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case1 ウツミ・ルイ
母は多忙ゆえに⑦
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ぼくの座る場所からは、木製の衝立が邪魔をして、来客の頭半分しか伺うことができない。なんとか確認できたのは西域同盟軍の証である群青色の帽子を被っていることと、衝立からはみ出すほど背はが高いということだけだった。気怠そうに髪を揺らしながら、けれど早足で店内へと入ってくる。ぼくは視界の端で影を捉えながら、呼吸を止め、耳をそばだてる。
しかし、不規則なリズムを鳴らす足音に聞き覚えはなかった。母は合理的な人間だ。ヒールの高い靴を履かない。
「エドワード。頼んでいたものを取りに来た」
正体を知りたくて堪らなくなったぼくは、衝立の横から頭だけを出して、来客を観察する。ハスキーな声を持つ長身のその女性はしわくちゃで傷んだ白衣を身にまとっている。カウンターに肘をつき、エドワードと呼ばれたマスターと親しげに話している様子から常連客らしいことがわかった。袖を絞るための紐がだらしなく垂れ下がっている。どうやらカウンター横のテーブルに座るぼくたちには気づいていないようだった。
白衣の女性はエドワードから紙袋を2つ受け取ると、左手をポケットに突っ込んだまま、電子マネーで会計を行った。
「領収書はいつも通りでよろしく」
「何度言われても忘れちゃうなあ」
「ミヅハ国立幻子力制御技術開発機構、オトナシ研究所、応用分離システム研究室ね。そろそろ覚えるか、メモしなさい」
エドワードはちらりとぼくたちの方を見た。
「今日はマリエの使い走りか?」
「ん? ええ。マリはオトナシへ向かった。三星会議の出席者のボディガードに推薦されたんだ。ケンカが強いってのも考えものだな」
ぼくはその言葉を聞くと、反射的に声を漏らしてしまった。白衣の女性は覗き込むようにこちらを向く。衝立の横からひょっこりと頭を覗かせるぼくと目が合った。
「……子ども? お客さんなんて珍しいね」
「珍しいお客さんの間違いだろ?」
エドワードの刺々しい物言いをよそに、白衣の女性は目を細くした。
「気づいた? 彼はマリエの子ども。その奥にはその彼女」
エドワードがそう紹介すると、白衣の女性は目を細めたまま、口を閉じて、ぼくの顔を凝視する。
「写真で見たことある。もっと小さい頃の君だけれど」
そう言って、両手で抱えていた紙袋を片手に持ち替えて握手を求めてきた。指先には白いマニュキアが塗られていた。肌は照明のせいでわかりにくいが、褐色だろうか。ぼくの右手が白っぽく見えた。
「わたしはベルナデット=ベルクール。君のお母さんとは大学時代からの友人だ。会えて嬉しいよ」
期待以上の展開に心が躍る。
「ぼくもです」
すると、握った掌が硬直する。
「へえ、男の子だったのか。てっきり女の子だと思ってたよ」
ベルナデットは「へえ」と「ふーん」を何度も繰り返しながら、目を真ん丸にしている。
「昔は、小さい頃の母にそっくりだと面白がられて、二つ結びをさせれていたから」
ぼくも過去の母を見たことがある。写真の傷み方が異なるだけで、瓜二つの人間が、時空を超えて現れたと錯覚させられた。
「今でもマリは、あなたと自分の子どもの頃の写真をモノクロプリントして、絵合わせ嗜んでいるよ」
母がシニカルな笑みを浮かべながら、わざと間違えて楽しんでいる姿がイメージできた。
「子どものジェンダーを何だと思っているんでしょうね」
「そう? わたしはあの子なりの愛情だと思っているから見逃すことにしている」
ぼくが眉をしかめると、ベルナデットは少しだけ歯を見せた。薄暗い店内でも白く光った。
ベルナデットは間違いなく、母を知っている。それどころか、非常に近しい間柄の人間だった。
母には会えなかったけど、目的のほとんどは達成できそうだ。
ベルナデットは続いてエノにも掌を向ける。
「あなたは?」
「わたしはミクモ・エノです。ルイの彼女ではありません」
「ミクモってことは、八咫烏の末裔でしょう。エノも空を飛べるんでしょ?」
「ほどほどに」
「数値で」
「時速60km。飛行距離は1人なら大体50kmくらいはいける」
「十分じゃない。エノちゃん同盟軍に入りなよ。今すぐ入っても少尉からスタートできる」
「わたし、戦争で死にたくないので勘弁してください」
エノは熟した苺のような舌を出した。
「今時の子ね。賢明だ」
ベルナデットは腰まで伸びる銀色の髪を鬱陶しそうにかき上げる。
「で。あなたたち、何か用があってここにきたんでしょ?」
母の友人は順番にぼくとエノに視線を向ける。
「母にメジウ湖の話をしたかったんです。幻子生命体討伐に出撃していると聞いて、キョウコに来れば会えると思ってました」
最初から伝言で済ませるつもりだったことははっきりと言わないようにした。
「まさか、潜ったの?」
「はい、湖底には間違いなく幻子生命体がいます。自然現象とは思えません」
ぼくはこの目で見たことを、全てベルナデットへ伝えた。
「……なるほど。それで、『助けて』って言いにきたのか」
端的に言えば、ぼくはその一言を伝えたかったのだろう。未だにその言葉が出てこないのは矜持か。それとも羞恥のせいか。
カプチーノに、ぼくは手を伸ばす。ほんの少しだけ口に含むと、ゆっくりとテーブルに戻した。
「いいよ、伝えておく。ただし、マリだけではなく、情報部にも報告する。現状、メジウ湖の件はネレウスフライト以外に人的被害は出ていない。経済的ダメージはあるとしても、危険度、優先度共にランクCと判断されている。調査はこちらでも行う。ネレウスの潜水艇が浮上してこないのは別の理由があるかもしれないからね」
ベルナデットがぼくたちの座るテーブルから伝票を奪い去った。
取り返そうと伸ばしたぼくの手は、キーボードと楽器しか触れたことのなさそうな細い指に弾かれる。
「ここはわたしが払っておくからもう少し話をしよう」
しかし、不規則なリズムを鳴らす足音に聞き覚えはなかった。母は合理的な人間だ。ヒールの高い靴を履かない。
「エドワード。頼んでいたものを取りに来た」
正体を知りたくて堪らなくなったぼくは、衝立の横から頭だけを出して、来客を観察する。ハスキーな声を持つ長身のその女性はしわくちゃで傷んだ白衣を身にまとっている。カウンターに肘をつき、エドワードと呼ばれたマスターと親しげに話している様子から常連客らしいことがわかった。袖を絞るための紐がだらしなく垂れ下がっている。どうやらカウンター横のテーブルに座るぼくたちには気づいていないようだった。
白衣の女性はエドワードから紙袋を2つ受け取ると、左手をポケットに突っ込んだまま、電子マネーで会計を行った。
「領収書はいつも通りでよろしく」
「何度言われても忘れちゃうなあ」
「ミヅハ国立幻子力制御技術開発機構、オトナシ研究所、応用分離システム研究室ね。そろそろ覚えるか、メモしなさい」
エドワードはちらりとぼくたちの方を見た。
「今日はマリエの使い走りか?」
「ん? ええ。マリはオトナシへ向かった。三星会議の出席者のボディガードに推薦されたんだ。ケンカが強いってのも考えものだな」
ぼくはその言葉を聞くと、反射的に声を漏らしてしまった。白衣の女性は覗き込むようにこちらを向く。衝立の横からひょっこりと頭を覗かせるぼくと目が合った。
「……子ども? お客さんなんて珍しいね」
「珍しいお客さんの間違いだろ?」
エドワードの刺々しい物言いをよそに、白衣の女性は目を細くした。
「気づいた? 彼はマリエの子ども。その奥にはその彼女」
エドワードがそう紹介すると、白衣の女性は目を細めたまま、口を閉じて、ぼくの顔を凝視する。
「写真で見たことある。もっと小さい頃の君だけれど」
そう言って、両手で抱えていた紙袋を片手に持ち替えて握手を求めてきた。指先には白いマニュキアが塗られていた。肌は照明のせいでわかりにくいが、褐色だろうか。ぼくの右手が白っぽく見えた。
「わたしはベルナデット=ベルクール。君のお母さんとは大学時代からの友人だ。会えて嬉しいよ」
期待以上の展開に心が躍る。
「ぼくもです」
すると、握った掌が硬直する。
「へえ、男の子だったのか。てっきり女の子だと思ってたよ」
ベルナデットは「へえ」と「ふーん」を何度も繰り返しながら、目を真ん丸にしている。
「昔は、小さい頃の母にそっくりだと面白がられて、二つ結びをさせれていたから」
ぼくも過去の母を見たことがある。写真の傷み方が異なるだけで、瓜二つの人間が、時空を超えて現れたと錯覚させられた。
「今でもマリは、あなたと自分の子どもの頃の写真をモノクロプリントして、絵合わせ嗜んでいるよ」
母がシニカルな笑みを浮かべながら、わざと間違えて楽しんでいる姿がイメージできた。
「子どものジェンダーを何だと思っているんでしょうね」
「そう? わたしはあの子なりの愛情だと思っているから見逃すことにしている」
ぼくが眉をしかめると、ベルナデットは少しだけ歯を見せた。薄暗い店内でも白く光った。
ベルナデットは間違いなく、母を知っている。それどころか、非常に近しい間柄の人間だった。
母には会えなかったけど、目的のほとんどは達成できそうだ。
ベルナデットは続いてエノにも掌を向ける。
「あなたは?」
「わたしはミクモ・エノです。ルイの彼女ではありません」
「ミクモってことは、八咫烏の末裔でしょう。エノも空を飛べるんでしょ?」
「ほどほどに」
「数値で」
「時速60km。飛行距離は1人なら大体50kmくらいはいける」
「十分じゃない。エノちゃん同盟軍に入りなよ。今すぐ入っても少尉からスタートできる」
「わたし、戦争で死にたくないので勘弁してください」
エノは熟した苺のような舌を出した。
「今時の子ね。賢明だ」
ベルナデットは腰まで伸びる銀色の髪を鬱陶しそうにかき上げる。
「で。あなたたち、何か用があってここにきたんでしょ?」
母の友人は順番にぼくとエノに視線を向ける。
「母にメジウ湖の話をしたかったんです。幻子生命体討伐に出撃していると聞いて、キョウコに来れば会えると思ってました」
最初から伝言で済ませるつもりだったことははっきりと言わないようにした。
「まさか、潜ったの?」
「はい、湖底には間違いなく幻子生命体がいます。自然現象とは思えません」
ぼくはこの目で見たことを、全てベルナデットへ伝えた。
「……なるほど。それで、『助けて』って言いにきたのか」
端的に言えば、ぼくはその一言を伝えたかったのだろう。未だにその言葉が出てこないのは矜持か。それとも羞恥のせいか。
カプチーノに、ぼくは手を伸ばす。ほんの少しだけ口に含むと、ゆっくりとテーブルに戻した。
「いいよ、伝えておく。ただし、マリだけではなく、情報部にも報告する。現状、メジウ湖の件はネレウスフライト以外に人的被害は出ていない。経済的ダメージはあるとしても、危険度、優先度共にランクCと判断されている。調査はこちらでも行う。ネレウスの潜水艇が浮上してこないのは別の理由があるかもしれないからね」
ベルナデットがぼくたちの座るテーブルから伝票を奪い去った。
取り返そうと伸ばしたぼくの手は、キーボードと楽器しか触れたことのなさそうな細い指に弾かれる。
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