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本編
第6話 RTS(リターン・トゥ・スクール)
しおりを挟む「各科対艦戦闘止め、合戦準備用具収め。」
「各科、対艦戦闘止め!合戦準備、用具収め!」
颯華が戦闘終了を告げる号令を出した時、福岡飛空士学校連合の哨戒艦隊3隻は、既にこの空域から離脱を始めていた。
青地のキャンバスに撒き散らされた黒絵の具が空域を汚し、空は戦闘が始まる前よりも酷く狭苦しく感じられた。
アサマの推進用のプロペラが空に散らばる黒煙を巻き込み、アサマ舷側から吐き出されるボイラーの余剰水蒸気と共に一筋の飛行機雲を形作った。
それはあたかも海に浮かぶ白き航跡の様な雰囲気を醸し出し、飛空艦たるアサマが、まるで大海を進む洋上艦に見えた。
「艦長!各科、対艦戦闘止め、合戦準備用具収めよし!」
「敵、レーダー失探!
恐らく不時着水に備え高度を落とした模様!」
「………わかった。みな、良くやってくれた。」
軽く息を吐きながら、深々と椅子へもたれ掛かる颯華。その顔には安堵と僅かな疲労の色が見えた。
いや、颯華だけじゃない。アサマに乗っている60名のクラスメイト全員が同じような顔をしていた。
しかし、それも仕方の無いことだろう。艦長の颯華を始め、全員が今回が発の実戦だったのだから。
初陣としては、時間にして30分にも満たない小規模な戦闘だっただろう。
それでも、颯華以下、アサマに乗っている彼女達には限界に近かった。
焦燥と不安、そして誰かを護ると言う興奮が脳を犯し、アドレナリンを大量に放出していたのだ。
戦闘が終わり、彼女達の脳に溢れていたアドレナリンが切れれば、戦闘中は感じていなかった疲労が一気に体へとのし掛かってきたのだろう。
「サワカゼの位置は?」
「現在、本艦の左70°10海里、高度10000ftを約5ノットで航行中。」
アサマは敵2等飛空巡洋艦を撃破後、駆逐艦攻撃の為に面舵を取って北北東へと進路を変えていた。サワカゼは以前として北西へと進路を取っていたのでかなり距離が開いてしまっていた。
『艦橋、こちら航空管制室。
颯華艦長。現在、瑞雲航空隊はサワカゼ護衛を実施中。
追加で新たな指示をだします?』
艦内電話を通じて航空管制室にいる優子から現在の瑞雲航空隊の情報が上がってきた。
「優子、瑞雲航空隊はそのまま。
追って指示を出すまでサワカゼ護衛を継続させろ。」
『了解。』
「八江、高度10000ftまで上昇。サワカゼと合流する。」
「了解。浮遊機関出力60%
取り舵15度、進路280°」
八江の操艦により、アサマはゆっくりと上昇、左へと曲がりながらサワカゼへと艦首を向けた。
戦闘終結と共に、既にアサマの速力は120ノットへと落としてあった。機関を全力で稼働させ続けると不調を起こすからだ。
機器保全の為に、戦闘が終結し全速力を発揮する必要の無くなった今は、元の巡航速力へと機関出力を落としたのだ。
「サワカゼまで5海里!」
「両舷前進微速。サワカゼの右舷10mで停止。
左、舷梯用意。」
「了解!」
カンカンカン………
艦橋内にテレグラフの切り替えた音が響き渡る。一時と経たず、アサマの船体が急速に速度が落ちていくのが艦橋内に居る颯華達にもハッキリわかった。
「両舷前進微速赤黒無し。ヨーソロー!」
「サワカゼまで1海里!」
「八江、両舷後進半速。」
「了解、両舷後進半速!」
洋上艦でもそうであるが、船舶というのは機関の推力を止めただけでは止まることはまず出来ない。
機関を後進に入れる事で、慣性の法則によって前に直進しているアサマの船体を停止させるのだ。
それをしてもなお、完全停止するまでには4000m以上前進してしまう事もある。
颯華はそれを見越して、事前にアサマの舵が効く(遅すぎると舵が効かず操舵不能になってしまう)最低速力まで落としていた。
「ログ20ノット!」
ログ……正式名称はlog speed 、または航海速力とも言われている。
これは名前の通り洋上を航海中の船舶の速さを表す名称で、海水に対する船の速力(機関の推力に応じた速力)で、船が海面を進む速力を言う。海流、潮流などに左右されず、常に一定となる。
例えるならば、動く歩道やエスカレーターの動く速さを潮流とすると、その横の通路を歩くのが対水速力になる。
また、その上を歩くの事を対地速力と呼び、陸から見た時の船舶の速さに用いる(船の速力+or-潮流=対地速力)。
飛空艦は空を航海する乗り物であるが、その運用方法から洋上船舶と同じく対水速力と対地速力を基準としている。
「ログ10ノット!」
「両舷後進微速!」
「了解、両舷後進微速!」
可変ピッチにより後進へと翼角(プロペラの角度)を変えていたプロペラは、更にその角度を浅く変更させて後進する為の力を弱めた。
「両舷後進微速赤黒無し、ヨーソロー!」
「ログ5ノット!」
「両舷停止!」
「了解、両舷停止!」
余り長く使い過ぎればアサマは停止せずそのまま後進してしまう為、後進を使う必要が無くなるギリギリを見極めて後進を停止させる颯華。
可変ピッチプロペラにより機関自体を停止させなくて良いので、4つのプロペラは推力を産み出さない翼角で未だ回転を続けている。
「ログ0ノット!行き足無し!」
「了解。アルマ、サワカゼ乗員の救助準備の指揮を」
「了解。
左舷梯用意、桟橋掛け!手隙き乗員は艦外服着用後、上甲板へ!」
アルマが艦内マイクで号令を発すると、アサマの上甲板へ手の空いた飛空士要員が艦外服と呼ばれる厚手のコートを着て、ぞろぞろと上甲板構造物にあるハッチを開けて上がってきた。
上甲板へと上がってきた乗員は、アサマの上甲板中部にある長さ15mの折り畳み式舷梯(折り畳み式の階段の様な物)を水平に倒し、専用の小型油圧クレーンにてサワカゼへと展開させ、あたかも岸壁と洋上船舶を繋ぐ桟橋の様にアサマとサワカゼを繋いだ。
「アルマ、負傷者の移送を最優先で頼む。
雪奈は佐世保女子飛空士学校航路管制塔へと状況報告を頼む。」
「了解!」
「……了解。」
アルマと雪奈が颯華に頼まれた事を行っている間、颯華は艦橋から左ウィングに出るとサワカゼ乗員救助の様子を見守った。
サワカゼ乗員は全員が酷く煤けて汚れており、遠くから見守っている颯華からはパッと見では誰もが負傷者に見えた。
しかし、良く見れば血を流している者は見当たらず、どうやら殆ど全員がサワカゼの応急修理で汚れているだけで、負傷者は幸いな事にいない様に見えた。
ゆっくりと、颯華はコートからハーブシガレットを取り出し口に咥えた。戦闘中に踏んでしまったのか、酷く折れ曲がってしまっているハーブシガレットを指で伸ばし、マッチで火を着けて一息ついた。
この様子ならば、後30分から1時間でサワカゼ乗員全員をアサマで救助出来るだろう。幸い、既に瑞雲航空隊はこのまま先行して佐空へと帰投するため格納庫を最大限利用できた。
収用後、サワカゼに負担の掛からない様に曳航索を取り付け、曳航索の千切れないギリギリの速度で佐空へと帰投すれば問題ないはずである。
「……艦長」
「ん?どうした雪奈?」
「SRCTから連絡が来た。」
これ見て
そう言いつつ渡された紙、そこには確かにSRCTのマークと共にアサマ今後の予定が記されていた。
「………飛空駆逐艦2隻も出すなんて豪気なもんだ。」
要約すれば、この空域に飛空駆逐艦2隻を派遣したので、サワカゼの曳航は駆逐艦に任せてアサマはサワカゼ乗員収用後、速やかに佐世保へ帰投せよ。との事だった。
ただでさえ数少ない佐空所属の飛空艦のうち、2隻もこちらに寄越すのだから、本校の連中も相当今回の事を重要視しているようだ。
「駆逐艦の到着予定時刻は?」
「…………約40分後。」
「その頃なら丁度収用仕切れるだろう。
ありがとう雪奈、キミも少し休め。」
「大丈夫………それに………」
雪奈はゆっくりとサワカゼを見た。
「……サワカゼの娘達の方が疲れてる。」
「………フッ
そうだな。ウチでしっかり休ませなきゃな。」
雪奈の優しい微笑みに釣られ、颯華も少し顔を崩した。
約30分後、予定より早く2隻の駆逐艦がアサマとサワカゼのいる空域に到着した。
未だサワカゼの乗員の収用は終わっていなかったが、空中での人員移送は一歩間違えば船から落ちて地面か海上に真っ赤なキスをする事になってしまう。事故防止の為、ゆっくりと慎重に行っているのは仕方の無いことだった。
「艦長、駆逐艦より通信が入ってます。」
アルマが颯華に手渡して来たのはSRCTより配布されている、クローズネットの無線機だった。
クローズネットとは、一般的なネットワークとは閉ざされたSRCT内部でのみ運用されているネットワークの事で、秘匿通信等盗聴されたくない重要な連絡を行う為に使われている。
つまり、相手方からは余程重要な事なのだろうと颯華は判断した。
「こちらS501 アサマ。艦長の宮藤だ。」
『…ザァ……やぁ、颯華ちゃん。
今日は随分と大変なことになってるみたいじゃないかぁ。』
無線機越しに聞こえた声は、随分と聞き覚えのあるモノだった。
「なんだ、貴様かアルメ。てっきり非番の『アマツキ』か『タカツキ』がこっちに来ると思ってたんだがな。」
『ハハ、そんなこと言わないでよ。
こっちだって修理明けでいきなりだったんだから。』
『涼氷アルメ』
それが無線機の相手の名前であり、颯華とは同じ士官科、砲雷専修の艦長職と言うこともあり良く話す、飛空駆逐艦の艦長を勤める少女だった。
「貴様の『ヨイツキ』は先月ドック入りしたばかりだろうが?」
『ハハ、旧式の飛空駆逐艦に何日もドック使うなんて生徒会がするわけ無いでしょ?』
「はぁ………で?もう1隻は誰なんだ?」
『もう1隻は『アサツキ』だよ。菜奈ちゃんの駆逐艦』
「わかった、もういい……サワカゼの曳航は貴様に任せる。私達は『わかってるって!』……はぁ。」
『あとはこの私に任せなさいな!』
微妙に普段よりテンションの高いアルメに、颯華は若干面倒臭くなった。
「艦長、サワカゼ乗員の収用終わりました。」
「………わかった。」
丁度アルマがそう颯華に報告してきた時、これ幸いにと颯華は通信を切ることにした。
「サワカゼ乗員の収用が今終わった。あとは任せる。」
『了解了解!
んじゃ、サワカゼ乗員を佐世保女子飛空士学校までよろしくぅ!』
プツ
一方的に切られた無線機を暫し眺めた颯華だったが、溜め息と共に無線機を雪奈へと返した。
「………左舷梯収め。」
「り、了解!左舷梯収め!」
明らかに先ほどとは別の疲れを感じながら、颯華は艦長席へと座り、背もたれに寄りかかった。
正直言って、颯華はアルメのあのテンションが苦手だった。無論、彼女の艦長としての技量は認めてはいるが。
「艦長、左舷梯収め終わりました。」
「わかった。
機関両舷前進原速………
諸君、母校に帰るぞ。
RTS!」
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