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【7】飲む女と吊る老婆-1
しおりを挟むいまどき紙なんて、と馬鹿にされることも多いが、俺はどちらかと言えば紙派だ。
長時間眺めていても目が疲れないし、言う程管理は大変じゃないし、それに紙は『改変』ができない。
送りっぱなしのメールみたいに、一度読者の手元に渡った文章は、絶対に消えない。
新聞も、ルポも、雑誌の切り抜きも。
ちらっとでも炎上してしまうとすぐに、ネット上の記事は消えてしまう時代だ。消したら増えるとか、魚拓とか、デジタルタトゥーとか、そういうもんもまあ、あるっちゃあるだろうがすべての情報に対して平等に存在しているわけもない。
実際に俺がちらっと検索した『浦辺永作』についてのサイトにも、リンク切れ表示がちらほら存在した。
世間を騒がせた連続殺人鬼とはいえ、アザミ団地児童誘拐殺人事件が発覚したのは十年以上前だ。
浦辺永作は全面的に罪を認め、死刑判決もすでに出ている。
センセーショナルな事件も、時が過ぎてしまえば世間の関心なんて米粒程も残らない。あとは都市伝説や『胸糞悪い事件、恐怖事件一覧』みたいなゴシップ的なまとめサイトに載るだけだ。
結局ネットからはウィキペディア以上でも以下でもない情報しか拾えなかった俺は、嫌々ながらも乱雑な書庫――という名の、親父の部屋の押し入れから目当ての資料を掘り起こし、せっせと居間に運んで机の上に積み上げた。
ちなみに俺の自室は寝床以外本や資料でいっぱいで、寝るとき以外はほぼ出入りしない。仕事は居間の机でやってしまうし、食事はダイニングテーブルで取る。広い家でありがたい、と思うのは多少乱雑に物を詰め込んでも、生きていくスペースが確保されているところだ。
自慢じゃないが整理整頓がくそほど苦手だ。
もうなんかこう、得意な事を羅列する方が難しいんじゃないか、と思わなくもない。
整理整頓がくそほど苦手な俺は、母さんがいなくなってから好き勝手に家を荒らした。
一応言い訳をしておくと、ゴミ屋敷になるような荒らし方はしていない。ていうか苦手だけどできないわけじゃないし、ヒトとして最低限の掃除くらいはできないと自己評価がガン下がりしてふと死にたくなったりするし、部屋綺麗に保っておくと幽霊でないとか聞いたから、まじで最低限の掃除はしよう……と、心掛けてはいた。
床に四つん這いの女がいたり、畳から顔半分生えるみたいに突き出してる男がいたり、へびみたいにくねくね這う女がいたりしなかったら、もうすこしちゃんと掃除できていたと思う。
まあ、最近は綺麗だよ、うん。……ナガルが片っ端から掃除していくから。
別に見られて困るもんも思い浮かばなかったから、俺の自室を含めて立ち入り禁止区域はない。故に気が付くと俺の部屋の本と資料が若干綺麗に整理されていたり、敷きっぱなしの布団が片付けられていたりする。
……嫁かよ。絶対言わないけど、嫁かよほんと。
ナガルには親父の部屋をあてがったけれど、本人は特別嫌がることもなくデカいベッドと高そうなパソコンと配信機材を運び込んでいた。
特に使っていなかったし、思い出の品なんかもない。そもそも俺は親父に関する思い出がない。母さんは戻ってくるかもしれないから、同居人には親父の部屋を貸し出すことにしている。
しばらく読まなそうな本をぽいぽい押し入れにぶっこんでいたくらいで、特に必要のない部屋だった。
……まさか、あの部屋の押し入れにぶっこんだ本がどうしてもいま読みたい、なんてことになるとは思わなかったからだ。
現在の部屋の主であるナガルは、なんと珍しく朝から出かけていた。
なんでも、地方の怪談会にゲストとして招かれたらしい。
タイラさんも一緒に行くー? と今朝いきなり声をかけられたが、いや行くわけないだろなんでだよ。
そういうのは事前に、せめて前日に聞けよ。
前日に言われても前々日に言われても行かねーけどさ! というわけで丁重に静かに首を振ってお断りした。
夜には帰ってくるからご飯は作るよーといつものように笑うナガルに、つい癖で『いってら』と声をかけてしまってキョトンとされ、二秒後に満面の笑みでディープキスかまされて『いってきま!』と言われたことまで思い出してしまったしにたい。しにたくないけど本の狭間に挟まってしばらくそこで自省したい。
はー……嫁と旦那じゃん……いやただの同居人だし、絶対にあんなのと恋愛関係なんか構築できねー自信あるけどよ……。
話が逸れたが、そんなわけで久しぶりにゆったり長々、俺は一人ぼっちの時間を取得したってわけだ。
俺は絶対に必要な時以外は外に出たくないけど、ナガルも結構な引きこもりだ。
時折ふらっと出かけたと思えば近所のスーパーだし、あとは家事をしていたり俺の仕事を横で眺めていたり、適当に動画を見ていたり部屋に引きこもって何かしていたり……何かってたぶん配信だろうけど。
そんなわけで、ナガルの部屋の押し入れから目当ての本を発掘するタイミングがなかった。
なんてことないよ、別にどうでもいいよ。そう言いながらも、あいつは親父さんの話をするときに雰囲気が変わる。その変化は、ナガルが唯一うっすらとにじませる感情のようなものだ。
流石にこっちも慎重になる。あいつは急に怒ったり怒鳴ったり切れたり喚いたりしないだろうけど、できることなら地雷は踏みたくないし、俺も俺で『タイラさん何してるのー?』とか言われたら気まずいと思う。
お前の親父が子供殺した事件についてちょっと調べようと思って。……なんて、どんな顔して言ったらいいんだよって話だ。
ナガルはたぶん、直接おれに聞けばいいのにって言いそうだけど。言いそうっていうか、たぶん言うけど。本人談とルポタージュじゃ、気まずさが段違いだ。
浦辺栄作は一時期、まさに時の人だった。勿論最悪な意味で。
初めは小さな事件だった。某所通称アザミ団地と呼ばれる大型集合賃貸マンションの一角で、一人の少女が消えた。
その失踪事件はひどく地味で、勿論テレビなどで報道されることもなかった。地元のテレビ番組だったらわかんないけど、少なくとも全国ネットでセンセーショナルに報道された形跡はない。
目の前で忽然と消えた――とか、そういうドラマティックな不可思議でもないかぎり、人間の行方不明はそんなに珍しいことじゃないのかもしれない。
ひっそりと少女が姿をくらました半年後、アザミ団地に近い地区に住む少年が消える。
それから半年に一回周期でゆっくりと、合計十人の児童が行方不明になった。
さすがに十人もいなくなれば、行方不明と言えど立派な怪事件だ。
アザミ団地はゆっくりと風評被害を受け、人食い団地だの神隠しマンションだの言われたい放題だったという。誰も死んではいないのに、その後なぜか自殺スポットになり、結局現在は廃墟となっているらしい。
そして児童誘拐の犯人が唐突に逮捕されたのが、いまから十年前の冬だ。
アザミ団地連続児童誘拐事件が、一転、連続児童監禁殺害事件になったのもこの時だった。
いまから十年前。俺は二十一歳で、センセーショナルな見出しとワイドショーの特番で浦辺栄作の名前を連日目にしたことを覚えている。
「……十三歳か」
息子である少年は当時十三歳。何もわからない子供、とは言い難い年齢だ。
一番詳しい事件ルポに目を通しても、浦辺永作の家族構成に関しては絶妙にあいまいな表記がしてある。
十年前といえば、人権がどうのこうの言い出した時期だろう。無神経と名高いマスコミも、流石に十三歳の養子の少年は扱い方に困ったのかもしれない。
血が繋がっていない殺人鬼の息子。
結構ドラマティックな字面だけど、被害者が多数存在しトラウマになるような事件内容が明確になっていることもあり、浦辺永琉の存在はタブーとなっていたのかもしれない。
浦辺永作はその後の裁判で全面的に罪を認め、自ら積極的に犯行手口を自供。裁判は異例のスピードで進められ、死刑判決が決定したのは去年だ。
その手口は残忍の一言だが――ここでは割愛する。
俺が知りたいのは子供たちがどうやって殺されたか、ではない。どうやって監禁されていたのか。浦辺永作はどんな生活をしていたのか。浦辺永琉は、どういう人生を送って来たのか、だ。
知ってどうする? と思わなくもない。
確かにナガルが皮肉を込めて言うように、『殺人鬼の息子だからと言って差別はするべきではない』というのが人間の建前だ。
別にそれ自体に怖いとか近寄らないでほしいとか、そういう感情は持っていない。ナガルが怖くて近寄らないでほしいのはシンプルにナガル自信が怖いからだし。
……でもほら、ママをどうにかしてくれるってことは、一応俺の味方なわけじゃん。
味方なのに、いちいちびくつきたくないし、あいつがなんであんな性格に落ち着いちゃったのか、もし過去を知ることで理解が深まることがあれば……と思った。
単純に知識は増やしておいて損はない。想像力は知識の上に成り立つもんだ。
――以上、これはすべて言い訳だ、ということも俺はちゃんと理解しているし、正直そろそろ嫌だけど認めよう、と思うタイミングだった。
理解? 深めてどうすんの。
知識? 知ってどうすんの。
そんなのもちろん『どうもしない』。単に俺が勿部ナガルの事を知りたい、と思って調べているだけだ。
最初はホントにビビってた。全身全霊で俺は勿部ナガルにビビってたし、明確に恐怖を感じていた。
でも一緒に住んでみればなんてことない。ちょっと変で考え方がぶっ飛んでるだけのイケメンだ。
……顔に流されてるだけじゃね? って俺も思うよ大丈夫。でも結局流されようがなんだろうが、今感じている感情がリアルでそれがすべてだ。
俺は悪意に敏感だ。人間が怖い。悪意が怖い。人の目が怖い。人の言葉と口が怖い。外の世界も、ママの居る家もぜんぶ、ぜんぶ怖い。
そんな怖いモノだらけの世界で、ナガルはストレートに『考え方がヤバい』だけの奴だ。
勿部ナガルには悪意がない。これっぽっちもない。愛情もないんだろうけど、それはまあ置いておく。
誰かの悪意に、ママの殺意に晒されるより、ナガルと喋っていた方がずっと、ずっと楽しい。
……楽しい。そう、俺はあいつと喋ったりメシ食ったり襲われんのから逃げたりするのが、なんでかすげー楽しい、と思っている自分に気が付いてしまったわけだ。
ナガルには悪意がない。そんであいつは嘘が嫌いだから、いつでもストレートにド直球に言葉をぶつけてくる。たまにぐっさり刺されるけど、『その言葉は俺には痛い』ときちんと投げ返せば、なんだかんだと言いながらも素直にナガルは謝った。
ごめんねータイラさんにそんなに刺さるとは思わなくってぇ。別に悪気があったわけじゃないんだよー普通に真実? みたいな? え? そういうのがダメ? 気を使えってこと? むりむりーおれそういうの微塵も使う気ないもん!
そんな風にけらけら笑いながらも、おれが本当にやめろと言ったことは(……エロイ事以外で)学習したロボットみたいに一切触れなくなる。
ロボット。うん。あいつはたぶん、壊れたオモチャで、まっさらなロボットなんだろう。
俺に嫌われたいらしいナガルの言動は、残念なことに俺にとって近年まれにみる心地よさを伴っていた。
…………見た目も好みなんだよ。すげー好みなんだよ。そんでさ、エロイ事は嫌がらせみたいにやめないとはいえ、性格もわけわかんねーとはいえ、基本は悪いヤツじゃないんだよ。
そんなん、好きになるなってのがキツイ。
「…………布団と布団の狭間で無になりてー……」
ものすごく嫌な結論をやっと認めたところで、憂鬱が加速するだけだ。
残念ながら勿部ナガルは普通の人間じゃない。能力も、仕事も、若干見た目も普通じゃないが、とにかく常人離れしているのはその思考回路だ。
俺の事が好きだというその口で、早く嫌いになってね? と笑う。
いやまじでほんとまじで、おまえの頭ん中どうなってんだ、と思う。
ナガルは確かに言ってたけどさ。『おれ、他人から好かれたりするの、嫌いなんだよね』ってさ、確かに、言ってたけどさ。
「……好き、とか、知られたら、まずい、よな?」
…………ただでさえハードル高い人生に、もう一個余計なハードル付け足してどうすんだよ。
だから俺は同居するなら女のこがいいんだ。俺って奴は、マジで、自分ではどうにもできないくらい駄目な奴で、得意な事を探す方が難しくて、そしてすぐに同居人に惚れるから。
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