今世は絶対、彼に恋しない

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本編

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 私とレヴォン様をパーティーへ招待した侯爵家当主の挨拶が終わり、ダンスの準備が始まる。
 私のペアであるレヴォン様はいつもと同じように、私に手を差し出した。

「私と踊ってもらえますか」

「お願い致します」

 私が彼の手をとると、彼はダンスホールへと移動し、音楽に合わせて踊り始める。
 重ねられた手を見つめながら踊っていると、斜め上から視線を感じそちらへ視線を向ける。視線の先には私が見上げている姿が映り込んだ、深い青の目があった。私と視線が絡むと、彼は目を細め優しく微笑んだ。
 その優しい微笑みを久しぶりに向けてもらえたことが嬉しくて、彼に微笑み返した。が、嬉しくてたまらないはずなのに、嫌な予感がするときと同じように胸のあたりがざわめいていた。

 彼の足を踏むことも失敗することもなく無事にダンスを終える。いつもダンスを一曲終えると彼には、誘ってほしいというオーラを出した女性たちが周りに集まるため、もう一、二曲踊りたい。他の女と踊ってほしくない。と思っていても、そんな私のわがままで彼を困らせたくないと思いすぐに礼をして離れる。
 なので今日も、いつも通り彼が誰かと踊っている姿を目にする前に離れてしまおうと、礼をするため手を離そうとした。だが、私が手を離そうとしたとき、彼が私の手を痛まない程度に強く握って、手が離せなくなった。

「……」

「……レヴォン様?」

 何も言わず、ただ私たちの繋がれた手を見つめたまま動かない彼に違和感を感じ、声をかける。だが、その声は届いているはずなのに、何か言いたげに口を開いて、すぐに閉じるを繰り返して何も話さない。
 もしかしたら、もう一曲踊ろうと誘ってくださるのかもしれないと期待する。いつもならすぐ離れてしまう手が、今は彼の方から引き止めてくてたことがとても嬉しい。
 そのはずなのに、私の心の半分は喜びではなく、焦りで埋め尽くされていた。焦ることなど何もないはずなのに、『違う』『手を今すぐ離さなければならない』という気持ちになっていた。
 いつもならただ喜んでいるだけのはずなのに、焦っている自分の感情が理解できなかった。

 何も話さないままでいるレヴォン様を見ていると、彼の後ろの少し離れたところに、あの忌々しい男爵令嬢がこちらを見つめたまま動いていない姿が見えた。
 すると先程よりも更に、『手を今すぐ離さなければならない』という感情が強くなり手を振り払おうとしてしまったが、かろうじて心の片隅に残っていた『離したくない』という気持ちがそれを止めた。


 何分、そのまま動かないでいるだろうか。体感では30分ほど経っている気がするが、実際は5分程度だろうか。
 そう考え始めたとき、次のダンスの音楽がまだなり始めていないことに気づく。普段ならもう、音楽が流れ始めていてもおかしくないであろうに。
 気を抜くと手を離してしまいそうになる身体に気をつけながらも周りを見渡すと、周りの者たちは、まるで人形になったかのようにピタリと動きを止めていた。さらに、今まで考え事をしていたために気づかなかったようで、音楽どころか話し声一つも聞こえてこなかった。
 気持ちが悪いと思った。
 私とレヴォン様だけが生きていて、周りの者たちが突然死んでしまったかのように思えて。

 彼の口はもう動いていなかったが、体は震えていた。せめて何か話して安心させてほしいと言おうと口を開くが、のどから声がでなかった。
 恐怖の感情が更に湧き上がり泣きそうになったとき、再びレヴォン様の後方にいる男爵令嬢が目に入った。
 先程とは何も変わっていないように見えたが、よく見てみると先程とは違い、恨むようなイラついているような視線を送っていることに気づいた。その視線は気に食わなかったが、彼女も私たちと同じように取り残された1人なのだと考えると、憎くて仕方ないはずの彼女に同情の念を抱いた。

 少し冷静になったとき、突然聞いた覚えのない、誰が言っていたのかもわからない言葉が頭の中に流れた。

『するべきタイミングが来ます。きっと』

 誰かは思い出せない。でも、なぜかその言葉は私を納得させて、意味もわかっている訳でもないのに、ああそうか。今じゃないのだと思った。

「……レヴォン様、きっと、今ではありません」

 根拠はないが、彼もなんとなくでも『今じゃない』と理解しているのではないかと思ったのだ。

「今はまだ、『するべきタイミング』では、ないのではありませんか?」

 私の言葉に反応した彼ははっと顔を上げ私を見つめると、少し考え、迷いながらもぎゅっと手を握り手を離した。
 手を振り払わないように力を入れ続けていた私は、ようやく力を抜けれたとほっとすると、手を離したあと振り返って彼女の元へと向かった後ろ姿を見つめた。
 周囲から、話し声が聞こえ始める。服が擦れる音、人々の歩く靴の音全て聞こえて一難去り、安心しているはずなのに、私の胸のざわめきはおさまらない。むしろ、先程よりも酷く騒ついて、心臓の音が速まり、まだ何か悪いことが起こる前兆のように感じた。



***



 暇だわ……と、1人ジュースを片手に壁際に立ちため息をつく。
 愛する婚約者はあの女の元に行った後、いつも通り他の令嬢たちともダンスを踊ったり話しているのだろう。会場を見渡せばすぐに見つけられるが、他の女性の相手をする姿を見たくもないので、探していないためどこにいるのかわからない。
 何より、私とのダンスが終わったあと真っ先にあの男爵令嬢の元に彼が向かってしまったことにムカついて、イライラして、他の者たちと話す気になど到底なれなかった。
 私の姿などほとんど見ずに立ち去った姿はまるで、私とのダンスは義務で仕方なくしていたのだ、と言われたように感じ、ショックも受けていた。

 そっと自分の胸に手を当てる。痛いからではなく、なぜか胸のあたりがざわざわして落ち着かなくて、気持ち悪いためだった。
 ドレスをシワにならない程度に握りしめて、気持ち悪さが早く落ち着いてくれるように願う。
 手に持っていたジュースを机に置き、下を向いて深呼吸をしていると、聞こえるたびにイラついてしまうあの声が耳に入った。

「大丈夫ですか?」

 睨むようにして声が聞こえた方に向くと、桃色の髪の男爵令嬢がこちらを見つめて立っていた。
 イラついて、胸の気持ち悪さもざわつきもさらに悪化したように思えた。

 全部あなたの所為じゃない。
 あなたが現れたから、レヴォン様は私に完全に興味を失った。あなたが現れてから、レヴォン様は変わってしまわれた。
 あなたがいなければ、あなたさえいなければ。

 私は衝動的に、目の前にいる少女に八つ当たりをしたくなり、近くにあったグラスを見つめた。
 そこには、私が先程まで飲んでいたほとんど無色のジュースが入ったものと、少し奥に赤いワインが入った数本のグラスが並べられていた。
 私は赤いワインの入ったグラスに手を伸ばし、掴む直前に動きを止めた。

 本当に良いのだろうか。
 これをしてしまえば、もう手遅れになってしまうのではないか。

 そう躊躇ったのだ。
 私はほんの少し迷った末に、一番近くに置かれたジュースのグラスを手に取った。

 してはいけない。
 これをしてしまえば、もう戻れなくなるのではないのか。

 その考えが抜けなくて、手が震えて、私はそこから動けなかった。
 でも、『してはいけない』という考えとは裏腹に、『しなくてはならない』という考えも浮かんで、私はそのグラスを傾けた。
 パシャり、とジュースが飛び散った。飛び散ったジュースは彼女のドレスにかかり、彼女は小さな悲鳴を漏らした。

「シェーヌ様、な、なぜこのようなことを……?」

「グラスを渡そうとしたら手が滑っただけよ。ごめんなさいね」

 彼女は濡れたドレスの部分を見つめ眉をひそめると、悲しそうな表情で私を見つめ問うた。
 私が嘲笑うようにして答えると、彼女は怯えるように体を震わせ、足を一歩後ろに引いた。すると、彼女は誰かにぶつかったようで、くるりと後ろを振り返り斜め上を見上げた。

「レヴォン様……」

 彼女はポツリと呟き、私はただ彼を見つめることしかできなかった。
 彼女と出会ってから今まで、ずっとそうだった。私が彼女に何かしたとき、必ず決まって彼が来る。私の味方としてではなく、彼女の味方として。

 見上げると、こちらをじっと見つめる青の瞳と視線がぶつかり、思わず下を向いてしまう。
 これでは私が悪いみたいじゃない、と思ったがすぐに、ジュースをかけたのは私なのだから私が悪いのは当たり前ではないのか、という思考に変わった。だかまたすぐに、いや私は悪くないのだと、自分自身に訴えかける。
 その思考を繰り返し、結局私は悪くないだろうと考えた。私が黙り込んでいる間、2人は何も話していなかった。
 もう一度視線を彼のもとに持っていくと、彼は先程と変わらず私を見つめていた。

「何があったの?」

 誰よりも先に口を開いたのは、レヴォン様だった。私に問いかける瞳は責めているようには見えず、ただ理由が知りたいだけという風に見えた。
 問いかけるときはいつも、私を軽蔑するような、責めているような冷たい瞳だったのに。

「……ジュースを彼女に渡そうとしてら手が滑り、彼女のドレスにかかってしまいましたの。先程謝罪したところですわ」

「……そう」

 彼は何か言おうとしたのか少し口を開いたが、すぐに閉じて俯いてしまった。その様子を眺めていたシュゼットは、ぐっと口をつぐむとイラついた様子を見せた。そして何も言わずに彼の腕をポンポンと叩くと、それに反応した彼ははっと顔を上げた。
 私のレヴォン様に気安く触らないで、と叫びたくなったが、その声は口から出ることなく私の体内へ吸収された。

「どこにかかってしまったの?」

「この辺りです」

「失礼するよ。……シミになってるね。別室で着替えようか」

「いえ、もう帰るので問題ありません」

 彼が彼女のドレスに触れている姿を見るだけで辛くて、悔しくて、彼の意識が私に向かないことを彼女のせいにして責め立ててしまいそうになった。
 どうせ彼は私を見ようとしない、私を気にかけもしない。なら、さっさと帰ってしまおう。
 そう思い私は話している2人に向かって礼をした。

「私にはこの後用事がありますので、失礼致しますわ」

 こんなことなら、レヴォン様とのダンスが終わってすぐに帰ってしまえばよかった。と、再び話し始めた2人を背に後悔した。
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