そう言えばの笹岡くん。

織緒こん

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それから編

坪倉くんは諦めない

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 月曜日、坪倉つぼくら真斗まさとは不機嫌だった。拳闘で鍛えた分厚い体をいからせて、自分が所属する二年虹組の教室の戸を引いた。

 おしゃべりスズメたちがピーチクパーチク囀っている。曰く昨日の朝、笹岡と伊集院が街へ出かけて行った。帰寮は夕方で、なんとも微笑ましい雰囲気だったとか、会計様が笹岡を優しくエスコートしていたとか、うるさいことこの上ない。

 聞かなきゃいいが気になって、ついつい耳をそばだてる。帰寮の時間や笹岡が自分で歩いていたという情報に、まだ喰われてないと安堵する。

 しかし、無事な姿を見なきゃ治らない。風呂は部屋のシャワーを使っているのか大浴場では会わないし、食事の時間もかすってない。朝から寮で探したし、昼休みにも突撃したが、終礼も終わってしまった。結局今の今まで会えていない。

 二年花組の教室に、音を立てて乗り込むと、窓際の後ろから三番目の席に、目当ての人物とお邪魔虫がいた。笹岡雄大と伊集院隼人である。

「よう、笹岡。今度の土曜日、一緒に出かけねぇか?」

 伊集院は無視して笹岡に声をかける。笹岡がキョトンとして坪倉を見た。坪倉は仕草が可愛いと思ったが、伊集院も同じ意見だったようだ。

「ゆーだ。そんな可愛いカオ、俺以外に見せちゃ駄目だよ」
「どんなカオだよ。普通でしょ」
「普通が既に可愛いの」

 ちょっと待て。ゆーだってなんだ。この週末になにがあった。坪倉は目を吊り上げたが、笹岡の視線が自分に向いたのですぐに弛める。強面の自覚はあるので、怖がらせたくはない。

「坪倉くんはどこに行きたいの?」

 脈ありか? と思ったら。

「隼人くんの都合はどう?」

 なんてのほほんと聞いていやがる。いや、伊集院はいらねぇから。

「あのね、坪倉。ゆーだは俺の彼氏なの。当て馬と一緒に出かけるんなら、当然俺も一緒に決まってるでしょ?」
「当て馬、言うなや」
「当て馬だろ?」

 伊集院が彼氏ヅラしてしゃしゃり出て来やがった。ふん、今は付き合いたての盛り上がってる時期かもしれないが、チャラ男会計はすぐに浮気するに決まってる。イライラしていたら、笹岡が伊集院の袖をクイと引いた。

「ねぇ、この間から、なんで坪倉君を当て馬って言うの? 当て馬ってどう言う意味?」
「うーん、恋のスパイス的な第三者?」
「わかんないや」

 俺もわからん。伊集院の頭は恋愛脳か? なにがスパイスだ、気持ち悪い。

「元は競走馬の繁殖に使う言葉なんだ」

 笹岡がキラキラした目で伊集院に続きを促している。くそ可愛い。

「お嫁さん候補の牝馬ひんばをその気にさせるためにけしかけ牡馬ぼばを当て馬って言うんだ。牝馬がエッチな気分になったら当て馬を引き剥がして、お婿さんになる本命の牡馬が後ろから乗っかるんだよ」
「え?」
「そこからなぞらえて、仲を深めるきっかけになる、別の男のことを当て馬って言うんだ」
「え?」

 うろたえる笹岡が可愛いが。

「おい、牝馬と牡馬のくだり、えらい生々しいな」

 呆れて伊集院を小突いたら、ニンマリ笑って笹岡を見ていた。耳まで赤くして俯いている。

「隼人くん、そんなエッチなこと教室で言っちゃ駄目だよ」

 ぽしょぽしょと何か言っている。とろりと色気が滴った。ちょっと待て、この程度の会話で恥ずかしがって色気を垂れ流すなんて反則だ。

「なにがエッチなの、ゆーだ? 競走馬の繁殖の話しだよ。ついでに無駄知識も披露しちゃおうかな。馬って一回の交尾で四~五リットルの精液出すんだって。お嫁さんも大変だね。お腹タプタプになっちゃうよ」
「隼人くん、駄目っ!」

 音を立てて立ち上がった笹岡は、両手で伊集院の口を押さえにかかった。笹岡、いちいち行動が可愛いな。そんなやつ一発殴っちまえばいいのに。それにしても、馬すげぇな。ザーメン五リットルかよ。んでその知識を持ってる伊集院もさらにすげぇなと、坪倉は変な感心をした。

「そんなわけで、ゆーだが俺への気持ちに気づくきっかけになったのが坪倉だから、コイツは当て馬ってことなんだよ」

 伊集院が笹岡の手首をそっと掴んで、口を塞いでいた掌をぺろりと舐めた。「んっ」と笹岡が悩ましい声を漏らした。

 三人の会話に聞き耳を立てていた二年花組の生徒たちが、挙動不審になっている。終礼も終わってだいぶ時間が経つが、ほとんどの生徒が残っている。 そして彼らは笹岡の変貌に戦慄を抱いた。

 笹岡の顔は歪みのない整った顔だ。華やかさに欠けるので存在感がない。むしろ不細工だったほうが認識されただろう。

 整った地味な顔に、ほんの少し恋心という色を乗せる。それだけで艶が加わって壮絶な色気を滴らせた。

 自分たちはこんな危険物と同じ教室にいたのか! クラスメイトは未だ夏休みすら迎えていない六月を、恨めしく思った。三月まで平穏に過ごせるだろうか?

「⋯⋯ね、ゆーだ。いつかゆーだのお胎のなか、俺のでタプタプにさせて」
「隼人くんのバカっ」

 伊集院に甘く囁かれて、笹岡は教室を駆け出して行った。⋯⋯真っ赤な顔と潤んだ瞳のままで。

 イーーヤーーーァアァッ!

 伊集院、なにやっとんじゃあぁッ!

 クラスメイトは平凡、チワワ、ちょいイキった奴まで、全員が会計様を心の中で罵倒した。もちろん坪倉もだ。

「やばい、やり過ぎた。可愛いけど危ないな」

 伊集院がすぐに後を追いかけた。まだ放課後も早い時間だ。校内には生徒が多く残っている。笹岡を放置するのはまずい。

花組うちの風紀誰だっけ」
「俺、俺。風紀の長副に報告行ってくる!」
「残りは笹岡を追いかけろ、保護するぞ!」

「「「おーーーっ‼︎」」」

 すぐに立ち直った学級委員長が指示を出し、クラスメイトが一斉に散った。

「で、坪倉君。君、本当に当て馬だよ」
「うるせぇ」

 しばらくして、朝から不機嫌だった坪倉は、委員長に図星を差されてさらに不機嫌になった。

 置きっぱなしの荷物に気付いて、教室に戻ってくるのを期待するも、現れた和泉御幸がテキパキと帰り支度をして回収してしまった。「まったく
人使いの荒いことだ」とかブツブツ言っていたので、伊集院に頼まれたのだろう。継兄弟だから、無断の持ち出しにはならないので、文句も言えない。

 戻って来た花組の連中が、伊集院に捕獲されて寮に帰ったと報告するのを憮然と眺めていると、委員長がおもむろに笹岡親衛隊の設立を提案した。

「親衛隊? 笹岡の?」

 冗談じゃない。これ以上ライバルを増やされてたまるか。坪倉は委員長をじろりと睨んだ。笹岡がいないから、自分の強面はしっかり活用する。チワワが数人「ひっ」と引き攣れた声を出したが、委員長は至って冷静だった。

「このままじゃ空き教室に引き摺り込まれて、最悪の事態に陥るよ。で、和泉製紙とプティ・アンジェ・グループ、ついでに古林翁の怒髪天をつくだろうね」

 和泉製紙はわかる。笹岡の母親が和泉製紙の会長と結婚したから、彼の実家になる。

「プティ・アンジェ・グループは化粧品のブランドだっけか? 伊集院の実家だよな」

 古林翁⋯⋯古林財閥の隠居で財界の重鎮。それが何で怒るんだ? 

「古林翁のお気に入りの曾孫なのさ、笹岡は。古林翁の可愛い末娘が産んだ、眼に入れても痛くない外孫が産んだ、曾孫。しかも幼くして父を病で亡くした、不憫で仕方なくて、いくら可愛がっても足りない曾孫」
「⋯⋯詳しいな」
「僕、翁の次男方の曾孫なんだ。笹岡の三従兄弟みいとこだか三従兄弟半みいとこはんだかなんだよ」

 従兄弟より遠いのは分かった。

「ね、笹岡って、面倒くさいでしょ? だから色々バレたんなら、親衛隊が必要なんだ」

 委員長は愛おしげに言った。ぼんやりした弟を見守る、兄貴みたいなカオをしている。坪倉は察した。コイツも敵だ。

「面倒くさいついでに、笹岡のこと諦めない?」
「断る」

 蕩けると際限なくエロいって予想は、外れなかった。今のところ、伊集院絡みでしかエロくなっていないのだが、絶対に諦めない。

 坪倉真斗の戦闘スタイルは、諦めない粘り強さであった。

 
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