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53 馬車の中

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 翌朝、シリル達はリフテス王国より用意された数台の馬車に乗り、マフガルド王国へ向かった。

 リフテス城の豪華な馬車は全く揺れる事なく、静かに石畳を走って行く。
 先頭の馬車に乗るシリルは、窓の外を眺めて思いに耽っていた。

 昨夜あの後、シリルは朝までリラと過ごしたのだ。

 ……もちろん何もしていない。

 いや、キスはした。
 それはもう……今まで堪えていたぶん、何度もキスをした。

 けれどキスだけ、それ以上は……我慢した。

 するしか無かった。
 まだ、俺達は結婚していないのだ。
(モリーから我慢しろと言われているし……)

 朝になり、俺と離れたくない、一緒にマフガルド王国へ行くと言うリラに、待っていてくれと告げて……。

 本当は連れて来たかった。俺だって離れたくなかった。
 だが、それは出来ない。


 それに……。
 昨日、マーガレット様を連れ帰った後、リフテス王アレクサンドル様が話された事。

「シリル王子様、君とリラとの結婚の話だが、一度白紙に戻して欲しい」
「……えっ……」

 全てが終わったと安心し、マフガルド王国へ帰り、すぐにリラと結婚式を挙げるつもりでいた俺は、かなり動揺してしまった。

「君がリラを心から愛してくれている事を、私は嬉しく思っている。もちろん二人の結婚を私は認めたい。けれど、これまでとは状況が変わってしまった。貢ぎ物のように無理矢理送り渡した王女は、リフテス王国のたった一人の世継ぎとなった」

「はい」

 この時俺は、リラがリフテス王国の正統な王族、そして世継ぎとなった事を失念していた。

 アレクサンドル様の瞳の奥には、王としての威厳が感じられた。

「リラと結婚を望むなら、望んでくれるのなら……シリル王子様、あなたには、この国へ来る覚悟を決めて貰わなければならない。今は終わったとはいえ、これまでの両国における争いは、人と獣人との間に深い溝を作っている。それはすぐには埋まらないだろう。君はこの国に来る事で、嫌な思いをする事もあると思う。それでも、リラとの結婚を望んでくれるだろうか?」

「はい」

 心を決め、強い眼差しを向けた。
 リラと一緒になる為には、この国へ来ることになる、だが、俺がこの国に来ることに迷いはない。

 自分を見上げる様にして話すアレクサンドル様は、ただね、と目を伏せた。

「君はマフガルド王国の王子様だ。どんなに君自身が結婚を決めても、マフガルド王の許しがなければリラとの結婚は難しい。
もちろん、私からも二人の結婚を認めて欲しいと書状は送るけれど、あまり役には立たないと思う。
残念ながら私の悪名は君も知っているだろう? 今の私は、どこからも嫌われているからね……」

 アレクサンドル様は、書状などではなく自分が出向くべきなのだけど……と苦笑した。

 回復魔法をかけ、多少元気を取り戻しているとはいえ、リフテス王国からマフガルド王国までの馬車での長旅はアレクサンドル様にはまだ無理がある。

「降伏をしたリフテス王国の方から、一度渡した王女を返して欲しいと頼み、その上そちらの王子を婿にと願うのは、余りにも勝手が良過ぎるだろう」 
 と、アレクサンドル様は話す。

 確かに、側から聞けばなんとも都合のいい話だ。
無理矢理送りつけた王女を、こちらの都合が変わったから返して欲しいというのだから……。


「マフガルド王が結婚を許さなかったその時は……二人には諦めてもらうしかない」

 アレクサンドル様はとても辛そうに、声を落とした。

 俺がリラと一緒になりたければ、父上に許しをもらわなければならない。

 父上はリラの事は気に入っているが(会った事のない)リフテス王の事は嫌悪している。

 あの碌でもない話の所為だが……仕方ない。
 俺もそうだった。
 メリーナ様から話を聞き、本人に会うまでは嫌悪していた。

 しかし、結婚の許しは、何としても貰うつもりだ。
 俺はもうリラ以外見えない。

 ただ……一つ問題がある。

 マフガルド王国は、まだ世継ぎを決めていないのだ。ずっと第一王子カイザーが王太子だと思っていたが、違った。
 となれば、魔力も高く、珍しいとされる漆黒の毛を持つ俺が、世継ぎとして選ばれる可能性は極めて高い。

 これまでのマフガルド王は、そのほとんどが黒毛を持つ者だったからだ。

 俺が……マフガルド王国の世継ぎに選ばれてしまえば……。
 それを、断る事が出来なければ……。
 
 リラを諦めなければならないのか……。

 そう思うと居た堪れず、昨夜は一人で考えたいと、屋根の上で月を眺めていたんだ。


 まさかそこに、獣人の姿のリラが来るとは……。

 それにあんな事まで……。
 ああ、思い出すだけでたまらなくなる。


 シリルはいろいろと思い出し、表情をコロコロと変えながら尻尾をブンブンと振っていた。


『お前は面白い男だな、見ていて飽きない』

 シリルは話しかけて来た男をキッと睨み、尻尾を一振りした。

 シリルと同じ馬車にはメリーナと、あの箱に入った白い男が乗っていた。

「……話せなくしようか……」

『まぁ、待て。私はお前に教えてやる事がある』

「だから、何でお前は普通に話しかけてくるんだ!」

 シリルは苛立ちながら、白い男に指を向ける。
 鳴らそうとしたその時、リフテス城から一言も話すことのなかったメリーナ様が「教えてやるって何を?」と聞いた。

 仕方なくシリルは手を下ろす。

『白い男』は人を操り殺めることが出来、『クラッシュ』という組織を率いる、かなり悪い奴である。だが、長く生きているだけあって、物知りでもあった。

 シリルが閉じ込めた箱に入ってからは、特に抵抗する事もなく、恐ろしい雰囲気もなくなった。その上、話す声は不快感もなく、不思議と耳に入ってくる。『神』と云われるだけあり、何か人を惹きつけるものがあるのだろう。

 白い男は目を細め話し始めた。

『獣人と人がなぜ【番】となる事が許されなくなったのか、知っているか?』

「知らないわ、争っていたからじゃないの?」

 メリーナ様が言うと、白い男は片方の眉を上げる。

『獣人は人の倍ほどの寿命がある。ただ、人と繋がる時、ある呪文を唱えれば、その命を分け与えることが出来るのだ。ある時、番だった【人】に裏切られた獣人が、人と番えば命を吸い取られると言い出した。それが始まりだ』

「たった一人が言い出した事なの?」

 驚き聞くメリーナ様に、白い男はフッと笑う。

『何事もはじまりは小さな事だ』
「……そんなの知ってるわ」

 プイとメリーナ様は頬杖をつき横を向いた。

『獣人は、番えば相手は生涯一人に定め、他の者には目を向けないが、人は全てがそうとは限らない。
昔、人の中に狡賢な者がいた。何人もの獣人を愛するふりをして、その相手から命を分け与えてもらい、長い時を生きたのだ。
私は獣人だ。分け与える側であったが、人のように命を手に入れる事が出来るのではないかと考え……出来るようになった』

「手に入れる?」

『リフテスの王子、王女であった者達がどこに消えたか知りたくはないか?』

 その時の白い男の笑みは、背筋が凍るほど冷たく恐ろしい感じがした。

「まさか……お前が?」
 そう聞いたシリルを、白い男はジッと見つめる。

『所詮は私が与えた種から生まれた子だ。その命を私の物とすることは容易い。あれらの残りの寿命は全てもらった。
今回は腹の中の子を入れ全部で十人、まぁ、ザッと七百年程は生きながらえる』
 白い男は口角をあげる。

「……やっぱり嫌な男」

 メリーナ様はそう言って、窓の外を眺めた。

 話終え満足したのか、白い男は箱の中で目を瞑り何も語らなくなった。

 シリルもまた、外を眺める。

 なぜ男は急にこんな話をしたのだろうか?
 自分は長く生きると自慢したのか?
 ……よく分からない奴だ。

 そもそも、こんなに急いでマフガルド王国へ帰る事になったのはこの男のせいもある。

 王を操っていた者を、いつまでも近くへ置いておけない。リラも操られてしまったし。

 それに、こいつは元々マフガルド王国の者だ。
『クラッシュ』は未だ存在していて、『神』であるこの男を取り戻しに来る可能性も高い。

 ……リラ……。
 まだ離れて一日も経っていないのに、俺は君に会いたくて仕方がない……。

「リラ……」

 外を眺め切なく呟くシリルに、メリーナは優しく言った。

「シリル、リラと結婚したければ、ゼビオス王に何としても許しをもらうのよ。それから、魔法を学びなさい」
「魔法?」
「そうよ、その為に『ルル』をリフテス王国へ置いて来たんだから」
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