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第三話 オメガ

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第三話 オメガ


 下足箱で靴を履き替え二階に上がり、誰もいない廊下を歩いた。
 2年2組と刻まれたプレートの下で立ち止まり、慣れた引き戸を勢いよく開ける。どうせ一番乗りだ。誰もいないと踏んで、憂さ晴らしも兼ねて荒っぽく振る舞ったのだが、それが見当違いだったということにオレはすぐさま気づく。
 目の前に現れたのは、二五人が授業を受けるには十分すぎる広さの教室だ。そして、窓際の一番後ろの席に、クラスメイトがひとり、朝の光を浴びながらぽつんと座っている。

「あ……」

 思わず声を漏らしてしまう。しかし相手はこちらを見向きもしない。
 オレはなんでもなかったように振る舞って教室に入った。
 居たのがこいつで、ある意味ラッキーだった。こいつの前では、とりわけ明るく元気に取り繕う必要なんて、微塵もないのだから。

 この学校にはアルファの男子学生しかいない――基本的には。
 性別、特に第二の性はそれぞれの能力と肉体に密接に関わり、不均衡と差別を生み出している。
 長い歴史の中で様々な議論がなされ、現在は人権的観点から、特定の性別のみで構成された組織は、この国には存在してはいけないと法律で定められていた。
 それは、この鵬聖も例外ではない。
 アルファの持って生まれた能力を高め、社会的な活躍を心から願った創立者の信念を曲げ、完全な共学にするのは憚られたのだろう。殆ど法の抜け道のようなやり方で、この学校には概ねクラスに一人の割合で、ベータやオメガの学生を、特別枠として入学させている。

 自分の席に向かう道すがら、朝一で登校していたそいつの席の隣を通り、ちらりと見遣った。
 同じクラスの三嶋燎みしまかがりは、2年2組の特別枠――すなわちこのクラスで唯一の、オメガの男子学生だ。

「三嶋、はよ」
「……す」

 オレの形だけの挨拶に三嶋は陰鬱な反応を返し、それからまた視線を机に戻した。
 何の気なしに覗いてみると、机上には昨日の範囲の数学のノートが広げられていた。途中式は途中のまま途切れていて、黒ずんだ用紙の痕を見るに同じ問題で長い時間考え込んでいるようだったが、オレには関係のないことだ。

 いくら平等を謳っても、結局クラスという社会に放り込まれれば、上下関係は生まれる。アルファ同士であってもそうなのだから、それ以外の性別がいれば言わずもがな、である。

 三嶋は、このクラスでは空気のような存在だった。親しい友人はいない。大柄な体をいつも縮こませるように背を丸め、今みたいにぽつりと一人で席に座り、俯き、長い前髪を垂らしてぼんやりしている。
 性別を抜きにしても、仲良くなりたいと思うようなタイプではないが、こいつを孤立させる最も大きな理由は、オメガであるという事実だった。
 誰もみな、表面上では明るく接する。分かりやすく仲間外れにしたりはしない。けれども、決して親しくなろうとはしない。一線を引き、心の底では自分達とは違う異物をうっすらと蔑んでいる。いくら法が平等を定めても、現実はそういうものだった。

 オレは三嶋の斜め前の席につき、鞄を下ろして中身を取り出す。机の中に今日の授業で使う一式を収納した後、不意にロッカーに入れっぱなしだった進路調査のプリントの存在を思い出した。
 立ち上がって再び三嶋の横を通り過ぎた時、オレはその首に巻かれた黒々としたチョーカーに、ふと、目を奪われた。

 アルファと番うために、神が定めたオメガの体質。首元からフェロモンを出し、誘引したアルファに噛まれることで番になり、繁殖する。小学生でも知っている知識だ。
 アルファばかりのこの学園で風紀が乱されないよう、万が一にも間違いが起こらないように、規律と自衛の元でつけることを強いられたそれは、かつてオレには全く縁のない、興味もない代物だった。けれど、今は……。
 途端に全身がこわばって、不自然に足を止めてしまう。
 なかなか逸れないオレの視線を疎ましく思ったのか、のっそりと顔を上げてこちらを見た三嶋は、すだれのような長い前髪の向こうから鈍い視線を覗かせた。

「……何?」

 クラスの異物。
 今やオレはこいつと同じ、オメガになってしまったのだ。

「……いや? 別に」

 今度はいつも通りの反応を取り繕って、オレは足早にその場を去った。
 まだ何もつけていない自分の首筋に触れた。うなじにゾクゾクと這うような寒気を感じて、オレは唇を強く噛み締めた。
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