独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第三章

第五十四話 割れる天空

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 まるでガラス細工のように大きく亀裂の走った空模様。こうして見上げている間にも、それはどんどん広がってゆく。

「な、何が起きているの!?」

 シェーナが叫ぶが、誰にも答えられる筈が無い。こんなこと、誰が予想出来るのいうのだ。

 ……いや、待て。そこで脳裏に閃きが走った。そう言えばひとつ、思い当たることがある。

「きっと、あれもオーロラなんだよ!」

「えっ!?」

 驚愕に目を剥くシェーナに、私は考えたことを告げる。

「オーロラ・ウォールは目に見える部分だけが存在するんじゃない、上の薄く途切れた先にまで広がって、ドーム状に私達の遥か頭上を覆い包んでいたんだよ! 私達が普段目にしている空は、上空を覆ったオーロラに描かれた偽物の空なんだ!」

「な、何を言っているのシッスル!?」

 シェーナが理解出来ないのは当たり前だ。私も、イリューゼさんから世界の真相を聴くまではこの考えに至らなかっただろう。

「思い出してシェーナ! ギシュールさんと一緒にオーロラの調査を行った時、あの向こうに何があったのかを!」

「……っ!?」

 それでシェーナも思い当たったようだ。

 あの時、私の“破幻”の呪文で割れたオーロラの先には、【闇】そのものが広がっていた。

 イリューゼさんが語った話から類推するに、この【幽幻世界】は、あの虚無の空間に漂う巨大な孤島なんだ。だから主神ロノクスは、オーロラ・ウォールという囲いで内と外を切り離した。

 オーロラの外側が【闇】であるなら、私達の頭上に広がる大空にも限りがあるということだ。

 全てはまやかし。【限りの神】の面目躍如といったところか。

「じゃ、じゃあ本当に……!?」

 どうにか現状を飲み込めたらしいシェーナだが、そこへ更なる追い打ちがかかる。

 空に――いや、空を模したオーロラに走った亀裂が、とうとう限界にまで達し――

 粉々に割れて、砕けた。

「――っ!?」

 声にならない悲鳴が、シェーナだけでなくその場の全員から上がる。

 砕けた破片は、空の模様を表面に描いたまま重力に従って落下し、地上へ堕ちることなく大気に溶け込むように消滅してゆく。いくつかの破片には、以前戦った白いガーゴイルの面影も見受けられた。

 その斑なコントラストに紛れながら、徐々に全貌にあらわにしてゆくのは――【闇】。

 以前オーロラを破壊した時に見たのと、全く同じ空間が私達の頭上に揺蕩たゆたっていた。

 空に映し出されていた贋物の日光も消え、天空に満ちるのは今や闇ばかり。

 雷を含む黒雲であろうとここまでの暗さはもたらせまい、というように辺りがたちまち暗黒に染まっていく。

「おお、神よ……!」

 無意識の行動なのだろう、シェーナが上空を見つめながら震える手で胸元のクリスタルを握り締め、縋るような祈りを捧げている。他にも、私達の周囲からいくつも神の名を呼ぶ悲痛な声が上がった。

 そんな中で、ブロム団長はさすがに立て直しが早かった。

「皆の者! すぐに明かりを灯せ! 視界を確保するのだ!」

 団長の力強い指示が飛んだことで、周囲の部下達はかろうじて己を保ったようだ。

 辺りが完全に闇に染まる前に少しでも光源を増やすべく、守護聖騎士もドワーフ達も必死に動く。

 私もあらゆる雑念を抑え込み、西のダンジョンでやったように“幻光ミラージュ・ライト”で彼らに助勢しようとした。

 が、すぐにそんなものは不要になる。

「っ!? オーロラが!」

 陽光の代わりと言わんばかりに、闇で満たされた上空にあの光の銀幕が出現した。オーロラから放たれる眩い白光によって、私達は辛くも暗闇から逃れる。

 無論、それで安心する人はひとりもいない。ここでオーロラが現れたことの意味を、言われるまでもなく全員が理解している。

「〈拒魔蓋きょまがい〉、起動!」

 ブロム団長の合図と共に、先程お披露目されたドワーフ製の防御装置が再び目覚める。先程灯りを確保しようとした時にこれを頼ろうとしていたのか、すぐに再起動は行われた。

 瞬く間にオーラの結界が張られ、私達と上空のオーロラを隔てる。

 直後に、それが始まった。

「――!?」

 揺れ動くオーロラの内側から溢れ出してくる、闇の眷属達。

 様々な造形の、様々な大きさの、様々な禍々しさをこれでもかと凝縮させた大量の魔物達が、まるで吐き出されるようにぞろぞろと光のゲートから出現したのだ。

 上空から降り注ぐ魔物の大群が、雪崩のようにオーラ結界に押し寄せた。一斉に爪や牙を突き立てて、自分達を阻む障壁を食い破ろうとする。

「へっ、いくらでも来やがれってんだ! 俺たちドワーフの技術をナメんなよ!」

 工房技師長が気炎を上げる。彼の言葉を担保するように、無数の魔物に群がられながらも拒魔蓋から出力された結界には傷ひとつ付いていない。少なくとも、今のところは魔物の猛攻に問題なく耐えている。

 魔物達は人海戦術で押し切るつもりなのか、結界の表面にびっしりと張り付いて一心不乱に攻撃を繰り返している。まるで蜂球みたいだ、と私は思った。ミツバチはススメバチを数の暴力で押し包んで熱死させるというが、この魔物達もまた物量に物を言わせて私達を守る結界を圧壊させようとしているんだ。

「聖術展開! “破魔裁光ジャッジメント・レイ”!」

 ブロムさんの号令が飛び、オーロラや結界をも凌ぐ凄まじい光波が私の背後から放たれた。

 それは私の頭上を極大の彗星のように尾を引いて飛び、結界越しに魔物達を押し流す。聖なる光の奔流によって魔物達が作ったアーチはあえなく崩れ、たくさんの魔物が蒸発した。

「うむ! 聖術であればこの内側からでも魔物を一掃出来るな! このまま一方的に彼奴らを浄化してくれようぞ!」

「はい団長!」

 陣形を組んだ守護聖騎士達が、剣先を揃えて異口同音に応える。流石の統率力だ。

「閣下、あれを!」

 騎士のひとりが彼方の空を指さした。そこにあった光景は、ある意味予想通り。

 たくさんのオーロラが、闇で塗り替えられた空のあちこちに出現している。どこもかしこも此処と同じく大量の魔物を地上に送り出していた。

「やはり来たか……! 有事の際は、各隊に割り当てた持ち場を死守しつつ小隊長の指示に従うよう通達してあるが、こうも敵の展開が早いとなると……!」

「すぐに伝令を! どうか私にお命じ下さい!」

 歯ぎしりするブロムさんの前に、シェーナが進み出た。

「【テネブラエ】が始まったとすれば、まずは何よりも連絡経路を確保することが重要です! シッスルを大鐘楼に送り届ける傍ら、私が他の陣地に団長の指令を伝えます!」

「シェーナ……!」

「シッスル、良く聴いて!」

 振り向いた彼女の顔からは、もう迷いも悲しみも消えていた。そこに居たのは、自分のやるべきことをしっかりと見据えて立つ守護聖騎士のひとりだ。

「あなたの意志や選択がなんであれ、今はとにかく大鐘楼へ急ぐべきよ! 分かるわね!?」

「で、でも儀式はまだ……!」

「私達が時間を稼ぐわ! 決して敵を大鐘楼には近付けさせない! あなたも、皆も、私が守ってみせる!」

 シェーナの意志は揺らがない。燃えるような目で私を見つめ、決断を迫ってくる。

 覚悟を決めた親友の姿に、私は胸を打たれた。迷いが消えたわけではない。それでも、シェーナのこの決意には応えたい!

「シェーナ、お前の提案を認める。シッスルと共にすぐに発て」

 ブロムさんが険しい表情で後ろの議事堂を指さした。

「あの中を通ってゆくが良い。議席の最下段、議長席の真下に秘密の抜け道がある。議事堂が敵に囲まれた際に、密かに中の人間を逃がすために造られた通路だ。議長の机の裏に開閉装置がある。見ればすぐに分かるだろう」

「感謝します、団長!」

 敬礼するシェーナに、ブロムさんは僅かに破顔してみせる。

「忘れるな。何よりも優先すべきは、シッスルを無事に大鐘楼に送り届けることだ。その為にも、お前は斃れるでないぞ」

「心得ております!」

「うむ。では行け! 大鐘楼に着いたら各陣営をまわれ! 自分は此処で指揮を執っておること、各々持ち場を死守することを皆に伝えよ!」

「了解しました!」

 ブロムさんの眼差しが私に向いた。

「シッスルくん、貴君とは短い付き合いではあるが、知り合えたことを光栄に思う。聖下に嘱目され、国を救う運命を担った英雄を送り出せるなど、一介の武人には過ぎたる栄誉というものだな」

「私も、ブロムさんと出会えて良かったと思っています」

 彼の目を見て、私はしっかりと答えた。これは本音だ。豪放磊落ごうほうらいらくを絵に書いたような人でありながら、細やかな気配りや思いやりを忘れない。爽やかな現場主義者であるこの人が、シェーナの上司であったことに私は深く感謝したい。

「……ありがとう」

 長い息と共に送り出された短い礼の言葉に、ブロムさんの万感の思いが込められているような気がした。

 たとえ世界がまやかしでも、彼の言葉は本物だ。

「シッスル、行くわよ!」

「うん! それじゃあブロムさん、行ってきます!」

 そして、私とシェーナは身を翻して大政議事堂へ走り出したのだった。
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