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婚約者様、疑ってごめんなさい

56 嬉しくて、涙が止まらない

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 職員用の駐車場に、黒塗りの車が一台待っていた。

「さ、乗ってください」

 俺を先に促して、ついで雷音監督が乗り込む。特に何も言わなくても車は走り出した
 膝の上で握った手からは血の気が失せている。

「坊ちゃん……大丈夫ですか?」
「……雷音監督は……」
「はい?」
「……………」

 言葉が続かなかった。
 嘉貴が重体。
 それだけで、もう完全にパニックに陥っている。

「今からそんなだと、病院につくまでもちませんよ」

 そんなこといわれても。

「合田…先生は、嘉貴のお兄さんなんですよ。父親は違いますがね」
「…お兄さん…」
「ええ。俺は嘉貴とは幼馴染で、合田家の………うーん…ボディーガードみたいなものですかね。ちょっと諸事情で合田…先生がここで先生をすることになったんで、俺も講師として紛れ込んでるというか。ああ。ほら、仕事はしっかりしてますよ?授業も部活も手抜きしてないでしょ?」
「………」

 知らなかった。
 けど、あまり衝撃を受けない。
 雷音監督の話の内容よりも、嘉貴が重体ってことだけが頭の中を渦巻いていて、それしか考えられないから。

「坊ちゃん?」

 ちゃんと、逢いたいって言えばよかった。
 うだうだ一人で勝手に悩んでないで、逢って話をして、抱きしめてもらえばよかった。

「……嘉貴……っ」

 震える指先で顔を覆った。
 ちゃんとしよう。
 ちゃんとしなければ。
 早く、彼の元に行かなければ。
 その後、病院に着くまで雷音監督は無言だった。
 俺はと言えば……震える体を落ちつかせるのが精一杯で。
 病院に到着するまでが……酷く長く感じられた。



 車がついた場所は比較的大きな病院だった。ここに、嘉貴がいる。
 中は清潔な白。
 消毒液の匂い。
 そこいらを歩き回るスタッフの姿。
 時々見かける白衣を着た多分医者の人。
 普段なら何も感じないのに。今はただただ、それを感じるのが嫌で……怖い。

「坊ちゃん、こっちです」
「あ、はい」

 急がなきゃならないのに、足がもつれてうまいように歩けない。
 こんなところで立ち止まってる場合じゃないのに。

「坊ちゃん…」

 雷音監督は責めることはなく、俺の腕を掴んでくれた。

「慌てなくていいです。ゆっくり深呼吸をして。俺が支えます」

 数度深呼吸を繰り返し、なんとか足を進ませた。
 俺のその様子を見て、雷音監督は頷いてから俺に歩調を合わせてエレベーターにむかう。
 エレベーターはどんどん上に上に行く。
 なるはずがないのに、上に行けばいくほど息苦しくなるようだった。
 もし……もしも。

「…………っ」

 溢れそうになった涙を、唇を噛んで堪えた。
 泣いてる場合じゃない。泣いてる時でもない。

「……坊ちゃん……」

 今は、急がなきゃ。

「………大丈夫…」

 泣かない。
 唇をかみしめて、エレベーターの表示を見た。
 エレベーターは九階で止まり、雷音監督はまた俺の腕を掴んで支えてくれる。
 どうやらこの階で間違いはないらしく、二人でエレベーターを降りた。

「こちらです」

 酷く閑散とした場所だった。
 看護師や患者に会うことのない廊下を進んで、奥まった場所にある扉の前で雷音監督は合田教授に渡されたメモと部屋の番号を確認する。

「ここですね」

 扉は閉まっている。
 部屋番号の下は空欄になっていて、一瞬、足元からヒヤリとしたものを感じた。
 雷音監督がノックする。
 それでも中から返答はない。

「行きますよ、坊ちゃん」
「……うん」

 思考が、悪い方悪い方に流れていくのを止められない。
 雷音監督が扉を開ける。
 中はすごく広くて……でも、その部屋の広さよりも、窓際に置かれたベッドが気になった。

「……なんで…?」

 使った形跡のあるベッドには、誰もいなかった。
 足元が震える。
 なんで。どうして。
 最悪のことが、脳裏をよぎる。
 その場に座り込んでしまった俺の傍で、雷音監督は部屋の中を見回していた。

「……おかしいな……」

 その呟きの理由はわからないけれど、それを問う気力もなくて。

「とにかく……確認してきます。坊ちゃんは椅子に座っていてください」
「…………」

 立てなかった。
 足に力を入れようとしても、うまくいかない。
 堪えていた涙が、頬を落ちていく。

「………失礼します」

 雷音監督はそう一言断ると、俺を軽々抱き上げて、近くのソファまで移動した。

「坊ちゃん……」

 頭の中が真っ白だった。
 ソファに降ろされてからも、どうしたらいいかわからない。

「ここに、いてください」

 雷音監督はそう念を押すと扉の方にむかった。
 ここにいろ、って言われたけど。
 いたくない。
 こんなところに、いたくない。

「雷…」
「っと」

 雷音監督を呼ぼうと振りかえったのと、雷音監督が扉を開けるのがほぼ同時だった。
 重なった雷音監督の短い驚きの声は何だろう。

「……あれ?」
「ああ。なんだ。司、来てたのか」

 鼓動が、早くなった。
 この声。
 間違えるはずもなくて。

「……嘉貴」

 気が付いたら扉にむかって歩き始めていた。

「嘉貴……っ」
「浩希?」

 車椅子に座って膝掛けをしてる嘉貴に、思い切り抱きついていた。

「嘉貴……嘉貴……っ」
「浩希……」

 嘉貴の手が、背中をなでてくれる。
 よかった。
 生きて、いた。

「………俺………俺……っ」
「浩希………顔を見せて」

 嘉貴の肩口から顔をあげると、頬に手を添えられた。

「心配かけて……ごめんね……浩希」

 涙の止まらない目元に、嘉貴が口付けてきた。
 …温かいその感触に、ようやく目の前にいるのが嘉貴だと信じられる。

「嘉貴……」

 頬に伝った涙も唇がぬぐってくれる。
 そのまま……唇を重ねられた。
 嬉しくて……嬉しくて、涙が、止まらない。



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