上 下
23 / 119
第一章 王子とロバ耳と国際交流と

26、落ちた先

しおりを挟む

「おっと、危ない」

諦めて胸の感触がするのを待っていると、お腹に手が添えられてグンッと身体が背後に引っ張られる。

トンッと背中に何かがぶつかり、身体を温かなものが包む。

お腹に添えられた手は綺麗に整えられた見覚えのある手。
身体をふわりと包む嗅ぎ慣れたラベンダーの香り。

見上げると見慣れた夕陽色の瞳があって、自分でも知らぬ間に肩に入っていた力がスッと抜ける。


「ライモンド先生」

名を呼ぶとライモンド先生は桜色の唇を小さく開けて、「大丈夫よ」と囁き、優しい笑みをその顔に浮かべた。


「お久しぶりです。ラピュセルの姫君においては、今日もお麗しく。お見かけした際は思わず、女神が舞い降りたのかと勘違いしてしまいました」

「ふふっ。お上手ね。貴方が率いるミューズ学園が誇る音楽隊の歌、とても楽しみにしてるの」

「光栄です。生徒達もラピュセルの姫君に歌を捧げるべく、練習に精を出していました」

ラピュセル公爵に向き直ると、優しい笑みが消え、打って変わって色香漂う大人の表情に変わる。
まだ僕をチラチラと見ているラピュセル公爵を口説くように褒め称えた。

ラピュセル公爵は満更でもなかったのか、頰を赤らめる。しかし、やはり僕をチラチラ見ている。

何、その謎の執念!?


「歌、楽しみにしてるわ。…私はまだその子とお話があるの。お話は後でいいかしら?」

「ラニ王子にですか? ラニ王子はまだこのような正式な場は慣れてない故、勘弁してもらえませんか?」

「場慣れしてないのは初めてならしょうのない事。多少粗相があっても気にしないわ」

「いえ、不慣れな場では何時もより疲れが出るものです。この子はあまり体力のある方ではないので心配でして…」

「疲れたわよね」と、心配そうな顔で僕に声を掛ける。
確かに初めての社交場という緊張とこの一件でドッと疲れた。
素直にコクリッと頷くと「そうよね」と、綺麗に整えられた手が頭を優しく撫でた。

「あら、御免なさい。私ったら…」

僕達のやりとりを見て、あんなに妙な執念を燃やしていたラピュセル公爵が申し訳なさそうな表情で口を両手で覆う。

「そうよね。初めてだものね。疲れるのも当然だわ」

「婚約の件も一度、皇帝陛下に相談してみてからがよろしいのでは? 相手が王子となるとモアナ大王に話を通す必要がありますから」

「…そうね。そうよね。流石にラニ王子の一存では決められないものね」

先程まで話が通じなかったのが、嘘のようにするすると話が解決していく。

流石、大人は違う。
やっぱり、安心感のあるライモンド先生の手にそっと触れる。だけど、視界に少し気落ちしているように見える皇子が映り、ライモンド先生に触れていた手を皇子に伸ばした。


皇子の小指を遠慮気味にちょんっと掴んだ瞬間、皇子が翡翠の瞳を丸くし、キュッとキツく口を結んだ。


「貴方はそういう子よね」

優しい声色が頭上から聞こえて、顔を上げる。

顔を上げると眉を少しハの字に下げたライモンド先生が笑っていた。
少し寂しそうでそれでいて、優しく見守ってくれているようなそんな複雑な笑みを浮かべて。


「フィルバート殿下。貴方が行ってる事はラニちゃんの為を思っての行動だと分かってます。しかし、もう少しだけラニちゃんの歩幅に合わせてはもらえませんか?」

「……そうだな。俺も事を急ぎ過ぎたのかもしれん」

「いえ、私も出過ぎた真似を」

二人で少し言葉を交わすと、ライモンド先生はポンッと僕の背を皇子の方へ押し出す。
皇子は小指を掴む僕の手を見て、溜息を吐くと何時もの少し強気の表情で僕の手を取った。

「帰るぞ…」

そう一言だけ声を掛けると、戻ってきたシルビオとともに僕の手を引き、お茶会を後にする。

お茶会の会場から帰る時、着飾った音楽隊の人達とすれ違った。
その中には勿論、エレンもいて、僕を見つけた瞬間、嬉しそうに手を振ってた。


馬車に着くまで皇子は無言だった。

だけど、風に乗って茶会から透き通るような綺麗な讃美歌が流れてきた時、ふと「エレンの歌声だ…」と、ぽそりっとそう呟き、振り返った。

「聞いてく?」

あまりにその歌声を噛み締めるように聞き入っているから、そう聞いた。
でも、皇子は「いや、いい」と、首を横に振り、今度は振り返る事なく馬車に乗り込んだ。







「凄かったな…」

目の前で起きた先程の騒動に同盟国の王子達はリスちゃんのキャラメルケーキを口にしながら苦笑していた。

まるで嵐のように過ぎ去っていったモアナの王子ラニ。
いい意味でも悪い意味でも人を惹きつけて、このカオスなお茶会の中でもその存在感を強く残して帰っていった。


「ラニ…王子」

その名を噛み締めるように呟く声を聞き、同盟国の王子達は姿が見えなくなってもまだその姿を目で追い続けるジェルマンを見やる。

母親の暴挙で死んでいた翡翠の瞳には正気が宿り、無口で無表情で何時もは何考えているか分からない顔が高揚しているように見えた。

「……モアナの人たらしは最早、伝統芸の域だとよく父上が漏らしていたな」

ジェルマンのその姿に気の毒だと同盟国の王子の一人が溜息をつき、リスちゃんのキャラメルケーキを食べる自分に渇いた笑いを溢した。



音楽隊の演奏と歌が始まり、エレンのその歌声に心奪われ、やっとラニへの関心が薄れていく中。心ここに在らずのジェルマンともうひとり、ラニに関心を向け続ける者がいた。

「あれが…モアナ」

まだ幼さの残る鳶色の目をこれでもかと見開き、自身の胸の辺りを少年はぎゅっと握る。
ドクドクッと嫌に早く脈を打ってしまう自身の心臓が情けなくて自嘲の笑みを浮かべた。

「人を惑わし、魅了するローレライが住む国の王子」

賑やかで色鮮やかな茶会の中でひとり、その鳶色の目を伏せ、まるで世界から色を無くしたかのように暗い顔でその場に立ち尽くしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

本物のシンデレラは王子様に嫌われる

幸姫
BL
自分の顔と性格が嫌いな春谷一埜は車に轢かれて死んでしまう。そして一埜が姉に勧められてついハマってしまったBLゲームの悪役アレス・ディスタニアに転生してしまう。アレスは自分の太っている体にコンプレックを抱き、好きな人に告白が出来ない事を拗らせ、ヒロインを虐めていた。 「・・・なら痩せればいいんじゃね?」と春谷はアレスの人生をより楽しくさせる【幸せ生活・性格計画】をたてる。 主人公がとてもツンツンツンデレしています。 ハッピーエンドです。 第11回BL小説大賞にエントリーしています。 _______ 本当に性格が悪いのはどっちなんでしょう。    _________

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

その瞳に魅せられて

一ノ清たつみ(元しばいぬ)
BL
「あの目が欲しい」  あの目に、あの失われぬ強い眼差しに再び射抜かれたい。もっと近くで、もっと傍で。自分だけを映すものとして傍に置きたい。そう思ったらもう、男は駄目だったのだーー 執着攻めが神子様らぶな従者の受けを横から掻っ攫っていく話。 ひょんなことから、カイトは神子だというハルキと共に、異世界へと連れて来られてしまう。神子の従者として扱われる事になったカイトにはしかし、誰にも言えない秘密があって…という異世界転移のおまけ君のお話。 珍しく若い子。おえろは最後の方におまけ程度に※表示予定。 ストーリーのもえ重視。 完結投稿します。pixiv、カクヨムに別版掲載中。 古いので読みにくいかもしれませんが、どうぞご容赦ください。 R18版の方に手を加えました。 7万字程度。

くんか、くんか Sweet ~甘くて堪らない、君のフェロモン~

天埜鳩愛
BL
爽やかスポーツマンα × 妄想巣作りのキュートΩ☆ お互いのフェロモンをくんかくんかして「甘い❤」ってとろんっとする、可愛い二人のもだきゅんラブコメ王道オメガバースです。 オメガ性を持つ大学生の青葉はアルバイト先のアイスクリームショップの向かいにあるコーヒーショップの店員、小野寺のことが気になっていた。 彼に週末のデートを誘われ浮かれていたが、発情期の予兆で休憩室で眠ってしまう。 目を覚ますと自分にかけられていた小野寺のパーカーから香る彼のフェロモンに我慢できなくなり、発情を促進させてしまった! 他の男に捕まりそうになった時小野寺が駆けつけ、彼の家の保護される。青葉はランドリーバスケットから誘われるように彼の衣服を拾い集めるが……。 ハッピーな気持ちになれる短編Ωバースです

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

【R18】秘奥の地でボクは男達に娶られる

杏野 音
BL
山村の分校に新卒で赴任した由貴也(22)は、村の生活にも徐々に馴染み始めていた。村祭りの夜、村の男に誘われ独身の男だけの宴席に参加した由貴也は、嫁不足を補う村の因習により男達の「妻」となることを強制される。激しい快楽の波に曝され、牝に墜とされた由貴也は男達へ服従を誓う。 閉塞した山村の因習をモチーフにした、青年が主人公の短編です。 複数、寝取られ要素もあります。半分以上は性描写になりますのでご留意ください。 全8話+α 2、3日置きぐらいで更新予定。

処理中です...