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退院

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 元々怪我なんかしてなかったから、検査したってボロなんて出なくて、とっとと病院から解放されることになり、俺はちょっとビビりながら、会計に行った。何気に豪華なあの二人部屋に五十日あまり、カードの限度額超えなきゃ良いけどな。
 しかし、俺たちの支払いはもう済んでいると言う。
「ええっ、済んだってどういうことだよ」
「支払いの方は全部櫟原さんの方に回すようにとここに書かれてますが」
びっくりした俺に、会計の女は事務的にそう答えた。俺は後ろにいた薫を振り返ると、
「武叔父様が」
と言った。
「社長が?」
「絵梨紗の……そう、絵梨紗の命の恩人なんだからって払わせるなって」
と、薫が答えた。だが、それはなんだか奥歯にものが挟まったような言い方だった。
「そりゃ、確かに助けたことには違いないんだろうけどさ、一つ間違ゃ轢いてたかも知んないし、たまたま運が良かっただけだ。それにそこまでしてもらう筋合いはないと思うけどな。だけど、突っぱねて金額聞くにもあの部屋じゃなぁ。ごくふつうの大部屋にしといてくれりゃ良いのに」
「う、うん、そうだね。じゃないと気、遣うよね」
俺の言葉頷く薫の返事は相変わらず歯切れが悪い。
「礼を言わなきゃと思うんだが、こんな個人的な事会社で言うわけにもいかないんだけどよ、電話で済ますのも失礼だし、お前5分でいいから時間取ってもらえるように頼んでくれねぇか」
「ううん、お礼なんて良いよ。叔父様がしたくてしてることなんからさ」
「そんな訳にはいかねぇだろ」
「気、気にしないで。あ、そうだ、鮎川明日ウチにくるでしょ? その時顔出し手もらうように言っとくよ」
「げっ、社長呼ぶってか?」
薫と一緒に闘うと言ってプロポーズした手前、俺が次に出社する前にとっとと薫の親に『結婚を前提にお付き合い』の挨拶をしとこうと言うことになったのだ。まぁ、一緒に聞いて認知してもらってる方が風当たりは弱いかもしれないが、父親だけじゃなくて、叔父さんまでに値踏みされるんかよ。頭痛ぇ……
「うん、武叔父様には早めに会っておいた方が、いいと思うのよ。そうよ、その方がダメージが少ないわ」
 その後、薫がつぶやくようにそう言ったのが聞こえた。

 それにしても、ダメージってなんだ? 受けるのは社長? それとも俺? 俺は、何だか分からないプレッシャーやら不安をひしひしと感じ始めていた。
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