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第4章 怪我をしたら更に溺愛されました。

44 失敗した ◆クリストフ

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 心地の良い朝に微睡んでいた。
 いつもと同じ、けれど、最近は得られなかった心地よさを腕の中に感じていた。
 胸に、頬に、髪に触れてくる愛しい手。
 目覚めるのが勿体ないと感じてしまうほどに穏やかな朝だった。
 俺を呼ぶ甘い声。
 それに浸っていたのに、僅かな震えを感じた。

「……アキ?」

 薄っすらと開いた視界に、呆然と涙を流す姿と、抑えた嗚咽――――

「どうした、どこか苦しいのか!?」

 はらはらと流れ続ける涙に、昨夜の行為で無理をさせたかと冷や汗が流れた。
 俺の髪に触れてる左手を自分の手の中に握り込み、名を呼ぼうとして――――情けなくも言葉を失った。

 どれくらいそうしていただろうか。

「アキ」

 ようやく、声を出せた。
 アキは呆然とした表情のまま、唇を震わせる。

「クリス……どうしよう。左手、動いたぁ……っ」
「ああ…、動いたな」
「よかったぁ……っ、よかった…!!」

 今までどんなに癒やしの力を流しても、わずかに指先が動くだけだった左手。
 喜ぶアキを自分の下に引き込みながら、雫が溢れる目元に口づけ、唇にも口付けを落とした。
 恐る恐る俺の首に手を回してくるアキ。
 しがみつくほどの力はないようで、右手でしっかりと左手を掴んでるようだった。それでも、十分だ。
 一つ一つ治っていくことに素直に喜びを感じる。
 素肌を重ねてアキの体温を感じて。思いがけない喜びも得て、何度も口付けていれば、身体の方も快感を拾っていく。
 アキの体調は良さそうだが、それが無理をしてもいい理由にはならない。それでも、腰を押し付けてしまうのは許してほしい。
 抱かない代わりに、せめて口付けを…と、何度も重ねるが、その内アキから不満げな吐息が漏れてくる。

「クリス……しよ?」
「……俺が耐えてるのに、なんでアキが誘ってくるんだ……」

 苦笑しながら言葉にしたが、アキは尚も俺の理性を試してくる。
 それにしても、意外なほどにアキは元気だ。
 以前風呂場で触れた翌日は、一日寝込んでいたのに。それだけ、体力も戻ったということだろうか。

 それを指摘すれば、アキの目が彷徨い始めた。何か言葉を選びながら、うめき声のようなものを上げている。
 うろうろと定まらない視線は、時折俺を見ては、瞳を潤ませている。
 そんな様子を見せられて、理由を聞かないなんてことはできない。
 アキは言いにくそうにしていたが、観念したのか小さな声で話し始めた。

 ……まあ、その内容に、わずかに残っていた理性が飛びそうになったが。

「……キスなんかより、よほどたくさんここに、注いだからな」

 臍の下あたりを撫でれば、面白いくらいにアキの身体が跳ねた。

「俺の持つものは、全てアキの物だからな。俺の力、全てお前のために使いたい」
「…贅沢だね」
「なにが?」
「クリスの、全部使っていいとか……。みんなに妬まれそう」
「伴侶の特権だな」
「……うん!」

 ああ、いい笑顔だ。

 儚い笑顔よりも、生気に満ちた笑顔のほうがアキによく似合う。それから、艶を帯びた笑顔。……正直、これは駄目だ。抗えない。
 癒やしの力が強く働いたのだとしても、根本的には変わらない。無理をさせればアキは確実に寝込む。
 だからこの誘惑には乗るわけに行かない。
 口付けだけは…許してくれ。

「ここまでな」
「やだ、もっと」
「止まらなくなるから駄目」
「もっとがいいっ」
「……小さな子供みたいなこと言うな」
「小さな子供とこんなキスするの?」
「……アキ」
「ね……、クリス、もっと…っ」
「駄目」

 俺も我慢してるんだから。
 いつまでも頬を膨らませているアキの額を軽く弾けば、更に不満げな顔をしてくる。……可愛いが。

「……ひどい」
「少し良くなったからと言って、無理しようとするアキが悪い」
「過保護のクリスが悪い!」
「ふうん?」

 過保護にもなるだろう。
 アキが大切すぎて。
 だから、もう少しアキにも自覚してほしくて。
 抱きたくないわけじゃない。できることならベッドに縛り付けてでも貪り続けたい。
 けれど、これを優先させるわけに行かないから。アキを想うなら、尚更。

 アキの声に不安が滲む。
 ベッドを降りて、クローゼットに向かった。

「クリス?」
「仕事してくる」

 もし、アキの体調がいいなら、一緒に――――とも、思ったが。

「クリス……っ」

 どうしたものかと思案していると、震える声が背後で上がった。
 声の調子があまりにも慌てたような悲しげなようなもので、思わず振り向き……、短いベッドまでの距離を駆け出していた。
 酷く青褪めた顔で、ベッドから降りたアキが一歩も進まないうちに床に倒れ込む――――寸前で、抱きとめることができた。

「クリス」
「わかっただろ?左手が動かせるようになっても、治ったわけじゃない。無理はできないんだ」

 表情が強張っている。
 顔色も悪い。

「くりす」
「だから、アキが大丈夫と言っても、それを無条件で信じるわけには――――アキ?」

 アキの様子がおかしい。
 倒れそうになったことを怖がってるわけじゃない。
 アキの目は……、俺を、恐れている?
 何故だ。
 誘いを断ったから?
 アキをおいていこうとしたから?

「や……っ、ちゃんとクリスの言うこと聞くから、俺のこといらないって言わないでっ」
「アキ?」

 いや、違う。俺を恐れてるわけじゃない。
 アキは、俺に捨てられると思っている。
 俺の態度が、アキにそんなことを思わせてしまったのか?
 
「やだ……、ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 呼吸がおかしい。
 言葉の端々に妙な吃音が混ざる。

「ちょっと落ち着け」

 抱きしめる腕に力を入れると、アキの瞳からは余計に涙が溢れてくる。
 ……これは、失敗、した、と、思う。
 ベッドで抱きしめればよかったんだ。アキが満足するまで。口付けて、甘やかして、心配なのだと言葉で伝えれば。仕事に行くなど、言わなければよかった。

「だって……クリスがいなくなっちゃう……っ。俺が、我儘言ったから、俺がクリスを怒らせたから……っ」
「アキ」

 少し身体を離して、口付けた。
 泣いてもいい。そのままでいいから、しっかり俺を見て。

「落ち着け、俺が悪かったから。怒ってもいないし、アキのこと嫌うことなんてないし、置いていくこともしない」
「でも…」

 何かを訴える唇を塞いで言葉を奪う。

「だから、悪かった。……左手を動かせるようになったのは、素直に喜べることだけど、体調自体はそれほど戻ってないことを自覚してほしかったんだ」
「……くりす、いなくならない…?」
「アキに過保護と言われても、傍にいるよ」
「も……言わない」
「言いたいことは言っていいんだ」
「いわない……っ」

 ふるふると頭を横に振るアキは、唇を引き結んでしまう。
 ……違うんだ。そんなことを言ってほしいわけじゃない。
 俺には何でも言ってほしいのに。
 でも、そう言わせてしまったのは、俺だ。
 守りたいのに、慈しみたいのに、俺が、傷つけた。

「胸……、痛かった」
「悪かった」
「…クリス、悪くない…。悪いの、俺…」
「そんなことないから。じゃあ、お互い様ってことでいいだろ?仲直りして終わり。俺はアキを愛してるし、アキも俺が好き。そうだろ?」
「……うん」

 甘やかそう。
 アキが笑ってくれるまで。アキの心が落ち着くまで。
 いや、これから、ずっと。

 執務室に共に行くことに、アキは即答で了承した。
 やっと表情が和らいできたアキをベッドに戻し、顔中に唇を落としてから、寝間着用の服を着せる。
 俺も軽く身支度をし、ベッドの上で抱き合い口付けを交わした。


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