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ラピスラズリの溜息 01

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 花柳瑠璃、二十歳。私の大事な弟が、王子様に捕食されかかっておりますが、なにか?

 うちのはーちゃんは、実はスペックが高い。性格はちゃんと男子だし、アホの子でもあるんだけど、呉服屋の孫なだけあって所作が綺麗なんである。

 大体どこの男子が、祖母に言われたからってニコニコ着物を着て出かけるって言うのよ。

 呉服屋のお客様って、茶道、華道の先生とか、踊りのお師匠さんも多いわけ。お得意様となると、ある程度生活に余裕がある、もしくは趣味に投資を惜しまないと言う方がほとんどなの。おばあちゃまが多いかな。開き直ったおひとりさまOLさんとかも結構いらっしゃるけど。

 目的があって新しいお着物を誂えるお客さまって、お茶会やらお花の展覧会、踊りの発表会用にって言いながら、『ぜひ来てね』って入場券やら下さるわけよ。

 おばあちゃんに連れられて、小学生のうちから和装でそんなところに顔を出しまくっていたら、先生のお弟子さんのどこぞの社長夫人のところで何故だか食事会に参加していたり、訳のわからないうちにハイソな知り合いを作りまくっていたのよね。

 本当のハイソサエティって、これみよがしにキンキラしてないから。はーちゃんってば自分がすごい人引っ掛けてるのに気付いてなかったわ。

 知らずに上流階級の奥様たちに囲まれて、可愛い孫ポジションで上質なものを見まくっていた男子中学生。それがウチのはーちゃんである。

 知らない世界に飛ばされて、親切な魔女様に拾われて、預けられた先がご領主様の城砦。ご領主様なんて、上流階級のご婦人の最たるものでいらっしゃる。言葉の壁はあったものの、あっという間に魔女様に懐きご領主様に懐き、家令に従僕頭、女中頭、厩舎長エトセトラ、オッサンオバ⋯⋯ゲフンゲフンお兄様お姉様を誑かした。かと言って同世代に疎まれる事なく、むしろおバカでアホの子との認識で仲良くなった。

 天然である。

 わたし? 養殖ですが、なにか?

 かぶれる猫は常時三十匹くらい飼ってますが、問題あります?

 それはさて置き、はーちゃんと私は領地を持たない伯爵位を持つ魔女様の養い子となったので、ある程度の教養が必要になった。

 ご領主様が受け入れてくださったのは、異世界の落ち物に価値を見出してくださったからだ。幸いと言うべきか、私たちはおばあちゃんの自宅、それも敷地ごと転移してきたのである。田舎の都会に住んでいたので、店舗兼自宅の母屋、離れ、蔵、倉庫となれば、結構広い。

 店舗と倉庫には反物からお仕立て上がりの着物、仮絵羽(仮縫い状態の着物)小物類が揃っていて、離れと蔵には民芸品や骨董品が詰まっていた。ご維新のどさくさで興したお店なので、そこそこの歴史がある。

 辺境伯領は北の砦なので、冬の間の産業は織物である。領地の女性は機織りが得意なのだが、仕立てのスタイリッシュさとなると王都のドレスメーカーには敵わない。そこに落ちてきたのが、ジャパニーズドレス、着物である。

 見本となる仕立て上がり品はもちろん、和裁の教本、それを翻訳する人物(異世界人)がある。落ちてきた反物には限りがあるが、見本に残しておきたい。ならば領内のおっかさんに織って貰えばいい。むしろドレスの生地より幅が狭いので、研究も依頼しやすかったらしい。

 辺境伯領は異世界人を保護することで、新たな産業の可能性を見出したのだ。

 ご領主様は参勤交代みたいな制度に則って、二年間の王都詰めになる。その間、私たちを和装で連れまわし、広告塔にする算段である。顧客創造はもちろんだけど、染色職人や絵描きのスカウトも兼ねている。ご領主様は新たな収入源確保、私たちは異世界見物、ウィンウィンのはずだったのに、なんでこんなことになったかなぁ?

 王都に着いてご領主様のお邸で一泊し、王城に登った先で阿呆な貴族に出くわした。ご領主様は親友であると言う王妃様の下へご挨拶に向かわれ、私たちはその間、少しばかり散歩に出ることにした先の出来事である。

 その時の出で立ちは私が淡い桃色、はーちゃんが淡い藤色の極鮫の江戸小紋で、はーちゃんは黒い紋付きの羽織りを着ていた。私の背中はあえての半巾帯で、派手なリボンに見える帯結びをしている。広告塔なだけあって、着物姿はたいそう目立っていたことだろう。目立ち過ぎて遠巻きにされていたので、変な輩に引っかかることもないと思っていたのに、阿呆はどこにでもいるものである。

「そこのふたり、どこの田舎から出てきたんだ? 私たちが王城を案内してやろう」

 グレー味の強いくすんだ金髪の優男と、薄い氷みたいな瞳の茶髪男が、ニヤニヤしながら寄ってきた。

 久しぶりに見たなぁ、こんな輩。辺境伯爵領にはいなかったわぁ。

 大学のサークル仲間との食事会(先輩たちはちょっとお酒も入ってたかな)、隣のテーブルの阿呆な集団が席をくっつけようと提案してきて、断ったら面倒くさいことになった。その時の阿呆と同じ空気を出している。

 ちなみに私が所属していたサークルは古武術研究会である。

 中学生の頃から痴漢とナンパとストーカーに悩まされていた私は、高校で合気道部に入り、大学で古武術研究会に入った。別に相手に勝たなくてもいい。意表を突いて逃げる隙が確保できれば問題ない。

主人あるじがお待ちなので、戻るところなのです。御前、失礼いたします」

 ちょっと会釈で済ませる。このエリアを彷徨うろついているなら、そこまでの高位貴族ではないとみた。こちとら辺境伯爵の後見付き伯爵令嬢(ただし養女)である。ドレスに比べれば地味だが、江戸の極鮫小紋は準礼装だ。着物の格はわからんまでも、絹の光沢なら良いもの見てる貴族なら見て取れるだろう。辺境伯王都邸の家宰も出掛けに太鼓判を押してくれた逸品だ。

 が、阿呆はわからなかったようである。

「いいじゃないか、少しくらい。ご主人様とやらに、どんな奉仕をしているんだい? ちょっとお溢れを頂こうか」

 茶髪が近くにいたはーちゃんの手首を掴んで、ぐいと引っ張りやがったわ。

「え、あの、僕、ご奉仕なんてしてないです」

 はーちゃん、それ逆効果! おぼこさ全開で阿呆の目の色変わったじゃない! 大体、ご領主様の方針でロベルトったら坊ちゃん言葉しか教えてないんだもの。罵声のひとつも言えやしない。日本語じゃ『俺』の一人称も舌足らずに『僕』だなんて、襲ってくださいって言ってるようなものじゃない。

 私に先に手を出してくれれば、投げ飛ばしてやったのに、はーちゃんを捕まえられてちゃどうにもならないわ!

「僕、お側でいろいろ教えてもらっているところで、なんにも出来ないです」

「へぇ、イロイロ。じゃあ、私がもっとイロイロ教えてあげようね」

「はーちゃん、お黙りなさい!」

 ナンパ野郎どもも阿呆だけど、はーちゃんもアホの子だわよ! 勘違い野郎は完全にはーちゃんを色小姓だと思い込んでいる。ギラギラした目が気持ち悪いったらありゃしない。

「君はこっちだよ」

 しまった、阿呆がもうひとりいた。背後からにじり寄られてぴったり寄り添ってくる。くすんだ金髪野郎だわ。

 この辺りは客の宿泊ゾーンに当たるらしく、寝室のついた客室が立ち並んでいる。そのうちのひとつに引き摺り込まれてしまって、いよいよこいつら許さねえとタイミングを伺った。

 部屋の中には、夜会後の宿泊客のための支度をしていた侍女が三人いて、私たちの様子を見て抗議の声を上げてくれた。しかしそこは力のない侍女である。あっさり追い出されてしまった。

 私がソファーに押しつけられているのを見て、はーちゃんはようやく自分たちが絡まれていることに気付いた。『カツアゲ? お金なんて持ってないよ!』と頓珍漢なことを言っている。阿呆で可愛いが時と場所を選んでくれ。日本語で叫んだので、阿呆さは露呈しなかった。

「ヤダっ。離して!」

 はーちゃんがもがいて、指先が茶髪野郎の頬を掠めた。引っ掻き傷すら出来ない些細なものだったが、茶髪野郎は顔色を変えた。ものすごい力ではーちゃんの頬を張り飛ばすと、よろめいた小さな体をベッドに引き倒した。パニックに陥ったはーちゃんが手足をバタつかせると、茶髪野郎ははーちゃんの腹に馬乗りになって、細い首に手を掛けた。

「下男風情が逆らうな! 大人しく尻を差し出してりゃ良いんだよ!」

「下男? 女じゃないのか?」

 くすんだ金髪野郎が首を傾げて言った。コイツら慣れてる。普通連れが暴力行為を始めたら止めるだろう。そうでなくてもドン引きするものだ。はーちゃんはぐったりしていて野郎どもの会話は聞いていないようだ。

 金髪野郎がはーちゃんに意識をむけていたので、隙がある。しゅるんと野郎の懐に滑り込み背中に乗せると、膝のバネを使って担ぎ上げた。重いんだよ、この百貫デブ!

 私が金髪野郎を跳ね上げたとほぼ同じ時、扉が弾き飛ばされて風が巻き起こった。凄い音がして茶髪野郎がベッドから叩き落とされ、長い抜身の剣が首元に突きつけられていた。

 豪奢な金髪、深い青⋯⋯ううん、藍色の瞳。瞳の色と同じ衣服は騎士団の制服だ。何より剣を待つ右手の中指にあるのは、王家の紋章入りの指環だった。

「お嬢様がた、ご無事ですか⁈」

 侍女が三人飛び込んできて、テキパキ金髪野郎に縄を掛けた。さっき追い出された侍女さんたちだった。そのあとから、バタバタと数人の騎士がやって来て中の様子を見て取ると、王子に剣を突きつけられた茶髪野郎を引っ立てた。

「総団長、魔法で扉を壊しましたね。王城内での攻撃魔法は違反ですよ」

 騎士の中でもちょっとだけ位と年齢が高そうな男が、苦笑して言った。後ろの方で「侍女さんたち足早すぎ」とか「あなた方が遅いんです」とかのやりとりが聞こえてくる。

「緊急時だ。許せ」

 王子は剣を鞘にしまうと、ベッドでぐったりしているはーちゃんの頬をするりと撫でた。

「かわいそうに」

 呟いて、乱れた裾を直している。側に寄りたいけれど、動けない。明らかな王族、多分騎士団を従えてるところを見るに王太子様だろう。わたしは焦りながらも頭を垂れた。

 王太子様はこちらに視線を向けた。

「珍しいドレスだ。カルロッタ殿が伴った、惑わしの森の魔女殿の養い子ではないか?」

 カルロッタ殿、つまりご領主様は現在王妃様の下に参じておられる。異世界からの迷い子を伴うことは先触れにて伝えられているので、王太子様もご存知だったのだろう。そこに見慣れぬドレスのふたりがいれば、間違いなく当人であろう。

 誤魔化す必要もない。

「はい、ジーンスワーク辺境伯爵領より参りました、惑わしの森の魔女が養い子、ルリ・ハナヤギと申します。それなるは弟のハリでございます。危なきところをお助けいただき、深く感謝いたします」

 王太子様は頷くと、騎士たちにナンパ野郎どもを連れて行かせた。王城内での事件である。何処の家の坊ちゃんだか知らないが、ひとまず牢に打ち込まれるだろう。

「さて、君も大変だったろうが、弟御を休ませてやらねばな。この部屋は気持ち悪かろう。カルロッタ殿の元へ参ろうか」

 てことは、王妃様のところですか? 私はかまいませんが、得体の知れない異世界人ですよ。よろしくて?

 私の心境なんて知ったこっちゃなく、若い騎士に先触れに行かせ、自らはーちゃんを抱き上げた。替わろうとしたイケオジ騎士様を目で制し、先導を促した。こうなってはついて行くしかないわよ。

 イケオジ騎士様、王太子様と彼に抱かれたはーちゃん、私、侍女さんズの順で廊下を進む。奥に行くにつれ、壁紙やキャンドルが華やかになり、この国で最も高貴な女性がお住まいの空間に近づきつつあることが知れる。飼い猫二十匹くらいぶら下げとこうかしら。

 なんて考えていたら、後ろからキンキンした声が私たちを呼び止めた。

「そこの者ども、止まりなさい! 先ほど、お兄様とコンラッドさまに乱暴する騎士がおりましたわ! 聞けば何やら濡れ衣を着せられておりましたわ!」

 グレー味の強いくすんだ金髪に蛍光ピンクのドレスを着たお嬢様が立っていた。どっかで見たことあるなぁ。あ、林家さんちのよく笑う奥さんだ。

「お兄様とコンラッド様を解放なさいッ! おふたりが乱暴なんてするはずありませんわ。卑しい下女が色を使ってお兄様に媚びたに違いありません!」

 キンキン叫ぶお嬢様に、王太子様がどう出るか伺えば、冷たい一瞥をくれただけだったので私が参戦することにした。

「貴女のお兄様とやらがどこのどなたか存じませんが、私たちの尊厳を奪おうとなさった下衆な輩なら、そちらの騎士さまが然るべき場所に勾留してくださいました。私の一存で解放など出来ませんし、して欲しくもございません」

「何ですって? この小娘ッ! お兄様を侮辱するのッ⁈ 」

「私を侮辱なさったのは、そのお兄様です。私にのしかかっていたのはコンラッド様とやらかもしれないので、違うかもしれませんね。どちらにしろ、私の連れに無体を働いたので、同罪ですが」

「コンラッド様はわたくしの婚約者ですわ! あの方がお前ごとき薄汚い小娘など相手にするはずありませんッ!」

 まったくお話しにならない馬鹿女だ。髪の色から見て、私が投げ飛ばしたのが兄だろう。コンラッド様とやらははーちゃんの首を締めたやつだ。

 はーちゃんに視線を向けると気がついたのか、身動ぎしていた。状況が把握できていないのか、不安げに瞳を揺らしている。あかん、それ男心くすぐるやつだ。

 案の定お嬢様のキンキン声にびくついて王太子様にしがみつくと、王太子様は一瞬驚いてから、とろりと瞳に甘さを宿した。

 恋に落ちる瞬間、見ちゃったわ~。

 イケオジ騎士様なんか、顎外す勢いで口開けてたわよ。

 その間もはーちゃんは、多分無意識に王太子様を煽りまくっている。言葉が不自由なぶん仕草に不安が出るから、庇護欲刺激しまくりだわ。

 こりゃ、コンラッド様とやらは先がないわね。

 王太子様はイケオジ騎士様に何かを指揮して下がらせた。阿呆どもの身元を洗って報告させるんだろう。

 そのうちに無意識にイチャイチャする王太子様とはーちゃんに苛立ったお嬢様が、矛先をはーちゃんに向けた。王太子様は二言三言不機嫌そうにお嬢様と交わして、はーちゃんに向き合うと耳元にヒソヒソ話かけていた。はーちゃんが耳まで赤くなる。

 王太子様はデレデレで、お嬢様はヒートアップする。なんてカオスよ。侍女さんズが冷静でありがたい。ストッパー役は侍女さんズに任せて、わたしはお嬢様の喧嘩を買った。

 お嬢様をうまい具合に怒らせて追い払うと、王太子様を促して王妃さまの下に向かった。一緒にいるご領主様は、非後見人が侮辱されたと聞けば激怒するだろう。

 やはりご領主様は激昂し、それを宥めてお嬢様の鼻をあかしてやりたいと言えば、王妃様が乗ってくださった。王太子様はご領主様に、はーちゃんのエスコートを申し出て、婚姻の意思まで表明していたわ。仕事はえ~な、王太子様。

 王妃様はキャッキャしてるし、ご領主様は王太子様を冷たい目で見るし、どうして良いのかさっぱりだわ。実はハイスペックな侍女さんズをはーちゃん付きにすることも決定し、お嬢様ザマァ計画も練られた。ともあれ、翌日の夜会ははーちゃんに振袖を着せることになり、その場はお開きになった。

 最後に王太子様は、はーちゃんの手のひらにキスをするという大胆な行動に出るのだけど、はーちゃんはさっぱり気付いていないのだった。

 その後夜会を経て、はーちゃんと王太子様は気持ちを確かめあったらしい。姉としては複雑だけど、はーちゃんがいいなら良し。おばあちゃんたちに仕込まれた大和撫子の姿、見せつけてやんなさいな。

 あ、ひとつ助言。あんまり焦らすとたがが外れたとき酷い目に遭いそうなので、ほどほどで食われてあげてねー。
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