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 馬車の旅は快適だ。舗装されていない地面の上は揺れるけど、おれは乗り物酔いはしないたちだ。

 ロベルトさんは同じ馬車に乗っているけど、侍女さんトリオはなんと乗馬だった。横乗りじゃなくて、ちゃんと跨っている。スカートに見えていたけど、キュロットだったみたい。

 ミカエレさまはもとより騎士団の皆さんももちろん騎馬で、彼らは剣帯している。あ、アントニオさんも混じってる。ロベルトさんももちろん乗馬できるので、馬車が必要なのはおれと荷物だけだ。ん? 俺がお荷物なのか?

 窓から外を見ると、扉の横を走っていた騎士団長さまが、ニヤリと笑った。

「ハリーさま、お着替えなされたのですね」

「万が一の時は、身軽な方がいいですから」

 事前の打ち合わせで、おれは市街地を抜けたら着替えることになっていた。トラブルが起きた時、草履では足元が不安定な場合がある。また、賊に襲われたとき、和服姿では標的になる。馬車の中に服が用意してあって、ささっと着替えた。着るのにはある程度の広さが必要だけど、脱ぐのは座席に腰掛けたままでも出来る。

 絹のシャツブラウスにベスト。動きやすいズボン。靴は編み上げブーツで足首がしっかり固定されている。どれも新品ではないけれど、丁寧に手入れがされていて、大事にされていたのがわかる。腰に小さなナイフが下げてあるけど、護身用ではない。下手に振り回したら怪我をするに決まっている。遭難時、足元の草を払うためのものだ。でも遭難なんか、するんだろうか?

 昼の食事休憩と、十五刻ごろに馬のための休憩を取ると、順調に旅程は進んだ。王都に上る時は立派な旅籠に泊まったけれど、今度は地元の領主館だった。

 ジーンスワーク辺境伯爵領の住まいは、館じゃない。防衛の要で砦を兼ねた岩城で、いざと言う時は領民を収容できるほどの規模を誇る。辺境騎士団も常駐しているので、華やかさとは無縁だ。もっとも住人の顔面は華々しい。

 普通の領主館はもっと平べったいんだって。

 十五刻の馬休憩のとき、地元領主の遣いがやって来た。ジーンスワーク辺境伯爵領へ帰領する異世界の華姫の噂を聞きつけて、招待されてしまったのだ。ミカエレさま、騎士団長とロベルトさんが協議して受けることにした。

 王都へ上る際に泊まった旅籠に一旦部屋を借り、身なりを整える。いや、もう、このままお泊まりで良くない?

 ここの領主は人の良さは折り紙付きらしい。ただ、人が良すぎて騙されやすく、今まで相当な詐欺被害にあっているとか。それ、領主にしといていいの⁈ 領民は大丈夫⁈

 ロベルトさんと侍女さんトリオに手伝ってもらって、るぅ姉に持たされた小紋を着る。付け下げじゃなくていいのかと思ったら、まずはご挨拶を受けて(俺が受ける方!)それから晩餐用に着替えるそうだ。だったら服でいいじゃん。

 館に着いた。バッキンガム? ベルサイユ? よくわからないけど、キラキラしい平屋建てだった。なるほど、平べったいとはこう言うことか。

 迎賓室らしき部屋に通されて、領主の挨拶を受ける。領主のハイネン子爵はホントに人の良さそうな人だった。湯気の出そうな禿頭につるんとしたほっぺ。ふくふくしたお腹。リアルハンプティ・◯ンプティ!

 ニコニコ笑って婚約したことへの祝辞を述べ、急な招待の非礼を詫びて来た。誠実さしか感じられず、だからこそ、空気が読めない人物だった。

「我が娘はとても歌が上手なのです。ご婚約の祝いに、ぜひ歌の贈り物をさせていただきたい」

 うーん、それは受けてもいいのかなぁ?

 ちらりと側のミカエレさまに視線向けると、彼は鷹揚に頷いた。おれは王太子さまの婚約者だから、お嬢さまはミカエレさま狙いなんだろうか? それはともかく、俺が祝いの歌を受けるのは、害がないと言う判断なんだろう。

 結論、ただの親バカでした。

 付け下げに着替えて晩餐に出席し、その後場所をサロンに移して歌を聴くことになった。サロンにはピアノに似た鍵盤楽器が置いてあって、傍に家庭教師っぽい妙齢の女性と、十二、三歳の女の子がいた。俺の感覚で十二、三歳だからもっと小さいかも、と思ったら九歳だって。もう二十一刻だよ、寝かせてあげなきゃ。

 娘さんの売り込みじゃなくて、ホントに娘自慢だった。メアリーちゃんの顔のパーツはパパ子爵さまにそっくりだった。白いふるんとした肌、パッチリしたお目々。ハイネン子爵は痩せればイケメンだと思う。そしてメアリーちゃん、そのまま大人になったら、モテモテだと思う。太るな、頑張れ!

 やっぱり家庭教師だった女性の伴奏で歌い始めたメアリーちゃんは、天使の歌声だった。ウィーン少年合唱団! ⋯⋯女の子だけど。

 これは自慢したいよね。

「とても素敵なお歌でした。ありがとう」

 もっと拍手とかしたいけど、気品がどうのでダメなので、せめてもの気持ちで、髪に飾った小さなUピンを外してハンカチに乗せた。Uピンはるぅ姉のハンドメイドで、端切れで作ったつまみ細工の花が付いている。つまみ細工はこの国にはない工芸だし、小さなお嬢さまに宝飾もなんなので、ちょうどいいかと思ったのだ。

 心得たように控えていたカナリーさんが、ハンカチごとメアリーちゃんに渡した。メアリーちゃんは感激したように目を輝かせて、満面の笑顔で礼を言った。

「華姫さまにお歌を聴いていただいただけでもうれしいのに、こんな素敵なお花の髪飾り、ありがとうございます!」

 元気があって良い。

 子供にとっては遅い時間なので、それからすぐにメアリーちゃんと家庭教師さんは下がっていった。子爵は目を細めてふたりを見送ると、俺に向かって改めてUピンの礼を言った。ばあちゃんちにあった大量の端切れとその辺の針金で作ったUピンは、子供ちゃんには程よいプレゼントだと思ったんだけど、そんなにお礼を言われるものでもない。

「とても可愛らしいご令嬢ですね」

 ホントに可愛かったので褒める。社交辞令とか苦手だから、ホントに可愛くて助かった。

「母親がいない分、わたしが愛してやらねばと思うと、つい親バカになってしまいまして」

 親バカオッケー。おれ、馬鹿親はダメだけど、親バカはアリだと思ってるから。親がいちばんに愛してやらなくてどうすんのってのが、母さんの口癖だったし。

 それにしても、奥さん亡くなってたのか。娘は紹介するのに領主夫人が出てこないなぁって思ってたら、そう言うことか。

「あの子が生まれて二月ふたつきほどでしょうか? ある日突然いなくなってしまいまして。代々の宝飾を手入れに出すと言って出かけたまま⋯⋯。手を尽くして探しましたが、宝飾のことを聞きつけた盗賊にでも襲われたのか⋯⋯」

 それ、絶対結婚詐欺ーーッ! 持ち逃げされてるーーッ! ぶっ込んで来たな、オイ!

 ミカエラさまも同じことを思ったようで、艶やかな美貌を引きつらせている。だって盗賊に襲われたなら、何かしら痕跡が残るでしょ! 

 憂い顔のハンプティ・ダ◯プティは、影があってちょっと男前だった。丸いけど。まだ愛してるんだなぁ、そんで忘形見のメアリーちゃんが大切なんだなぁ。

 フォローのしようがない。

「最悪の姿で見つかってはいないのです。希望は捨てていませんよ」

 遺体が見つかるまでは諦めない、健気だ⋯⋯だけどアホだ。いい人すぎるってこう言うことか。

 暖かい歓迎を受けて心が温まったはずだったのに、なぜか冷え冷えとした気持ちでサロンを後にした。みんなも心なしか疲れた顔をして⋯⋯旅の疲れだよねッ。

 ハイネン子爵は居心地のいい部屋を用意してくれた。心遣いが行き届いた「おもてなし」な空間だった。冷たい水はレモンの香りがするし、ベッドは温められている。ホントにいい人だよ。

 高級旅籠並みに快適に一晩を過ごして、俺たちは朝食のためにダイニングに集まった。部屋に用意も出来ると言ってくれたけど、手間をかけさせるのも悪いので、こちらが出向くことにした。

 メアリーちゃんはデビュー前なので、お客さまとの食卓につけないけど、おれが無理を言って一緒にしてもらった。いつもパパ子爵と食べてるのに、おれがいるせいでひとりぼっちの食卓はかわいそうだ。そう言ったら親子で大感激して、メアリーちゃんはニコニコして食卓についた。

 可愛いは正義って、こう言うことなんだね。

 食後、出発の支度をする前に、メアリーちゃんと庭の散歩をすることにした。敷地内で窓から見える範囲と限定されたけど、久々の自由だ。⋯⋯午前中に、こんなに体力があるのも久々なんだけど。

 ふくらはぎ丈のワンピースを着たメアリーちゃんは、つまみ細工のUピンを付けていた。おれはたくさん付けてボリュームを出していたけど、彼女はまだ幼いので、一本だけで慎ましやかに飾っているのがいい。

 今日のおれは馬車での着替え前提で、だいぶ横着している。スタンドカラーの白シャツの上に男物の着物を着て、革靴を履いている。羽織を重ねるとインテリな書生さんスタイルだ。見えないけど細身のパンツも履いている。こっそりナイフも懐に持たされた。

 メアリーちゃんは女の子なので、付添人シャペロンが必要だった。家庭教師さんがその役を担って、三人で庭に出る。手入れされた花壇が綺麗だ。

 メアリーちゃんは家庭教師さんによく懐いていた。優しい雰囲気の女性で、この国の基準ではお嫁に行きそびれている年齢だろう。日本ならまだまだいける。るぅ姉よりちょっと上くらいだもん。家庭教師らしく地味な色のデイドレス姿に、髪の毛をひっつめている。

 先生とパパ子爵さまの話をニコニコ続ける、かわいこちゃん。なんかすごいご褒美だ。こんな妹がいたら楽しいだろな。るぅ姉は見た目は可憐だけど、中身が苛烈で鉄火なので、ほんわかした気持ちではいられない。

「華姫さま、窓から離れすぎますわ」

 気遣わしげに先生が言った。窓を見ると、モーリンさんが笑顔で頷いた。視線を移すと、庭の超離れたところにアントニオさんがいて、ヒラヒラと手を振っている。あれ? よくよく見ると騎士様たちも見えにくいところにちらほらと。

 そうだねー。この数日のブライトさまの過保護っぷりじゃ、おれを一人きりにするはずないもんねぇ。グッバイ、おれの自由。

「先生、あれは何かしら? 昨日の朝はなかったわ」

 メアリーちゃんが地面に植えられた、苗を見つけて、首を傾げた。

「植えたばかりのようですね」

 泥の盛り方が雑で、庭師の仕事には思えない。計算された美しい花壇の中で、その苗だけ適当に地面に突っ込まれていた。

「ジャックの悪戯かしら?」
「庭師の息子でやんちゃな子なんですが、父親の真似をしたがって、しょっちゅうあちこち掘り返して叱られているんです」

 先生と生徒が微笑ましげに言った。ジャックくんとやらは四歳の男の子で、メアリーちゃんにもよく懐き、「おじょーしゃま」と泥だらけの手でしがみつくのだと言う。可愛いけど、ドレスの時に泥はキツいな。

 でも幸せそうにニコニコ笑っている。先生も穏やかに微笑んでいて、まるで親子のようだ。

「今日はもう出発してしまいますが、王都に戻る際は、ぜひジャックくんに会いたいです」

 その時は王太子さまの存在にびびるかも知んないけど。ブライトさま、おれには甘々なんだけど、噂によると王子さまなだけじゃなくて、すんごいカリスマ騎士さまでもあるんだって。

「その時には、この苗、もう少し大きくなってるでしょうね」

 見た感じツルインゲンみたいなので、花壇には合わないから、引っこ抜かれちゃうかな。メアリーちゃんと一緒にしゃがみ込んで、苗をツンとつついてみた。

 しゅるんッ

 えッ⁈

 苗が育ったぁ! おれとメアリーちゃんは足元がぐらついて、尻餅をついた。ものすごい勢いで成長する根が花壇の煉瓦を築き壊し、おれの胴体よりも太くなりつつある茎は、幹と言ってもおかしくないくらい硬そうだ。

 ぐんぐんと天に向かって伸びていく姿は⋯⋯。

『ジャックと豆の木だぁ』

 巨大なインゲンがぶら下がり、茂った葉が朝のお日さまを遮った。

「華姫さま、メアリーさま、危険です!」

 先生、大きな声出たんだ。おれたちは先生の声で我に返り、逃げ出すべく立ち上がった。メアリーちゃんの手を取る。

 走り出そうとして、メアリーちゃんの抵抗にあった。振り向くと、メアリーちゃんの胴に太い蔓が巻きついて、宙に吊り上げられかかっている。

「きゃああああっ」

 天使の声が悲鳴を綴る。

「メアリーちゃん!」

 繋いだ手を離さないように、反対の手で蔓にぶら下がる。するとすかさず別の蔓がおれの足首を掴んだ。噓ーーッ、逆さ吊り!

 豆の木の成長に合わせて、おれたちはどんどん空高く引き摺りあげられる。メアリーちゃんはもう、言葉も出ない。顔色が真っ青だ。

 逆さまになったおれの目に、豆の木の根本が見えた。先生が必死に茎にしがみつき、崩れた煉瓦の破片で切りつけている。

 アントニオさんと騎士さまが抜剣して駆けてくる。窓からミカエレさまと侍女さんトリオが飛び出すのが見えた。

「メアリーさま、メアリーさまッ」

 叫ぶ先生を蔦が払った。鍛えてない女性の体は簡単に吹っ飛ばされて宙を舞った。カナリーさんとマーサさんが何かしようとして、地面のグラつきに妨げられた。おれが窓から落ちた時にしてくれたのをしようとしたのかな。でも間に合わない!

 先生が地面に叩きつけられた直後、おれたちを吊り上げていた蔓がうねった。反動をつけて空に放られる!

 どんな絶叫マシーンだーーーッ!

 逆バンジーするなら、安全ベルトも完備してくれ!

 メアリーちゃんの意識はとっくに無い。おれは絶対にこの手を離さない。握る手に力を込めた。

 ブライトさま、早く迎えに来て!

 強烈なGに晒されながら、おれは目を閉じてブライトさまを思った。そして、エッチなキスを思い出した。走馬灯かよ。

 身に起こっていることが非常識すぎて、おれは逆に冷静なんだろうか。いやいや、冷静な奴はエッチなキスを思い出さないよね。

 長かったのか短かったのか、空の旅の終わりは唐突だった。

 ずざざっと何かに胴を掴まれて、目を開けると、今度は鳥だった。しかも猛禽類。コンドルっぽい何かが、獲物のように鉤爪でおれたちを掴んでしばらく旋回した後、真っ直ぐに地面に降り立った。

 ゴロンと地面に放られると、コンドルはそのまま飛び去った。ピュロローンと笛の音がして、ピュロロロロンとコンドルが返す。飼い慣らされているんだな。

 誰にだ?

 強張った体を起こしてあたりを探る。森の中だ。

 奥からケバケバしい雰囲気の女性が、森にはそぐわないドレスで現れて、甲高い声で言った。

「やっだぁ。お邪魔なオマケがついてるじゃなぁい。なぁに、その妙なドレス。アタシのかわいいメアリーだけでよかったのにぃ」

 アタシのかわいいメアリーだぁ?

 メアリーちゃんが可愛いのは認めるが、アンタのとはどう言うことだ?

 ケバい女を観察する。⋯⋯髪の色と耳の形がメアリーちゃんにそっくりだ。多分、結婚詐欺の泥棒女だよ、この人。

「政略結婚に使えるぅ綺麗な娘がいたらぁ、アタシと結婚してくれるって言う人がいるのぉ」

 ウザっ。

 おれのヒアリング能力でも、この人の喋り方がだらしなくてうざいのが分かる。

「その辺からさらって来ようかと思ったんだけどぉ、メアリーだったらぁお勉強しなくてもぉ、元からお嬢さまだもんねぇ」

 政略結婚が絡むような家、つまりお金持ちで地位のある家の人物と結婚するために、捨てた娘を連れに来たのか。

 よかった。メアリーちゃんが気を失っていて。こんなひどい言葉、九歳の子供に聞かせていいものじゃない。

「て言うかぁ、アンタ誰ぇ?」

 濃い紫のアイシャドウを塗りたくった眼差しで、女がおれをみた。ばあちゃんちの古いレコードのポスターで見たな、こんな顔。あ、イケイケの頃の忌野⚪︎志郎だ。
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