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第十八章 日独交渉

帰路と比叡

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 さて、場所は再びアッサブ港。今上帝の行幸を隠す必要は最早なくなった。わざわざ瑞鶴に乗って還御する必要はなくなったのである。瑞鶴は下村大将を呼び付けて尋ねた。

「ねえ、陛下のお帰りはどうするつもりなの?」
「お帰りは民間船にお乗りになる予定だ」
「あ、そう。ちょっと残念ね」
「君は陛下をお乗せすることを嫌がっていたんじゃないのか?」
「確かに荷が重すぎるけど、これ以上の栄誉はないってもんでしょ」
「それはそうだね。この後で言うつもりだったが、君はもう帰ってくれて構わない。補給も道中に用意してある。但し、護衛は付けさせてもらうよ」
「護衛ねえ」

 どちらかと言うと瑞鶴が妙な真似をしでかさないよう見張る為であろう。

「で、誰が護衛をしてくれるの?」
「比叡に来てもらうことにした」
「戦艦を? 随分と大盤振る舞いね」

 金剛型戦艦二番艦の比叡。瑞鶴はにわかに警戒心を持った。重巡洋艦くらいなら万が一の際にも無力化できるだろうが、腐っても戦艦の比叡相手ではそうはいかない。

「念の為にね。それに、まあ陸軍の私が言うのもなんだが、君からしたら大した相手ではないだろう?」
「……まあね。明治の戦艦なんて怖くないわ」

 比叡が進水したのはもう44年の前のことだ。本来ならとっくの昔に廃艦にして代艦を建造するような艦なのである。

「比叡は明日には到着する予定だ。そうしたら出港してくれ。スリランカとフィリピンとハワイに補給を用意させてある」
「そう。じゃああんた達は別に船で帰るの?」
「そうなるね。短い間だが世話になった。感謝するよ」
「ええ、どういたしまして」

 下村大将や憲兵隊の面々は瑞鶴を降り、瑞鶴は一人ぼっちで比叡を待つことになった。

「はぁ……。うざったい連中だったけど、いないとそれはそれで寂しいわね。ねえお姉ちゃん、比叡を信用していいと思う?」

 瑞鶴は彼女の頭の中にだけいる姉に尋ねた。

『ここに乗っていた憲兵の人達は、今後についての情報は与えられていなかったようです』
「分かんないか……」

 瑞鶴の持つ特殊能力は集団の意識を読み取るものだ。周囲にいる人間の大半が共通の情報を持っていなければ使えない。下村大将個人の考えを読み取ることは不可能なのだ。

「比叡に人間がいっぱい乗ってれば分けるんだけど、祈るしかないわね……」

 瑞鶴は比叡が来るまで大人しく寝ていることにした。万一にも寝込みを襲われても、その時は瑞鶴の能力が発動するだろう。

 ○

 翌日。予定通りに比叡がやって来た。比叡には幸いにして、それなりの数の人間が乗っているようだった。

『どうやら、比叡は私達に敵対するつもりはないようです』
「よかった。これで一安心ね」

 さて、比叡も一旦アッサブ港に入港して、瑞鶴に挨拶をしにやって来た。

「お初にお目にかかります。わたくし、比叡と申します。よろしくお願いいたしますわ」

 赤い短髪に青い瞳、白いセーラー服に身を包んだ小さな少女。それが比叡の船魄であった。

「瑞鶴よ。よろしく」
「はい。本日より二週間ほど、よろしくお願いいたします」

 比叡は恭しくお辞儀をした。

「ハワイまではわたくしがご案内いたしますから、わたくしに着いてきてくださいませ」
「分かった。にしても、軍人らしくない船魄ねえ。練習戦艦だったからかしら?」

 比叡はワシントン条約の影響で暫く装甲を外され練習戦艦になっていたことがある。

「それは間接的にはわたくしの性格に影響を与えておりますが、それよりも陛下の御召艦としての勤めが大きいかと」
「なるほど。今でも御召艦扱いなの?」
「陛下が海外に行幸される際は、わたくしを使われることが多いです。旧式で元巡洋戦艦ですから燃料の消費も少ないですし、重巡洋艦よりは艦内に余裕がありますから。その為に艦内には特別の設備を幾つか用意していますわ」

 比叡にそれなりの人間が乗っていた理由がそれなのだろう。

「そういうのを使わせてくれたりするの?」
「ご希望でしたら、毎日でもご用意します。上等の食事と寝所がありますわ」
「人の艦内で寝るのはあれだけど、食事なら是非とも欲しいわ」
「承知しましたわ」

 そういう訳で比叡と共に出発した瑞鶴は、毎晩比叡艦内で食事を取る事にした。流石は御召艦ということで、今上帝が乗艦される時と比べたら随分と質素だそうだが、帝国ホテルで出てきそうなフルコースが出てきて瑞鶴は恐れ慄いた。

「え、これ後何回来るの?」

 和牛のステーキを頂いた後、まだ終わらなそうな様子なので、瑞鶴は比叡に尋ねた。

「残り5皿ですわ」
「あ、そう……」
「お気に召しませんでしたか……?」
「いやいや、そんなことはないんだけど、こういうの慣れてないだけよ」
「緊張される必要などありませんよ。気を楽にして、ゆっくりと料理を楽しんでくださいませ」
「ありがと」

 しかし結局、料理は瑞鶴の人生で一番と言ってもいいくらい美味しかったのだが、彼女の心が休まることはなかった。そんなこんなで比叡の全力の接待を受けながら、瑞鶴はキューバへの帰路を進んだ。
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