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ヒメル

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ー 何で身体がこんなに重いんだ。

最初に感じた異変は身のこなしへの違和感だった。

針を投げ、爺様の攻撃を交わしながら戦っている最中。何かがまとわり付いているように身体が重くて、何時もより動きが鈍い。

一旦、引いた方がいいかもしれない。
万全の状態でないなら応援を呼ぶべきだと頭では分かっていた。しかし……。

あの硝子玉のようなその感情のない瞳を見ているとあの日を思い出す。

大切だった人を失ったあの日。
自身の手で大切な人を手に掛けてしまったあの日。

その瞬間、また大切なものを失ってしまうのではないかという恐怖が身体を駆け抜けた。

あの青空の瞳からあの日に見た姉の瞳のように光りが消えていく瞬間なんて見たくない。もう二度と大切な人を失いたくない。

大切なものを失う恐怖が膨らみ、今ここで決着を付けなければと気付けば、柄になく焦っていた。

「お前は儂から逃れられない。」

その爺様の声とともに意識がくらりと遠のいて行く。

「お前が儂から真に解放される事はない。」




…………。
………………。



身体がしんしんと冷たい。
寒さにカチカチの歯を鳴らし、ガタガタと身体を震わせて、身を起こす。すると僕は身包みを剥がされて、じめりと冷たい石の床に転がっていた。

「ーーー? 」

ここは? と、ぼんやりとした意識の中、なんとなく、口から溢れた言葉が音にならず、宙に霧散する。


「へぇ、もう起きたのか。そのまま目を覚さなくても良かったのに。」

その声に冷や水を掛けられたかのようにボンヤリとしていた意識がサッと覚醒する。

ニッコリと嘘臭い笑みを浮かべる男の顔。
その男の姿に緊張が走り、後退ろうとしたが、グラッと頭が揺れる。

ー フラフラする。一体、何がどうなって…。

冷たい床に倒れると、クスクスとフォルターが嗤う。

「薬がよく回ってるようだね。本当は散々嬲って、絶望にその琥珀の瞳を染めようかとか思いもしたけど、何分、時間がないんでね。」

フォルターが近付き、僕に跨る。
その手にはナイフが握られている。

冷たい床で上手く身動きも出来ず、逃げる事が叶わず、アルトワルトの影を求めて、首にある筈の隷属の首輪に触れようとした。

ー え?

首に触れたが、そこにある筈の黒い首輪がなかった。
頭に最悪の想定が浮かぶ。

継続して掛けられていた魔術が解ける。それは術者に何かあった事を示しているんじゃ……。


「グッ!! 」

サーと引いた血の気が一気に頭を昇り、フォルターの腹に思いっきり蹴りを入れた。

全くさっきまで力が入らなかったのにその蹴りは力強くフォルターが床に転がり、腹を抑えている。

ゴホゴホと咳き込むフォルターがチラリとこちらを見て、興味深そうな顔をした。

「……君のそんな顔初めてだな。今までどんな理不尽に扱われても泣き叫んで恐怖するだけだったのに…。」

今、自身が置かれている状況も忘れて、ただひたすらに燃えるような激しい怒りに身を焦がす。

ー 何をした…。アルトにっ、何をした…。

キッと睨んで無理矢理身体を立たせようとするが、足に力が入らない。しかし、そんな事がどうでもよくなる程、頭が怒りの感情でいっぱいで、身体中に傷や痣が出来ても構わず、目の前の憎い男に向かおうと身体は動く。

「首に触れてたし、もしかして、あの首輪の事? ……ああ、君のご主人様の事? 」

僕を見て、ニンマリと気持ち悪くフォルターが嗤う。
その瞳は喜色に染まり、ワクワクと心躍らせている。

「君のご主人様がどうなったか知りたい? 特別に教えてあげるよ。」

クルクルとナイフを手で弄びながら僕に近付くと乱暴に僕の髪を掴んで、僕の顔を邪悪な笑みが覗く。

「死んだよ。俺が始末した。指を一本ずつ折って、その次に足、そして腕。身動きが取れなくなってからも散々いたぶって、最期には絶望の表情を浮かべて、目から光が消えていく美人の顔は綺麗だったねー。」

そううっとりと語るフォルター。
しかし、僕の顔に深まっていく怒りを見て、スッとつまらなそうな顔に変わる。

「折角、絶望のどん底に落ちる瞬間が見れると思ったのに。君の姉さんが死んだ時みたいに絶望に身を浸して、今にも壊れそうな表情で泣いてくれると思ったのに……。」

「ーーーーーッ!! 」

殺してやる。お前も同じ目に合わしてやる。そう怒りに身を任せて叫ぶが声にならない。

髪を乱暴に引っ張りながらフォルターが首にナイフを当てる。

「まぁ、もういいや。死んでよ。」


スッとナイフが首を滑り、首をカッ切ろうとした時。

バタンッと重厚な鉄の扉が開き、白い装束に身を纏った青年が駆け込んで来た。

フォルターはその青年が部屋に駆け込んで来た瞬間、心底面倒臭そうな表情を浮かべ、手を止めた。

「神官の貴方が、何故、我々の寝ぐらまでいらっしゃったんですか? シュトラール様。」

「貴様こそ何をしようとしているフォルター。」

その問いに面倒くさそうだった顔が嫌そうな表情になる。シュトラールと呼ばれた青年は僕と目が合うと一瞬、何故かその目に喜色が浮かんだ。しかし、僕の姿を見て、顔を顰めた。

「…この者には始末命令が出ています。執行致しますので部屋を出て下さいますか? 」

「嘘をつけ。始末命令が出ているなら牢屋などに入れず、貴様達はすぐに始末するだろう。……私はその者に用がある。貴様が出て行け。」

暫く二人は睨み合ったが、フォルターは一つ息を長く吐くと、大人しくナイフを下ろし、部屋から出ていった。

「ーーッ。」

「…声が出ないのか? なんて酷い事を。」

待てッ!! 逃げるな、とフォルターに出ない声で叫んだ。

無理矢理立ってフォルターを追おうとしている僕にシュトラールという青年は心配そうな表情で駆け寄り、僕を抱き寄せると自身の上着を僕に掛けた。

「可哀想に…、身体をこんなに冷たくして。……くそっ、フォルターめ、私の………に……。」

何だコイツと睨むが意に介せず、シュトラールの後ろにいたお付きっぽい人に僕を運ぶようにシュトラールは指示する。

ー 何が起こってる?

僕達異世界人を喚び、不当な扱いをしてきた筈の神官が何故か僕を助けようとする。この珍事に思わず、激しい怒りの炎がとろ火になる。本気で何が何だか分かんない。

「いいか。その方は丁重に扱え。その方は本物の聖女様だ。」

ー は?

とろ火すら消し飛んで、その意味不明な言葉に鳩が豆鉄砲食らったようにポカンッと固まった。

は? 聖女??
何言ってんだコイツ!?

頭の狂った奴の次は頭のおかしい奴が現れた。
聖女って聖なる女って書いて聖女なの知ってる??

しかし、一度怒りが削がれると冷静さが戻ってくる。

ー フォルターの言葉…。本当だろうか?

フォルターは相手を絶望に突き落とし、壊す事に愉悦を感じる狂人だ。ならば相手を絶望させる為だけに平気で嘘もつく筈だ。

ー だけど何故、隷属の首輪がなくなってる?

フォルターの言った事は嘘かもしれないと思っても、心の中にまだ不安が残る。
首輪が取れた事でアルトワルトとの繋がりが切れてしまったような喪失感が溢れてくる。

ー アルト。

髪に朝、挿したアルトワルトにもらった簪に手を伸ばした。しかし、あの簪すらもうない。

「ーーー。」

「髪がどうしたの? …ああ。君が何時も付けていた簪がないな。君の赤い髪に青い硝子玉が映えて綺麗だったのに…。」

お付きっぽい人に抱き上げられた僕の髪を掬い、知り合いではない筈のシュトラールが懐かしげな表情を浮かべた。

「大丈夫。君の大切なモノは私が探しておくから君は弱った身体を休めて、。」

ー ヒメ…ル?

シュトラールが僕に掛けた名に、優しい眼差しを向けていたあの琥珀の瞳が、青空に手を伸ばし続けたあの優しい人の顔が浮かんだ。

それは久々に聞いたネネの名だった。
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