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第7話 Night Stalker (III)

Chapter-38

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「なんだよ、居間にいたのか」

 朱鷺光が、真帆子やイプシロン達を連れて家の中に入ると、弘介と淳志はリビングで寛いでいた。

「あの部屋禁煙だろ」

 ローテーブルの前であぐらをかいていた、淳志がそう言って、火のついたゴールデンバット・メンソール・シガーから口を離しながら、紫煙を吐き出す。
 タバコの紫煙が卓上空気清浄機に吸い込まれていった。

「まぁ、じゃあ、紹介しちゃうか。こっちの、ちょっとタッパのある方が埋田うめた淳志あつし

 朱鷺光が紹介すると、淳志は、火のついたままのタバコを灰皿に置き、立ち上がって、懐から警察手帳を取り出し、その身分証バッジを見せた。

「茨城県警の埋田です、よろしく」

 真帆子に対しては、淳志は真摯な態度でそう自己紹介をした。

「そんでこっちの固太りが、R.Series共同製作パートナーの長谷口はせぐち弘介こうすけだ」

 朱鷺光は、腕で指し示す方向を変えると、弘介を指して、そう紹介した。

「あなたは、R-2とR-3の関連映像で何度か見たことがあるけど……若い頃の姿、ですね」
「まぁ、俺も年の割には若く見られるけど、朱鷺光ほどじゃないからな」

 真帆子が思い出しながら言うと、弘介は真帆子と握手を交わしつつ、苦笑しながらそう返した。

「お前らな……」

 朱鷺光が、巫山戯半分にも憤ったような表情をつくる。

「シータ……は知ってるよな。よく似てるのが、R-3[FAY]。まぁ、ファイもそれなりにデータは公開されているはずだけど」
「ええ、見たことはあるわ」

 朱鷺光が、ダイニングエリアの方で並んで立っているシータとファイを紹介するように言うと、真帆子はその言葉を肯定するように返した。

「えっと、それで、こちらが……」
「ああ、そうね、名乗るのが遅れたわ。私が平城真帆子。ウィクター・ドーンドリア大学脳科学研究室の電子工学セクションに在籍しているわ」

 朱鷺光が、翻って真帆子を手で示すと、真帆子は自らそう自己紹介した。

「ふぅん、なるほど、あのナホって子のアバターにそっくりなわけか」

 弘介は、しげしげと真帆子を見てしまう。

「弘介さんまで、朱鷺光さんと同じことをしないでください」
「え? あら?」

 イプシロンに咎められて、弘介は気まずさで引きつったような苦笑を浮かべた。

「さて、詳しい話をするのはここじゃなんだな、俺の作業部屋へ移動したほうが良さそうだ」

 朱鷺光はそう言って弘介や淳志を先に行かせるようにして、別棟への渡り廊下へと向かいかける。

「ああ、ファイ、コーヒー頼むわ」
「了解しました」

 リビングから出て行きがけに、朱鷺光は、ファイを振り返って、そう言った。

 朱鷺光の作業部屋に入る。
 左手にR.Seriesのメンテナンスデッキと、NuBUSにシーケンサテスト用のボードが刺さったPowerMacintosh7100/80AVが置かれている。
 右手、入り口からはほぼ正面の位置に作業用PCが2台並んだOAローテーブルがある。
 そして室内の奥には富士通製GS21メインフレームと、PC用マザーボードを使っているとはいえ、大きめのサイドラックほどもあるLinuxサーバが鎮座している。
 出入り口の対角線上の方の壁面で、排熱用の産業用換気扇が回っていた。

「ここが……“ノイマンスタイルの呪縛”の本拠地ってこと……」

 一般住宅の見かけからは異様な内装に、真帆子は少し唖然としながら、そう言う。

「ノイマンスタイルの呪縛?」

 弘介は、そう聞き返すように言いながら、PowerMacのあるデスクに備え付けられた事務椅子の方に向かう。
 自分が腰掛ける前に、その奥からパイプ椅子を取り出した。

「ああ、イプシロン、頼む」
「はいはい」

 弘介が取り出したパイプ椅子を、イプシロンが受け取った。

「ハードウェア・ニューラルネットワーク派閥の連中が、疑似ニューラルネットワーク派閥、分けても俺に対して使う蔑称だよ。ノイマンスタイルプログラム内蔵型コンピュータからの脱却を遅らせてるってな」

 朱鷺光は、苦笑しながらそう答えつつ、自分のメインPCのあるOA座椅子にどっかりと腰をおろした。

「あ、真帆子さん、どうぞ」

 イプシロンが、先ほど受け取ったパイプ椅子を、朱鷺光の方に向かうようにして広げ、置いた。
 普段は取っ散らかしていることも多い部屋だが、今は、物が雑多にあるものの片付けられてはいる。

「よし、じゃあ、後は、おーい、コムスター」
「うん? ああ、新たなゲストが来たようだな」

 朱鷺光が呼びかけると、合成音声が人間らしい抑揚で、そう言った。

「R-0ね。平城真帆子よ。実ははじめましてじゃないのだけど、Webからはハンドルネームでアクセスしているから実質、そうなるかしら」
「なるほど、では私も、一応はじめまして、と言っておこう」

 真帆子が苦笑交じりに言うと、コムスターもそう応じた。

「で、何の話からして行こうか」
「さっきの話から、かしらね」

 朱鷺光の言葉に、真帆子はそう言った。

「さっきの話?」

 淳志が聞き返すように言い、朱鷺光と真帆子を交互に見る。

「自我を持つ人工知能は洗脳できるか、よ」

 真帆子が答えた。

「洗脳とは穏やかじゃないな」

 淳志はそう言い、表情を険しくした。

「ここで、洗脳の定義をふたつに分ける。ひとつは、人間同様に思考の偏りを植え付けること、政治思想とかな。もうひとつは、いわゆる暗示。特定の条件下で無意識下にある行動を取ってしまう類のものだ」

 朱鷺光は、手振りを加えながら、ひとつひとつ説明した。

「左文字博士としては、どういう結論なの?」

 真帆子が、朱鷺光に訊ねた。

「どちらも可能。前者は、実際にあった事例だからな。SNS上に公開された無垢なA.I.を過激思想に染めたり、オタク思想に染めたり」
「あったな、そんな話」

 朱鷺光が説明すると、事務椅子に前後逆に腰掛けた弘介が、呆れたような表情でそう言った。

「もうひとつも、うーんあくまでソフトウェア実装の疑似ニューラルネットワークのエンジニアとしての意見になるんだが、特定の情報の反復などを行ってフレーミングに偏りを生じさせ、それと言動を紐付ける──技術的にはそういう説明になるけど、早い話が人間、というか人間を含めた高等動物に対するものと同じ催眠暗示は充分に可能だと思う」

 朱鷺光はそう説明して、ふぅ、と軽くため息を付いた。

「とまぁ、俺としてはこういう意見なんだけど、フローウェア実装のハードウェア・ニューラルネットワークの場合はどうか、ひとまず私見を聞かせてもらっていいかな?」

 朱鷺光は、そう言って真帆子に訊ね返す。

「左文字博士ほどはっきりとしたことは言えないけど、おそらく可能だと思うわ。偏ったフレーミングの構成と言動の紐付け、これはフローウェア実装でも可能なことだわ」

 そこまで、真帆子は言っておいて、

「! ナホが催眠暗示を受けたっていうの!?」

 と、気がついて、驚いたように声を上げた。
 朱鷺光が、深く頷く。

 そこへ、

「コーヒー入りましたよー」

 と、ファイがそう言いながら、お盆に4つのコーヒーカップと、砂糖とスキムミルクの器を持って、入ってきた。

「この部屋、飲食禁止じゃないの?」
「いや、吸気フィルターはつけてるから大丈夫だしょーよ。ただしタバコはダメだけど」

 メインフレームやLinuxサーバにちらちらと視線をやりながら言う真帆子に、朱鷺光はそう答えた。

「でも、そんな面倒くさいことしなくても、人工知能ならプログラムに細工すりゃ簡単じゃないのか?」
「いや、そうでもないですよ」

 淳志が、よくわからないと言ったように言うが、それを、イプシロンが否定した。

「証拠が簡単に残ります。ソフトウェア実装の場合は特定の条件付をしたコードが残りますし、フローウェア実装でも不自然なフローの痕跡が残るでしょう」
「その通り」

 イプシロンの説明に、朱鷺光はコーヒーに砂糖とスキムミルクを落としながらそう言った。

「実際、オムリンに対してはそれやって、見事にコードを捕まえられたわけだ、が、肝心のナホにはその証拠が残ってないんじゃないかと思う」
「証拠が残ってない?」

 淳志が聞き返すと、砂糖だけ1さじ落としてかき混ぜていた、真帆子の手が止まる。

「ナホを使って別のコンピュータに悪意あるコードを送信し、然る後にナホが所有しているコピー元のコードは消去させる……まさか、R-1に対して?」

 真帆子が、朱鷺光に問いただすように言う。
 朱鷺光は頷いた。

「でも、催眠暗示はともかく、R-1に書き込むコード自体はシステム管理責任者じゃなきゃ持たせることは不可能なはずよ、ナホ自身が受け取ったんならともかく……」
「だから、が必要だった」

 朱鷺光は、険しい表情をしながら、コーヒーをひとすすりする。

「オムリンとナホを接触させたがってた、ナホのシステム管理者って言うな」
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