12 / 17
本編
第9話 答えと涙
しおりを挟む画透艦長が話終えた時、アサマの艦長室には彼女の鼻を啜る音しか聞こえなかった。
颯華は未だ暖かいココアを一口口に含んだ。普段は別段気にならない甘ったるいココアの味が今だけは少し鬱陶しく、颯華は顔を僅かに歪ませた。
マグカップを机に置き、口直しと言わんばかりに再びハーブシガレットに火をつける。
ゆっくりと燃えるハーブシガレットから出る煙を一息吸って、颯華は未だ俯いたままの彼女を見た。
顔を俯かせているため彼女の顔を見ることは出来なかったが、決壊寸前のダムの様な、内から溢れるナニカをギリギリで押し留めている。そんな雰囲気を颯華は彼女から感じた。
「………ではキミの質問に答えるとしようか。」
颯華がそう口を開いた時、彼女は顔を上げないままビクッと体を一瞬強張らせてしまった。
「キミの質問は確か………怖くは無かったか?だったな。
前提として私は、恐怖は警報の様なモノだと思っている。物理的な痛みが身体的な異常を知らせる為の警報と同じようにな。
恐怖は精神を守るための警報なのだと。」
人の体というものは常に100%の力を使っているわけではない。
無意識に70~80%程に押さえており、無理に100%の力を出そうとすると痛みとしてそれをセーブしようとする。
何故ならば、100%の力を発揮すれば人の体は壊れてしまうからだ。
風邪を引いた時の熱だってそうだ。熱が出るのは原因たる菌やウイルスを除去しようとしての反応で、そこで無理をすれば更なる悪化を及ぼしてしまう。
この様な、物理的な痛みや熱は体を守る為の警告なのだ。
颯華は、恐怖をそれらと同じ警告だと思っていた。
身体的では無い、精神的な警告だと。
もう一息ハーブシガレットを吸って、半分近く残った物を灰皿に押し付けながら、颯華はそう言った。
「………艦長とは孤独なモノさ。
部下の命、飛空艦の安全、任務の遂行……色々な重責を背負い、ましてやそれを誰かに背負って貰うことは決して許されない。
毎日毎日、今日の自分はこれで良かったのだろうか?もっと良い指示が出来たのでは?
そう後悔して、思い詰めて、明日もしかしたら重大なトラブルがアサマに牙を剥くんじゃないかと不安になりながら眠れぬ夜を過ごす。」
灰皿にもみ消したハーブシガレットが僅かに煙を漂わせているのを眺めながら、颯華は溜め息と共に新たなハーブシガレットを咥えた。
「誰にも相談出来ない重責は、淀んだ泥の様な不安と恐怖を伴って、負の連鎖となって最悪の光景を何時も何度も頭に浮かんで来る。」
颯華は、艦長室に1つだけ飾ってある絵画を見上げた。
1輪だけ描かれた、真っ赤な彼岸花の絵を。
「恐怖は最悪を起こさせない為の警報だ。
恐怖を感じた時、艦長は足掻かなければ成らない。自分の為じゃない、部下と飛空艦を守る為にだ。」
颯華はソファーから立ち上がると、ゆっくりと彼女の元へ歩いた。
僅か数歩の距離だが、彼女の前に立ち止まった時、颯華は涙を目尻に貯めながら颯華を見上げる彼女と目が合った。
「…………………私だって怖いさ。
何時も何時も、悩んで最善策を選んだつもりでも、必ずモット何か合った筈だと後から後から不安になって、先の読めない明日に怖くなりながら眠れぬ夜を過ごしてる。
今日もそうだ。私はモット上手く指揮出来た筈だ、その考えが頭からこびりついて離れない。アサマに怪我が無かったのは偶々運が良かっただけ。次はもしかしたら…………
そう恐怖して足がすくんでしまう。」
だから
「恐怖を、怖さを感じるのは決して間違い出はない。
寧ろ、恐怖は艦長にとって最も大切なモノだ。
…………だから」
『キミは本当に良く頑張った』
そう答えると同時に、颯華は画透艦長を優しく抱き締めた。
初め、何をされたのか理解出来なかった彼女は目を白黒させて固まっていたが、抱き締める前に言った颯華の言葉の意味、そして颯華の行動にようやく脳が追い付くと、ゆっくりと颯華のコートへと顔を埋めた。
震える彼女の背を、颯華は優しく撫でる。
ゆっくりと、コートに広がる湿った暗いシミが何なのか。
それを問う必要は無いだろう。
「………今だけはそうしていると良い。
同じ辛さを持つ者としてキミの想いを私は受け止めよう。
良く頑張った、そして艦長へようこそ。」
共に頑張って恐怖を感じて行こう。
それから約30分以上、颯華は彼女が疲れから寝落ちしてしまうまで優しく撫で続けた。
『艦長、佐世保まで間もなく20海里になります。』
画透艦長が疲れから颯華に抱き着いたまま眠って暫く、艦内電話にてアルマから連絡が入った。
それは間もなくアサマが佐世保へと帰港する事を意味していた。
「わかった。直ぐに艦橋に上がる。」
『了解。お待ちしてます。』
颯華は画透艦長を抱き締めたまま素早く艦内電話の操作盤を動かしてアルマへと返事をした。
(さて………どうするかな。)
未だ抱き締めたまま彼女を見れば、安心したかのような薄い微笑みを浮かべている。
「取り敢えず…………ベットに運ぶか。」
ゆっくりと彼女を横抱き、他人が見れば所謂『お姫様抱っこ』をして起こさない様にベットに向かう。
白いシーツを張った部屋には不釣り合いな金属製の無骨なベットに彼女をゆっくりと降ろし、薄黄色の毛布を優しく被せた。
彼女が颯華のコートを付かんで離さない…………ということは幸いにも無く、彼女はそのまま颯華から離れてくれた。
颯華は優しく、起こさない程度に軽く彼女の頭を撫でた。微笑みを浮かべて眠る彼女を見て颯華自身も薄く笑った。
「行ってくる。キミが起きたらもう佐世保に着いているだろう。」
聞こえもしないのにそう口にして、颯華は彼女に背を向けた。
「………………颯華お姉ちゃん」
歩き出そうとした時、寝言なのか彼女は小さく呟いた。
出鼻を挫かれやや躓きそうになった颯華だが、もう1度彼女に振り返って笑いかけた。
「フフッ……………お姉ちゃんか………初めて言われたぞ。」
そう独り言を呟き、颯華は艦橋へと去っていった。
もう、彼女を振り向く事はしなかった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
神様自学
天ノ谷 霙
青春
ここは霜月神社。そこの神様からとある役職を授かる夕音(ゆうね)。
それは恋心を感じることができる、不思議な力を使う役職だった。
自分の恋心を中心に様々な人の心の変化、思春期特有の感情が溢れていく。
果たして、神様の裏側にある悲しい過去とは。
人の恋心は、どうなるのだろうか。
不撓導舟の独善
縞田
青春
志操学園高等学校――生徒会。その生徒会は様々な役割を担っている。学校行事の運営、部活の手伝い、生徒の悩み相談まで、多岐にわたる。
現生徒会長の不撓導舟はあることに悩まされていた。
その悩みとは、生徒会役員が一向に増えないこと。
放課後の生徒会室で、頼まれた仕事をしている不撓のもとに、一人の女子生徒が現れる。
学校からの頼み事、生徒たちの悩み相談を解決していくラブコメです。
『なろう』にも掲載。
三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!
佐々木雄太
青春
四月——
新たに高校生になった有村敦也。
二つ隣町の高校に通う事になったのだが、
そこでは、予想外の出来事が起こった。
本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。
長女・唯【ゆい】
次女・里菜【りな】
三女・咲弥【さや】
この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、
高校デビューするはずだった、初日。
敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。
カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!
風船ガール 〜気球で目指す、宇宙の渚〜
嶌田あき
青春
高校生の澪は、天文部の唯一の部員。廃部が決まった矢先、亡き姉から暗号めいたメールを受け取る。その謎を解く中で、姉が6年前に飛ばした高高度気球が見つかった。卒業式に風船を飛ばすと、1番高く上がった生徒の願いが叶うというジンクスがあり、姉はその風船で何かを願ったらしい。
完璧な姉への憧れと、自分へのコンプレックスを抱える澪。澪が想いを寄せる羽合先生は、姉の恋人でもあったのだ。仲間との絆に支えられ、トラブルに立ち向かいながら、澪は前へ進む。父から知らされる姉の死因。澪は姉の叶えられなかった「宇宙の渚」に挑むことをついに決意した。
そして卒業式当日、亡き姉への想いを胸に『風船ガール』は、宇宙の渚を目指して気球を打ち上げたーー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
乙男女じぇねれーしょん
ムラハチ
青春
見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。
小説家になろうは現在休止中。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる