宇宙船地球号2021 R2

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第83話 047 南欧連合支部北部イタリア管理区域ミラノドリームピースランド・漆原洋平ルート(1)

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 さすがにあの大男の集団に押し込まれると、どうしようもないな。
 イタリア人はそこまで背は高くないと何かのサイトで見たことがあるけど、ガセネタじゃないのか。

 自らの全身が映る鏡へと目をやった洋平は、橋の上で人波に飲まれたことを思い返しそう胸の内で声を零した。

 騒ぎが起こる前、確かに圭介や絵麻の近くに自分はいた。
 だが、橋の下で悲鳴が聞こえたかと思うと、すぐに誰かの肩に顔を押し込まれた。

 さらにそれが連続して続き、抵抗する間もなく階段の下へと追いやられた。
 その押し寄せる波に対抗しようと逆走を試みたがどうやっても抗えず、一時的にでもそれを避けるためミラーハウスの中へ入った。

 ちらほらと自分と同じようにこの場に逃げ込んでくる人の姿も見える。
 迷路のように鏡が建てつけられたこの空間は、それらの人間の姿を至る所に映し出していた。新しく人が入ってくる度に、自身を含め誰がどこにいるのかさらにわからなくなるという混迷が加速していく。

 人を避けるため、長い通路の奥へと向かう。
 そして、交差路近くにあった重なった鏡の前へとたどり着いた。視界に自分の姿が映り、それは複数人いるように見えた。
 目の焦点が合わなくなったので、天井へと顔をやる。そこには大きな一枚の鏡しかなかった。
 ぽつんと自分ひとりが、その鏡には映っていた。
 まるで上空から誰かに見下ろされているような感覚になった。
「何となくあの時と同じだな」
 洋平はぽつりと呟いた。

 バスケットボールが体育館の宙を舞った。
 このリバウンドさえ取れば、洋平が所属するバスケットボールチームは全国大会出場。長年の悲願が叶う。
 高校最後の夏。点差はわずか一点。試合終了まで残り三十秒。
 大丈夫、後はジャンプするだけ。誰も俺の跳躍力には勝てない。誰が相手であろうと絶対に取れる。

 相対するプレーヤーはその年を代表する相手校のエース。米国の大学への留学が決まっており、日本バスケットボールの将来を背負って立つと噂されている超高校級の男だ。
 
 だが、その彼にしても俺ほどのジャンプ力はない。
 同い年、そして身長は同じくらい。
 だったら、俺の方が先にボールへ触れられるはずだ。

 その自信には裏付けがあった。
 洋平は小中高を通じて、常に全国共通体力測定で跳躍力の学年一位をとり続けていた。すなわちそれは、同学年であるそのエースとのリバウンド争いには絶対に勝てるということだ。

 玉がスローモーションのように回転する。その縫い目まで見えた。
 相手校のエースは洋平を飛ばせまいと身体をぶつけてきた。だが、その力は弱く洋平のジャンプの障害にはなりえない。
 
 余裕だ、簡単に取れる。
 そして、洋平は膝を思いっきり曲げた。次の瞬間、高く飛び上がろうとした。
 身体は空中に浮かなかった。
 相手校のエースがでん部で洋平の太ももをブロックしていたのだ。

 エースは次に宙を舞う。
 浮いたボールを掴み取ると、そのまま跳躍を続けた。
 そして、それが頂点に達しようかという時、ちらりと洋平の顔を見た。彼はその目を戻さず、バスケットゴールへと手を伸ばした。

 時が止まったようだった。
 彼を呆然と見上げる自分の姿がまるで天井から見えるような感覚。露呈された彼との技術力の差。一生勝てないと脳裏に焼き付けられるバスケットボールには必須のずる賢さ。
 もしかすると自分は初めから取れるとは思ってなかったんじゃないかと思うほどの自然な時間の空白だった。
 だからお前は駄目なんだよ。
 そのエースではなく体育館の天井に言われているかのように思えた。

 洋平は幼少期の頃から高身長で、勉強や工作のような細かいこと以外であればほとんど何でもできた。
 友達は多かったし、恋人のような間柄になった女の子も数人いた。さら、身体を重ね合わせた女に至ってはその人数すら数えきれない。
 一見充実した人間関係を構築しているように外野からは見えるが、洋平とそのすべては常に希薄な間柄だった。ファッションのような表面上だけの関係といった方が良いかもしれない。
 だが、自分は単純な人間で器用なことはできないと常々思っている洋平にとって、そのような薄っぺらな付き合いは逆に心地よかった。

 地頭の悪さと付き合いが多いこともあって、勉強はまったくしなかった。
 そんなことをしなくても高校には特待生で行けたし、大学の推薦入学だって高校二年生の時には決まっていた。

 それでも過去にあまりにも勉強ができないのはまずいと思い立って、まだ興味のあったプログラムの勉強を始めたこともあった。
 だが、ある程度のところまでやるとすぐに興味を失った。
 根も乾かない内に薄っぺらな人間関係が恋しくなり、性懲りもなくまたその薄い友達連中と遊びほうけるようになった。
 
 バスケットボールだって、プログラムと同じくもしかすると真剣にやろうとしていなかったのかもしれない。
 高身長であったことと跳躍力があるというだけで、身長の低い相手には楽に勝てた。
 高度な技術なんて覚えなくても、日本の高校生相手だったらほとんど空中でボールは奪える。点なんてジャンプしなくても取れた。

 ある程度活躍して雑誌に載ったら、薄い関係の友達連中は喜んでくれた。
 そして、自分と友達であることを自慢したいがため、また薄い関係になるであろう別の友達を連れてきた。
 その中には芸能人もいたし、モデルを職業としている人間も複数いた。
 誰しもがそういう界隈だけで集まるネットワークに入りたがっていたのだ。

 洋平にしてもその輪の一員でいたいというモチベーションはあった。
 なぜなら、その輪の中に自分がいて、その一端の役割をこなしていることが心地よかったからだ。

 しかし、自分のような才能がない者に、そんな資格は長く与えられるはずもなかった。
 入った大学で限界を感じバスケットボール部を退部した辺りで、洋平はその輪からあっさりと外された。
 結局、バスケットボールなんて、そこにいたいという理由でしかやっていなかったのだ。それを辞めた俺が、そういう目にあうのは当然だ。誰のせいでもない。
 洋平は今更ながらにそう思った。
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