稀代の魔術師(僕と先輩が帰った後)

神山 備

文字の大きさ
上 下
25 / 37

移動

しおりを挟む

 思いがけない話題を出されて、顔が強張る。反射的に体を起こした和彦は口を動かしはするものの、言葉が出ない。自分が何を言いたいのか、思考が追い付かないのだ。まず頭に浮かんだのは、血なまぐさい事態が起こったのではないかというものだった。
「安心しろ。表立って物騒なことになっているわけじゃない。むしろ――」
「むしろ?」
 鷹津は皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「気になるか?」
「気にならないはずがないだろ」
 取り繕ったところで意味はなく、正直に答える。少しの間沈黙したあと、鷹津は意外なことを口にした。
「俺は、長嶺を脅した」
「……本当に命知らずだな、あんた」
「いまさらだな。――電話越しだったが、それでもあいつが心底怒っているのは伝わってきた。さすがに寒気がしたが、まあ、仕方ない。俺なんかに煽られる、あいつが悪い」
 ここに来てから和彦は、賢吾だけでなく、長嶺組や総和会絡みの話題は避けるようにしていたが、今夜は気負うことなく触れることができた。そのタイミングが訪れたということだろう。一生触れないまま、ここにいるわけにはいかないのだ。
「俺は総和会という組織が昔から嫌いだ。ヤクザの生き血を啜るひるみてーなものだ。性質が悪すぎて反吐が出る。だからといって、木っ端の警官にできることなんてない。それは、組織犯罪対策の刑事になったあとも変わらなかった。気がつけば、俺もヤクザと生き血を啜り合う仲だ。俺はこの程度の人間なんだと納得していたが――……」
 意味ありげな視線を向けられ、和彦はベッドに座り直す。
「長嶺には、何度も警告していた。てめーのオンナを、総和会に近づけるなと。だがどうだ。あっさり取り上げられて、囲い込まれる寸前だった」
 鷹津の声にわずかに滲むのは、怒りだった。咄嗟に和彦は、鷹津の腕に手をかける。
「あの人の……、賢吾の立場の特殊さはわかってるだろ」
「お前のそういうところが、長嶺を調子づかせたんだ。だいたい、何もかもわかったうえで、ヤクザになったはずだ。大事なものを取り上げられたくなかったら、そもそも、お前みたいな人間を薄汚い世界に引きずり込むべきじゃなかった」
 ここまで言って鷹津は忌々しげに唇を歪めたあと、大きく息を吐いた。
「……ムカつくが、長嶺がお前を引きずり込まなきゃ、俺とお前が出会うこともなかった」
 後悔はしていないと鷹津は言い切る。
「お前のおかげで、俺の人生はけっこうおもしろいものになってきた。ヨボヨボのじじいになるまで退屈したくないが、そのためには、どうしたって長嶺には踏ん張ってもらわなきゃならない。お前が総和会の檻に閉じ込められると、俺が困るんだ」
「賢吾を脅したって、つまり――」
「総和会と、自分の父親を抑える目処がつくまで、お前を返さないと言った。お前の父親である佐伯俊哉が、資金やらなんやらと手を貸してくれたのは、やっぱりお前が総和会の手の中にあるのは困るからだ」
 和彦は、俊哉のことを考えた途端、胸苦しさに襲われる。膝を抱えると、鷹津は上着を肩からかけてくれた。自らの社会的地位を守るために、俊哉は立ち回っているという側面は確かにあるだろうが、それだけではない。佐伯俊哉という人間が抱えた闇は深く、その闇と同じものを抱えているのは、この世で守光だけなのだと、確信めいたものが和彦にはあった。
 血の縛りを愛す男と、血の縛りを厭う男が、駆け引きを繰り広げているのだ。
「――……お前の態度次第では、縛り上げてでも、ここから出すなと言われていたんだ」
「父さん、が?」
「他に誰がいる」
 多くを語らない間、鷹津が自分を観察していたのだと知っても、負の感情は湧かなかった。俊哉から何かしら任務を課されていたのは明らかだったし、実際のところ、鷹津は自由に行動させてくれたのだ。
「正直なところ、お前が長嶺のことを聞きたがらなかったのは、意外だった。他人の顔色をうかがうのが上手いお前のことだから、俺が機嫌を損ねると思って話題にするのを避けていた……というだけじゃないだろ」
 和彦はぐっと唇を噛むと、膝に額を押し付ける。
「和泉の家を出てから、ずっと不安だった。自分がどこに帰ったらいいのか、わからなかったんだ。佐伯の家は、ぼくが本当に帰っていい場所じゃないのはわかった。総和会はもっと違う。長嶺組は……。帰ったら、面倒が起きるのはわかりきってる。それでなくても、賢吾を難しい立場に追いやっているのに」
「最初にお前を難しい立場に追いやったのは、あいつだ。なんなら、お前をさっさと手放すこともできたのに、それをしなかった」
 怒りを押し殺すように、鷹津の声が低く掠れる。和彦がそっと顔を上げると、鷹津は真っ直ぐ正面を見据えていた。まるで誰かを睨みつけるように。和彦の視線に気づくと、決まり悪そうに顔をしかめる。
「……執着心ってのは厄介だな。ヤバイと頭ではわかっていても、手を引けない。もっと欲しいと思っちまう」
「本当にバカだ。悪徳刑事のままでいられたのに、辞めるなんて」
「おい。俺は長嶺の話をして――」
 途中で言葉を切った鷹津は、数拍の間を置いてからこう言った。
「帰る先が不安なら、ずっとここにいるか? 生活のことは心配しなくていい。俺がなんとかする」
 現実的ではない申し出だと、おそらく言った本人である鷹津もわかっている。和彦は小さく声を洩らして笑った。
「初めて会ったときのあんたに聞かせたい台詞だな、それ。ぼくのこと、養ってくれるのか」
「お前のことだから、いままで何人もから言われてきて、新鮮味もないだろ」
 和彦が、そっと鷹津の手を握り締めると、きつく手を握り返される。否定しないところが性質が悪いとぼやきながら。
「――お前の父親は、総和会会長より、その息子を扱いやすいと見ている。俺にしてみりゃ、顔馴染みの分、長嶺の蛇の尾なんて踏みたくないが、あっちはあっちで総和会会長と昔馴染みのようだから、気質をよくわかっているのかもな。なんにしても、同じ業界にいる父親に息子をぶつけるというのは、手段として正しい。俺たちは待つだけだ」
「待つだけ……」
「長嶺父子と佐伯俊哉の三つ巴だ。それぞれに面子があって、通したい要求がある。お前の身柄を抑えている分、佐伯俊哉が有利ともいえるが、その代わり、社会的地位が足枷となる。交渉にどうカタをつけるか、当事者のお前は気になって仕方ないだろ?」
 和彦はそっと嘆息した。
「弱っているときに、そんなことを聞かされなくてよかった。安定剤なしで、眠れる気がしない」
「今は?」
「……しばらくライトをつけていてくれ。さすがに今夜は、いろいろと考え込みそうだ」
 考える素振りを見せたあと、鷹津は再びベッドを出た。
「やっぱりお茶を淹れてきてやる。俺はコーヒーにする。――夜更かしにつき合ってやる」
 優しいな、と呟いた和彦は、微笑んで頷いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お持ち帰り召喚士磯貝〜なんでも持ち運び出来る【転移】スキルで異世界つまみ食い生活〜

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
ひょんなことから男子高校生、磯貝章(いそがいあきら)は授業中、クラス毎異世界クラセリアへと飛ばされた。 勇者としての役割、与えられた力。 クラスメイトに協力的なお姫様。 しかし能力を開示する魔道具が発動しなかったことを皮切りに、お姫様も想像だにしない出来事が起こった。 突如鳴り出すメール音。SNSのメロディ。 そして学校前を包囲する警察官からの呼びかけにクラスが騒然とする。 なんと、いつの間にか元の世界に帰ってきてしまっていたのだ! ──王城ごと。 王様達は警察官に武力行為を示すべく魔法の詠唱を行うが、それらが発動することはなく、現行犯逮捕された! そのあとクラスメイトも事情聴取を受け、翌日から普通の学校生活が再開する。 何故元の世界に帰ってきてしまったのか? そして何故か使えない魔法。 どうも日本では魔法そのものが扱えない様で、異世界の貴族達は魔法を取り上げられた平民として最低限の暮らしを強いられた。 それを他所に内心あわてている生徒が一人。 それこそが磯貝章だった。 「やっべー、もしかしてこれ、俺のせい?」 目の前に浮かび上がったステータスボードには異世界の場所と、再転移するまでのクールタイムが浮かび上がっていた。 幸い、章はクラスの中ではあまり目立たない男子生徒という立ち位置。 もしあのまま帰って来なかったらどうなっていただろうというクラスメイトの話題には参加させず、この能力をどうするべきか悩んでいた。 そして一部のクラスメイトの独断によって明かされたスキル達。 当然章の能力も開示され、家族ごとマスコミからバッシングを受けていた。 日々注目されることに辟易した章は、能力を使う内にこう思う様になった。 「もしかして、この能力を金に変えて食っていけるかも?」 ──これは転移を手に入れてしまった少年と、それに巻き込まれる現地住民の異世界ドタバタコメディである。 序章まで一挙公開。 翌日から7:00、12:00、17:00、22:00更新。 序章 異世界転移【9/2〜】 一章 異世界クラセリア【9/3〜】 二章 ダンジョンアタック!【9/5〜】 三章 発足! 異世界旅行業【9/8〜】 四章 新生活は異世界で【9/10〜】 五章 巻き込まれて異世界【9/12〜】 六章 体験! エルフの暮らし【9/17〜】 七章 探索! 並行世界【9/19〜】 95部で第一部完とさせて貰ってます。 ※9/24日まで毎日投稿されます。 ※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。 おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。 勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。 ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

髪の色は愛の証 〜白髪少年愛される〜

あめ
ファンタジー
髪の色がとてもカラフルな世界。 そんな世界に唯一現れた白髪の少年。 その少年とは神様に転生させられた日本人だった。 その少年が“髪の色=愛の証”とされる世界で愛を知らぬ者として、可愛がられ愛される話。 ⚠第1章の主人公は、2歳なのでめっちゃ拙い発音です。滑舌死んでます。 ⚠愛されるだけではなく、ちょっと可哀想なお話もあります。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

処理中です...