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第二章 ローレライとロバ耳王子と陰謀と
16、馬鹿みたいに真っ直ぐで(フィルバート視点)
しおりを挟む「………なんだろう。無茶苦茶バッドタイミングな気がする」
何も言い返せずにただファルハ王の背を見送っていると、場違いな緊張感の一欠片もない言葉が後ろから聞こえて、まさかと振り向く。
視界に映るロバ耳に激しく動揺してブワッと冷や汗を掻く。
バッとファルハの王がこちらを見ていない事を確認して、とんでもないアホをとっ捕まえて、近くにあった空き部屋に駆け込む。
深海色の瞳が「え? なに?!」と言わんばかりにこちらを見上げた時は本気で頭をぶん殴ってやろうかと思った。
本当にお前は突拍子もないな!?
何故、ここに居る!!
「お・ま・え・は何故ここに居るッ!!」
「痛い、痛い、いひゃい!!つねんにゃいでっ!」
まだ熱のあるのか蒸気した両頰をつねり上げ、突詰める。
「よく昨日の今日で離宮から逃走しようと思えたな!?」
「ち、違うよっ。僕は皇子にお礼を言いにシルビオが目を離した隙にちょっと出てきただけだよ!!」
「それを世間一般的には逃走と呼ぶッ!!」
ああ言えば、こう言い、つねれば、マシュマロみたいにふわふわな頰で地味に癒やされるのがまた腹が立つッ。
シルビオに飛び級させられてももう知らんからな!!
「うぅ…。シルビオとしがな一日中一緒は気が休まらないんだって…」
「はぁ!? お前、あれだけ気に掛けられていて何が気に食わないんだ」
「……皇子はシルビオの怖さを知らないからそう言えるんだよ。だってシルビオのロケットには皇子のしゃ……。なんでもない」
「…俺がなんだ?」
なんだか知らんが、急に哀れみの目で俺を見てくる。
「うーうん、なんでも…なんでもないんだ…」とブルリッと震え、ラニは寒そうに自身の腕をさすった。
「そ、それよりも! それよりもさっきはなんで揉めてたの?」
「あ、ああ…。少しな」
「少しって何。少しであんなに馬鹿にされるって皇子は一体、何したの…」
「違うわっ。俺はいち皇族としてっ…」
何か失礼な誤解をし始めているラニに不本意なので先程の話を掻い摘んで話すと、途端に顔を顰め、腕を組んだ。
「うーん。確かに…確かに、奴隷を買わなければ良いっていうのは一理あるし。他国の貧しい人達を手を差し伸べられるかって言われたら難しいけど…、けどなー」
俺の話を聞いて悩み始めたと思ったら、途端にパッと部屋から飛び出る。
朝、寝込んでいてまだ調子が悪い筈なのにピューっと渡り廊下を走っていく。
王族が廊下を走るなっ!
「おいっ!?」
「で、ファルハの王は何処?」
「ファルハの王なら帰路に着く為にもう馬車に乗ってると…って違う! 止まれ馬鹿!!」
さして足が速い訳ではないのにちょこまかと俺の掴もうとする手を交わして、走っていくラニは渡り廊下を抜け、バルコニーへと走り出た。
「あっ、あれだ!!」
バルコニーの手すりから身を乗り出して、もう城門を潜り抜け、走っていくファルハ王の馬車をその深海の瞳に映す。
「おいっ。落ちるだろ!! 身を乗り出すな。離宮に戻るぞ」
「待って。ちょっと、一言物申してから!」
「阿呆! この距離じゃ、もう声は届かない」
そう手すりから落ちそうな身体を捕まえて、諭すがラニはニッと広角を上げた。
「大丈夫。僕の声は荒波の中でも暴風の中でも届くから」
その自信溢れる不敵な笑みに目を奪われる。
スゥっと小さな口が深く長く空気を掴み吸い込んだ。そしてめいいっぱい開かれた口から出た音は空気を震わせた。
「ファルハの王!!」
腹の奥から出された声はビリビリと大気を震わせて、轟く。
その声は何処まで届くのか。
ファルハ王の馬車の窓から誰かが顔を出しているのがここからでも見えた。
「確かに皇子が言った事は甘い考えかもしれない。でもっ、何も間違った事なんていってないっ!! 貴方が一国の王だって言うのなら国民をもっと想うべきだよ。皇子みたいに!!」
その言葉は心の中まで響いて、ふわりと胸の辺りが温かくなり、感情が揺さぶられる。
本当は止めなければならないのに、さも当たり前のように俺を肯定する言葉に目頭が熱くなった。
「僕の名前はラッ…もがっ!?」
「それはやめろっ!!」
自身の名前を正々堂々と口走ろうとするので、慌てて口を塞ぐ。
何故とこちらを見るアホに溜息をひとつついて、しょうがない奴だと苦笑する。
「全く…。もういいと言っただろう」
「だって、正しい事を言って馬鹿にされるのは違うでしょ!! 確かに、確かに何も出来ないかもしれないけどさ」
自分の事のように憤慨するその姿に絆されて、まぁ今回の逃走の件については怒っているであろうシルビオを説得してやろうとこの時は思っていた。
「ゴホッ、ゴホッ…。ゔぅ"、ぐすっ…、ぐす…」
「さて、ラニ王子。王子が他国のましては敵国の王に喧嘩を売ったらどうなりますか?」
「国際問題…にな"る?」
「そうですね。なりますね!!」
病床に伏せるラニを前にサフィール宰相が額に青筋を立てつつも、疲れた顔に取り繕うように笑顔を浮かべて問い詰める。
無理が(逃走)たたって39度以上の高熱と完全に喉が枯れてしまったラニは逃げられず、スンスンと泣き伏せっている。
その横ではシルビオがこれまたニコニコと笑みを浮かべながらラニの手を握り、汗ばむラニの額をタオルで拭う。
その光景は一見、優しく看病しているように見えるが、逃さないという確固たる意志が笑顔の奥にはある。
「さーて、ラニラニ。なんでオニーサンから逃げたのかなー?」
「………ぐすんっ。すんすんっ」
「泣いてちゃ分かんないよー? 理由を言おうか?」
「いいですか?ラニ王子、きちんと覚えて帰ってくださいっ! 王子が他国の王族に喧嘩を売ったら国際問題!」
「このままじゃ、オニーサンは君を守る為にお手洗いやお風呂場にもついて行かなきゃいけなくなるねー?」
「その…だな。一応、ラニは俺の気持ちを汲んで動いてくれた訳で、少し情状酌量の余地を…」
「「フィルバート殿下は少し黙っていてください」」
怒れるシルビオ…だけでなく、怒れる宰相をも相手に庇い立てなど出来る隙はなかった。
「助けて」と涙目で訴えてくるラニの視線からスッと目を逸らし、銀色の光を讃える月を見て、フッと笑みを溢した。
「月が……綺麗だな」
「諦"めたね!? ごほっ、僕"を助"けるの諦"めたね!?」
諦めろ、ラニ。
おそらく、俺もこの後、同じく説教が待っている。
大半、お前絡みで…。
◇
空気を裂くように轟く声が聞こえる。
俺を呼ぶその声に側仕えの奴隷の一人が馬車の窓を開け、確認する。
しかし、何処から聞こえるか分からないのか。その声の主を探して、その奴隷は身を乗り出した。
水煙草を肺に吸い込み、俺に向けられて堂々と発せられる言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと目を瞑る。
『伯父さんをいじめないでッ!!』
記憶の奥底から小さな体を震わせて、怯えながらも必死にこちらを睨む深い青い瞳が脳裏に蘇り、笑い飛ばす。
「ふんっ、…まさかな」
「どうしましたか? アサドゥ様ぁ」
媚びるように胸を当て、擦り寄ってきた奴隷の女の身体を抱き寄せて、太腿に手を滑らせた。
「いや、気のせいだ…」
ぽつりと溢した疑念も過去の記憶も水煙草の煙と女の嬌声の中へと消えていく。
今はまだ……。
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