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本編

10話 公爵と師匠 ~完璧な器~

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「では、ここでお待ちください」
 僕らはフレーンリヒ家の応接室に案内される。
 待っている間、師匠はそわそわして落ち着きがなかった。

 僕は師匠の手を握り締め、師匠の不安を取り除いて安心させてあげたかった。

 ただの弟子であれば、僕はそれを行っただろう。
 けれど、恋心を持っている今の僕がその手を握ることは、何かが違う。
 そう思った僕は思い留まり、気持ちを抑えた。

「大変お待たせしました、フレーンリヒ・ド・ラッセルです」
 その声に反応して、僕らは立ち上がり、ドアから来る家主を迎える。

 ―――美しい。
 男の僕ですら心を奪われそうになった。
 
 男の僕でも綺麗だと思うシュっとした顔立ちに、さらさらの金髪のショートヘアーから覗かせる力強い瞳は、信念と自信で満ち溢れている。
 
 年齢は師匠より2、3歳上だろうか。
 さらに、優しさと安心感を与えてくれる声や立ち振る舞いは、年齢以上の落ち着きを感じさせた。
  
 「どうぞお座りください」と言って彼が手を差し出して動くと、どこかで嗅いだことのある、ほんのりと高級そうな葉巻の甘い香りした。

 師匠と握手する手は貴族の手で、剣を毎日のように振っているダンゼンや僕よりも綺麗な手をしていた。
 もしかしたら、師匠よりも綺麗な手をしているかもしれない。

「お会いできるのを楽しみにしておりました」
「こっ、こちらこそ。よっ、よろしくお、おねがいしま・・・す」
 凹んでいたのもあったかもしれないが、フレーンリヒ公爵があまりにも素敵な男性なので、師匠は頬を赤らめ緊張している。
 ダンゼンの時より緊張しているのではないか。
(これは逆に・・・)

「本当に嬉しいです。私、本当にソフィアさんのこと・・・大好きなんです」
「ふぇっ」
 僕は逆に上手くいかないんじゃないかと思っていたら、フレーンリヒ公爵は先ほどの大人な雰囲気とは違って、純粋な子どものような言い方をしたので、そのギャップに師匠が驚く。

「あっ、すいません。興奮してしまって・・・つい。実は、建国祭の時にソフィアさんの剣舞を拝見させていただいていまして、剣先の扱いからすべてが美しく、剣に込めて情熱や年月の長さ、ひたむきさが集約されていると思いました。そして、一生懸命打ち込んだものというのはその人の人柄をなすのかなと思っています。なので、ぜひお話したいと思っていたんです」
 フレーンリヒ公爵は自分の胸に手を当てて、大事な思い出をなぞるように話す。

「そっ、そんなっ、私は大した女じゃないです。ただ、無駄に歳を取った・・・」
「ソフィアさん、私なんてあなた以上に歳を重ねています。そして、何も極めてはおりません。父上たちが残してくれたこの家を守るのに必死で、何も為せていません」
「そんなことはございません」
 執事のご老人が否定したのをフレーンリヒ公爵は手で制すと、執事は一礼する。

「フレーンリヒ公もお父様を・・・?」
「ラッセルとお呼びください、ソフィアさん。・・・えぇ、父上は亡くなりました、5年前に。それから、必死に働いておりました」
 フレーンリヒ公爵は明るく答えた。

「それに比べて、ソフィアさんの剣はお父上の代よりも鋭く、妖艶で、ぐっと私の心を打ち抜いたのです。あなたはどんどん引き継いだものを昇華させている。私はあなたに敬意を払わずにはいられません」
「そっそんな・・・」
 フレーンリヒ公爵の言葉に師匠が謙遜する。

「じゃあ、ソフィアさんに敬意を払えなければ、私は誰にも敬意を払えなくなってしますよ」
 にこりと笑うと、綺麗に揃った白い歯が顔を覗かせる。

「そうだ、剣技について伺ってもいいですか?ソフィアさん」
「えっ、えぇ。わかりました、フレーンリヒ公・・・」
「ラッセルです」
「ラッセルさん・・・どうぞ」
「では・・・」
 フレーンリヒ公爵はそこから師匠の話を聞くことを中心に師匠と会話した。

 他の貴族の家では自慢話ばかり聞かされてきた僕らだったが、王族だった僕は意味がわかっても、師匠は俗世のことに無頓着で話がついていけないこともしばしばあった。

 師匠も自分の得意な話をすることで、次第に緊張が解け、時折フレーンリヒ公爵に対して自分から話を振ったりしていた。フレーンリヒ公爵も師匠の顔を見ながら、わからなそうな顔をしたら細かいところまでゆっくり説明しながら、話していた。

 僕の嫌な予感は的中してしまった。
 
 徐々に師匠がフレーンリヒ公爵に心を開き、フレーンリヒ公爵と嬉しそうに会話をし出した。

 弟子として一緒に同席していた僕は、用心棒のように黙っていたけれど、会話に入ればよかった後悔する。途中から会話に参入するような器用さは僕にない。

「いやぁ、ソフィアさんは楽しい方ですね」
「ラッセルさんのお話がお上手なんですよ」
 楽しそうに会話を続ける二人。
 しかし、一つの出来事が終わりの鐘を告げるように鳴る。

 ギューーーゥ・・・

 師匠のお腹の音だ。

「すいません、お腹が空いてしまって・・・。そろそろ、師匠。帰りましょうか」
 僕は頭を下げて謝る。

「そっ、そうだな」
 僕は師匠の本心はわからない。お腹が鳴って恥ずかしかったのか、話を区切られたからなのかはわからないが、微妙な顔をしていた。

(師匠、そんな残念そうな顔をしないでくださいよ)
 僕は水を差してしまった気がして、切なくなった。
 
「あぁ・・・、すいません。ルーク王子。ついつい話に没頭してしまいまして・・・気遣いもせずに」
 フレーンリヒ公爵も、もしかしたらお腹が鳴ったのが、師匠のお腹かもしれないと察しながらも、僕に対して深々と頭を下げてくるので、僕も少し困ってしまう。

「いえいえ、フレーンリヒ公爵。今日は師匠の弟子として来ておりますので、お気遣いなく。師匠がこんなに楽しそうにしている姿を見れて、僕も嬉しいですから」
 とはいえ、僕も他の貴族の家でやらかしている手前、王子として丁寧に答える。

「今更ながらですが、ルーク王子がそうしていただいたおかげで、肩肘張らずにソフィアさんとお話しできました。ねっ、ソフィアさん」
 ほっとしたフレーンリヒ公爵はホッとした顔で、ソフィアに話を振る。

 この男はブレない。
 フレーンリヒ公爵はこの部屋で一番大事にすべきは師匠ということを一貫していた。王子の僕ではなく、だ。

「えぇ・・・そうですね。ありがとう、ルーク」
 師匠も僕にお礼を言ってきた。

「そうだ、今日は食べていきませんか?お二人とも」
 フレーンリヒ公爵が妙案を思いついたように笑顔で話しかけてくる。

 僕は嫌だ。
 別に今までの時間が嫌だったわけじゃない。

 確かに暇だなと思うこともあったけれど、それでも師匠が楽しそうだったからという言葉に嘘はない。

 けれど、もう一度選択肢を与えられてフレーンリヒ公爵と師匠が話す場を与えるか、与えないかの選択肢を与えられたら、今は与えない、の選択肢を選ばせてほしい。

(でも、僕が優先すべきも、フレーンリヒ公爵が優先するのも師匠の意見次第)
 僕もフレーンリヒ公爵も師匠の言葉を待つ。


 ◇◇

 僕たちはフレーンリヒ家を出て夕日の中を歩いていた。

「師匠、本当に良かったんですか?」
「なにがだ?」
「夕食です。ご馳走になっていってもよかったのでは?」
「あーーー」
 師匠は天を見上げる。

 ギューーーゥ・・・

 師匠のお腹が返事をした。
 やっぱり食べたかったようだ。

「フレーンリヒ家は僕も聞いたことがあったお家でしたし、確かアンダルノ地方とも取引があったはずですからね。アンダルノ地方は牧畜が有名だから美味しい牛肉とか豚とかチキンとか食べられたんじゃないかな・・・」

 キューーーゥ・・・

 今度は切なそうに師匠のお腹が鳴る。
 これだけ素直なら、恋の方も聞いてみたい。

 ―――フレーンリヒ公爵のことを気に入ったか、と。

「くっ暗くなったら、帰りが困るだろう?」
 夕日に照らされた師匠の顔色はわからないが、なんとなく付き合いの長さで赤くなっている気がした。

「それに・・・貴方のことを放置して・・・自分だけ盛り上がってしまって・・・本当にごめんなさい」
(あぁ、なんだ。そんなことか)
 しゅんとする、師匠の姿を見ると、そんなことまで気にしてもらっていたと思うと申し訳なくなる。

「だから、別に僕のことはいいですって!師匠のお見合いについていくことは僕が決めたことですし、逆に僕のせいで破綻になったのも・・・ありますし。逆に僕がいなかったら、フレーンリヒ公爵とも、もっと話ができたのに・・・ごめんなさい!!」
「いやっ、いいんだ、ルークっ。私も貴族の方と話をするのは緊張するから、いい加減帰ろうと思っていたんだ。だから、お前が気にすることじゃない。安心してくれ」
「・・・本当ですか?」
「あぁ、本当だ」
 にっこりと笑ってくれる師匠。
 これは、嘘のない顔だとわかったので、僕も安心する。

「恋愛って・・・難しいな。ルーク」
「えっ」
 師匠は暗い顔をしている。

「あんなに盛り上がっていたのに・・・どうしたんですか?」
 師匠は寂しそうな顔をして、僕を見る。

「いや、なんでもない。忘れてくれ」
「・・・そうですか」
 僕らは黙って歩く。

「私・・・必死じゃなかったか?」
「えっ」
 師匠が僕を見ずに尋ねてきた。

「気に入られよう、気に入られようとして・・・不安で一杯だったんだ。自分のことばっかりで、弟子の貴方のこと・・・放置したまま・・・」
 師匠は王宮内での僕と同じような顔をしていた。
 誰かに認められたいけれど、誰も認めてくれない、そんな不安を背負った顔。

「いや・・・、でも・・・うふふふっ。杞憂だったな。ラッセルさんはいい人。私は大丈夫、魅力的な女性と言ってくれた」
(あれっ、強がっている?)
 師匠は僕に言い聞かせるように、そして自分に言い聞かせるように、無理して納得しようとしている。

「ねぇ、ルーク。貴方もそう思うわよね?私、ラッセルさんとなら幸せになれそうよね?」
 幸せになれるだろう。
 非の打ちどころのない彼と一緒になれれば、師匠は幸せになれる。

 幸せになれるだろうが、それが師匠にとって一番いい選択肢なのだろうか。僕が黙っていると、師匠は続けて喋る。

「ルーク、私・・・ラッセルさんとのこと前向きに考えようと思うわ」

 そんな宣言を僕は全く求めていなかった。
 なぜ、師匠が僕に宣言するのかもわからなかったけれど、僕にとっては死刑宣告に等しい言葉だった。
(僕らの師弟関係すら、終わろうとしている・・・?)
 
 風が吹いた。
 上昇気流だ。

 その風は師匠だけを高い高い、僕の手を届かない所へと運んでいく風のような気がした。
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