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降って湧いた自称婚約者と、初めて食事(デート)に行きました

6 ずっと聴いていたい

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「浩希」

 嘉貴さんは一度足を止めて、俯いた俺の顔にかかった前髪をかきあげてきた。

「何度も言いますが、その服装で何も問題ありません。……予定外に貴方に服を贈ることができて、俺はとても嬉しいんです。……贔屓目だけじゃなく、貴方は可愛らしいです。だから、俯かないで。俺が傍にいるんですから、誰も貴方に手を出すことはできません」

 俺に手を出すやつなんていないと思うんだけど。

「……嘉貴さんは、スーツだし」

 思わずポロリと出た言葉。
 嘉貴さんがもっとラフな格好なら、ここまで俺が気にすることもなかったんだろうか。

「まあ……いい印象を持ってもらうためにはこの格好が一番でしょう?」
「印象、て」
「婚約者として貴方を迎えに行くのですから、下手な格好はできません。……それでなくとも十六年会ってなかったんですから。永祐さんはまだお仕事中だとわかってましたけど、百合恵さんにだってきちんとした大人だと見られたかったですし、浩希、貴方からもしっかりした大人だと見られたかった。……貴方を任せるに値する大人だと思ってほしかった」

 絶句。
 言葉が出ない。

「ここでの食事だって、浩希に楽しんでもらいたい一心で選びました。……服装のこととか、浩希の希望とか、何一つ考える余裕がないほどに。……それほど俺は待ち望んでいたんですよ。だから、今日は、今夜は、俺に任せてください」

 繋いでいた手を持ち上げられて、腰を少し曲げた嘉貴さんが、俺の指先に唇を当てた。

「っ」
「行きましょう」

 姿勢を戻した嘉貴さん。
 俺の心臓がバクバクしててうるさい。
 周りの視線がぐさぐさ突き刺さる。
 キスをされたところが酷く熱い。
 促され、また歩き始めた。
 車から俺たちを案内していた男の人は、にこやかな表情のままエレベーターを準備して待っていてくれた。

「……でも、浩希」
「なんだよ」
「貴方は本当に可愛いから……気をつけないと」

 だから、何を気をつけろと言うんですか。

 嘉貴さんは本当に楽しそうに笑いながら、俺の手を握ったままエレベーターに乗り込んだ。
 エレベーターでどんどん上に行く。
 離せばよかったのに、何故か手をつないだままだった。
 夏の夕暮れの時間。西の空が色づき始めているけれど、まだ外は灯りがなくても見えるほどに明るくて、外に面している壁は一面のガラス張りになっていて外の様子がよくわかる。
 夕焼けが綺麗だ。オレンジ色が青色と混ざるこの時間は結構好きかもしれない。

「浩希」
「なに?」

 窓の外から嘉貴さんに視線を戻すと、何が楽しいのか、嬉しいのか。にこやかな笑顔にぶつかった。

「今度二人で泊まりに来ましょうか」
「却下」

 即答してから、また窓の外に視線を移した。

「つれないですね」

 口調がどこか笑ってる。
 …こんなところでからかうなよっ。んっとに。

 エレベーターは最上階についた。
 どこに行くんだろう…と、妙にドキドキしてくる。
 ちらっと見た案内板にはフレンチレストランがあるって見えた。

「こちらです」

 促されるままについて行く。
 嘉貴さんの足取りは迷いがなくて、恐らく何度も来てるんだろう。
 案内人の男の人は案内板に書かれていたレストランの入り口ではなくて、そこから少し離れた扉を開けた。

「どうぞ」

 嘉貴さんに手をひかれたまま、室内に入る。

「……うわ」

 目の前には華美すぎないけど花やなんやらで飾られた個室が広がっていた。
 しかも、大きな壁一面の窓からは、夕焼けに色づいていく街が一望できる。
 白いクロスのかけられたテーブルの上には、飾られている花の他に赤いバラの大きな花束が置かれていた。
 それが全然嫌味に感じられないのは何故だろう。

「…ああ、注文通りだ」
「ありがとうございます」
「食事は十五分後にお願いします」
「かしこまりました。では失礼いたします」

 深々と頭を下げてから、男の人がいなくなる。
 扉が閉められて二人きりになってしまった。

「気に入った?」
「うん。綺麗だ」

 それは素直に口から出た。
 握っていた手を離して、窓の傍に歩み寄る。
 こんな景色、見たことがない。

「夜景も綺麗なんですよ」

 窓にへばりつきながら外を眺めていた俺の後ろに、嘉貴さんが立った。

「食事が終わるころには綺麗な夜景が見れるといいんですが」
「天気いいし、大丈夫じゃない?」

 突然婚約者だと紹介されて、突然こんなところまで連れてこられた割に、俺は結構楽しんでいたようだ。
 嘉貴さんが、第一印象の通り、やっぱり好青年ってやつなんだろうな…って思ってしまうからかもしれないけど。
 不思議なくらいに警戒心がなくなってる。
 なんでだろうな。
 結局、手だってずっと繋いだままだったし。
 窓越しに嘉貴さんの顔を見ていた。
 俺の視線に気づいたのか、嘉貴さんがふっと微笑んだ。
 …それが、悪かったのかもしれない。
 ドキドキが、強くなった。

「…浩希」

 真剣な目を見てしまったから、伸びてきた腕を振り払うことができなかった。

「……浩希」

 後ろから、抱きしめられた。

「…嘉貴、さん」
「ごめん……少しだけ」
「……」

 外を、見続けることができなかった。
 窓に視線を移すと、後ろから抱きしめられてる自分が見えてしまう。
 ……何故か、嫌だとは感じなかった。
 細く見えるのに意外と逞しくて力強い腕と、大きくて広い胸の中にすっぽり包まれていると、…嫌になるくらい落ち着いてしまう。

「浩希……」

 胸がドキドキするのと同時に、こみ上げてくる懐かしさ。

「愛してる……浩希」

 鼓膜を震わすこの声を……ずっと聴いていたい……なんて。
 俺、どうしちゃったんだろう。




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