53 / 58
フローレンスと二人きりで
しおりを挟む
わたしが連れてこられたのは王宮の一角にある厳重に結界を張られた、貴人用の牢屋だった。といってもよくある牢屋のように鉄格子に冷たい石壁むき出しの、というものではない。
高貴なる人が囚われる、一般の虜囚とは扱いの違う牢屋で、小さな窓と見張りのいる扉以外は普通の客用の居室とあまり変わらない。
わたしがここに連れてこられて二日目。
わたしの罪状はフローレンス・アイリーンをそそのかして、彼女に竜の卵を盗ませて黄金竜を魔法学園におびき寄せたこと。それ以前の彼女への度重なる嫌がらせ。
ちなみにアレックス教師はヴァイオレンツに嫉妬をされたのか、あのまま白亜の塔送りになった。どうやらわたしとアレックスが共犯ということになっているらしい。
まったく、どうしてそうなる。というか、よくもまあフローレンスのあの妄言を信じるなとわたしは呆れていた。明らかに話が破たんしていたのに。
さすがは乙女ゲームの世界。
この国ではフローレンスの言葉は絶対らしい。どんな魔法だよどんな法則だよ、と突っ込みたい。
幽閉されていると暇で、いろんなことを考えちゃう。
わたしの白亜の塔送りはたぶん確定で。
あーあ。結局はこのルートに逆戻りか、とか最後にレイルとちゃんと話をしておきたかったな、とか。
コンコン、と扉が叩かれたのはそんなとき。
役人が罪状を言いに来たのかなと、わたしは身構えた。
少しして入ってきたのはフローレンスだった。
彼女は、一人だった。
薄茶の髪に緑色の髪をしたごく普通の女の子。クラスの中で一番かわいいというわけでもなく、平均よりもちょっと上くらいの可愛さ。悪く言えば平凡な子。ってどこかのアイドルグループのコンセプトのような子がこの乙女ゲームのヒロインのフローレンスだ。
そのヒロインがわたしの元を単独で訪れた。
おっとりとした顔だちにうっすらと笑みを浮かべている。
彼女は見張りの人間に「しばらく二人きりにして頂戴ね」と言づけている。何か言われたのか、肩を震わせて「大丈夫。彼女は今魔法を封じられているのよ」と笑って答えた。
今のわたしは両腕に魔法封じの腕輪をつけられている。
しかもわたしが今いるところは結界を幾重にも張った最重要警備の施された場所。逃亡も、彼女に危害を加えることもできない。あ、素手で平手打ちくらいならできるか。
まあしないけど。
見張りを宥めたフローレンスは扉を閉めた。
室内にわたしと彼女、二人きりになる。
いったい何を思って彼女はここに来たのだろう。
「うふふ。差し入れを持ってきたのよ。わたしの手作りお菓子なの」
乙女ゲームの世界観に合わせてフローレンスもお菓子作りが得意だったな、と思い出す。彼女の作ったお菓子が素朴で美味しいとヴァイオレンツの心を掴むのだ。
わたしは黙ったままフローレンスを見つめ返した。
「ヴァイオレンツ様もおいしいって褒めてくださったの。わたし、リーゼロッテ様たちと違って庶民の出でしょう。高級な材料なんてなかなか手に入れることなんてできないし、道具も同じ。でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。当然よね。だって、わたしが作ったんだもの」
あれ。こんなこと言う子だったっけ?
わたしは内心首をかしげる。
わたしの知っているゲームの中のフローレンスっていう子は『でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。お世辞だとしても嬉しかったわ』とか続けるくらい遠慮深い。
彼女は勧めていないのに、勝手に部屋の中央にある応接セットの椅子に座り、ローテーブルの上にバスケットを置いた。
中から取り出したのはクッキーやパウンドケーキ。
ポットに入ったお茶もある。
お茶会の道具を広げて、彼女は自分のカップにお茶を入れて飲みはじめる。
「リーゼロッテ様もいかが? それとも、わたしの作ったお菓子は口に合わないかしら。そういえば、そういうシチュエーションもあったはずなのに、この世界では一度もあなたとお茶する機会が無かったわよね」
わたしの背筋に冷たい汗が伝った。
いま、この子はそういうシチュエーションもあったのに、と言った。この世界っていったいどこの世界のことを言っているの。
わたしの疑問に、頭の中である答えが点滅する。クイズ番組で言うなら早押しピンポーンってランプが光るアレ。
「別に他意は無かったの。ただ、いつもタイミングが悪かっただけで」
わたしは慎重に言葉を紡いだ。
「そうね。いつもリーゼロッテ様は何か理由をつけてわたしの前に現れなかった。勉強が忙しいとか、宿題がまだ終わっていないとか、レポートの提出期限がどうのとか。まあ、それもいいように利用させてもらったけど」
でしょうね。わたしは乙女ゲームのヒロインと関わり合いになりたくて逃げ回っていたけど、逃げれば逃げるほどわたしが庶民の出のフローレンスを仲間外れにしているとか、一緒にいたくないって言っているとか、勝手に話が肥大して尾ひれがついてそれが真実になっていった。
「ここであなたの作ったお菓子を食べないと、またわたしはフローレンス様の慈悲を振り払ったとか、この期に及んでフローレンス様を非難したとか色々と言われるのかしら」
わたしは彼女の対面に座った。
「え、やあだぁ。そんな風に受け取ってもらいたくて言ったんじゃないのに」
フローレンスは慌てて両手をぱたぱたと振った。
とりあえず、わたしは彼女の持ってきたクッキーに手を伸ばした。
何かしていないと、間が持たない。
「おいしい?」
わたしがクッキーを咀嚼していると、彼女が聞いてきた。
「ええ」
素直に美味しかったからわたしは頷いた。
「料理の練習結構たいへんだったのよ。元から料理のスキルが付いているわけでもないから」
「わたしも小さいころからお菓子作りは頑張ったわ」
「あら、あなたもそういう努力はするのね。わたしは……あんまり好きでもなかったけれど、一応将来ヴァイオレンツ様に見初められたかったし。まあ頑張るか、って思って作り続けたのよ」
フローレンスの言い方がさっきから妙に引っかかる。
それはきっと、わたしが転生者だから。
「せっかく、フローレンスになったのに。ヒロインになれたのに。この世界はちっともわたしの思い通りにならない。ねえ、あなたどうしてちゃんと悪役令嬢をしてくれないの?」
フローレンスの言葉にわたしの呼吸が止まった。
いま、彼女ははっきりとわたしのことを悪役令嬢だと言った。そんな言葉、この世界に無いのに。
わたしは、自分の考えが当たっていたことを確信する。
目の前のフローレンス・アイリーンもまた転生者なのだ、と。
「な、なにが……言いたいの? 悪役……令嬢ってなんのことかしら」
わたしはとぼけることにした。
「あなた……とぼけているの? それとも、バグでも起こしているのかしら」
フローレンスはわたしをじっと見て、それからひとりごとのように呟いた。
「あなたのせいでわたしゲーム内でのイベントを何一つクリアできなかったし。最初の風の精霊以降、水も風も炎も、全部の精霊と守護契約を結べなかった。これってリーゼロッテがシナリオ通りに動いてくれないからよ。そのへんのことちゃんとわかっている?」
「何のことを言っているのか、さっぱり分からないわ。わたしは、自分のやりたいように生活をしていただけよ」
本当は故意にフローレンスと接点を持たなかったし、ゲーム内でのイベントを発生させて彼女を有利にしたくなかったから、イベントが発生しないようにわたしは行動してきた。
水の精霊と彼女が契約を結んだのは、悪役令嬢リーゼロッテが彼女の大事なペンダントを湖に落として、フローレンスがそれを拾おうと湖の中に飛び込んだから。わたしは彼女のペンダントに触れもしなかったし、そもそも湖のほとりでキャンプ(お嬢様仕様の豪華版)自体のイベントを休止するよう根回しをした。
ほかのゲーム内イベントも理由をつけて中止にしたり、フローレンスが精霊と契約するシーンを発生させないように注意深く振舞っていた。
すべては悪役令嬢としてのバッドエンド回避のため。
こっちも自分の人生がかかっていたから必死だった。
「そう。それよ。自分勝手に動き回ってくれちゃうからわたしはちっとも楽しくなかった。ヴァイオレンツ様と、他の攻略対象はわたしを好きになってくれたけど、このゲームの醍醐味は精霊と黄金竜の逆ハーなのよ。なのに、どこぞのあなたのせいで、ぜーんぜんうまくいかないし。レアキャラの黄金竜の貴公子はともかく、精霊との契約が風のみってひどくない? 酷いよね! もうちょーあり得ないっ」
フローレンスの言葉遣いが現代日本のものになりつつある。
あーこれ完璧前世日本人じゃん。
ま、わたしの心の声もかなり砕けまくっているけどさ。
「そんな悪役令嬢のあなたは、最後の最後にイミフな行動起こして、死んじゃったとか思っていたのに実は生きていましたとか。余計にわけわかんないわ。しかも! 黄金竜と仲良しとか、炎の精霊から庇われているとか! 何様なの?」
フローレンスが一気にまくしたてる。
その様子は完璧に人格が入れ替わっている、というかフローレンスの元になった前世の人間のもの。
「あなた、どうして竜の卵を盗んだの?」
わたしはそれだけ尋ねた。
どうにも、彼女の行動原理が分からなかったから。
「ああそれ。だって、精霊がゲットできなかったし。やっぱりヒロインたるもの、特別な存在になりたいじゃない。なのに、どこかのあなたのせいでわたしの周りには精霊も黄金竜も現れなかったし。だからわたし、自分から見つけに行くことにしたのよ。アレックスって、あれで竜の生態に詳しくてね。だから彼に持ち掛けたの。竜の卵を盗ってきて、孵化させようって」
わたしが水を向けるとフローレンスは嬉々として語り出した。
「孵化させてどうするのよ」
「どうするって。決まっているじゃない。きっとその子はわたしのことを頼ってくれるわ。わたしも竜の子供を庇護してあげる。わたしは、その子の竜の乙女になるのよ」
嬉しそうに、自分の考えが素晴らしいかのように語るフローレンス。
わたしは、自分勝手な彼女の考えに怒りを覚えた。
「そんなことのために、ルーンから卵を奪ったの?」
「ルーン? ああ、竜の名前ね。あなた、そんなにもその竜と親しくなったの? 悪役令嬢のくせに? わたしのことをいじめる役回りしかないくせに。何様のつもりよ」
「わたしは、リーゼロッテ・ディーナ・ファン・ベルヘウムよ。リーゼ様って呼んでくれていいのよ?」
「ああ、それよそれ。リーゼ様って。よく知っている台詞だわ」
そりゃそうでしょう。わたしだってよぉく知っている。
もちろんわざと言ってやった。
わたしはまだ、怒っている。自分勝手な思いでルーンから大切な卵を奪った彼女に。
ルーンの卵が孵らなかったらあんたのせいだ。
わたしがキッとフローレンスを睨みつけると、彼女は笑うのをやめた。
「ああそう。その顔、いかにも悪役令嬢らしいわね。まあ色々とあったけれど、最後はよしとするわ。やっぱり断罪イベントはちゃんとやらないとすっきりしないし」
彼女は自信を取り戻していた。
優雅に背もたれに体重を預けて、それから足を組んだ。
口元にはヒロインらしからぬ意地悪な笑み。どっちが悪役だよ。
「ちゃんとね、あなたを断罪してあげる。シュリーゼム魔法学園の被害は甚大よ? 建物壊れちゃったし。幸いに重傷者死人はいなかったけれど。全部あなたの罪にしてあげたから」
「あれはあなたとアレックス先生の罪でしょう」
「いいえ、違うわ。あなたの罪。わたしが泣けばヴァイオレンツ様はわたしの味方になってくれるもの。さすがはゲームのメイン攻略対象よね。彼はフローレンスにめろっめろなの。ゲームのシナリオながらすごいわ」
フローレンスはけらけらと笑った。
それはもう楽しそうに。彼女はわたしのことを役立たずな悪役令嬢としか見てない。
「あなたは、あなたにとってはこの世界はおもちゃのようでしかないのね」
「んー、リーゼロッテ様にはわからないかもだけどぉ。この世界はわたしを中心に回っているの。だから早いところ変なバグは取り除いておかないとね。わたし困っちゃう」
フローレンスは肩を揺らした。
それからカップの中のお茶をくいっと飲んで、ローテーブルの上を片付ける。持ってきたバスケットの中にお菓子の残りやカップをしまって、彼女は立ち上がった。
「じゃあね。断罪イベント楽しみにしていてね。もちろん、ベルヘウム公爵家は今回のことにもノータッチだから。薄情な両親を持って、あなたも可哀そうね」
フローレンスはひらひらと手を振ってから扉に手を掛けた。
一か八か、逃げだしてやろうかなんて考えたけど。
わたしはすぐにその考えを打ち消した。
逃げたって、魔法を封じられた今のわたしにできることなんてないに等しいし、それに王宮から逃亡しても、今度こそ路頭に迷うだけ。女一人でできることなんて限界がある。
わたしは一人取り残されて、ベッドにあおむけになった。
「あーあ……」
ついてないなぁ。
まさかフローレンスも転生者だったなんて。
高貴なる人が囚われる、一般の虜囚とは扱いの違う牢屋で、小さな窓と見張りのいる扉以外は普通の客用の居室とあまり変わらない。
わたしがここに連れてこられて二日目。
わたしの罪状はフローレンス・アイリーンをそそのかして、彼女に竜の卵を盗ませて黄金竜を魔法学園におびき寄せたこと。それ以前の彼女への度重なる嫌がらせ。
ちなみにアレックス教師はヴァイオレンツに嫉妬をされたのか、あのまま白亜の塔送りになった。どうやらわたしとアレックスが共犯ということになっているらしい。
まったく、どうしてそうなる。というか、よくもまあフローレンスのあの妄言を信じるなとわたしは呆れていた。明らかに話が破たんしていたのに。
さすがは乙女ゲームの世界。
この国ではフローレンスの言葉は絶対らしい。どんな魔法だよどんな法則だよ、と突っ込みたい。
幽閉されていると暇で、いろんなことを考えちゃう。
わたしの白亜の塔送りはたぶん確定で。
あーあ。結局はこのルートに逆戻りか、とか最後にレイルとちゃんと話をしておきたかったな、とか。
コンコン、と扉が叩かれたのはそんなとき。
役人が罪状を言いに来たのかなと、わたしは身構えた。
少しして入ってきたのはフローレンスだった。
彼女は、一人だった。
薄茶の髪に緑色の髪をしたごく普通の女の子。クラスの中で一番かわいいというわけでもなく、平均よりもちょっと上くらいの可愛さ。悪く言えば平凡な子。ってどこかのアイドルグループのコンセプトのような子がこの乙女ゲームのヒロインのフローレンスだ。
そのヒロインがわたしの元を単独で訪れた。
おっとりとした顔だちにうっすらと笑みを浮かべている。
彼女は見張りの人間に「しばらく二人きりにして頂戴ね」と言づけている。何か言われたのか、肩を震わせて「大丈夫。彼女は今魔法を封じられているのよ」と笑って答えた。
今のわたしは両腕に魔法封じの腕輪をつけられている。
しかもわたしが今いるところは結界を幾重にも張った最重要警備の施された場所。逃亡も、彼女に危害を加えることもできない。あ、素手で平手打ちくらいならできるか。
まあしないけど。
見張りを宥めたフローレンスは扉を閉めた。
室内にわたしと彼女、二人きりになる。
いったい何を思って彼女はここに来たのだろう。
「うふふ。差し入れを持ってきたのよ。わたしの手作りお菓子なの」
乙女ゲームの世界観に合わせてフローレンスもお菓子作りが得意だったな、と思い出す。彼女の作ったお菓子が素朴で美味しいとヴァイオレンツの心を掴むのだ。
わたしは黙ったままフローレンスを見つめ返した。
「ヴァイオレンツ様もおいしいって褒めてくださったの。わたし、リーゼロッテ様たちと違って庶民の出でしょう。高級な材料なんてなかなか手に入れることなんてできないし、道具も同じ。でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。当然よね。だって、わたしが作ったんだもの」
あれ。こんなこと言う子だったっけ?
わたしは内心首をかしげる。
わたしの知っているゲームの中のフローレンスっていう子は『でも、ヴァイオレンツ様は美味しいって言ってくれたの。お世辞だとしても嬉しかったわ』とか続けるくらい遠慮深い。
彼女は勧めていないのに、勝手に部屋の中央にある応接セットの椅子に座り、ローテーブルの上にバスケットを置いた。
中から取り出したのはクッキーやパウンドケーキ。
ポットに入ったお茶もある。
お茶会の道具を広げて、彼女は自分のカップにお茶を入れて飲みはじめる。
「リーゼロッテ様もいかが? それとも、わたしの作ったお菓子は口に合わないかしら。そういえば、そういうシチュエーションもあったはずなのに、この世界では一度もあなたとお茶する機会が無かったわよね」
わたしの背筋に冷たい汗が伝った。
いま、この子はそういうシチュエーションもあったのに、と言った。この世界っていったいどこの世界のことを言っているの。
わたしの疑問に、頭の中である答えが点滅する。クイズ番組で言うなら早押しピンポーンってランプが光るアレ。
「別に他意は無かったの。ただ、いつもタイミングが悪かっただけで」
わたしは慎重に言葉を紡いだ。
「そうね。いつもリーゼロッテ様は何か理由をつけてわたしの前に現れなかった。勉強が忙しいとか、宿題がまだ終わっていないとか、レポートの提出期限がどうのとか。まあ、それもいいように利用させてもらったけど」
でしょうね。わたしは乙女ゲームのヒロインと関わり合いになりたくて逃げ回っていたけど、逃げれば逃げるほどわたしが庶民の出のフローレンスを仲間外れにしているとか、一緒にいたくないって言っているとか、勝手に話が肥大して尾ひれがついてそれが真実になっていった。
「ここであなたの作ったお菓子を食べないと、またわたしはフローレンス様の慈悲を振り払ったとか、この期に及んでフローレンス様を非難したとか色々と言われるのかしら」
わたしは彼女の対面に座った。
「え、やあだぁ。そんな風に受け取ってもらいたくて言ったんじゃないのに」
フローレンスは慌てて両手をぱたぱたと振った。
とりあえず、わたしは彼女の持ってきたクッキーに手を伸ばした。
何かしていないと、間が持たない。
「おいしい?」
わたしがクッキーを咀嚼していると、彼女が聞いてきた。
「ええ」
素直に美味しかったからわたしは頷いた。
「料理の練習結構たいへんだったのよ。元から料理のスキルが付いているわけでもないから」
「わたしも小さいころからお菓子作りは頑張ったわ」
「あら、あなたもそういう努力はするのね。わたしは……あんまり好きでもなかったけれど、一応将来ヴァイオレンツ様に見初められたかったし。まあ頑張るか、って思って作り続けたのよ」
フローレンスの言い方がさっきから妙に引っかかる。
それはきっと、わたしが転生者だから。
「せっかく、フローレンスになったのに。ヒロインになれたのに。この世界はちっともわたしの思い通りにならない。ねえ、あなたどうしてちゃんと悪役令嬢をしてくれないの?」
フローレンスの言葉にわたしの呼吸が止まった。
いま、彼女ははっきりとわたしのことを悪役令嬢だと言った。そんな言葉、この世界に無いのに。
わたしは、自分の考えが当たっていたことを確信する。
目の前のフローレンス・アイリーンもまた転生者なのだ、と。
「な、なにが……言いたいの? 悪役……令嬢ってなんのことかしら」
わたしはとぼけることにした。
「あなた……とぼけているの? それとも、バグでも起こしているのかしら」
フローレンスはわたしをじっと見て、それからひとりごとのように呟いた。
「あなたのせいでわたしゲーム内でのイベントを何一つクリアできなかったし。最初の風の精霊以降、水も風も炎も、全部の精霊と守護契約を結べなかった。これってリーゼロッテがシナリオ通りに動いてくれないからよ。そのへんのことちゃんとわかっている?」
「何のことを言っているのか、さっぱり分からないわ。わたしは、自分のやりたいように生活をしていただけよ」
本当は故意にフローレンスと接点を持たなかったし、ゲーム内でのイベントを発生させて彼女を有利にしたくなかったから、イベントが発生しないようにわたしは行動してきた。
水の精霊と彼女が契約を結んだのは、悪役令嬢リーゼロッテが彼女の大事なペンダントを湖に落として、フローレンスがそれを拾おうと湖の中に飛び込んだから。わたしは彼女のペンダントに触れもしなかったし、そもそも湖のほとりでキャンプ(お嬢様仕様の豪華版)自体のイベントを休止するよう根回しをした。
ほかのゲーム内イベントも理由をつけて中止にしたり、フローレンスが精霊と契約するシーンを発生させないように注意深く振舞っていた。
すべては悪役令嬢としてのバッドエンド回避のため。
こっちも自分の人生がかかっていたから必死だった。
「そう。それよ。自分勝手に動き回ってくれちゃうからわたしはちっとも楽しくなかった。ヴァイオレンツ様と、他の攻略対象はわたしを好きになってくれたけど、このゲームの醍醐味は精霊と黄金竜の逆ハーなのよ。なのに、どこぞのあなたのせいで、ぜーんぜんうまくいかないし。レアキャラの黄金竜の貴公子はともかく、精霊との契約が風のみってひどくない? 酷いよね! もうちょーあり得ないっ」
フローレンスの言葉遣いが現代日本のものになりつつある。
あーこれ完璧前世日本人じゃん。
ま、わたしの心の声もかなり砕けまくっているけどさ。
「そんな悪役令嬢のあなたは、最後の最後にイミフな行動起こして、死んじゃったとか思っていたのに実は生きていましたとか。余計にわけわかんないわ。しかも! 黄金竜と仲良しとか、炎の精霊から庇われているとか! 何様なの?」
フローレンスが一気にまくしたてる。
その様子は完璧に人格が入れ替わっている、というかフローレンスの元になった前世の人間のもの。
「あなた、どうして竜の卵を盗んだの?」
わたしはそれだけ尋ねた。
どうにも、彼女の行動原理が分からなかったから。
「ああそれ。だって、精霊がゲットできなかったし。やっぱりヒロインたるもの、特別な存在になりたいじゃない。なのに、どこかのあなたのせいでわたしの周りには精霊も黄金竜も現れなかったし。だからわたし、自分から見つけに行くことにしたのよ。アレックスって、あれで竜の生態に詳しくてね。だから彼に持ち掛けたの。竜の卵を盗ってきて、孵化させようって」
わたしが水を向けるとフローレンスは嬉々として語り出した。
「孵化させてどうするのよ」
「どうするって。決まっているじゃない。きっとその子はわたしのことを頼ってくれるわ。わたしも竜の子供を庇護してあげる。わたしは、その子の竜の乙女になるのよ」
嬉しそうに、自分の考えが素晴らしいかのように語るフローレンス。
わたしは、自分勝手な彼女の考えに怒りを覚えた。
「そんなことのために、ルーンから卵を奪ったの?」
「ルーン? ああ、竜の名前ね。あなた、そんなにもその竜と親しくなったの? 悪役令嬢のくせに? わたしのことをいじめる役回りしかないくせに。何様のつもりよ」
「わたしは、リーゼロッテ・ディーナ・ファン・ベルヘウムよ。リーゼ様って呼んでくれていいのよ?」
「ああ、それよそれ。リーゼ様って。よく知っている台詞だわ」
そりゃそうでしょう。わたしだってよぉく知っている。
もちろんわざと言ってやった。
わたしはまだ、怒っている。自分勝手な思いでルーンから大切な卵を奪った彼女に。
ルーンの卵が孵らなかったらあんたのせいだ。
わたしがキッとフローレンスを睨みつけると、彼女は笑うのをやめた。
「ああそう。その顔、いかにも悪役令嬢らしいわね。まあ色々とあったけれど、最後はよしとするわ。やっぱり断罪イベントはちゃんとやらないとすっきりしないし」
彼女は自信を取り戻していた。
優雅に背もたれに体重を預けて、それから足を組んだ。
口元にはヒロインらしからぬ意地悪な笑み。どっちが悪役だよ。
「ちゃんとね、あなたを断罪してあげる。シュリーゼム魔法学園の被害は甚大よ? 建物壊れちゃったし。幸いに重傷者死人はいなかったけれど。全部あなたの罪にしてあげたから」
「あれはあなたとアレックス先生の罪でしょう」
「いいえ、違うわ。あなたの罪。わたしが泣けばヴァイオレンツ様はわたしの味方になってくれるもの。さすがはゲームのメイン攻略対象よね。彼はフローレンスにめろっめろなの。ゲームのシナリオながらすごいわ」
フローレンスはけらけらと笑った。
それはもう楽しそうに。彼女はわたしのことを役立たずな悪役令嬢としか見てない。
「あなたは、あなたにとってはこの世界はおもちゃのようでしかないのね」
「んー、リーゼロッテ様にはわからないかもだけどぉ。この世界はわたしを中心に回っているの。だから早いところ変なバグは取り除いておかないとね。わたし困っちゃう」
フローレンスは肩を揺らした。
それからカップの中のお茶をくいっと飲んで、ローテーブルの上を片付ける。持ってきたバスケットの中にお菓子の残りやカップをしまって、彼女は立ち上がった。
「じゃあね。断罪イベント楽しみにしていてね。もちろん、ベルヘウム公爵家は今回のことにもノータッチだから。薄情な両親を持って、あなたも可哀そうね」
フローレンスはひらひらと手を振ってから扉に手を掛けた。
一か八か、逃げだしてやろうかなんて考えたけど。
わたしはすぐにその考えを打ち消した。
逃げたって、魔法を封じられた今のわたしにできることなんてないに等しいし、それに王宮から逃亡しても、今度こそ路頭に迷うだけ。女一人でできることなんて限界がある。
わたしは一人取り残されて、ベッドにあおむけになった。
「あーあ……」
ついてないなぁ。
まさかフローレンスも転生者だったなんて。
10
お気に入りに追加
282
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢はSランク冒険者の弟子になりヒロインから逃げ切りたい
鍋
恋愛
王太子の婚約者として、常に控えめに振る舞ってきたロッテルマリア。
尽くしていたにも関わらず、悪役令嬢として婚約者破棄、国外追放の憂き目に合う。
でも、実は転生者であるロッテルマリアはチートな魔法を武器に、ギルドに登録して旅に出掛けた。
新米冒険者として日々奮闘中。
のんびり冒険をしていたいのに、ヒロインは私を逃がしてくれない。
自身の目的のためにロッテルマリアを狙ってくる。
王太子はあげるから、私をほっといて~
(旧)悪役令嬢は年下Sランク冒険者の弟子になるを手直ししました。
26話で完結
後日談も書いてます。
生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~
こひな
恋愛
市川みのり 31歳。
成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。
彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。
貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。
※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
悪役令嬢、第四王子と結婚します!
水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします!
小説家になろう様にも、書き起こしております。
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~
イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」
どごおおおぉっ!!
5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略)
ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。
…だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。
それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。
泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ…
旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは?
更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!?
ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか?
困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語!
※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください…
※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください…
※小説家になろう様でも掲載しております
※イラストは湶リク様に描いていただきました
転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜
みおな
恋愛
私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。
しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。
冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!
わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?
それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?
乙女ゲームの悪役令嬢は生れかわる
レラン
恋愛
前世でプレーした。乙女ゲーム内に召喚転生させられた主人公。
すでに危機的状況の悪役令嬢に転生してしまい、ゲームに関わらないようにしていると、まさかのチート発覚!?
私は平穏な暮らしを求めただけだっだのに‥‥ふふふ‥‥‥チートがあるなら最大限活用してやる!!
そう意気込みのやりたい放題の、元悪役令嬢の日常。
⚠︎語彙力崩壊してます⚠︎
⚠︎誤字多発です⚠︎
⚠︎話の内容が薄っぺらです⚠︎
⚠︎ざまぁは、結構後になってしまいます⚠︎
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる