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30 思い出した、あの夜

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 翌朝、宿にある食堂のテラス席で私達は朝食をとっていた。

 国境近くのこの宿には、獣人と、少人数だがリフテス人も泊まっている。
 宿の朝食は、各々好きな席に座るスタイルだ。

 私達はなるべく目立たないように、端の方に席を取ったのだが、それは何の意味も持たなかった。



 朝の光を浴び、優雅な仕種で食事をとる、シンプルな白いシャツと黒いトラウザーズ姿のメイナード様。

 白く長い獣耳は、彼に可愛らしさを足していたが、今、それはない。

 それはシリル様達も同じ。昨夜、ルシファ様の魔法で姿を変えたからだ。
 獣耳と尻尾の無い彼等は、リフテス人としか見えない。

 だからなのか、昨夜、宿に入るまでは獣人の方を見向きもしなかったリフテス人達も、ヒソヒソと話ながら、三人を覗き見ている。


「見た目だけで、こんなにも態度が変わるのね」

 リフテス人の反応に、ラビー姉様はちょっと呆れ顔だ。

「それは獣人も変わらないんじゃない?」

 そう言ったメイナード様は、彼女達からの視線も気にする事なくフォークを口に運んでいる。

 ……違った、メイナード様は、しっかりと意識して食事をしていました。

 パクッとフォークを口に咥えたメイナード様は、そのまま麗しい赤い目を、女性達の方に向け細めている。

「きゃっ!」という小さな歓声をあげる女性達。
「目が合ったわ、声掛けちゃう⁈」

 そんな話し声が聞こえて、ふふっと嬉しそうにメイナード様は笑っていた。

「メイナード、ダメだからね」

 横に座るルシファ様がお茶を飲みながらメイナード様に注意をする。

「分かってる、でも見られるのは仕方ないだろう?」
「そうじゃない、僕達の知らない所で『挨拶』しないでと言ってるんだよ」

(挨拶? 声をかけちゃダメって事かな?)
 なんて思いながら、二人の会話を聞いていた私の考えは間違っていた。


「軽くもダメ?」

 クスッと笑みを浮かべるメイナード様が、指を唇に当てトントンと軽く叩いて、キスの事だよ、と私に教えてくれた。

「ダメ、獣人とは違うんだから、本気にされるよ?」
「……そうなんだ、本気になられたら困るね。じゃあ諦める」

 メイナード様は、女性達に小さく手を振ると、カップを手に取って遠くを眺めながらお茶を飲んだ。
 その姿にも、熱い視線が送られている。

 今朝のルシファ様は、いつもはそのまま下ろしている淡い金髪を、後ろに流し固めている。少しだけ溢れている前髪が気になるのか、片手で髪を後ろへ掻き上げながらカップを口に運ぶ。

 ルシファ様の事も、同じようにリフテス人の女性達は見ている。が、ルシファ様は一向にそちらを見ない。彼が見ているのは今、テーブルの上に置いてある紙。
 それには、リフテス王国へ持ち込める物が書かれていた。

 私の前に座っているシリル様も、今朝は髪形が違う。いつも下ろしているギザギザの長い髪は、後ろで一つにまとめ、前髪もすべて後ろへ流している。そうしていると、彼の秀麗な顔立ちがよく分かる。
 そう……シリル様はカッコいい。

 そんな彼に向け、分かりやすく目配せをしてくる女性もいるが、シリル様は気にかけてもいないようだ。
 気づいていない……事はないよね?


 シリル様を見ていた私の耳に、ラビー姉様が小声で話しかけてきた。

「リラ、気をつけないと、シリルもかなりの女性達から見られているわよ」
「はい」










 朝食を終え、私達は部屋に戻った。
 荷造りを始める前に、シリル様がラビー姉様に防御魔法をかける事になった。

「じゃあ、俺が呪文を唱え出したら、ルシファはラビーの髪を一房手に取って、キスをしてくれ」

 ラビー姉様の前に立ったルシファ様が頷くと、シリル様は呪文を唱え出した。

 髪にキスをする事で、ルシファ様以外の男性が邪な気持ちでラビー姉様に近づけば、防御魔法が作動する。

 ルシファ様が、ラビー姉様のピンク色の髪を一房手に取ってキスを落とす。
 ラビー姉様はとても嬉しそうに頬を染めている。


 囁くようなシリル様の声。
 聞き覚えのある防御魔法の呪文。



 ……あれ?


 シリル様の声と、髪にキスを落とすその光景に、何か…………見覚えが……。



 あの夜。

 そうだ……!
 私もシリル様にこうやって、防御魔法をかけて貰った。

 確か、私はシリル様の尻尾を抱きしめていて……。
 囁く声が聞こえて顔をあげたら、彼が髪にキスをしていて、どうして髪にするの? と思って……。

 ああ、今はお酒の匂いがするからかなぁって思った私は、あの時頼んだ。

『明日、キスして下さい』

 するとシリル様が……。

『ああ、必ず』って……。




 うわあああっ!



「どうしたのリラ? 顔が赤いわよ⁈   まさかルシファが私の髪にキスするのを見て照れているの?」
「えっ、は、はい。それと……」

 チラリとシリル様に目を向けた。
 シリル様は優しい笑みを浮かべている。

 あの朝、彼の距離が近かったのは……キスをしようと、してくれていたの?

 私が頼んだから、彼は約束を果たそうとしてくれたんだ。


 それなのに忘れていて……。


 ああ、私のバカッ!

 何で今頃思い出すのっ!



「どうした? リラ?」

 スッとシリル様の手が、私の頬に添えられた。

「具合でも悪いのか?」

 そう言って心配そうに顔を寄せるシリル様。

「ん?」
「具合は悪くありません……シリル様、私」

 思い出しました、キスを約束した事。あの夜の事!

 彼の袖を握り見つめていると、シリル様の顔がそのまま近づいてきた。

「リラ……」

 いつもより甘さのある声で、名前をよばれた。
 今、私達の距離はすごく近い。


 これは……このままキスしちゃう?


「じゃあ早く出発しよう! 今日はリフテスへ入らないと行けないからね」

 荷物を手に取りながらルシファ様が言った。

 その声にハッとして、私はシリル様を掴んでいた手を離した。シリル様も同じく、私の頬に添えていた手を離す。

「もう! ルシファ、今いい感じだったのよ!」

 始終見ていたらしいラビー姉様が、ルシファ様の服を引っ張り、目で訴えた。

 ルシファ様は、私達を見てあっ、と申し訳なさそうな顔をして謝った。

「ごめんシリル兄さん。邪魔しちゃったね……」
「い、いや大丈夫だ」


 そう話すシリル様の耳は赤くなっていた。
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