郎三郎資善はここ一橋家にて近習として仕える成田喜太郎勝永の娘を娶っていたのだ。
治済は成田喜太郎よりそのことを、つまりは娘を清水家の廣敷用人である上野郷右衛門が甥の四郎三郎の許へと嫁がせたことを打ち明けられるや、上野郷右衛門を「スパイ」に仕立てることを思い付き、爾来、治済は成田喜太郎を介して上野郷右衛門を接待漬けにして一橋家の「スパイ」に仕立てることに成功したのであった。
それからというもの、上野郷右衛門もまた、上原大助と同じく、黒川久左衛門に情報を…、清水館の大奥における情報を伝えては黒川久左衛門にその情報を書付として認めさせるのを常としていた。
このように治済は自らに仕える臣の縁戚を利用して「スパイ」に仕立てるのを得意とし、ちなみに黒川久左衛門にしてもそうであった。
いや、黒川久左衛門の場合、上野郷右衛門よりも、無論、上原大助よりも一橋家と、と言うよりは治済個人と繋がりのある、もっと言えば絆で結ばれていた「スパイ」と言えた。
それというのも黒川久左衛門もまた、附切として清水家に仕えており、実兄にして黒川家の当主であった左太郎盛武が嫡男、つまりは黒川久左衛門の甥に当たる内匠盛胤は何と、一橋家の家臣どころか、治済が愛妾の富の実妹を娶っていたのだ。つまりは次期将軍たる家斉の叔母を娶っていたわけで、それゆえ黒川久左衛門の場合、上原大助や上野郷右衛門とは違い、自ら進んで一橋家の、と言うよりは治済個人の「スパイ」となった経緯があった。
無論、それでも治済はそれに甘えることなく黒川久左衛門に対して過分の報酬を支払っていたが。
ともあれ治済にとって清水家の奥、それも大奥の情報は貴重であった。何しろ御三卿の大奥にしてもまた、江戸城のそれと同じく男子の立ち入りが厳しく規制されており、当主やその子弟を除けば精々、男子役人である廣敷用人が立ち入ることが許されている程度であった。
だが裏を返せば廣敷用人なれば堂々と大奥に立ち入ることが出来、そこで繰り広げられる例えば当主と室とのやり取りを耳にすることも可能であり、今、治済が手にしている書付に認められている内容がそれであった。
「重好めは、室である貞子を大奥へと派して高岳と…、年寄筆頭の高岳と誼を通ずることまで考えておるようだ…」
治済がそう告げるや、「御簾中を自ら大奥へと?」と久田縫殿助が信じられない思いで聞き返した。
「然様…、重好めが貞子にその旨、打診したようだ…」
治済はそう応えると書付をヒラヒラと掲げてみせた。
「それに対しまして御簾中は如何に?」
どのような反応を示したものか、久田縫殿助はそれを問うた。
「されば貞子は重好の命なればと、快諾したそうな…」
「なれど御簾中は仮にも先帝の…、霊元天皇の御血筋ではありませぬか…」
久田縫殿助の言う通り、重好が室の貞子は皇族・伏見宮貞建親王の皇女であり、伏見宮貞建親王は霊元天皇を外祖父に持つ。即ち、霊元天皇の息女である福子内親王が伏見宮邦永親王との間になしたのが貞子が父である伏見宮貞建親王であり、そうであれば貞子もまた、霊元天皇の血を引いていた。
そのような貞子を将軍・家治に附属する年寄のそれも筆頭である高岳と誼を通ずるべく、使者にしようなどとは、霊元天皇の血を引く貞子の自尊心を踏みにじることにもなりかねない。
だが実際には貞子は重好のその依頼を快諾したわけで、それが久田縫殿助には信じ難かった。
「されば誰ぞ、奥女中にでも…、それこそ老女でも差し向けますれば良いものを…」
それが普通であった。
「いや、重好としては老女などではのうて、室を高岳へと差し向けることで、高岳の歓心を得ようと欲しているのやも知れぬ。いや、そこまでは書付には認められてはおらなんだが…」
しかし久田縫殿助は、そして岩本喜内も治済の見立て通りだと思った。
「それにしても斯様な頼みを快諾せしとは…」
久田縫殿助はしみじみとした口調でそう言った。
「いや、重好と貞子の鴛鴦ぶりは夙に知られておるからのう…、正に絵に描いたような夫唱婦随ぶりにて、その点だけは重好めが羨ましい…」
治済もまたしみじみとした口調でそう告げ、岩本喜内と久田縫殿助は反応に困った。それと言うのも治済が室である壽賀宮在子は明和7(1770)年に卒していたからだ。
「いや、貞子はその上で、大奥へと参るならば、身一人よりも御母上と共に、とも提案せしそうな…」
久田縫殿助は一瞬、何ゆえ貞子の実母をと、勘違いし、だが直ぐにそれが勘違いであることに気づくと、
「安祥院様を?」
治済に確かめるように尋ねた。
「然様…、されば安祥院はかつては大奥にて仕えていたからのう…」
安祥院は当初は江戸城西之丸の大奥にてその当時、次期将軍であった後の九代将軍・家重に附属する中臈として仕えており、その時はまだ遊喜と名乗っていた。
それが家重の手がつき、家重との間になしたのが重好であった。
そして家重が晴れて将軍として本丸へと移ると、遊喜も生後間もない重好こと萬次郎と共に本丸の大奥へと移ったのであった。
遊喜はその後…、家重歿後は落飾して今の安祥院と名乗り、日比谷御門外にある櫻田御用屋鋪にて暮らしていたが、今でも大奥にはそれなりの人脈があり、成程、貞子の提案も尤もであった。
「重好めもそれは尤もであると、近々、安祥院と貞子を大奥へと差し向ける腹積もりらしい…」
治済は苦虫を噛み潰したような表情でそう言った。
「さればこちらとしても大奥…、西之丸の大奥を引き締めておくべきやに…」
久田縫殿助がそう提案し、治済も同じことを考えていたので深く頷いた。
重好の動き、即ち、安祥院と貞子を本丸の大奥へと差し向けて年寄筆頭の高岳と誼を通じて清水家と大奥、それも本丸の大奥との結びつきを強めようとする重好のその動きは止められないにしても、治済が一子・家斉が次期将軍として鎮座する西之丸の大奥にはさしもの重好も手出しは出来まいだろう。何しろ西之丸の大奥は今や、全てが一橋派と言っても過言ではないからだ。
しかし、油断は禁物である。清水に寝返る輩が現れるやも知れず、或いは一橋派の顔をしながら、清水家と「二股膏薬」を決め込む輩が現れないとも限らない。
そこで久田縫殿助は西之丸の大奥を引き締めておくことを提案したのであった。そしてそれは治済も考えていたことであったのだ。
「いや、今は西之丸は一橋の天下にて…、何しろ家斉公が次期将軍としておわしますれば、それに富…、いえ、富の方様が西之丸の大奥にて目を光らせておりますれば…」
岩本喜内が楽天的な口調でそう言った。成程、確かにその通りでもあった。家斉が次期将軍として一橋家から江戸城西之丸入りを果たした際に、家斉の実母である富もまた、それに随い、西之丸の大奥入りを果たしたのであった。
富もまた、大奥に仕えていたことがあり、それゆえ今の大奥にもそれなりに人脈はあった。
もっとも富が仕えていたのは本丸の大奥であり、西之丸の大奥ではなく、そこに一抹の不安はあった。
「それに大崎と高橋が年寄として目を光らせておりますれば…」
これもまた岩本喜内の言う通りであった。大崎と高橋は西之丸の大奥にて家斉附の年寄として君臨していた。そしてこの大崎と高橋は一橋派であると自信をもって断言出来た。
そうであればその大崎と高橋が年寄として西之丸の大奥に目を光らせている限りは西之丸の大奥から「裏切者」が、即ち、清水家に取り込まれるような輩は出ないものと思われ、成程、岩本喜内が楽天的になるのも無理はなかった。
それでも治済は、「いや、油断は禁物ぞ」と岩本喜内のその楽天ぶりを戒め、喜内を「ははぁっ」と平伏させたものであった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
連合航空艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。
デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。
信長の秘書
にゃんこ先生
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。
それは、武家の秘書役を行う文官のことである。
文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。
この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。
などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。
満州国馬賊討伐飛行隊
ゆみすけ
歴史・時代
満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
三國志 on 世説新語
ヘツポツ斎
歴史・時代
三國志のオリジンと言えば「三国志演義」? あるいは正史の「三國志」?
確かに、その辺りが重要です。けど、他の所にもネタが転がっています。
それが「世説新語」。三國志のちょっと後の時代に書かれた人物エピソード集です。当作はそこに載る1130エピソードの中から、三國志に関わる人物(西晋の統一まで)をピックアップ。それらを原文と、その超訳とでお送りします!
※当作はカクヨムさんの「世説新語 on the Web」を起点に、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさん、エブリスタさんにも掲載しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる