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番外編・誤解は愛を深めるか
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しおりを挟むもう一度この場所に来れるとは思っても見なかった。
あの日撮った一枚の写真は、時期が来れば捨てられてしまうだろうと思っていたし、俺もそのつもりだった。
けれど、前に進めずにいた俺を彼女は変えてくれた。愛する人と一緒なら、こんなにも穏やかで幸せな気持ちになれるのだと教えてくれた。
以前と同じはずのウエディングドレス姿は、こんなにも神秘的で息を呑むほど美しかったのか。
男としての役目を果たさなければならないのに、大勢の参列者の前で恥ずかしげもなく、彼女を「愛してる」と抱きしめたい衝動に駆られる。
ベール越しに彼女と目が合って、俺は幾ばくかの緊張と動揺を誤魔化すように微笑んだ。
パクパクと声に出さずに彼女の口元が動いた。
『緊張してるの?』
出会ってからたった数ヶ月なのに、こういうところは本当に敵わない。いつもと同じように笑えているはずなのに、どうして気づかれてしまうのだろう。
俺は口パクで『ちょっとね』と返して、リングピローの上からみのりの指輪を手に取った。
白いグローブを外した彼女の指先もいつもより冷たくなっていて、柄にもなく二人で緊張しているのだと安堵の息を漏らす。
みのりの薬指に嵌った指輪を見て俺は、不覚にも泣きそうなほどの感動を覚えた。
今まで散々泣かせてきただろうし、気丈に振る舞っていてもきっと辛かっただろう。それがチャラになるとは思わないが、やっと俺自身の手で彼女を幸せにできるのだという満たされた気持ちでいっぱいだった。
式場に来る前に婚姻届は提出済みで、法律的にはみのりはもう俺の妻だ。
以前の俺は〝結婚式〟に意味を見出せなかった。
女性が純白のドレスに並々ならぬ気持ちを抱いているのはわかる。けれど、それならば披露宴だけでいい。なぜわざわざ神の前で誓いを立てる必要があるのかと、兄の式の時も思ったものだ。
しかし『病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い、慈しむことを誓いますか?』その言葉が胸に突き刺さった。
神を冒涜しているわけではないが、俺は神ではなく自分自身に誓おうと決めた。彼女だけをずっと愛し続けていくことを。
ベールを上げて、もう一度みのりと目が合った。
腰を屈めて唇を近づけると、彼女の瞳からひとしずく涙がこぼれ落ちた。俺は幸せに満たされたみのりの表情に目を奪われて、つい彼女の身体を強く抱き締めてしまった。
「ちょ……っ、晃史さんっ」
慌てふためいたみのりの声と、参列者からの冷やかしに我に返ったけれど、腕の中にいるみのりの顔はやはり真っ赤に染まっていて。
「愛してる」
あの日から一年が経ち、あと数ヶ月で家族が増える。
毎日が幸せで、みのりのこともこれから生まれる子どものこともずっと守っていこうと、決意を新たにした。
今日は俺たちの結婚記念日だったんだ。
──なのに。
とんだ失敗をしてしまった。
自分が周りからどう見えるか、よくわかっていたはずだった。いつもだったらそんな馬鹿なことをするはずなんてなかった。
この時俺は、それほど舞い上がって浮かれていたのだろうと思う。
***
そろそろベビーグッズも増えてきた。
まだ産まれてもいないのに、みんなして気が早いったらない。うちの両親も長谷川の両親も、ベビーグッズやらおもちゃやらを競うように送ってくる。
「まだ男の子か女の子か、ちゃんとはわからないのになぁ」
白のフリルのついたスカート付きロンパース。女児でも男児でも、赤ちゃんならば何を着せても可愛いだろうが。
送ってこられた洋服たちは、いかんせんサイズが大き過ぎる。それに量も。これではショップが開けるほどだ。仕方なく一つ一つ包装を開けて衣装ケースに入れた。もう衣装ケースもいっぱいだ。
子ども部屋になる予定のウォークインクローゼットに服を片づけながら、私は時計を見た。結婚を機に銀行を退職した今も、元同僚の相田さんたちとは付き合いが続いている。今日は、久しぶりにみんなでランチでもと誘われていた。
銀行の休憩時間に合わせて約束をしているため、だいぶ早いが余裕を持ってそろそろ家を出た方がいいだろう。
私は片づけを後回しにすると、エプロンを外し伸びた髪を手櫛で整えた。結婚した当初、肩までしかなかった髪は、もう背中にまで届いている。
お腹はゆとりのある服を着ているとまだ妊婦だとは気づかれないが、お風呂で見るとぽっこりと下腹部が盛り上がり、胎動も感じるようになった。
ふとカレンダー見て、あることに気づく。
「あ、今日結婚記念日だ」
自分の妊娠のことでバタバタしていて、ゆっくり計画を立てている暇がなかったけれど、結婚して一年の節目だ。せっかくだから、二人でゆっくり過ごしたい。
ランチも楽しみだが、早めに家に帰ってご馳走を作って待っていようと、ニヤニヤと私の頬は緩みっぱなしだ。
「もう行こ」
忘れ物はないかとチェックをして、母子手帳を鞄の中へと入れた。一応、保険証も。
もともとヒールの靴を履くことは少なかったけれど、何足かあったピンヒールのサンダルやブーツはすべて実家に送ってしまった。
マンションを出て駅までの道を歩きながら、名前はどうしようかと考える。実はまだ確定ではないものの、産婦人科の医師からは多分女の子だろうと言われていた。
女の子だと言われていたのに生まれたら男の子だった、という話も聞いたことがある。
赤ちゃんが足を閉じていたりすると、男の子の証が見えずに女の子だと間違われてしまうこともあるのだという。私の場合も、エコーではっきりと見えたわけではないから、まだ晃史さんにしか言っていない。
これで女の子かもと言えば、今以上に服やおもちゃが大量に送られてくるだろうから、晃史さんにも口止めを頼んでいた。
「名前、何がいいのかなぁ、冬生まれだから……」
お腹を撫でながら幸せに浸る。こんな時はどうしても晃史さんに会いたくなってしまう。
待ち合わせた駅までは十分ほどで着く。その前にベビー服専門店でも見に行ってみようかと数駅前で電車を降りた。
両親から送られてくるプレゼントに辟易しながらも、結局私も同じだ。我が子に会える日が楽しみで仕方がない。
「スタイとか今可愛いのたくさん売ってるんだよね~」
つい、交差点で信号待ちをしている間も独り言がでるくらいは許してほしい。
信号が変わり歩みを進めると、見知った横顔に足を止める。私たちは運命で結ばれているのではないかとすら思ってしまうほどの偶然に見舞われた。
古風な店構えの喫茶店、窓際の席に晃史さんの姿があった。
仕事が終われば会えるのに、嬉しくて駆け出しそうになってしまう。ああ、ダメだとお腹に手を当てて、信号を渡りきった。
晃史さんと一緒にいたのは女性だったけれど、仕事の打ち合わせかもしれないと、私は窓越しに手を振るに留めようとした。
しかし彼は、目の前に座った女性に顔を近づけ笑った。私にしか見せない顔をして。
「晃史さん……?」
彼が女性にモテるのは知っている。
以前に関係を持った女性の数が両手の指では足りないということも。
それでも私が安心していられるのは、彼から毎日のように与えられる愛の言葉であったり、彼の私だけに向ける表情であったりする。
誰にでも愛想のいい人だけれど、実は家族にしか向けない顔がある。仕事での作られた笑顔とは違う、いたずらを思いついた子どもみたいにあどけない表情で笑う時、心の底から幸せを感じているのだと知っている。
結婚式の時も、赤ちゃんができてたって言った時も、そんな顔をしてたね。
私に指輪を嵌めながら、緊張を隠すみたいに笑った。泣きたくなるほど嬉しいってあの時、顔に書いてあった。
仕事じゃないのかもしれない──そう思ったけれど、私は必死に自分の想像を打ち消した。
本人から何も聞いていないのに、私が勝手に誤解して傷つくなんておかしい。彼は私を裏切るような人じゃない。
軽くガラス窓を叩くと、私は何も気にしてない風を装って偶然だねと笑顔を向けながら、晃史さんに向かって手を振った。
瞬間、彼が「しまった」って顔をした。
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