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降って湧いた自称婚約者と、初めて食事(デート)に行きました

4 断じて恋愛感情なんかじゃない

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 嘉貴さんの目はまっすぐに俺を見つめてくる。
 その目をずっと見ていると苦しくなってきて、思わず目をそらしてしまった。
 目は口ほどに物を言う――――なんて言うけど、本当にそうだと感じた。

『愛してます』

 言葉にしなくても、そう言われてる気がしてしまう。
 そんなふうに思われて、突然婚約者とか言われて、迷惑だとしか思っていなかったのに、妙な感情に襲われる。

 …その感情は、断じて恋愛感情なんかじゃないけど。
 大体、ついさっき初めて逢った人をこんなに簡単に好きになるわけもない。

「浩希」

 頭をなでていた手は気が付いたら俺の頬にあたっていた。
 狭い車内でこの距離は近すぎる。
 頭をなでられたときは純粋に大きくて気持ちのいい手だと思ったけど、頬に触られるのは別だ。
 どうしよう、まずい、逃げなきゃ。

「……」

 頭の中で危険信号がなってるのに、体は硬直したままだった。
 自分の心臓の音がやたら大きく感じて、胸が苦しくなる。
 嘉貴さんは微笑んだまま顔を近づけてきた。

 ――――や、も、ほんとにどうしたらいいんだよ。

『少しずつ……俺のことを知ってください、浩希』

 そう言われたのは本当についさっきだ。
 多分、五分も経ってない。
 なのに、自分は、今、キスを、されそうになってる。

「………っ」

 そうだ。
 キス。だ。
 俺、このまま嘉貴さんにキスされるんだろうか。

「浩希……」

 ただ名前を呼ばれてるだけなのに、声が熱いと感じた。
 …この人は、やっぱりすごくいい男だと思う。けど、これがキスの前振りだってわかってしまうと、どうしても意識してしまうし、形のいい口元に……目が吸い寄せられる。
 はやく、はやく突き飛ばさないと。どこかを拘束されてるわけじゃない。力一杯両手で押しのければ、力の差はあってもどうにかできるかもしれない。それに、嫌だってことを、態度で示さなきゃ。

 ………そう、思ってるのに。
 あまりにも突然のことで頭がついていかないのか、体は尚も硬直したまま動かない。…動かせなかった。

「………浩希」

 微笑んだ口元がさらに近づいてくる。
 俺は、思わず目をぎゅっとつぶっていた。
 もっともっと速くなる心臓は、過去これほど忙しなく動いたことはないってほど、脈を打つ。
 心臓が、壊れそうだった。

 ………それでも、想像していた感触は一向に訪れなかった。
 そのうち頬から手が離れて、「くす」っていう短い笑い声が聞こえてくる。

「浩希、目を開けて」
「…………え?」

 目を開けると、最初と同じように一人分の隙間を空けて嘉貴さんが座っていた。
 俺を見て、くすくす笑いながら。

「……キス、されると思った?」

 あまりにずばりな言い方に、一瞬にして顔が熱くなる。……ってことは、きっと真っ赤になってるんだろうな。

「だ…………」

 って。
 言葉は出せなかった。
 なんか、どうせ何を言ったって、俺にとっては不利にしかならないような気がしたんだ。

「言ったでしょう?………俺のことを少しずつ知ってください、って」
「……聞いた」
「なので、知ってもらうまではそんなことしませんよ」
「……信じらんない」
「貴方に嘘はつきません。……………まあ、いずれ」
「なに」
「貴方の心も体も…全てが俺のものになる日は、そう遠くないと思いますけどね」
「っ!!」

 その言い草は、いくら恋愛経験なしの俺にもはっきりわかるもので。
 いたたまれない!
 っていうか、なんなんだ、この男っ!!

「……あんたって」
「なんですか?」
「若く見えるくせにエロ親父みてぇ…」
「そうですか?…でも、それなら、俺のことをまずは一つ知ることができたでしょう?」

 悪びれないその言い方に、本心からのため息が出てしまった。

 俺、どうなるんだろう。
 こんなこと言われて、触られて。
 でも、それが嫌だなんて少しも思わかなった。

 握りしめた拳を膝の上に置いたまま、ぴくりとも動くことができない。
 なのに、目は時々嘉貴さんにむいてしまう。
 ゆったりと足を組んで扉に肘をつきながら、俺とは反対側の外を眺めている嘉貴さんの口元には、嬉しそうな楽しそうな笑みが浮かんでいた。
 それを見るだけで、また胸がドキドキしてしまう。

「……あの」
「ん?」
「どこ……向かってます?」

 何か沈黙も嫌で話しかけてしまった。
 嘉貴さんは俺に柔らかな視線をむけて、微笑む。

「知り合いのホテルでね、食事を摂ろうと思って」
「ホテル………」
「そう。比較的評判のいいところだから、浩希もきっと気に入ると思うよ」

 視線と同じ柔らかな口調。
 さっきまでの丁寧な言葉もこの人に合っているように感じたけれど、この口調のほうがより親しみやす………い。

 ……いやいや、まてまて、俺。

 この短時間でほだされ過ぎじゃないですかね。
 親しみやすいってなんだよ。
 いいじゃないか、ずっと丁寧な言葉で。
 その方が俺も壁を作りやすいのに。

「浩希?」
「……っ、と、あのっ、ホテルは、ちょっと……っ」
「どうして?」
「俺、大学から戻ったばっかりで、……服が……っ」

 嘉貴さんはピシッとしたスーツ姿なんだよ。嫌になるくらいできる大人姿の好青年な嘉貴さん。
 対して俺は、ジーンズに半袖。そこいらにいるまんま学生な格好だ。こんな服装でホテルのレストランなんて、行けるわけがない。

「……だから、今度、今度にしましょう。そうだ。今度がいい。ほら、嘉貴さんだって『少しずつ知ってほしい』って言ってたし。ほらほら、俺にとっては寝耳に水だったわけだし、今日は顔合わせだけってことで……」

 とにかく車内の狭い空間でどうこう考えるのは駄目だ。必要以上に意識してしまいそうになる。
 嘉貴さんは特に遮ることなく俺の話を頷きつつ聞いて、「わかりました」と言った。




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