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【3】溶けた女と喉噛む男-1
しおりを挟む物心ついた時から、ママは俺の家にいた。
小学校に上がる前に親父は死んだ。病死だったのか事故死だったのか、実はふんわりとしか知らない。もしかしたら、自殺だったのかもしれない。
ともあれ、親父は突然俺の生活から消えたのに、ママはずっと、俺の家の記憶に付きまとった。
母さんはいつも自分のことを『わたし』とか『母さん』と呼ぶ。
母さんの手を離したら駄目だからね。母さん、今日は遅いからごめんだけど一人でご飯食べてね。参観日、母さん仕事でいけないや。
けれどひとつだけ、不思議な言いつけ方をするときがあった。
ママの言うことをきちんときいて、ママが喜ぶ大人になりなさい。
この『ママ』という言葉が指すモノが、いつもうちの仏間に突っ立っている背の高い女のことだと気が付いたのはいつのことだったか。
その足元に、いつも踏みつけられてぐちゃぐちゃになっている親父がいることに気が付いたのは、いつのことだったか。
ああ、俺は大人になったらそこに行くのか。親父と一緒に、ママに踏みつけられ永遠と苦痛を味わうのか。
自分の行く末を知った俺は、何度か足掻くように逃避を試みたものの、結局うまくはいかなかった。
高校を卒業して家を出た。大学ではひっそりと恋人ができた。暫くはうまくいっていた。母親のことはあえて考えないようにしていたけれど、たまに来る電話では元気そうだったし、いつも俺のことを案じてくれていた。
だから同居を始めた恋人が『夢に変な女が出る』と零した時も、怖い話やめろよと笑った。
まさか、ママが、追いかけてくるとは思っていなかったから。
だって俺はあの家以外で、ママを見たことがなかったから。
日に日にやせ細り、口数が少なくなる恋人に、俺は何もしてやれなかった。結局自殺未遂を繰り返した彼は、心を病んだことを家族に打ち明け実家に帰った。俺との関係はそこでプツンと切れてしまった。
別に、結婚を約束したわけじゃないけれど。一生を誓い合ったわけじゃないけれど。でも、もう少し長く二人でいる筈だったのにな、と人並みに悲しんだ。人生を台無しにしてしまったことを人知れず詫びた。
虚ろな目をした彼に『俺のせいだ、それはママだ』と訴えたが、彼の耳と理性が俺の声を拾ってくれたのかはわからない。
ママは追いかけてくる。ママは諦めない。ママは家に縛られているわけじゃない。ママは俺が生まれたときからずっと、俺を呪っている。
アレがいつからいるのか、どうして家にいるのか、一度外出中の母さんに聞いてみたことがある。
母さんは震えを隠しながらぎこちなく笑って、『ママってなあに?』と言った。……見えてるくせに。いつも、仏間のふすまを開けるときには左側を――ママがいる方を絶対に開けないくせに。
それも、母さんなりの抵抗だったのかもしれない。一人でこの家に住むようになってから、母さんの気持ちが少しだけ理解できるようになった気がする。
母さんは、今は天井を見るだけの生活だ。
施設の人たちは良くしてくれるといつも笑う。ここは楽だわ、と笑う。解放されたように笑う。
次は俺の番なんだ。ママのお世話をするのは、俺なんだ。だってアイツは、どうやっても逃れられない呪いのようなものだから。
――そうやって腹をくくったつもりになっても、やっぱり現実を直視できずに俺は最大限逃げ回った。
そのうち、同居人が居るとママがあまり出てこないことを知った。母さんの見舞いに来た遠縁の親戚が、電車がないからと泊まった時、ママは一回も姿を現さず、親戚も特に何事もなく平和に帰路についたのだ。
誰かと一緒なら呪いは薄れる。少なくとも、俺の負担は減る。
これは賭けだ。他人の命を犠牲にした賭けだ。
それでも俺は死にたくない。毎日、顔の形がわからなくなるまでぐちゃぐちゃになる程踏まれる、叩かれる、あの男の隣に並びたくない。
…………きっとこれは罰なんだ。
いままで、いろんな人間を、生贄にしてきた……罰だ。
「ちょっとータイラさーん? どこ見てんの? そっちなんかいんの? いないよね? ……おれの目の前で意識ぶっとばすのやめてもらっていいですかぁー?」
一人で勝手に贖罪の気持ちになり、今までの同居人を一から思い出していた俺の前で、さっき会ったばかりの男が笑う。
相変わらずぶっこわれたオモチャみたいな笑い方だが、今はコイツが本気でぶっこわれた人間だってことを知っているから別に不思議には思わない。
ただひたすらシンプルに怖いだけだ。
「タイラさんあれだよねぇ? ちょっと逃避癖あるよね? なんか困ったことがあった時さー、考える前に逃げちゃうっていうか蓋してみなかったことにするタイプでしょー」
「……なんで知ってんの……つか、なんで、そういうの、口に出すんだよお前は……」
「んー。ふふふ。空気読む気がないから。ていうか逃避困るからやめてよー。おれが目の前にいるときは、ちゃーんとおれを見てよ、ね?」
場所と状況と相手が違えば、こんなに情熱的なセリフもないよなーと思うところだ。
ここが家(もちろんママがいる)で、俺はいま畳の上に押し倒されていて、にこにこ俺を押し倒している相手が勿部ナガルでなければ。
「つか、いい加減離せよ……っ、冗談キツイ、から、」
「おれ、嘘と冗談嫌いだってば。だから全部本当でマジでガチだよーって言ってるじゃん? マジでガチでえっちしよ~って言ってんの」
……言われたばっかでアレだが、若干現実逃避で意識が飛びそうになる。もうなんか、考えるのが怖い。目のまえの男の笑顔を見るのも怖い。現実が怖い。そんで、頭上の廊下の方に立っているママの存在感だけが明確なのも、怖い。
勿部ナガルはママをガン無視して俺に笑いかける。こいつほんとどういう神経してんだ。何食ってどんな生き方したら、こんなとんでもない性格ができあがるんだ。
現実を見たくない俺の両腕をがっしりと拘束しながら、馬乗りになったナガルは俺の右耳の下を舐める。思わず飛び上がりそうになり、両足の隙間にガッと挟まった状態のナガルの太腿に押さえつけられる。
恥ずかしいなんてもんじゃない。消えてなくなりたい。それなのにナガルは許してはくれない。くれるわけがない。
「さっさと降参しちゃえばいいのに。だってタイラさん、別におれの見た目きもーいとかむりーとかじゃないんでしょ?」
「……まあ、見た目は、それほどでも」
嘘だ。ぶっちゃけ死ぬほど好みだ。
ファミレスで見たときは人間っぽくない動き方とワケわかんない言動の方に目が行って、なんかバケモンみたいな男だな顔は綺麗だけど、程度だった。
でもコイツの感情のわけわかんない方向性がわかると、不気味さはむしろ消えた。ぶっこわれた人間なんだから、そりゃぶっこわれたように笑うだろうよ。
勿部ナガルはぶっこわれている。だから、そのぶっこわれたオモチャみたいな動き方で、笑い方で、立ち振る舞いでなんの不思議も問題もない。
違和感がなくなると、ナガルの外見は単純に背の高い手足の長いイケメンでしかなくなった。中身は置いといて、外身だけなら正直抜ける。
首が長いのも、鎖骨がくっきりしているのも、色気のある目じりも、細くて長い指も、薄い唇も、絶妙に性癖に刺さる。中身がナガルじゃなけりゃ、ヒトメボレしたっておかしくない。もう一回言うが、中身がナガルじゃなければだ。
どんなに見た目がパーフェクトでも、コイツは勿部ナガルだ。
それだけで外見の百パーセントの好感度が一気にマイナスにまで落ちる。
だが悲しいかな。こいつを勿部ナガルだと認識しているのは俺の理性で、こいつの外見に反応しているのは俺の本能だ。残念ながら俺は、理性よりも本能の方が若干反応が速いらしい。
だからナガルが首を傾げて笑う時の喉仏の動きとか、ちらっと見える艶やかな舌とか、そういうものに見事に反応してしまう。……別に好みじゃないです、なんて嘘、早々にばれているだろう。
ナガルの唇は耳から肌をなぞりながら下る。甘い愛撫のような感覚に、身体が勝手にぞくぞくしはじめる。
「ふふー。……いまちょっとびくっとしたね? タイラさん、喉、すき? ていうかおれに押し倒されて乗っかられてるだけなのに、ちょっと反応してるよね? いじめられるの好きなタイプ?」
「っ、ちょ、舐めん、な……、っ、ふ……」
「声殺したらだめーだよ。いっぱい聞かせてあげなきゃ。ほら、ママ、すげー顔してる。タイラさん、見える?」
「み、みたく、ない、むり……!」
「ふーん? じゃ、別にいいけどね。でもおれのことはちゃんと見なきゃだめだよ? ほーら、こっちむいてー。……ほら、結構ちゃんとコーフンしてんじゃん。まだ何もしてないのに、タイラさんのチンコちょっと硬いよ?」
「……おま、ほんと、そういうの、なんで言……」
「言うとタイラさんが泣きそうになってかわいいから。ほらめっちゃ硬い。おれよりばっきばきじゃーん。なに、溜まってたの? あ。そっかぁ、ママがずーっといたら、オナニーもできないよねぇ」
図星。その通りすぎて息を飲むことすらできずに睨むこともできない。同居人の居ぬ間をぬって自慰をしたくても、ママはずっと、四六時中この家にいるのだ。
それにこのところは恐怖が勝りすぎて性欲どころの話じゃなかった。健康だってギリギリ保ってるくらいなのに、オナニーしている場合じゃないだろ。そりゃ急に撫でられたら変な声くらい出ちまう。……俺が特別エロいだけじゃない、と思いたい。
マジで泣きそうな顔晒すしかない俺を覗き込んで、至近距離でナガルは笑う。
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