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第4章 過去編
従者カトレア その二
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主であるアリアの下へ勇人が訪れ、二人が楽しそうに出かけたことを確認してから、カトレアも動き始める。
お付のメイドとして主人を放っておくのはどうなのかとは思うが、勇人が傍にいるのならば余程のことが無い限り大丈夫なので問題はない。
それよりも、カトレアはこのチャンスを活かして魔法研究所へと向かう。勇人がこちらにいるということは、フィアは研究所に戻っている可能性が高いからだ。
カトレアが魔法研究所に向けた歩いていると、廊下の角から会いたくない人物に出会ってしまった。
(うげ……賢者様)
赤茶色をした長髪に、糸目に片眼鏡を付けた優男風の男性が歩いてくる。
この国でも一番の知識人であり賢者と呼ばれているロス・マイヤー・シュバルツは、常に柔和な笑みを浮かべて、女性に優しいフェミニスとだとメイドたちの間で噂になっているが、カトレアはロスのことがあまり好きではなかった。
アリアの笑顔を見てきたカトレアからしてみれば、ロスの笑顔は仮面のようであり、女性のように優しいと言われているが、あの細めでこちらの姿を捉えられると、虫でも観察しているような目を向けられているように見えてしまう。
そして一番に苦手としている理由は、彼がアリアのことを懸想していることだ。
初めてアリアとロスが出会った時がいつだったかは覚えていないが、確か七歳くらいだったはずだ。
あの時からやたらアリアに馴れ馴れしいと思っていたが、気がつけばロスがアリアのことを女性として好きになっていた。
初めのうちはカトレアとて喜んだ。賢者とまで称される男性がアリアを好いてくれているのならば、問題ないとも思った。
だが、カトレアは気付いてしまった。いつも細められているロスの瞳の奥に、狂気ともとれる感情が渦巻いていることに。あれはどこまでも深い独占欲といえる感情だった。
あんなものを持っている人に、アリアを近づけていると、いつかは強引にでも手籠めにしようとするのではないかと思えてしまった。
アリアを守る為、カトレアはクレスティン家の当主に直訴してアリアを王宮へは向かわせないようにした。その頃には、周囲がアリアのことを馬鹿にし始めていたので、二つ返事で受け入れたもらえた。
だが、アリアは国王の勅命により王宮に戻ってきてしまった。
さすがに数年ほどアリアと会っていなければロスの気持ちも変わっているだろうと思っていなかったが、王宮で出会ったロスの気持ちはまったく変わっていなかったのだ。
何かある度に顔を合わせにくる。以前に勇人と鉢合わせした時の張り詰めた空気は、もう勘弁してくださいと言いたいほどのだった。
ロスは、カトレアの心労は大きくする要因の一人なので、出来れば近づかなくてほしいのだが――。
「おや? 貴女は」
(ちっ、気付いたか)
カトレアの姿を発見するや近づいてくるロスを見て、思わず舌打ちする寸前に、なんとか踏みとどまる。
「これは賢者様。私のようなメイドにどのようなご用でしょうか?」
メイドとしての仮面を貼り付けると、ロスも笑顔の仮面を張り付けたまま語りかける。
「用という程度のことはありません。顔見知りを見たので挨拶でもしようと思っただけです」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
できるだけ皮肉気味に言ってみるが、ロスはまるで答えた様子はない。
「ところで、アリアと一緒ではないのですか?」
ところでなどというが、本音が透けて見える。明らかに本題はそちらであった。
「アリア様は勇者様と共に街へと出かけられました。とても楽しそうでしたよ」
「……そうか。残念だな」
ピクリッと眉が反応して笑顔の仮面が崩れかけるのを見たカトレアは、ざまあみろと思いながら頭を下げる。
「それでは。私は用事もございますのでこれで失礼します」
「……ああ。引き留めて悪かったね」
アリアが傍にいないカトレアなど引き留めてもしょうがないとばかりに解放される。
カトレアは、ロスの姿が完全に見えなくなったのを確認してからようやく身体から力を抜いた。
「まったく、余計な時間を喰ってしまいました」
頭を振って気持ちを切り替えると、カトレアは魔法研究所へと急いだ。
******
研究所の中へと入ると、ほとんどの人間が作業に没頭していたカトレアが来たことに気が付いていなかった。
研究熱心なのは結構だが、これではいつまでたっても気付かれないだろうと踏んだカトレアは、一番近くにいた職員に声をかける。
「あのーすみません」
「……うわっ!? め、メイド? えっと、なにか用ですか?」
「フィア・ローゼスミント様にご用があってきました。いまはいらっしゃいますか?」
「所長に? すみませんがどういったご用件ですか?」
メイドがいきなり研究所の所長を訪ねてきたことに、職員の女性は警戒を見せる。
「私はアリア様お付のメイドで、カトレアと申します。勇者様についてお話があってきました」
「アリア……ああ、公爵家の。勇者様についてねぇ。……そういう理由ならわかったわ。所長は奥の研究室にいるわよ。あ、パスワードがあってね、ドアを二回叩いてからノブを一回捻って、もう一回ドアを叩かないと開かないから注意してね」
「ありがとうございます」
さらりと流れるように嘘を吐くが、それが堂々としすぎていたのと勇者という単語が関わっていたからなのか、職員の女性も疑いをもたなかった。
カトレアが頭を下げたを見て、すぐに研究に戻った辺り、案外話しているのが面倒だからさっさと終わらせた可能性が高そうであった。
とはいえ、カトレアにとっては実に好都合である。そのまま、何食わぬ顔で研究所の奥へと足を踏み入れて、フィアの研究室の前まで来た。
「確か、ドアを二回、ノブを一回、ドアを一回でしたね」
言われた通りにすると、最後にノックした段階でドアが独りでに開いた。
「失礼します」
カトレアが研究室の中へ入ると――そこはゴミ溜めだった。
床一面には紙の束と付箋のついた本が投げ擦捨てられており、部屋の片隅には腐敗した生ごみがペースト状になるまで放置されている。
一瞬、これはなにかの研究なのかと勘繰ったが、それならばこんなにも無造作にされているはずはないので、本当に腐っているだけだろう。
「んん? だれぇ」
積み上げられた資料の山が崩れたかと思えば、カトレアが探していたフィアが姿を現す。
髪はボサボサで服はパンツ一丁という大変に男前らしい格好だった。
「……」
「えっと、君だれ?」
「……あ、申し遅れました。私はアリア様お付のメイドで、カトレアと申します」
思わぬ光景に、絶句していたせいでカトレアの反応が遅れる。慌てて自己紹介をして頭を下げると、フィアはヒラヒラと手を振りながら欠伸をする。
「アリアのメイドねぇ」
「今日は――」
「ああ、回りくどいのは止めて。時間の無駄。メイドちゃんはなんの用があってきたの?」
軽い世間でも挟んでからと思ったが、ばっさりと切り捨てられた。
そうまで言われた以上、余計な言葉は必要ないだろう。
「では、単刀直入に言いましょう。アリア様を旅のメンバーから外してください。あの方は争いができるような人ではありません」
フィアを見据えて睨みつけるように言い放つが、欠伸をされてしまう。
「却下。アリアは旅に連れて行くわ。これはもう決定事項よ」
「何故です? アリア様が旅についていけると本当に思っていらっしゃるのですか?」
「全然。むしろかなり辛いだろうね」
「わかっていらっしゃるのなら何故連れていこうというのです!」
勇者の発言とフィアの賛同が合わされば、例えどんな足手まといといえど、本当にアリアが旅に連れ出されてしまう。
それではみすみす見殺しにするだけだ。
「ふむ。メイドちゃんはアリアを旅に連れ出すデメリットが大きいから拒否しているんだよね?」
「? え、ええ、そうです」
「じゃあ、メリットがデメリットを上回ったら許可してくれるの?」
「……どういうことです?」
「まあ、聞いてよ。私がアリアを連れていく理由は二つ。一つは勇人が望んで、アリア自身も連れて行ってほしいと言ったから。これは二人の意思だね。二つ目はこのままアリアを王宮に置いておくほうが危険だからだよ。友人を危ない目に晒すのはナンセンスよ」
「王宮が、危険? それは命をかけて旅するよりもですか?」
カトレアは、フィアの言葉を信じられずに目を丸くする。
「私は少なくともそう思うよ。いけ好かない賢者の手籠めにされるのと、命がかかっていても好きな人の傍で寄り添えるのはどちらがいいって聞かれたら、私は後者を選ぶよ」
「……待ってください。あのど腐れ外道めが――コホンッ、賢者様は魔王討伐の旅に行くはずでは?」
「うん、そうだよ。でもアイツ子飼いの人間は沢山いる。前から怪しいとは思っていたけど、ユーキが現れてからは特に怪しくなった。多分、私たちがアリアの傍から離れたら誘拐でもされるんじゃない?」
「そんなまさか」
「メイドちゃんも知っているでしょ? 賢者のアリアに対する異様な執着心を。遠見の魔法で何度か盗み見たけど、冗談でもなくヤバイよあれは。記憶消去なんていう禁止魔道具を裏から取り寄せていたくらいだから、本気でアリアのことを自分だけを見る人形に変えるつもりなんだと思う」
「…………」
確かにロスがアリアに対して執着していたことは知っていたが、まさかそんな物まで取り寄せているとは思ってもみなかったカトレアは絶句する。
「そ、それは国王陛下様方にお伝えされたのですか?」
「してないよ? 報告してもアイツなら上手く隠すだろうし、なによりこの王宮で遠見の魔法は禁止されている。どうやって知ったのか、なんて追及されたら逆にこっちが危ないよ」
「……ですが、それならば賢者様のいる旅にアリア様が同行することこそ、危険なのでは?」
「私とユーキ、他にも堅物で噂の騎士団長が傍に居て手が出せるようなら、どんな状況でも守りきるのは無理じゃない?」
「…………」
まったく持ってフィアの言う通りである。
この国で最強布陣がアリアの傍にいる以上、いくら賢者とて気軽に手が出さるものではない。逆に、その三人の目を盗んでどうにかできるのなら、カトレア程度ではどうしようもない。
「王宮にアリアが残る危険性をわかってくれた?」
「……その話が本当だという事実は?」
なおも抵抗しようとするカトレアを見て、フィアはワザとらしく溜め息を吐いてみせる。
「君のことも忘れて、賢者の言う事しか聞かない人形になったアリアを見たいならみたいなら好きにすれば? それにさ、王宮にいてほしいというのはメイドちゃんの我儘でしょ? 心配するフリをして、本当は自分の傍から離れるのが嫌なんでしょ?」
「――――」
カトレアは、心の奥底に仕舞い込んでいた感情を抉られたことで一瞬、頭が真っ白になる。
「メイドちゃんが自分の気持ちを隠して、アリアを守るなんて建前で自分の欲望を満たそうとしたこと。それが私としては気にいらないね」
「わ、私はアリア様のことを考えて――」
「本当に? ユーキは確かに提案したけど、最終的に一緒に行くことを選んだのはアリアだよ? メイドちゃんは、アリアの決断を自分のエゴで踏みにじるの?」
止めを刺されたカトレアは、ついに泣きそうな顔で黙ってしまう。
「メイドちゃんもさ、遠慮なんかしなくていいのに。いまさら同行にメイドが一人増えたくらいなんでもないんだからさ、傍にいたいならハッキリいえばいいじゃない」
「それは皆様にご迷惑が――」
「守る相手が一人だろうが二人だろうが変わらないって。それに、メイドちゃんが居ればアリアのお世話だってできるでしょ? 想像してみて。私、ユーキ、賢者、堅物騎士団長でアリアのお世話なんて誰もできないでしょ?」
その四人が魔王討伐の旅という中でアリアの世話をする姿を想像してみるが、恐ろしい結果になった。
「確かに、お任せできる方はいらっしゃらないですね」
「でしょ? 昔からアリアのことを知っているメイドちゃんがいれば、アリアとしても心強いと思うよ?」
フィアの提案は、先ほど自分が危険だと言ったことも忘れてしまうほどに魅力的なモノだった。
「さあ、どうするのメイドちゃん。一緒についてきたいなら、メイドちゃんのことも私からユーキたちに話を通しておくよ。とはいえ、無理にとはいわないけどね。一人でお留守番していてもいいんだよ?」
最後のダメ押しを喰らい、カトレアの間で揺れ動いていた心が定まる。
「わ、私は」
「私は?」
「私は、アリア様のお傍から離れたくはありません。なの、で、私も、連れて行ってもらえないでしょうか?」
「うん。わかった」
あまりのも呆気ないほど簡単に、フィアが頷いた。
カトレアは、アリアを止めるための足掛かりとしてフィアの元へと訪れておきながら、自分も旅に同行するようになってしまった。
だけど、後悔はしていない。
カトレアが胸の内に秘めていた、アリアの傍にいるという本当の目的が達成できたのだから。
お付のメイドとして主人を放っておくのはどうなのかとは思うが、勇人が傍にいるのならば余程のことが無い限り大丈夫なので問題はない。
それよりも、カトレアはこのチャンスを活かして魔法研究所へと向かう。勇人がこちらにいるということは、フィアは研究所に戻っている可能性が高いからだ。
カトレアが魔法研究所に向けた歩いていると、廊下の角から会いたくない人物に出会ってしまった。
(うげ……賢者様)
赤茶色をした長髪に、糸目に片眼鏡を付けた優男風の男性が歩いてくる。
この国でも一番の知識人であり賢者と呼ばれているロス・マイヤー・シュバルツは、常に柔和な笑みを浮かべて、女性に優しいフェミニスとだとメイドたちの間で噂になっているが、カトレアはロスのことがあまり好きではなかった。
アリアの笑顔を見てきたカトレアからしてみれば、ロスの笑顔は仮面のようであり、女性のように優しいと言われているが、あの細めでこちらの姿を捉えられると、虫でも観察しているような目を向けられているように見えてしまう。
そして一番に苦手としている理由は、彼がアリアのことを懸想していることだ。
初めてアリアとロスが出会った時がいつだったかは覚えていないが、確か七歳くらいだったはずだ。
あの時からやたらアリアに馴れ馴れしいと思っていたが、気がつけばロスがアリアのことを女性として好きになっていた。
初めのうちはカトレアとて喜んだ。賢者とまで称される男性がアリアを好いてくれているのならば、問題ないとも思った。
だが、カトレアは気付いてしまった。いつも細められているロスの瞳の奥に、狂気ともとれる感情が渦巻いていることに。あれはどこまでも深い独占欲といえる感情だった。
あんなものを持っている人に、アリアを近づけていると、いつかは強引にでも手籠めにしようとするのではないかと思えてしまった。
アリアを守る為、カトレアはクレスティン家の当主に直訴してアリアを王宮へは向かわせないようにした。その頃には、周囲がアリアのことを馬鹿にし始めていたので、二つ返事で受け入れたもらえた。
だが、アリアは国王の勅命により王宮に戻ってきてしまった。
さすがに数年ほどアリアと会っていなければロスの気持ちも変わっているだろうと思っていなかったが、王宮で出会ったロスの気持ちはまったく変わっていなかったのだ。
何かある度に顔を合わせにくる。以前に勇人と鉢合わせした時の張り詰めた空気は、もう勘弁してくださいと言いたいほどのだった。
ロスは、カトレアの心労は大きくする要因の一人なので、出来れば近づかなくてほしいのだが――。
「おや? 貴女は」
(ちっ、気付いたか)
カトレアの姿を発見するや近づいてくるロスを見て、思わず舌打ちする寸前に、なんとか踏みとどまる。
「これは賢者様。私のようなメイドにどのようなご用でしょうか?」
メイドとしての仮面を貼り付けると、ロスも笑顔の仮面を張り付けたまま語りかける。
「用という程度のことはありません。顔見知りを見たので挨拶でもしようと思っただけです」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
できるだけ皮肉気味に言ってみるが、ロスはまるで答えた様子はない。
「ところで、アリアと一緒ではないのですか?」
ところでなどというが、本音が透けて見える。明らかに本題はそちらであった。
「アリア様は勇者様と共に街へと出かけられました。とても楽しそうでしたよ」
「……そうか。残念だな」
ピクリッと眉が反応して笑顔の仮面が崩れかけるのを見たカトレアは、ざまあみろと思いながら頭を下げる。
「それでは。私は用事もございますのでこれで失礼します」
「……ああ。引き留めて悪かったね」
アリアが傍にいないカトレアなど引き留めてもしょうがないとばかりに解放される。
カトレアは、ロスの姿が完全に見えなくなったのを確認してからようやく身体から力を抜いた。
「まったく、余計な時間を喰ってしまいました」
頭を振って気持ちを切り替えると、カトレアは魔法研究所へと急いだ。
******
研究所の中へと入ると、ほとんどの人間が作業に没頭していたカトレアが来たことに気が付いていなかった。
研究熱心なのは結構だが、これではいつまでたっても気付かれないだろうと踏んだカトレアは、一番近くにいた職員に声をかける。
「あのーすみません」
「……うわっ!? め、メイド? えっと、なにか用ですか?」
「フィア・ローゼスミント様にご用があってきました。いまはいらっしゃいますか?」
「所長に? すみませんがどういったご用件ですか?」
メイドがいきなり研究所の所長を訪ねてきたことに、職員の女性は警戒を見せる。
「私はアリア様お付のメイドで、カトレアと申します。勇者様についてお話があってきました」
「アリア……ああ、公爵家の。勇者様についてねぇ。……そういう理由ならわかったわ。所長は奥の研究室にいるわよ。あ、パスワードがあってね、ドアを二回叩いてからノブを一回捻って、もう一回ドアを叩かないと開かないから注意してね」
「ありがとうございます」
さらりと流れるように嘘を吐くが、それが堂々としすぎていたのと勇者という単語が関わっていたからなのか、職員の女性も疑いをもたなかった。
カトレアが頭を下げたを見て、すぐに研究に戻った辺り、案外話しているのが面倒だからさっさと終わらせた可能性が高そうであった。
とはいえ、カトレアにとっては実に好都合である。そのまま、何食わぬ顔で研究所の奥へと足を踏み入れて、フィアの研究室の前まで来た。
「確か、ドアを二回、ノブを一回、ドアを一回でしたね」
言われた通りにすると、最後にノックした段階でドアが独りでに開いた。
「失礼します」
カトレアが研究室の中へ入ると――そこはゴミ溜めだった。
床一面には紙の束と付箋のついた本が投げ擦捨てられており、部屋の片隅には腐敗した生ごみがペースト状になるまで放置されている。
一瞬、これはなにかの研究なのかと勘繰ったが、それならばこんなにも無造作にされているはずはないので、本当に腐っているだけだろう。
「んん? だれぇ」
積み上げられた資料の山が崩れたかと思えば、カトレアが探していたフィアが姿を現す。
髪はボサボサで服はパンツ一丁という大変に男前らしい格好だった。
「……」
「えっと、君だれ?」
「……あ、申し遅れました。私はアリア様お付のメイドで、カトレアと申します」
思わぬ光景に、絶句していたせいでカトレアの反応が遅れる。慌てて自己紹介をして頭を下げると、フィアはヒラヒラと手を振りながら欠伸をする。
「アリアのメイドねぇ」
「今日は――」
「ああ、回りくどいのは止めて。時間の無駄。メイドちゃんはなんの用があってきたの?」
軽い世間でも挟んでからと思ったが、ばっさりと切り捨てられた。
そうまで言われた以上、余計な言葉は必要ないだろう。
「では、単刀直入に言いましょう。アリア様を旅のメンバーから外してください。あの方は争いができるような人ではありません」
フィアを見据えて睨みつけるように言い放つが、欠伸をされてしまう。
「却下。アリアは旅に連れて行くわ。これはもう決定事項よ」
「何故です? アリア様が旅についていけると本当に思っていらっしゃるのですか?」
「全然。むしろかなり辛いだろうね」
「わかっていらっしゃるのなら何故連れていこうというのです!」
勇者の発言とフィアの賛同が合わされば、例えどんな足手まといといえど、本当にアリアが旅に連れ出されてしまう。
それではみすみす見殺しにするだけだ。
「ふむ。メイドちゃんはアリアを旅に連れ出すデメリットが大きいから拒否しているんだよね?」
「? え、ええ、そうです」
「じゃあ、メリットがデメリットを上回ったら許可してくれるの?」
「……どういうことです?」
「まあ、聞いてよ。私がアリアを連れていく理由は二つ。一つは勇人が望んで、アリア自身も連れて行ってほしいと言ったから。これは二人の意思だね。二つ目はこのままアリアを王宮に置いておくほうが危険だからだよ。友人を危ない目に晒すのはナンセンスよ」
「王宮が、危険? それは命をかけて旅するよりもですか?」
カトレアは、フィアの言葉を信じられずに目を丸くする。
「私は少なくともそう思うよ。いけ好かない賢者の手籠めにされるのと、命がかかっていても好きな人の傍で寄り添えるのはどちらがいいって聞かれたら、私は後者を選ぶよ」
「……待ってください。あのど腐れ外道めが――コホンッ、賢者様は魔王討伐の旅に行くはずでは?」
「うん、そうだよ。でもアイツ子飼いの人間は沢山いる。前から怪しいとは思っていたけど、ユーキが現れてからは特に怪しくなった。多分、私たちがアリアの傍から離れたら誘拐でもされるんじゃない?」
「そんなまさか」
「メイドちゃんも知っているでしょ? 賢者のアリアに対する異様な執着心を。遠見の魔法で何度か盗み見たけど、冗談でもなくヤバイよあれは。記憶消去なんていう禁止魔道具を裏から取り寄せていたくらいだから、本気でアリアのことを自分だけを見る人形に変えるつもりなんだと思う」
「…………」
確かにロスがアリアに対して執着していたことは知っていたが、まさかそんな物まで取り寄せているとは思ってもみなかったカトレアは絶句する。
「そ、それは国王陛下様方にお伝えされたのですか?」
「してないよ? 報告してもアイツなら上手く隠すだろうし、なによりこの王宮で遠見の魔法は禁止されている。どうやって知ったのか、なんて追及されたら逆にこっちが危ないよ」
「……ですが、それならば賢者様のいる旅にアリア様が同行することこそ、危険なのでは?」
「私とユーキ、他にも堅物で噂の騎士団長が傍に居て手が出せるようなら、どんな状況でも守りきるのは無理じゃない?」
「…………」
まったく持ってフィアの言う通りである。
この国で最強布陣がアリアの傍にいる以上、いくら賢者とて気軽に手が出さるものではない。逆に、その三人の目を盗んでどうにかできるのなら、カトレア程度ではどうしようもない。
「王宮にアリアが残る危険性をわかってくれた?」
「……その話が本当だという事実は?」
なおも抵抗しようとするカトレアを見て、フィアはワザとらしく溜め息を吐いてみせる。
「君のことも忘れて、賢者の言う事しか聞かない人形になったアリアを見たいならみたいなら好きにすれば? それにさ、王宮にいてほしいというのはメイドちゃんの我儘でしょ? 心配するフリをして、本当は自分の傍から離れるのが嫌なんでしょ?」
「――――」
カトレアは、心の奥底に仕舞い込んでいた感情を抉られたことで一瞬、頭が真っ白になる。
「メイドちゃんが自分の気持ちを隠して、アリアを守るなんて建前で自分の欲望を満たそうとしたこと。それが私としては気にいらないね」
「わ、私はアリア様のことを考えて――」
「本当に? ユーキは確かに提案したけど、最終的に一緒に行くことを選んだのはアリアだよ? メイドちゃんは、アリアの決断を自分のエゴで踏みにじるの?」
止めを刺されたカトレアは、ついに泣きそうな顔で黙ってしまう。
「メイドちゃんもさ、遠慮なんかしなくていいのに。いまさら同行にメイドが一人増えたくらいなんでもないんだからさ、傍にいたいならハッキリいえばいいじゃない」
「それは皆様にご迷惑が――」
「守る相手が一人だろうが二人だろうが変わらないって。それに、メイドちゃんが居ればアリアのお世話だってできるでしょ? 想像してみて。私、ユーキ、賢者、堅物騎士団長でアリアのお世話なんて誰もできないでしょ?」
その四人が魔王討伐の旅という中でアリアの世話をする姿を想像してみるが、恐ろしい結果になった。
「確かに、お任せできる方はいらっしゃらないですね」
「でしょ? 昔からアリアのことを知っているメイドちゃんがいれば、アリアとしても心強いと思うよ?」
フィアの提案は、先ほど自分が危険だと言ったことも忘れてしまうほどに魅力的なモノだった。
「さあ、どうするのメイドちゃん。一緒についてきたいなら、メイドちゃんのことも私からユーキたちに話を通しておくよ。とはいえ、無理にとはいわないけどね。一人でお留守番していてもいいんだよ?」
最後のダメ押しを喰らい、カトレアの間で揺れ動いていた心が定まる。
「わ、私は」
「私は?」
「私は、アリア様のお傍から離れたくはありません。なの、で、私も、連れて行ってもらえないでしょうか?」
「うん。わかった」
あまりのも呆気ないほど簡単に、フィアが頷いた。
カトレアは、アリアを止めるための足掛かりとしてフィアの元へと訪れておきながら、自分も旅に同行するようになってしまった。
だけど、後悔はしていない。
カトレアが胸の内に秘めていた、アリアの傍にいるという本当の目的が達成できたのだから。
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