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それでも

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「まあ!シャル様、お父様を呼び捨てにしてはなりません」
 
 シャルに向けて侍女が言った言葉を、エスターは冷酷な視線で止めた。

「シャルが僕をどう呼ぼうと構わない、彼女は僕の妻なんだ、それに僕は父親ではない」

冷たく低いエスターの声に、侍女はひっと息を呑んだ。
こちらから問いかけなければ、話が出来るはずはなかったのだ。

「……どうして⁈  お茶は……薬は効いていないの⁈ 」
そんな筈は無い、と入れたお茶を確かめている。

「薬? ああ、このお茶に入っているヤツか」

 まだお茶の残るカップを手に取ると、クッと全てを飲み干した。
喉の動きを見ていたシャーロット令嬢と侍女は、ふっと笑みを浮かべる。
今度こそ、そう思っていたのだろう。

カップを置くと、エスターはスッと立ち上がり、二人を見下ろした。彼の青い目は、見るものを凍てつかせる様な鋭い光を放っている。

「竜獣人に、こんな薬は効かない」

それを聞いた二人は唖然とした。

「そんな……でも……他の者は」

エスターがジェラルド達を見れば、皆はニコリと笑みを浮かべていた。
「効いているんじゃない? 飲んでいれば」
皆のお茶は少しも減ってはいなかった。はじめから誰も( エスター以外は )飲んでいなかったのだ。


シャーロット令嬢と侍女は、目を丸くして固まっていた。
「どうして? 皆飲んでいるように見えたのに……」
シャーロット令嬢は分からないと首を傾げている。

「僕はねシャーロット・バート侯爵令嬢、ずっとあなたに嫌われていると思っていたんだ。けれど、違うと皆が言うんだよ」

はっ?とシャーロット令嬢は驚き、叫んだ。

「きっ嫌いだなんて! 逆ですわっ、私はずっと貴方をお慕いしていましたのにっ!」

「うん、そうらしいね」
エスターは冷たく言い放つ。

「今だって……私は貴方が好きなんです。シャル様だって私に母になって欲しいと言っておられますし」
「君は何を言っているの?」
「だから……」
「それはシャルの本当の言葉じゃない、君達が暗示をかけたんだろう?」

エスターはシャルの側に行き、片腕に抱き抱える。
彼女の柔らかな髪を梳き、愛おしそうに見つめた。

「僕の大切な人に、変な暗示をかけないで欲しいな」

そう言うと、何かを呟いてシャルの目元にキスを落とす。途端にシャルは表情を取り戻した。

「エスター……」
シャルの声を聞いたエスターは、安心したように微笑む。

「もし、彼女が本当にこのままの姿がいいと言うのならかまわないけれど、それでも僕が君を好きになる事はない」

「そんな事……男性なら私に惹かれないはずはありません!」
自信を持ち言い切ったシャーロット令嬢の横で、侍女も大きく頷いていた。

椅子に座っていたダンが、令嬢を見てうーん、と首を傾げる。
「……そんなの好みの問題だろ? 俺はあんまり胸の大きい女は好みじゃないんだよな、それより脚だな。スラリとした細すぎず、太すぎない太腿から尻にかけてのラインがたまら」
ドンッ! 話の途中で、ダンの脇腹にクレアの拳が入った。
「ふぐっ……クレア……」
「あなたは黙っていて」
「はい……」


 そんなやり取りを見た後で、エスターはバート侯爵令嬢に冷たい目を向けた。

「シャーロット・バート侯爵令嬢は、僕と結婚したいとそれだけの為にこんな事をしたのかな」
「…………」

令嬢はエスターを見つめたまま何も語らない。

「実はね、昼に『返し草』は届けられたんだ。君の父上、バート侯爵がね、何度も頭を下げて謝られた。君の部屋に『返し草』が隠してあったと言われてね、砂糖を贈ったのも分かった上でやった事だろうと泣いておられた」

「お父様が……泣いて?」

信じられない、とシャーロット令嬢は目を見開いて首を振る。

「知っていたかな?『時戻り草』は本来高齢の者が使うんだ。その使用量によっても何歳戻るか変わる。今回は十一歳も戻った、これがもし、彼女の歳以上の量だったらどうなっていたと思う?」

エスターは低く冷たい声で令嬢に聞いた。

「……さあ、赤ん坊にでもなるのかしら」

 不貞腐れた様に言ったシャーロット令嬢と侍女に、エスターは射殺すような視線をむける。

「そうだよ」

 初めて聞いた彼の怒声に、シャーロット令嬢と侍女は凍ったように動けなくなった。

「魔獣の出るこの国で、これを使われたらどうなるかわからないのか? 何も知らず服用した後外に出て赤ん坊にでもなってみろ、運良く助けてもらえればいいが、それでなければ人に攫われ売られるか、魔獣に食い殺されるかだ。たまたまシャーロットは家の中で子供になったが、それでもだ!危険がないとは言えないんだぞ!」

今更ながら知った事に令嬢は狼狽え、首を横に振りながらガタガタと震えた。

「そんなの……これは……違う、これを考えたのは侍女だものっ! 私ではないわ、私は悪くないっ!」

「君も共犯だろう!人のせいばかりにするな!」

シャルを抱いたまま声を荒げるエスターを、シャーロット令嬢は潤んだ瞳で見つめる。


「……だって」

茜色の目から一筋の涙が溢れ落ちた。

「だって、エスターあなたが悪いのよ」

思っても見ない言葉に、エスターは目を丸くする。

「僕が? どうして」

「いつも……私を熱く見つめておいて、優しい言葉をかけて、抱きとめて、私をこんなに好きにさせておきながら……どうして⁈ どうして私じゃない『シャーロット』と結婚するのよ!」

「……は?」

「おかしいわよ、ずっと見てきたのよ……私はずっと貴方だけを好きでいたのよ! 貴方だって私を好きだから見ていたのでしょう⁈  」

「いや、そんな事は」

「見ていたわ!いつも私を……熱を孕んだ目で見てた、この家でも、常に見ていたじゃない‼︎ 」

「……み、見てない」
( いや、見ていたがそんな目では見てない……)

 おかしな状況になり、助けてくれと目を移すと、何故か皆、エスターを責めるように見ていた。
( なぜだ? 僕が怒っていたはずなのに…… )

唖然とするエスターに、シャーロット令嬢はさらに言った。

「見ていたわっ! 私の胸を欲しそうに見ていたわっ!」

( 胸を欲しそうってなんだよ!)

「違う! 君が怪しいと思って見ていただけだ!胸は好きだけど見ていない!」

その時、抱かれていたシャルに「下ろしてください……」と何故か冷たい口調で言われてしまった。
仕方なくおろすとシャルはテクテクとドロシーの元へ歩いていく。

「違う……シャーロット、僕は君しか好きじゃないんだ」
シャルに向かって言うエスターに、ニヤニヤ笑いながらダンが話す。
「どっちのシャーロットだよ」
「ダン!余計なこと言うな」
エスターに怒られたダンは、ククッと笑い肩を揺らしていた。


 おかしくなった状況を直す様に咳払いをしたエスターは、話を仕切り直した。

「……とにかく、シャーロット令嬢あなたはやってはいけない事をしたんだ」

 扉の方に向かって「入って来てくれ」と言うと、扉が開き、騎士ノアが入ってきた。

「ノア……あなた、何でここにいるの?」

「叔父さんに頼まれて君を迎えに来たんだよ」
「迎え?」
「叔父さんは君や僕の代わりに罪を償うと騎士団本部に向かわれたんだ」

「私の代わり……罪?」
「『時戻り草』は一般に禁止されている物ではないよ、ただ、やり方がよくなかった。君は叔父さんにも暗示をかけていたんだろう? この家に来れるように」

ノアは悲しそうな目でシャーロット令嬢を見る。
「シャーロット、君は俺も利用したのか?」
悲しみと諦めの入り混じる声で従姉妹に問いかけた。
「……そうかもしれないわね」
「どうして……」
「あなたが騎士だったからよ、それとその赤い髪の色ね」
「髪の色?」
「騎士ならこの家の者達も疑うことはないでしょう? それと、あなたのキレイな赤い色の髪。見ようとしなくとも自然と目に入るわ。あの日、どうしてシャルは一つだけ入っていた赤い薔薇の形の砂糖を選んだかわかる? 薔薇の形の物は他の色もあったでしょう? それでも無意識のうちに彼女は選んだのよ、印象に残っていたあなたの髪の色をね」
ふふ、とシャーロット令嬢は遠い目をして笑う。

「でも、あなたがいる時に砂糖を勧めたのは偶然に過ぎないわ、まぁ、その日でなくともいつかは使ったでしょうけど?」

「シャーロット様を最初から狙ったのか?」

「そうよ、エスター様が使うわけないじゃない。砂糖を入れるところなんて、私は一度も見た事がないもの」

「シャーロットなんて事を……君はそんな事をする様な人ではなかっただろう? いつだって穏やかで、ずっとマリアナ王女様を支えてきた素晴らしい人じゃないか」


「私が? マリアナ王女様を……? 支えてなんかいない! 押さえつけられていたのよ! 私だって彼を好きだったのに、あの人はそれを知っていながら、いつだって見せつけて、私からは声をかけることさえ許されていなかったのよ……」

 ぐっとドレスを握りしめる彼女の肩や手は、小さく震えていた。

「だから王女様が居なくなって、やっと自由に気持ちを伝える事が出来ると思っていたのに、エスター様は結婚してしまった……だから……どうして……私じゃダメなの? シャーロットなのに……同じ名前なのに……ドレスだって入らなかった。何で?」

どうして?なぜ? とシャーロット令嬢はぼろぼろと泣きながらエスターに尋ねていた。

「それは君が『僕のシャーロット』ではないからだ」

その言葉を聞いてさらに泣き崩れる彼女を見ても、エスターは表情を崩す事はなかった。

侍女はシャーロット令嬢を抱きしめていた。
「ごめんなさい、私が悪かったのよ」と母親の様に背中を摩りながら……

 ノアと侍女がシャーロット令嬢を抱き抱えて連れて行こうとしたが泣きじゃくる彼女を動かせず、ダンも一緒になって抱え何とか馬車に乗せた。
出発の間際、侍女は皆に向けて深々と頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。全ては私が企てた事、お嬢様は私に唆されただけでございます。全ての罰は私が受けます」

 シャーロット令嬢と侍女は、ノアと共に侯爵邸へと帰って行った。





 侯爵家へと帰る三人を乗せた馬車を見送ると、エスターは静かにシャルに言った。

「後の事は侯爵に任せるよ。僕には彼女達を裁く事は出来ない、今回の事は公の罪には問われないからね。それに、バート侯爵は僕に謝罪している。シャーロットそれでいい?」

「はい」
シャルが頷くと、エスターは彼女を抱き抱える。

「皆も、いいね」
「はい、シャーロット様がよろしいのなら構いません」
ジェラルドの返事に皆も頷いた。

「じゃあ、シャルは今から僕達の部屋へ連れて行く、ああ、クレア『返し草』のお茶は用意してくれている?」

「はい、言われた通りに」

「ジェラルド、分かってるね」
「はい、既に騎士団の方には連絡しております」
「ドロシー、三日だから。絶対だよ」

「はい……」
ドロシーは憐れみの入り混じった顔でシャルを見ていた。

 何を皆が話しているのか、どうしてドロシーがそんな顔をするのか、全く分からないシャルはキョロキョロとしている。


 エスターに抱えられたまま部屋へと入ると、ポスっとベッドへ下ろされた。
直ぐ隣にエスターが座る。

「シャル……」

 なぜか子供に言う時の優しい声ではない、少し低い声でエスターは話す。

「はい……」

「僕ね、知っているんだよ……」
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