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馬車の旅は快適だ。舗装されていない地面の上は揺れるけど、おれは乗り物酔いはしない質だ。
ロベルトさんは同じ馬車に乗っているけど、侍女さんトリオはなんと乗馬だった。横乗りじゃなくて、ちゃんと跨っている。スカートに見えていたけど、キュロットだったみたい。
ミカエレさまはもとより騎士団の皆さんももちろん騎馬で、彼らは剣帯している。あ、アントニオさんも混じってる。ロベルトさんももちろん乗馬できるので、馬車が必要なのはおれと荷物だけだ。ん? 俺がお荷物なのか?
窓から外を見ると、扉の横を走っていた騎士団長さまが、ニヤリと笑った。
「ハリーさま、お着替えなされたのですね」
「万が一の時は、身軽な方がいいですから」
事前の打ち合わせで、おれは市街地を抜けたら着替えることになっていた。トラブルが起きた時、草履では足元が不安定な場合がある。また、賊に襲われたとき、和服姿では標的になる。馬車の中に服が用意してあって、ささっと着替えた。着るのにはある程度の広さが必要だけど、脱ぐのは座席に腰掛けたままでも出来る。
絹のシャツブラウスにベスト。動きやすいズボン。靴は編み上げブーツで足首がしっかり固定されている。どれも新品ではないけれど、丁寧に手入れがされていて、大事にされていたのがわかる。腰に小さなナイフが下げてあるけど、護身用ではない。下手に振り回したら怪我をするに決まっている。遭難時、足元の草を払うためのものだ。でも遭難なんか、するんだろうか?
昼の食事休憩と、十五刻ごろに馬のための休憩を取ると、順調に旅程は進んだ。王都に上る時は立派な旅籠に泊まったけれど、今度は地元の領主館だった。
ジーンスワーク辺境伯爵領の住まいは、館じゃない。防衛の要で砦を兼ねた岩城で、いざと言う時は領民を収容できるほどの規模を誇る。辺境騎士団も常駐しているので、華やかさとは無縁だ。もっとも住人の顔面は華々しい。
普通の領主館はもっと平べったいんだって。
十五刻の馬休憩のとき、地元領主の遣いがやって来た。ジーンスワーク辺境伯爵領へ帰領する異世界の華姫の噂を聞きつけて、招待されてしまったのだ。ミカエレさま、騎士団長とロベルトさんが協議して受けることにした。
王都へ上る際に泊まった旅籠に一旦部屋を借り、身なりを整える。いや、もう、このままお泊まりで良くない?
ここの領主は人の良さは折り紙付きらしい。ただ、人が良すぎて騙されやすく、今まで相当な詐欺被害にあっているとか。それ、領主にしといていいの⁈ 領民は大丈夫⁈
ロベルトさんと侍女さんトリオに手伝ってもらって、るぅ姉に持たされた小紋を着る。付け下げじゃなくていいのかと思ったら、まずはご挨拶を受けて(俺が受ける方!)それから晩餐用に着替えるそうだ。だったら服でいいじゃん。
館に着いた。バッキンガム? ベルサイユ? よくわからないけど、キラキラしい平屋建てだった。なるほど、平べったいとはこう言うことか。
迎賓室らしき部屋に通されて、領主の挨拶を受ける。領主のハイネン子爵はホントに人の良さそうな人だった。湯気の出そうな禿頭につるんとしたほっぺ。ふくふくしたお腹。リアルハンプティ・◯ンプティ!
ニコニコ笑って婚約したことへの祝辞を述べ、急な招待の非礼を詫びて来た。誠実さしか感じられず、だからこそ、空気が読めない人物だった。
「我が娘はとても歌が上手なのです。ご婚約の祝いに、ぜひ歌の贈り物をさせていただきたい」
うーん、それは受けてもいいのかなぁ?
ちらりと側のミカエレさまに視線向けると、彼は鷹揚に頷いた。おれは王太子さまの婚約者だから、お嬢さまはミカエレさま狙いなんだろうか? それはともかく、俺が祝いの歌を受けるのは、害がないと言う判断なんだろう。
結論、ただの親バカでした。
付け下げに着替えて晩餐に出席し、その後場所をサロンに移して歌を聴くことになった。サロンにはピアノに似た鍵盤楽器が置いてあって、傍に家庭教師っぽい妙齢の女性と、十二、三歳の女の子がいた。俺の感覚で十二、三歳だからもっと小さいかも、と思ったら九歳だって。もう二十一刻だよ、寝かせてあげなきゃ。
娘さんの売り込みじゃなくて、ホントに娘自慢だった。メアリーちゃんの顔のパーツはパパ子爵さまにそっくりだった。白いふるんとした肌、パッチリしたお目々。ハイネン子爵は痩せればイケメンだと思う。そしてメアリーちゃん、そのまま大人になったら、モテモテだと思う。太るな、頑張れ!
やっぱり家庭教師だった女性の伴奏で歌い始めたメアリーちゃんは、天使の歌声だった。ウィーン少年合唱団! ⋯⋯女の子だけど。
これは自慢したいよね。
「とても素敵なお歌でした。ありがとう」
もっと拍手とかしたいけど、気品がどうのでダメなので、せめてもの気持ちで、髪に飾った小さなUピンを外してハンカチに乗せた。Uピンはるぅ姉のハンドメイドで、端切れで作ったつまみ細工の花が付いている。つまみ細工はこの国にはない工芸だし、小さなお嬢さまに宝飾もなんなので、ちょうどいいかと思ったのだ。
心得たように控えていたカナリーさんが、ハンカチごとメアリーちゃんに渡した。メアリーちゃんは感激したように目を輝かせて、満面の笑顔で礼を言った。
「華姫さまにお歌を聴いていただいただけでもうれしいのに、こんな素敵なお花の髪飾り、ありがとうございます!」
元気があって良い。
子供にとっては遅い時間なので、それからすぐにメアリーちゃんと家庭教師さんは下がっていった。子爵は目を細めてふたりを見送ると、俺に向かって改めてUピンの礼を言った。ばあちゃんちにあった大量の端切れとその辺の針金で作ったUピンは、子供ちゃんには程よいプレゼントだと思ったんだけど、そんなにお礼を言われるものでもない。
「とても可愛らしいご令嬢ですね」
ホントに可愛かったので褒める。社交辞令とか苦手だから、ホントに可愛くて助かった。
「母親がいない分、わたしが愛してやらねばと思うと、つい親バカになってしまいまして」
親バカオッケー。おれ、馬鹿親はダメだけど、親バカはアリだと思ってるから。親がいちばんに愛してやらなくてどうすんのってのが、母さんの口癖だったし。
それにしても、奥さん亡くなってたのか。娘は紹介するのに領主夫人が出てこないなぁって思ってたら、そう言うことか。
「あの子が生まれて二月ほどでしょうか? ある日突然いなくなってしまいまして。代々の宝飾を手入れに出すと言って出かけたまま⋯⋯。手を尽くして探しましたが、宝飾のことを聞きつけた盗賊にでも襲われたのか⋯⋯」
それ、絶対結婚詐欺ーーッ! 持ち逃げされてるーーッ! ぶっ込んで来たな、オイ!
ミカエラさまも同じことを思ったようで、艶やかな美貌を引きつらせている。だって盗賊に襲われたなら、何かしら痕跡が残るでしょ!
憂い顔のハンプティ・ダ◯プティは、影があってちょっと男前だった。丸いけど。まだ愛してるんだなぁ、そんで忘形見のメアリーちゃんが大切なんだなぁ。
フォローのしようがない。
「最悪の姿で見つかってはいないのです。希望は捨てていませんよ」
遺体が見つかるまでは諦めない、健気だ⋯⋯だけどアホだ。いい人すぎるってこう言うことか。
暖かい歓迎を受けて心が温まったはずだったのに、なぜか冷え冷えとした気持ちでサロンを後にした。みんなも心なしか疲れた顔をして⋯⋯旅の疲れだよねッ。
ハイネン子爵は居心地のいい部屋を用意してくれた。心遣いが行き届いた「おもてなし」な空間だった。冷たい水はレモンの香りがするし、ベッドは温められている。ホントにいい人だよ。
高級旅籠並みに快適に一晩を過ごして、俺たちは朝食のためにダイニングに集まった。部屋に用意も出来ると言ってくれたけど、手間をかけさせるのも悪いので、こちらが出向くことにした。
メアリーちゃんはデビュー前なので、お客さまとの食卓につけないけど、おれが無理を言って一緒にしてもらった。いつもパパ子爵と食べてるのに、おれがいるせいでひとりぼっちの食卓はかわいそうだ。そう言ったら親子で大感激して、メアリーちゃんはニコニコして食卓についた。
可愛いは正義って、こう言うことなんだね。
食後、出発の支度をする前に、メアリーちゃんと庭の散歩をすることにした。敷地内で窓から見える範囲と限定されたけど、久々の自由だ。⋯⋯午前中に、こんなに体力があるのも久々なんだけど。
ふくらはぎ丈のワンピースを着たメアリーちゃんは、つまみ細工のUピンを付けていた。おれはたくさん付けてボリュームを出していたけど、彼女はまだ幼いので、一本だけで慎ましやかに飾っているのがいい。
今日のおれは馬車での着替え前提で、だいぶ横着している。スタンドカラーの白シャツの上に男物の着物を着て、革靴を履いている。羽織を重ねるとインテリな書生さんスタイルだ。見えないけど細身のパンツも履いている。こっそりナイフも懐に持たされた。
メアリーちゃんは女の子なので、付添人が必要だった。家庭教師さんがその役を担って、三人で庭に出る。手入れされた花壇が綺麗だ。
メアリーちゃんは家庭教師さんによく懐いていた。優しい雰囲気の女性で、この国の基準ではお嫁に行きそびれている年齢だろう。日本ならまだまだいける。るぅ姉よりちょっと上くらいだもん。家庭教師らしく地味な色のデイドレス姿に、髪の毛をひっつめている。
先生とパパ子爵さまの話をニコニコ続ける、かわいこちゃん。なんかすごいご褒美だ。こんな妹がいたら楽しいだろな。るぅ姉は見た目は可憐だけど、中身が苛烈で鉄火なので、ほんわかした気持ちではいられない。
「華姫さま、窓から離れすぎますわ」
気遣わしげに先生が言った。窓を見ると、モーリンさんが笑顔で頷いた。視線を移すと、庭の超離れたところにアントニオさんがいて、ヒラヒラと手を振っている。あれ? よくよく見ると騎士様たちも見えにくいところにちらほらと。
そうだねー。この数日のブライトさまの過保護っぷりじゃ、おれを一人きりにするはずないもんねぇ。グッバイ、おれの自由。
「先生、あれは何かしら? 昨日の朝はなかったわ」
メアリーちゃんが地面に植えられた、苗を見つけて、首を傾げた。
「植えたばかりのようですね」
泥の盛り方が雑で、庭師の仕事には思えない。計算された美しい花壇の中で、その苗だけ適当に地面に突っ込まれていた。
「ジャックの悪戯かしら?」
「庭師の息子でやんちゃな子なんですが、父親の真似をしたがって、しょっちゅうあちこち掘り返して叱られているんです」
先生と生徒が微笑ましげに言った。ジャックくんとやらは四歳の男の子で、メアリーちゃんにもよく懐き、「おじょーしゃま」と泥だらけの手でしがみつくのだと言う。可愛いけど、ドレスの時に泥はキツいな。
でも幸せそうにニコニコ笑っている。先生も穏やかに微笑んでいて、まるで親子のようだ。
「今日はもう出発してしまいますが、王都に戻る際は、ぜひジャックくんに会いたいです」
その時は王太子さまの存在にびびるかも知んないけど。ブライトさま、おれには甘々なんだけど、噂によると王子さまなだけじゃなくて、すんごいカリスマ騎士さまでもあるんだって。
「その時には、この苗、もう少し大きくなってるでしょうね」
見た感じツルインゲンみたいなので、花壇には合わないから、引っこ抜かれちゃうかな。メアリーちゃんと一緒にしゃがみ込んで、苗をツンとつついてみた。
しゅるんッ
えッ⁈
苗が育ったぁ! おれとメアリーちゃんは足元がぐらついて、尻餅をついた。ものすごい勢いで成長する根が花壇の煉瓦を築き壊し、おれの胴体よりも太くなりつつある茎は、幹と言ってもおかしくないくらい硬そうだ。
ぐんぐんと天に向かって伸びていく姿は⋯⋯。
『ジャックと豆の木だぁ』
巨大なインゲンがぶら下がり、茂った葉が朝のお日さまを遮った。
「華姫さま、メアリーさま、危険です!」
先生、大きな声出たんだ。おれたちは先生の声で我に返り、逃げ出すべく立ち上がった。メアリーちゃんの手を取る。
走り出そうとして、メアリーちゃんの抵抗にあった。振り向くと、メアリーちゃんの胴に太い蔓が巻きついて、宙に吊り上げられかかっている。
「きゃああああっ」
天使の声が悲鳴を綴る。
「メアリーちゃん!」
繋いだ手を離さないように、反対の手で蔓にぶら下がる。するとすかさず別の蔓がおれの足首を掴んだ。噓ーーッ、逆さ吊り!
豆の木の成長に合わせて、おれたちはどんどん空高く引き摺りあげられる。メアリーちゃんはもう、言葉も出ない。顔色が真っ青だ。
逆さまになったおれの目に、豆の木の根本が見えた。先生が必死に茎にしがみつき、崩れた煉瓦の破片で切りつけている。
アントニオさんと騎士さまが抜剣して駆けてくる。窓からミカエレさまと侍女さんトリオが飛び出すのが見えた。
「メアリーさま、メアリーさまッ」
叫ぶ先生を蔦が払った。鍛えてない女性の体は簡単に吹っ飛ばされて宙を舞った。カナリーさんとマーサさんが何かしようとして、地面のグラつきに妨げられた。おれが窓から落ちた時にしてくれたのをしようとしたのかな。でも間に合わない!
先生が地面に叩きつけられた直後、おれたちを吊り上げていた蔓がうねった。反動をつけて空に放られる!
どんな絶叫マシーンだーーーッ!
逆バンジーするなら、安全ベルトも完備してくれ!
メアリーちゃんの意識はとっくに無い。おれは絶対にこの手を離さない。握る手に力を込めた。
ブライトさま、早く迎えに来て!
強烈なGに晒されながら、おれは目を閉じてブライトさまを思った。そして、エッチなキスを思い出した。走馬灯かよ。
身に起こっていることが非常識すぎて、おれは逆に冷静なんだろうか。いやいや、冷静な奴はエッチなキスを思い出さないよね。
長かったのか短かったのか、空の旅の終わりは唐突だった。
ずざざっと何かに胴を掴まれて、目を開けると、今度は鳥だった。しかも猛禽類。コンドルっぽい何かが、獲物のように鉤爪でおれたちを掴んでしばらく旋回した後、真っ直ぐに地面に降り立った。
ゴロンと地面に放られると、コンドルはそのまま飛び去った。ピュロローンと笛の音がして、ピュロロロロンとコンドルが返す。飼い慣らされているんだな。
誰にだ?
強張った体を起こしてあたりを探る。森の中だ。
奥からケバケバしい雰囲気の女性が、森にはそぐわないドレスで現れて、甲高い声で言った。
「やっだぁ。お邪魔なオマケがついてるじゃなぁい。なぁに、その妙なドレス。アタシのかわいいメアリーだけでよかったのにぃ」
アタシのかわいいメアリーだぁ?
メアリーちゃんが可愛いのは認めるが、アンタのとはどう言うことだ?
ケバい女を観察する。⋯⋯髪の色と耳の形がメアリーちゃんにそっくりだ。多分、結婚詐欺の泥棒女だよ、この人。
「政略結婚に使えるぅ綺麗な娘がいたらぁ、アタシと結婚してくれるって言う人がいるのぉ」
ウザっ。
おれのヒアリング能力でも、この人の喋り方がだらしなくてうざいのが分かる。
「その辺からさらって来ようかと思ったんだけどぉ、メアリーだったらぁお勉強しなくてもぉ、元からお嬢さまだもんねぇ」
政略結婚が絡むような家、つまりお金持ちで地位のある家の人物と結婚するために、捨てた娘を連れに来たのか。
よかった。メアリーちゃんが気を失っていて。こんなひどい言葉、九歳の子供に聞かせていいものじゃない。
「て言うかぁ、アンタ誰ぇ?」
濃い紫のアイシャドウを塗りたくった眼差しで、女がおれをみた。ばあちゃんちの古いレコードのポスターで見たな、こんな顔。あ、イケイケの頃の忌野⚪︎志郎だ。
ロベルトさんは同じ馬車に乗っているけど、侍女さんトリオはなんと乗馬だった。横乗りじゃなくて、ちゃんと跨っている。スカートに見えていたけど、キュロットだったみたい。
ミカエレさまはもとより騎士団の皆さんももちろん騎馬で、彼らは剣帯している。あ、アントニオさんも混じってる。ロベルトさんももちろん乗馬できるので、馬車が必要なのはおれと荷物だけだ。ん? 俺がお荷物なのか?
窓から外を見ると、扉の横を走っていた騎士団長さまが、ニヤリと笑った。
「ハリーさま、お着替えなされたのですね」
「万が一の時は、身軽な方がいいですから」
事前の打ち合わせで、おれは市街地を抜けたら着替えることになっていた。トラブルが起きた時、草履では足元が不安定な場合がある。また、賊に襲われたとき、和服姿では標的になる。馬車の中に服が用意してあって、ささっと着替えた。着るのにはある程度の広さが必要だけど、脱ぐのは座席に腰掛けたままでも出来る。
絹のシャツブラウスにベスト。動きやすいズボン。靴は編み上げブーツで足首がしっかり固定されている。どれも新品ではないけれど、丁寧に手入れがされていて、大事にされていたのがわかる。腰に小さなナイフが下げてあるけど、護身用ではない。下手に振り回したら怪我をするに決まっている。遭難時、足元の草を払うためのものだ。でも遭難なんか、するんだろうか?
昼の食事休憩と、十五刻ごろに馬のための休憩を取ると、順調に旅程は進んだ。王都に上る時は立派な旅籠に泊まったけれど、今度は地元の領主館だった。
ジーンスワーク辺境伯爵領の住まいは、館じゃない。防衛の要で砦を兼ねた岩城で、いざと言う時は領民を収容できるほどの規模を誇る。辺境騎士団も常駐しているので、華やかさとは無縁だ。もっとも住人の顔面は華々しい。
普通の領主館はもっと平べったいんだって。
十五刻の馬休憩のとき、地元領主の遣いがやって来た。ジーンスワーク辺境伯爵領へ帰領する異世界の華姫の噂を聞きつけて、招待されてしまったのだ。ミカエレさま、騎士団長とロベルトさんが協議して受けることにした。
王都へ上る際に泊まった旅籠に一旦部屋を借り、身なりを整える。いや、もう、このままお泊まりで良くない?
ここの領主は人の良さは折り紙付きらしい。ただ、人が良すぎて騙されやすく、今まで相当な詐欺被害にあっているとか。それ、領主にしといていいの⁈ 領民は大丈夫⁈
ロベルトさんと侍女さんトリオに手伝ってもらって、るぅ姉に持たされた小紋を着る。付け下げじゃなくていいのかと思ったら、まずはご挨拶を受けて(俺が受ける方!)それから晩餐用に着替えるそうだ。だったら服でいいじゃん。
館に着いた。バッキンガム? ベルサイユ? よくわからないけど、キラキラしい平屋建てだった。なるほど、平べったいとはこう言うことか。
迎賓室らしき部屋に通されて、領主の挨拶を受ける。領主のハイネン子爵はホントに人の良さそうな人だった。湯気の出そうな禿頭につるんとしたほっぺ。ふくふくしたお腹。リアルハンプティ・◯ンプティ!
ニコニコ笑って婚約したことへの祝辞を述べ、急な招待の非礼を詫びて来た。誠実さしか感じられず、だからこそ、空気が読めない人物だった。
「我が娘はとても歌が上手なのです。ご婚約の祝いに、ぜひ歌の贈り物をさせていただきたい」
うーん、それは受けてもいいのかなぁ?
ちらりと側のミカエレさまに視線向けると、彼は鷹揚に頷いた。おれは王太子さまの婚約者だから、お嬢さまはミカエレさま狙いなんだろうか? それはともかく、俺が祝いの歌を受けるのは、害がないと言う判断なんだろう。
結論、ただの親バカでした。
付け下げに着替えて晩餐に出席し、その後場所をサロンに移して歌を聴くことになった。サロンにはピアノに似た鍵盤楽器が置いてあって、傍に家庭教師っぽい妙齢の女性と、十二、三歳の女の子がいた。俺の感覚で十二、三歳だからもっと小さいかも、と思ったら九歳だって。もう二十一刻だよ、寝かせてあげなきゃ。
娘さんの売り込みじゃなくて、ホントに娘自慢だった。メアリーちゃんの顔のパーツはパパ子爵さまにそっくりだった。白いふるんとした肌、パッチリしたお目々。ハイネン子爵は痩せればイケメンだと思う。そしてメアリーちゃん、そのまま大人になったら、モテモテだと思う。太るな、頑張れ!
やっぱり家庭教師だった女性の伴奏で歌い始めたメアリーちゃんは、天使の歌声だった。ウィーン少年合唱団! ⋯⋯女の子だけど。
これは自慢したいよね。
「とても素敵なお歌でした。ありがとう」
もっと拍手とかしたいけど、気品がどうのでダメなので、せめてもの気持ちで、髪に飾った小さなUピンを外してハンカチに乗せた。Uピンはるぅ姉のハンドメイドで、端切れで作ったつまみ細工の花が付いている。つまみ細工はこの国にはない工芸だし、小さなお嬢さまに宝飾もなんなので、ちょうどいいかと思ったのだ。
心得たように控えていたカナリーさんが、ハンカチごとメアリーちゃんに渡した。メアリーちゃんは感激したように目を輝かせて、満面の笑顔で礼を言った。
「華姫さまにお歌を聴いていただいただけでもうれしいのに、こんな素敵なお花の髪飾り、ありがとうございます!」
元気があって良い。
子供にとっては遅い時間なので、それからすぐにメアリーちゃんと家庭教師さんは下がっていった。子爵は目を細めてふたりを見送ると、俺に向かって改めてUピンの礼を言った。ばあちゃんちにあった大量の端切れとその辺の針金で作ったUピンは、子供ちゃんには程よいプレゼントだと思ったんだけど、そんなにお礼を言われるものでもない。
「とても可愛らしいご令嬢ですね」
ホントに可愛かったので褒める。社交辞令とか苦手だから、ホントに可愛くて助かった。
「母親がいない分、わたしが愛してやらねばと思うと、つい親バカになってしまいまして」
親バカオッケー。おれ、馬鹿親はダメだけど、親バカはアリだと思ってるから。親がいちばんに愛してやらなくてどうすんのってのが、母さんの口癖だったし。
それにしても、奥さん亡くなってたのか。娘は紹介するのに領主夫人が出てこないなぁって思ってたら、そう言うことか。
「あの子が生まれて二月ほどでしょうか? ある日突然いなくなってしまいまして。代々の宝飾を手入れに出すと言って出かけたまま⋯⋯。手を尽くして探しましたが、宝飾のことを聞きつけた盗賊にでも襲われたのか⋯⋯」
それ、絶対結婚詐欺ーーッ! 持ち逃げされてるーーッ! ぶっ込んで来たな、オイ!
ミカエラさまも同じことを思ったようで、艶やかな美貌を引きつらせている。だって盗賊に襲われたなら、何かしら痕跡が残るでしょ!
憂い顔のハンプティ・ダ◯プティは、影があってちょっと男前だった。丸いけど。まだ愛してるんだなぁ、そんで忘形見のメアリーちゃんが大切なんだなぁ。
フォローのしようがない。
「最悪の姿で見つかってはいないのです。希望は捨てていませんよ」
遺体が見つかるまでは諦めない、健気だ⋯⋯だけどアホだ。いい人すぎるってこう言うことか。
暖かい歓迎を受けて心が温まったはずだったのに、なぜか冷え冷えとした気持ちでサロンを後にした。みんなも心なしか疲れた顔をして⋯⋯旅の疲れだよねッ。
ハイネン子爵は居心地のいい部屋を用意してくれた。心遣いが行き届いた「おもてなし」な空間だった。冷たい水はレモンの香りがするし、ベッドは温められている。ホントにいい人だよ。
高級旅籠並みに快適に一晩を過ごして、俺たちは朝食のためにダイニングに集まった。部屋に用意も出来ると言ってくれたけど、手間をかけさせるのも悪いので、こちらが出向くことにした。
メアリーちゃんはデビュー前なので、お客さまとの食卓につけないけど、おれが無理を言って一緒にしてもらった。いつもパパ子爵と食べてるのに、おれがいるせいでひとりぼっちの食卓はかわいそうだ。そう言ったら親子で大感激して、メアリーちゃんはニコニコして食卓についた。
可愛いは正義って、こう言うことなんだね。
食後、出発の支度をする前に、メアリーちゃんと庭の散歩をすることにした。敷地内で窓から見える範囲と限定されたけど、久々の自由だ。⋯⋯午前中に、こんなに体力があるのも久々なんだけど。
ふくらはぎ丈のワンピースを着たメアリーちゃんは、つまみ細工のUピンを付けていた。おれはたくさん付けてボリュームを出していたけど、彼女はまだ幼いので、一本だけで慎ましやかに飾っているのがいい。
今日のおれは馬車での着替え前提で、だいぶ横着している。スタンドカラーの白シャツの上に男物の着物を着て、革靴を履いている。羽織を重ねるとインテリな書生さんスタイルだ。見えないけど細身のパンツも履いている。こっそりナイフも懐に持たされた。
メアリーちゃんは女の子なので、付添人が必要だった。家庭教師さんがその役を担って、三人で庭に出る。手入れされた花壇が綺麗だ。
メアリーちゃんは家庭教師さんによく懐いていた。優しい雰囲気の女性で、この国の基準ではお嫁に行きそびれている年齢だろう。日本ならまだまだいける。るぅ姉よりちょっと上くらいだもん。家庭教師らしく地味な色のデイドレス姿に、髪の毛をひっつめている。
先生とパパ子爵さまの話をニコニコ続ける、かわいこちゃん。なんかすごいご褒美だ。こんな妹がいたら楽しいだろな。るぅ姉は見た目は可憐だけど、中身が苛烈で鉄火なので、ほんわかした気持ちではいられない。
「華姫さま、窓から離れすぎますわ」
気遣わしげに先生が言った。窓を見ると、モーリンさんが笑顔で頷いた。視線を移すと、庭の超離れたところにアントニオさんがいて、ヒラヒラと手を振っている。あれ? よくよく見ると騎士様たちも見えにくいところにちらほらと。
そうだねー。この数日のブライトさまの過保護っぷりじゃ、おれを一人きりにするはずないもんねぇ。グッバイ、おれの自由。
「先生、あれは何かしら? 昨日の朝はなかったわ」
メアリーちゃんが地面に植えられた、苗を見つけて、首を傾げた。
「植えたばかりのようですね」
泥の盛り方が雑で、庭師の仕事には思えない。計算された美しい花壇の中で、その苗だけ適当に地面に突っ込まれていた。
「ジャックの悪戯かしら?」
「庭師の息子でやんちゃな子なんですが、父親の真似をしたがって、しょっちゅうあちこち掘り返して叱られているんです」
先生と生徒が微笑ましげに言った。ジャックくんとやらは四歳の男の子で、メアリーちゃんにもよく懐き、「おじょーしゃま」と泥だらけの手でしがみつくのだと言う。可愛いけど、ドレスの時に泥はキツいな。
でも幸せそうにニコニコ笑っている。先生も穏やかに微笑んでいて、まるで親子のようだ。
「今日はもう出発してしまいますが、王都に戻る際は、ぜひジャックくんに会いたいです」
その時は王太子さまの存在にびびるかも知んないけど。ブライトさま、おれには甘々なんだけど、噂によると王子さまなだけじゃなくて、すんごいカリスマ騎士さまでもあるんだって。
「その時には、この苗、もう少し大きくなってるでしょうね」
見た感じツルインゲンみたいなので、花壇には合わないから、引っこ抜かれちゃうかな。メアリーちゃんと一緒にしゃがみ込んで、苗をツンとつついてみた。
しゅるんッ
えッ⁈
苗が育ったぁ! おれとメアリーちゃんは足元がぐらついて、尻餅をついた。ものすごい勢いで成長する根が花壇の煉瓦を築き壊し、おれの胴体よりも太くなりつつある茎は、幹と言ってもおかしくないくらい硬そうだ。
ぐんぐんと天に向かって伸びていく姿は⋯⋯。
『ジャックと豆の木だぁ』
巨大なインゲンがぶら下がり、茂った葉が朝のお日さまを遮った。
「華姫さま、メアリーさま、危険です!」
先生、大きな声出たんだ。おれたちは先生の声で我に返り、逃げ出すべく立ち上がった。メアリーちゃんの手を取る。
走り出そうとして、メアリーちゃんの抵抗にあった。振り向くと、メアリーちゃんの胴に太い蔓が巻きついて、宙に吊り上げられかかっている。
「きゃああああっ」
天使の声が悲鳴を綴る。
「メアリーちゃん!」
繋いだ手を離さないように、反対の手で蔓にぶら下がる。するとすかさず別の蔓がおれの足首を掴んだ。噓ーーッ、逆さ吊り!
豆の木の成長に合わせて、おれたちはどんどん空高く引き摺りあげられる。メアリーちゃんはもう、言葉も出ない。顔色が真っ青だ。
逆さまになったおれの目に、豆の木の根本が見えた。先生が必死に茎にしがみつき、崩れた煉瓦の破片で切りつけている。
アントニオさんと騎士さまが抜剣して駆けてくる。窓からミカエレさまと侍女さんトリオが飛び出すのが見えた。
「メアリーさま、メアリーさまッ」
叫ぶ先生を蔦が払った。鍛えてない女性の体は簡単に吹っ飛ばされて宙を舞った。カナリーさんとマーサさんが何かしようとして、地面のグラつきに妨げられた。おれが窓から落ちた時にしてくれたのをしようとしたのかな。でも間に合わない!
先生が地面に叩きつけられた直後、おれたちを吊り上げていた蔓がうねった。反動をつけて空に放られる!
どんな絶叫マシーンだーーーッ!
逆バンジーするなら、安全ベルトも完備してくれ!
メアリーちゃんの意識はとっくに無い。おれは絶対にこの手を離さない。握る手に力を込めた。
ブライトさま、早く迎えに来て!
強烈なGに晒されながら、おれは目を閉じてブライトさまを思った。そして、エッチなキスを思い出した。走馬灯かよ。
身に起こっていることが非常識すぎて、おれは逆に冷静なんだろうか。いやいや、冷静な奴はエッチなキスを思い出さないよね。
長かったのか短かったのか、空の旅の終わりは唐突だった。
ずざざっと何かに胴を掴まれて、目を開けると、今度は鳥だった。しかも猛禽類。コンドルっぽい何かが、獲物のように鉤爪でおれたちを掴んでしばらく旋回した後、真っ直ぐに地面に降り立った。
ゴロンと地面に放られると、コンドルはそのまま飛び去った。ピュロローンと笛の音がして、ピュロロロロンとコンドルが返す。飼い慣らされているんだな。
誰にだ?
強張った体を起こしてあたりを探る。森の中だ。
奥からケバケバしい雰囲気の女性が、森にはそぐわないドレスで現れて、甲高い声で言った。
「やっだぁ。お邪魔なオマケがついてるじゃなぁい。なぁに、その妙なドレス。アタシのかわいいメアリーだけでよかったのにぃ」
アタシのかわいいメアリーだぁ?
メアリーちゃんが可愛いのは認めるが、アンタのとはどう言うことだ?
ケバい女を観察する。⋯⋯髪の色と耳の形がメアリーちゃんにそっくりだ。多分、結婚詐欺の泥棒女だよ、この人。
「政略結婚に使えるぅ綺麗な娘がいたらぁ、アタシと結婚してくれるって言う人がいるのぉ」
ウザっ。
おれのヒアリング能力でも、この人の喋り方がだらしなくてうざいのが分かる。
「その辺からさらって来ようかと思ったんだけどぉ、メアリーだったらぁお勉強しなくてもぉ、元からお嬢さまだもんねぇ」
政略結婚が絡むような家、つまりお金持ちで地位のある家の人物と結婚するために、捨てた娘を連れに来たのか。
よかった。メアリーちゃんが気を失っていて。こんなひどい言葉、九歳の子供に聞かせていいものじゃない。
「て言うかぁ、アンタ誰ぇ?」
濃い紫のアイシャドウを塗りたくった眼差しで、女がおれをみた。ばあちゃんちの古いレコードのポスターで見たな、こんな顔。あ、イケイケの頃の忌野⚪︎志郎だ。
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斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
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