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『花柳玻璃、もうすぐ十八歳。異世界で振袖着てたら、王太子様に求婚されました』

『残念、振袖着る前だから』

 るぅ姉、独り言に突っ込まないでくれ。

『アンタ今、受け取った真珠を着けてるじゃない? チュウと真珠は振袖姿を見る前じゃん』

 なるほど。

『昨日の別れ際のチュウの後にいただいたものを身につけているってことは、受けたプロポーズを限りなくオッケーに近い形で保留にしている状態な訳よ』

 そうだったのか! しかもそれに気づいていないなんて、少年ラブコメ漫画の鈍感ヒロインみたいじゃないか。なんてベタな小悪魔キャラ⋯⋯。どんより落ち込んでいると、るぅ姉が言った。

『日本語はおしまいよ。目の前で内緒話しされるほどイヤなことはないでしょ』

 あ、しまった。ハッとして王太子様を見上げると、困ったように微笑んでいた。

「ごめんなさい。混乱すると、母国語じゃないと理解できなくて」

「ふふ、混乱したんだ。ということは、少しは意識してくれた?」

 困り眉を嬉しげにあげて、王太子様は言った。キラキラしたエフェクトがかかって、イケメンオーラが半端ない。そして、俺の手はいまだに王太子様に掴まれたままだ。

「これ、我が王子よ。昨日カルロッタが申していたでしょう。異世界より落ちて、まだ一年。はじめての王都にも緊張しているであろうに、そんなに押してはかわいそうよ」

「それにハリーは領地の男どものこな掛けも、一切気づかぬお子さまじゃ」

「うちの弟は誰にも染まっていない、なんですのよ」

「それは良いことを聞いたな」

 王妃様ありがとう! ご領主様その情報知りたくなかった! るぅ姉ナチュラルに偉い人たちの会話に入るな、そして恐ろしいこと言うな! 王太子様握る手に力を込めないで!

 困ったことに、王太子様の手はイヤじゃない。ドキドキしてくすぐったいけど。昨日のナンパ貴族は気持ち悪くて怖くて嫌でたまらなかった。暴れて騒いで相手を怒らせしまって、馬乗りになられて殴られた。シベリアンハスキーみたいな薄い青色の瞳が、ギラギラと俺を見下ろしていた。

 あれ?

 なんであんな衝撃的な出来事があったのに、俺は平然としているんだろう? 突然背中にブルッと寒気がした。

 怖い。怖くてたまらない。

 王太子様の手が嫌じゃないことに気づいたら、比較対象のナンパ貴族の感触が超嫌だったことを思い出してしまった。

『怖い⋯⋯』

「はーちゃん、日本語」

『やっ』

「待て、様子がおかしい」

『もしかしてゴーカンミスイってレイプ? 俺、男にレイプされかかってた?』

 唐突に、自分の身に降りかかった出来事が、性犯罪であったことを理解した。怖い怖い怖い! 

 袖を引きずるのも構わずにしゃがみ込みそうになる。腰に力が入らなくて、立っていられなくなってしまった。俺の手を取ったままの王太子様が、腰に手を添えて支えてくれる。思わずすがりついた。

 ガタガタと身体が震える。湧き上がる恐怖で目の前がチカチカした。

「ルーリィ嬢、彼はなんと言っている?」

「昨日の男たちにされたことの意味に、たった今、気づいてしまったようです。子ども過ぎて、穢されそうになっていたことに気付いていなかったんですわ。恐らくわたしのついでに連れ込まれて、ただ暴力を振るわれただけだと思い込んでいたのでしょう」

「殿下を意識して、自分がになりうることを理解したのじゃな」

 るぅ姉が何か言っている。ケガサレルって、なんだっけ。やっぱりレイプ? ご領主様、そういう対象って、俺、レイプされるの当たり前なの? 怖い怖い怖い。

「一度控え室に下がらせましょう。部屋の支度をさせましょうね。誰かあるか」

 王妃様が呼ばわると、程なくして侍従が現れた。侍従は丁寧に頭を下げて恭しく俺に手を差し伸べた。貴婦人をエスコートするための美しい所作だったが、思わずそれを振り払ってしまった。

「ごっごめんなさいっ。違う、あなたじゃない。でもごめんなさい『ヤダヤダヤダ、コワイ』」

 王太子様の手が俺の手を離して、帯越しに背中を引き寄せた。手が離されたことで一瞬の喪失感に不安が増したが、すぐに温かな胸に抱き締められて、ほっとした。

「大丈夫、私がいる」

 あ、昨日と同じセリフだ。耳元でとろりと艶のある、甘やかな王太子様の声。

「一緒に行こう。私にエスコートをさせてくれるかい?」

 うん。俺は頷いた。

「では母上、中座させていただきます。父上にはよしなにお伝えください」

「わかりました。緊急ですもの、陛下に文句は言わせません」

「ルーリィ嬢、弟御はお守りする。異世界の対人形は今宵の華ゆえ、ふたりともに下がらせるわけには行かぬ。しばらく辺境伯爵殿とみなを楽しませてやってくれ」

「かしこまりました」

「歩けないなら抱いてゆくよ」

 それはダメだ。小さく首を振ると、ふっと吐息で笑った王太子様は俺の右手を取って自分の腕にかけさせた。腰に力が入らなくて、これじゃ歩けそうにない。

『はーちゃん、ちょっとだけ頑張れ。招待客に見えないとこまで行ったら、しがみつかせてもらいなね』

 るぅ姉が日本語で言った。さっきはダメだって言ったのに。小学生の頃みたいに頭をポフポフされた。俺が頷くと、王太子さまはゆったりと歩き始めた。日本語はわからないはずなのに、絶妙なタイミングだ。

 彼は俺の耳元で、会場中程にある給仕用の隠し出口の存在を教えてくれた。壁際に飾られた大きな花や衝立は、侍従たちの出入り口の存在をカモフラージュしている。

「大丈夫、そこまで行けば泣いていい」

 また大丈夫って言った。王太子さまの声は安心する。俺の目が涙で曇ってるの、気づいてるんだ。

 王太子様が進む先は、道が開かれる。彼はそれをにこやかに制し、気にしないで歓談を続けるように言った。

「私の可愛い人は、陛下に対面して緊張してしまったようだ」

 だから俺を見るな。意識を向けるな。これ以上の負担をかけるな。言葉の裏にそんな意味が含まれている気がした。人々のさざめきが広がる。

「初々しいことだ」

「可憐だ」

「次の機会は是非ダンスを」

 男の声だけが耳に届く。ぞくっとして足がもつれた。もうちょっとなのに、身体が竦んで動けなくなった。そしたらまた、王太子様が耳元で「大丈夫」とささやいてくれた。

 その時、聞き覚えのあるキンキンした声が投げつけられた。

「なんですの、お前! そんな奇天烈なドレスを着て夜会に出るなんて、どこの田舎者ですの? 大体身分も弁えずにノコノコ上座に上るなんて、身の程を知りなさい!」

 あたりが一瞬で静かになった。空気が凍ったようだ。

「ロレッタ男爵令嬢イブリン、わたしは急いでいる。そこを退けよ」

「貴方、昨日の騎士ね。あら、そこの従僕用の通路から田舎者をつまみ出すのね。そんなことなら、どうぞお通りになって。さっさとその穢れた小娘を放り出して、お兄様とコンラッド様を自由にしてちょうだいな」

 お兄様。コンラッド。シベリアンハスキーの青い瞳。ベッドの天蓋から下がるビロードのカーテン。冷たいシーツ。頬への衝撃と目の前に散る星。

 息が出来ない。

 バタバタと人が動く気配がして、従僕と騎士が幾人もやって来た。誰かが厳しい声で「その娘を捕らえよ」「父親もだ」と叫んでいる。大人の男の怒鳴り声は怖い。俺は今度こそ立っていられなくなって、王太子様に抱き上げられた。

「なによ⁈ いったいなんですの⁈ お離し、無礼者!」

「お前は誰に無礼を働いたかわかっているのか? この方は王太子殿下であられるのだぞ」

「なにを馬鹿な! 今日は小綺麗な格好をしているようだけど、昨日は騎士の制服だったわよ!」

「馬鹿はお前だ。殿下は騎士団の総団長を務めておられる!」

 もうヤダ。怖くて堪らなくて、昨日みたいに王太子様の首に両手を回して、ぎゅっとしがみついた。羞恥心とかそんなのどうだっていい。安心できる存在に、ただすがった。

「ロレッタ男爵、そなたは息子も娘も教育に失敗したな。私は大切な者を傷つけられて、大変腹立たしく思っている。親子で沙汰を待つがいい」

 冷たい声音で王太子様は言って、俺を抱き上げたまま歩き始めた。柔らかな揺れが意識を揺らす。人々の喧騒が遠くなり、音楽も聞こえなくなった。

「大丈夫、もう誰もいないよ」

 小さな子供にするようにゆったりと体を揺すられると、なにかが一気に弛んでしまった。ぼろぼろと涙が溢れて、口からは意味のない嗚咽が漏れる。

「僕、男の人にゴーカンされて当たり前なの? みんな、そんな目で見てたの?」

 辺境伯爵領での一年間、言葉を習いながら幾人かの友人に恵まれた。ご領主様の甥御さんとか庭師の孫、従僕頭の弟。砦のような岩城を散歩すれば、訓練中の辺境騎士団のみんなが剣を教えてくれたりした。ほんとはみんな、みたいなことがしたかったのかなぁ。ご領主様がそんなこと言ってたよね。

 岩城のみんなの瞳が、脳裏でアイスブルーに変わっていく。シベリアンハスキーみたいな青い瞳が、無数におれを取り囲む。怖くて涙が止まらない。

 そのうちにオレンジ色の明かりが灯った部屋にたどり着き、ソファーにそっと下ろされた。温もりが離れると、ぎゅっと胸が苦しくなった。

「大丈夫、どこにも行かないよ」

 俺の耳元でささやいてから、足元にそっと跪いて、膝の上で握りしめていた両手をやんわりと取った。なぞるように広げさせられて、手のひらに唇が落ちてくる。

「さっきの質問の答えだけどね、違うと断言できるよ。あれは暴力だ。犯罪なんだ。私と君は昨日出会ったばかりだけど、震える肩を抱きしめたいと思ったし、笑顔を引き出したいと思った。愛を乞うて、叶うなら愛して欲しいと思った。君に許してもらえるなら、愛し合った後に寝顔を見つめていたいとも思ったよ。そう、、なんだよ。あの行為は愛を確かめ合う神聖なものだ。暴力なんかに使っていいものじゃない」

 王太子様の言葉は俺の中にスルリと入り込んだ。いつの間にか震えは止まっていて、逆に体がポカポカしてきた。泣き過ぎて目の周りが腫れぼったい。それに気づいた王太子様が、指先に氷のかけらを集めてハンカチに包んで目元を抑えてくれた。咄嗟に目をつぶると、彼は小さく笑った。

「可愛い顔をしてはダメだよ。姉上やカルロッタ殿に、無防備が過ぎると言われたことはないかい?」

 目蓋を押さえながら、唇をちょんとつつかれた。

 もしかして、今のキス待ち顔⁈ 無防備ってなに? 俺、王太子様の前でしか、こんなことしないし! って、王太子様の前でしかってなんだよ! しかも、さっきの王太子様の言葉って、相思相愛(ってなんだよ)になって俺とイチャイチャしたいってことだよな。

 俺、男なんだけど!

 同性同士の恋愛に偏見はない。日本でもそういう知り合いはいたし、テレビでもカミングアウトする芸能人はそれなりにいた。こちらでは国の政策で孤児院から孤児を引き取ったりすることは推奨されているから、同性での結婚も跡取り問題がクリアしやすいためハードルが低い。ご領主様のところの家令のロベルトと従僕頭のマリクは夫婦だ。マリクの末の弟を養子に迎えている。いわゆる兄弟親子だ。

 だからと言って、俺の恋愛対象が男かというと違う。と言うか、わからない。自分が男であることが当たり前過ぎて想像したこともなかったし、そもそも女の子を好きになったことがない。

 高校一年生までは男友達とバカやってたし、クラスのイケメンが彼女をゲットした時だって、みんなでワイワイ騒いだし。一年前に魔女様に拾われてからは、言葉と生活を覚えるのでいっぱいいっぱいだった。

 つまるところ、自分の身に起こりうることと認識しないまでも、男男交際そのものに関しては許容していたわけだ。その上で自分の気持ちを考えてみるにあたり、俺はいわゆる初恋とやらをしているんだろうか?

 あんなにハスキー犬野郎は嫌だったのに、王太子殿下なら平気だ。いや待て、平気じゃない。ドキドキして心臓が口から出そうだ。

 あれ?

 もしかしてゴーカンミスイの衝撃をヒトメボレの衝撃で上書きしてた⁈

 カッキーンって、野球部のアイツがホームランかっ飛ばした時みたいな音がした。もちろん幻聴だ。

 俺は今、衝撃に動揺している。

 衝撃を衝撃で上書きしていたことに対する衝撃と、フォーリンラブしちゃってたことに気づいた衝撃は、俺の心を動かして揺さぶっちゃってるんである。

 男もオッケーって言うか、好きになった相手が男だったと言うか。ハスキー犬野郎はまだ怖い。でも安心できる場所も同時に見つけてしまったと言うか⋯⋯。

「ねぇ、ハリ。いつまでも瞳を閉じていると、口付けてしまうよ」

 言いながら、俺の許可がなければしないんだろう。ゴーカンミスイの被害者である俺に対する、ギリギリのアプローチ。たった今気付いたばかりの恋心は、王太子様には届いていない。

 ちょっと待て、俺たちは両思いなんだろうか? 氷で冷やしてくれている手をやんわりと押しのけて、跪いて俺を見上げている王太子様の顔を見た。愛を乞うとか愛し合うとか言われたけど、それってつまり。

「王太子様は、僕のことが好きなの?」

 ぽろっと口から言葉が出た。

 王太子様はちょっと目を見開いてから、困ったように笑った。

「まいったな。伝わってなかった? ⋯⋯好きだよ、ハリ。出会ったばかりだけど、抱き上げた君が私を頼ってしがみついたとき、誰にも渡したくないと強く思った」

 好きって言った! 理解すると、頭にカッと血が上った。

「僕も好き、かも」

 かもって、つけちゃった。恥ずかしかった。耳まで熱くて思わず俯いたけど、王太子様は跪いているから俺の真っ赤な顔は隠しようがなかった。俺からも彼の顔ははっきりと見えて、キラキラとエフェクトがかかる笑顔がこちらを見上げていた。

「嬉しいよ」

 王太子様は立ち上がって、一瞬で俺を抱え上げると自らソファーに腰を下ろした。膝の上に横抱きにされて、草履が床に転がった。

 近い! 超近い!

 待って、まだ自覚したばっかりで、いろんなことが無理! 高校生のはじめてのカレカノなら、『お付き合いしましょう。まずはL⚪︎NEの交換しましょう。家に帰ったらLI⚪︎Eいれるね』の段階のはずだ。出会いがお姫様抱っことは言え、好き、かも、でお膝抱っこはありなのか⁈ これは被害者へのレスキューじゃない。パートナーへのスキンシップだ。それにしても、展開が急すぎる。

「待って、怖い⋯⋯じゃない。恥ずかしくて、緊張する!」

 言葉のチョイスを間違えて、王太子様の体が強張ったのに気付いて慌てて言い直したら、彼はあからさまにほっとしていた。言葉の壁がツライ。

 なんかもう、ハスキー犬野郎のことは、遙か彼方に飛んで行ってしまった。

 俺ってちょろいのか?



 

 

 

 

 

 

 
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