29 / 35
case1 ウツミ・ルイ
母は多忙ゆえに①
しおりを挟む
ぼくは憤っていた。
リビングの入り口に置かれたアイボリーの受話器からは、朗らかな保留音が数分間鳴り続けている。機械人形と人間の恋を喜劇的に唄った、セイシェリーパ王国の伝統的な民謡だった。クリアレーラ大陸出身なら一度は耳にしたことがあるくらいにポピュラーな曲。ぼくの指先は電話機が設置されている木製のチェストを、保留音からは大きくズレたテンポで叩き続けていた。
「ルイってさ、お母さんのことになると人格変わるよね」
エノが我が家3代目のソファーに腰掛けて、優雅にアイスティーを飲んでいた。からり、と氷の擦れ合う音が聞こえたので、ぼくは母の顔を思い出した。
「そうなの?」
エノに指摘されるくらいだから、本当に変わっているのだろう。少しだけ自分を俯瞰すると、頭に昇った血液が少し降りてきたように感じた。
「うん、なんか子どもっぽくなる。当たり前と言えば当たり前か、実の子どもだし。……マリエさんは多忙な人だから、電話に出ないのはしょうがないわよ」
エノは母に3度会ったことがある。父の雑貨屋の開店祝い。プライマリースクールの入学式。そして、ぼくの11歳の誕生日。物心が着いてから数えれば、ぼくと母が共に過ごした時間と大差ないのかもしれない。
「忙しいのは知ってるよ。ただ、ニュースにもなったんだから『大丈夫?』の一言でもくれればいいんだ」
「そのために電話かけてるの?」
「違うよ。ぼくたちが見た湖底の様子を伝えたいんだ。ネレウスフライトは昨夜から消息不明のままだ。危険な状況なのは間違いない。西域同盟軍が迅速に動いてくれれば、異常事態の原因は必ず掴めるはずだ」
「そこがブレてないなら平気ね」
エノは喉を鳴らしながら、生温くなった紅茶を飲み干した。
待たされた結果、ぼくからの電話を受けた女性が戻ってきて、事情を説明してくれた。どうやら、母は港町キョウコの幻子生命体討伐に参加していて、オトナシの宿舎にはいないらしい。
「平和のために戦うお母さん。カッコいいじゃない。うちの親は2人とも発電所勤務よ。メジウ湖が綺麗になったけどやることは変わらないってさ」
「支配能力者として生まれたから取れた選択肢だよ。特別に勇敢だったわけじゃない」
母にとっては家庭環境も理由のひとつだっただろう。
「リソース意識ってやつね。それでも立派だと思うよ。携帯にかけたら?」
「どうせ出ない」
「もう、意地張らないでよ!」
エノは立ち上がってぼくに詰め寄ると、額を小突いた。そして、おかわりの紅茶を飲むために冷蔵庫へ早足で歩いていく。
ぼくは電話機のパネルを乱暴に操作して、母の携帯電話の番号をタッチする。なぜか指先がしっかりと数字の羅列を覚えていて、悔しかった。
数回の呼び鈴が鳴り、留守番電話機能に切り替わった。小さい頃から聞きなれた案内メッセージと発信音だった。
ぼくはエノがいる手前、メッセージを残すことができなかった。
ぼくは、がちゃんと受話器を置くと、ソファを移動させる勢いでダイブする。
「メッセージ残したの?」
キッチンから戻ってくるなり、エノはそう言った。
「留守電機能は無くなってた」
「嘘つけ」
なぜか握っていた氷を投げつけられた。
「冷たっ! そんなに怒るなら自分がかけてみれば?」
「はあ、意固地になっちゃってさ」
エノは澄ました飼い猫のように斜めからぼくを見ると、ダイニングテーブルの椅子へ腰を掛ける。
「だったらもう、直接会いに行くしかないわね」
エノは頬を緩める。両眼はカシューナッツのような形をしていた。
「キョウコへ行くの? あっちは警報が出てるよ。危ないって」
ぼくが釘を刺すと、やれやれと肩を竦めるエノ。
「公共交通機関は麻痺していないよ。皆、生きるのに精一杯だからね。それにメジウ湖はわたしたちにとって大切な場所でしょ」
それは否定できない。
「ただ、キョウコへ行ったとしても会えるとは限らない」
「じゃあ伝言でも頼む?」
「それが無理だったから困ってるでしょ」
エノは片膝を立て、背もたれに肘をかけると、無言で注いできたコップに口をつけた。
「苦っ! これ、コーヒーじゃんか!」
エノはコップをローテーブルに置いた。勢いで中身が少し飛び散る。
「エノ! それだ!」
その光景を種に、ぼくは母の持つ偏執的な趣味を思い出した。
リビングの入り口に置かれたアイボリーの受話器からは、朗らかな保留音が数分間鳴り続けている。機械人形と人間の恋を喜劇的に唄った、セイシェリーパ王国の伝統的な民謡だった。クリアレーラ大陸出身なら一度は耳にしたことがあるくらいにポピュラーな曲。ぼくの指先は電話機が設置されている木製のチェストを、保留音からは大きくズレたテンポで叩き続けていた。
「ルイってさ、お母さんのことになると人格変わるよね」
エノが我が家3代目のソファーに腰掛けて、優雅にアイスティーを飲んでいた。からり、と氷の擦れ合う音が聞こえたので、ぼくは母の顔を思い出した。
「そうなの?」
エノに指摘されるくらいだから、本当に変わっているのだろう。少しだけ自分を俯瞰すると、頭に昇った血液が少し降りてきたように感じた。
「うん、なんか子どもっぽくなる。当たり前と言えば当たり前か、実の子どもだし。……マリエさんは多忙な人だから、電話に出ないのはしょうがないわよ」
エノは母に3度会ったことがある。父の雑貨屋の開店祝い。プライマリースクールの入学式。そして、ぼくの11歳の誕生日。物心が着いてから数えれば、ぼくと母が共に過ごした時間と大差ないのかもしれない。
「忙しいのは知ってるよ。ただ、ニュースにもなったんだから『大丈夫?』の一言でもくれればいいんだ」
「そのために電話かけてるの?」
「違うよ。ぼくたちが見た湖底の様子を伝えたいんだ。ネレウスフライトは昨夜から消息不明のままだ。危険な状況なのは間違いない。西域同盟軍が迅速に動いてくれれば、異常事態の原因は必ず掴めるはずだ」
「そこがブレてないなら平気ね」
エノは喉を鳴らしながら、生温くなった紅茶を飲み干した。
待たされた結果、ぼくからの電話を受けた女性が戻ってきて、事情を説明してくれた。どうやら、母は港町キョウコの幻子生命体討伐に参加していて、オトナシの宿舎にはいないらしい。
「平和のために戦うお母さん。カッコいいじゃない。うちの親は2人とも発電所勤務よ。メジウ湖が綺麗になったけどやることは変わらないってさ」
「支配能力者として生まれたから取れた選択肢だよ。特別に勇敢だったわけじゃない」
母にとっては家庭環境も理由のひとつだっただろう。
「リソース意識ってやつね。それでも立派だと思うよ。携帯にかけたら?」
「どうせ出ない」
「もう、意地張らないでよ!」
エノは立ち上がってぼくに詰め寄ると、額を小突いた。そして、おかわりの紅茶を飲むために冷蔵庫へ早足で歩いていく。
ぼくは電話機のパネルを乱暴に操作して、母の携帯電話の番号をタッチする。なぜか指先がしっかりと数字の羅列を覚えていて、悔しかった。
数回の呼び鈴が鳴り、留守番電話機能に切り替わった。小さい頃から聞きなれた案内メッセージと発信音だった。
ぼくはエノがいる手前、メッセージを残すことができなかった。
ぼくは、がちゃんと受話器を置くと、ソファを移動させる勢いでダイブする。
「メッセージ残したの?」
キッチンから戻ってくるなり、エノはそう言った。
「留守電機能は無くなってた」
「嘘つけ」
なぜか握っていた氷を投げつけられた。
「冷たっ! そんなに怒るなら自分がかけてみれば?」
「はあ、意固地になっちゃってさ」
エノは澄ました飼い猫のように斜めからぼくを見ると、ダイニングテーブルの椅子へ腰を掛ける。
「だったらもう、直接会いに行くしかないわね」
エノは頬を緩める。両眼はカシューナッツのような形をしていた。
「キョウコへ行くの? あっちは警報が出てるよ。危ないって」
ぼくが釘を刺すと、やれやれと肩を竦めるエノ。
「公共交通機関は麻痺していないよ。皆、生きるのに精一杯だからね。それにメジウ湖はわたしたちにとって大切な場所でしょ」
それは否定できない。
「ただ、キョウコへ行ったとしても会えるとは限らない」
「じゃあ伝言でも頼む?」
「それが無理だったから困ってるでしょ」
エノは片膝を立て、背もたれに肘をかけると、無言で注いできたコップに口をつけた。
「苦っ! これ、コーヒーじゃんか!」
エノはコップをローテーブルに置いた。勢いで中身が少し飛び散る。
「エノ! それだ!」
その光景を種に、ぼくは母の持つ偏執的な趣味を思い出した。
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる