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【12】午後の戯れ、のち、嵐
しおりを挟むさて、己の思いを告げ、俺と想い人の関係になにか変化があったか、といえば。
「ゼノさまちーっす! おつかれさんです! 今日の試食オネシャス!」
「……足で扉を開けるのはやめろ、ハルイ。群青が真似するだろう……」
驚くほど、そして悔しいほど、一切、なにも、まったく変わりない日常を過ごしていた。
いやまぁ、急に距離を取られるよりは幾分かマシだろう、とは思う。思うがおまえもう少しこう、頭の隅に俺の言葉を置いてはくれないものか。
ハルイの態度は以前よりよそよそしくなるとこもなく、また、殊更距離が詰まったわけでもない。普通。そう、あまりにも普通だ。
ハルイの人生を多少聞きかじり、俺の気持ちを告げた日から、今日で七日。ハルイの世界の数え方では、『一週間』というのだろう。
特別なイベントもなく、ささいなきっかけすらなく、いつも通りに日々は過ぎた。
あまりにもいつも通り故に、俺もいつも通り対応せざるを得ない。気にするなと言った手前、少しくらいは気にしてくれなどとは、なかなか言い出せないものだ。
「これは……食い物……か……?」
颯爽と目の前に出された皿を前に、思わず侮辱一歩手前の声が漏れる。
少し深い皿の中には、どろっとした赤いなにかが並々と揺れ……いや、この、見た目がひどいな。うん。なんだこれは。
皿の手前にはスプーンが添えてある。食え、ということなのはわかるが、一応ハルイを見上げる。
俺の隣に立った爽やか笑顔の料理人は、『見た目はアレだけど』と、拳をにぎった。
「たぶんイケてると思うんすよ! 発酵させないヨーグルトもどき!」
「名前が知らんが、これの原材料を聞いてもいいか。というか、食えるもので作っただろうな? おまえ、色の種族をなんでも食える残飯処理係だと思い込んでいる節があるだろ……」
「ソンナコトオモッテマセンヨー」
「胡散臭い。まずおまえが食ってみせろ」
「わー。今日のゼノさま疑り深~い」
疑り深くもなる。
ハルイの試作品はその名の通り、正しく試しに作ってみた何かでしかない。
この世界の食材と調味料は、ハルイのいた世界とはまったく別物だ。似たような味であっても、加熱、組み合わせ、発酵など調理法によっては意図しない味に変わる……らしい。
そもそも料理とは無縁な俺にはわからんが、『まさか人参茹でたら酸っぱくなるなんて思わないじゃん?』などとよく頭を捻っている。元素だか構成物質だか……そういえばレルドが楽しげにハルイに講義していたな。(俺はともかく、ハルイもさっぱりわからん、という顔をしていたが)
当たって砕けろ、数打てばまぁまぁ当たる。その精神でとにかくチャレンジする心意気は認める。だが毎回試食させられる俺の身にもなれ。
「今後、諸職の際にはおまえも一緒に食うのはどうだ。俺だけ身体を張っているようで腹が立つ」
「えー? だって群青に出す前に必ず味見するっつったのゼノさまじゃん。おれは厨房でちゃんと味見してますよー?」
「嘘つけ。昨日のよくわからんぐにぐにしたなにかは絶対に食ってないだろう」
「いやーあれはちょっとニンゲンの身にはきびしい見た目だったので……片栗粉もどきは結局片栗粉とは違うんだぜ! って教訓を得ました」
「いいから食え。ほら、一口でいい」
ずい、と俺が差し出したスプーンは、苦笑いをこぼしたハルイの口にぱくっと食われる。
……自分で強制しておいてなんだが、なんとなく気恥ずかしい。
ハルイがきちんと飲み込んだことを確認してから、俺はその赤く震えるなにかを口にいれた。
「……酸っぱい。甘い。あとは……不思議な後味だな。悪くはない。見た目以外は」
「甘味料が赤リリコしかねーしあれほかの色塗りつぶしちゃうから仕方ねーの! たぶん黒ジャムで作れば違う色合いに……」
「色は我慢しよう。これは間食か? それともソースの類か?」
「うーん、どっちも? かな? 果物とかにかけて食べたりします。いまリットンさんたちが一生懸命果物試作してるから、来週にはまた新しいおやつ挑戦できるかも」
「そうか。菓子作りは難しい、と前に唸っていたが……打開策があるのか?」
「あ、はい。レルドさまのとこのレシピ本がお菓子満載だったし、小麦粉も手に入ったし! やっぱお菓子の方がみんなのテンションも上がるし! 大丈夫、おれにはタフな味見係がついているので!」
「……できれば俺もうまい飯が食いたいものだが」
「ゼノさまは卵かけご飯食ってりゃご機嫌じゃん~」
「あれは美味いから仕方ないだろ」
軽やかに笑う、その屈託のない顔を眺め、俺は多少息を吐く。
大変愛い笑顔で結構なことだが……おまえ、記憶を無くしたんじゃあるまいな? と、思ってしまう。
「……ゼノさまどったの? なんかしんどい事でもありました?」
俺の吐いた憂鬱をめざとく見つけ、遠慮なく問いかける。
その無遠慮さが心地よいのだが、今は恨めしい気持ちが強い。
「いや。……おまえ、俺の言葉を覚えているんだろうな、と思っただけだ」
「……ことば?」
「忘れたならもう一度言わねばならないだろ。言うか? その様子だと言った方がいいな、好きだ。おまえのことが。誰よりも。一番に。こらどこに行く逃げるな」
ハルイの手を掴み、立ち上がり引き寄せ顔を覗き込む。
至近距離で俺を見上げたハルイは、先程までのあまりにも当たり前すぎる普段通りの態度はどこに行ったのか、と、訝しむほど赤くなり動揺していた。
「ちょ、あの、ゼノさま、近い近い近い…………!」
「さっきからこのくらいの距離にいただろう。おまえは何か、俺のことなど本当に微塵も興味はないか。いや待て、言うな、ないと言われたら若干きつい。俺としてはまあ、好きでいることを許してほしいできれば好きになってほしい、という気持ちは変わらないがそれにしても普通すぎないか……」
「えー……だって、なんか、ほら、この前も言いましたけど、おれ、あんま誰かにこうー……好かれたことなくてー……。なんつーか、実感がないんですよ~……あ、そういやゼノさまおれのこと好きなんだっけ? みたいな」
「なるほど。……実感させればいい、ということか」
別に嫌われているわけではないし、意識されていないわけでもないらしい。なんというか仕事にのめり込むと忘れる程度の存在のようだが、まあそこはいい、仕事熱心で感心だ、という風にとらえることにしよう。
実際に腕の中に捕らえてしまえば、慌てたように身を竦めて若干頬を赤らめる。
……要するに、俺が目の前で手を出さない限り、俺の恋心は棚上げされてしまう、ということか。
よしわかった。
「ハルイ、今好いている奴はいるか?」
「え。……え、べつに、いない……っすけど」
「前の世界の恋人に未練は?」
「いやーとっくにないっすね。それなりに好きでしたけど、なんかこっち来ちゃったらマジでどうでもよくなっちゃったっていうか、おれよくあんな奴に惚れてたよなって自分でも情けなく……待って、だから、近いんすけど、何、」
「どうもこうもない。おまえが都度忘れるなら都度思い出させ、実感させるだけだ。いま特別に操を立てる必要がないなら、キスしていいな?」
「いやいやいやいやいや! だめ! だめです、ちょ、だめだっつって……ばか! ちょっと! すけべ!」
「……まだ顎しか触ってないだろうが」
「腰の抱き方がえろいんですー! 離して! えっち!」
「その罵倒の仕方はよくないな。……その気になりそうになる」
えろいだのすけべだの言いながら頬を赤くするハルイが、可愛くないわけがない。おまえその暴言、完全に逆効果だぞ……。
苦笑を押し込めながら、悪戯半分で耳を噛めば、息を飲んだハルイの肩がびくりと跳ねる。
……子供のように罵倒するが、身体の感覚はきちんと大人らしい。くすぐったい、と笑われたら俺も笑って離す準備はしていた。
「……ゼノさま、っ、ちょ……みみ、だめ……っ」
「…………耳、好きなのか?」
「っ、ばっ……舐めな……」
声に甘さが滲む。かわいい性感帯だな、と笑えば、息を熱くしたハルイがくったりともたれかかり、俺のシャツに爪を立てた。
痛い。だが、楽しい。
「……にんげんは敏感なんすよ……ゼノさまだっていきなり耳噛まれて舐められたら『うっひゃあ!』って感じになるっしょ……」
「どうだろうな。経験がないからわからない」
「…………え、童貞……?」
「性行為をしたことがない、という問いなら否だが、じゃれ合うような恋情を持った相手を作ったことはない。噛んでくれてもいいが、反撃される心構えがある時にするといい」
「えー……予想外なんすけど……」
「なにが」
「なんかおれ、ゼノさまのこと、すげー奥手な人だと思ってた、かも」
「……娼館の主だぞ」
まあ、女と見れば誰でも抱く、というほどの性欲はないが。好いた相手の身体を触りたいとは思う。
というようなことをもう少し雄弁に語ったところ、今度こそハルイに口を塞がれてしまった。残念ながら唇ではなく、両手だったが。
「はーむり……耳かっゆい……ちょっと、もう、おれ恋愛に関してはわりと初心者なんで優しくしてくださいゼノさまトップスピード突進してくんのよくないっす」
「……おまえが一々俺の恋情を忘れるからだろう」
「だってー……考えると恥ずかしいじゃないっすかぁ……」
「思う存分恥じらえ。可愛い。その顔の原因が俺だと思うだけで気分がいい」
「トップスピードかつどストレート……」
「何か言ったか? おまえの言葉はアレンジが多くて時折意味が――」
「なんでも、ないです! 離して! ほら! 仕事溜まってんでしょワーカホリック!」
「今日はそうでも――」
ない。と、言おうとした時だ。
コンコンコン、と軽いノックの音が響いた。
三回のノックは群青の証。そして群青の中でそのように控えめに、かつ几帳面なノックの音を響かせるものは、限られている。
「失礼します、ゼノ様。あのー……あ、すいませ……お取込み中のところ……っ」
きちんと膝を落として礼をし、そのあとに俺の腕の中のハルイに気が付いたフールーは、白い頬をさっと青に染める。
白に近い美しい銀髪。透き通る白い肌。長く細い四肢と麗しい身体。女という生き物の魅力的なところばかりを寄せ集めたようなフールーは、召喚獣であり群青だ。
ハルイの血は赤いから興奮すると顔は赤くなる。フールーの血は青い、故に、彼女が恥じらうとうっすらと光るような青が射した。
「構わない。試食のついでに口説いていただけだ」
「口説いて……ええと、その、ゼノ様が、ハルイさんにご執心だというのは、ユツナキの妄言ではなかったのですね……?」
「案ずるな。この部屋の外では多少は気をつかう。おまえが直接この部屋に来るとは珍しいな。急用か?」
「はい。その……実は、私も先ほど知ったのですが――ゼノ様のお耳に、早急に、と――」
妙に歯切れが悪い。
何事も正確に、そして簡潔に言うフールーらしくない。
半ば泣きそうな顔の彼女は、胸の前で手を握り、つっかえる言葉をどうにか押し出すように吐き出した。
フールー曰く。
「……群青の数が、足りない……?」
「はい……。その、明日は絹協会様のご予約日なのですが、予約を受けたものが、数を随分と勘違いしていた様子で……」
「かき集めても無理か。非番をどうにか交代させても?」
「無理です。身体を壊しているもの、湯治に出かけているもの、訪問群青に出向いているもの……どうしても、その数名の穴が埋まりません。数名の鉄紺が、自分でよければと群青への一時変換を名乗り出てくれてはいるのですが……それでも、あと一名がどうしても」
……あと、一名。
団体客の予約は、相当前から日取りされる。大概は通常業務を取りやめて臨むため、それなりの行事扱いされていた。
勿論、相手方に詫びてどうにか予約を取り下げてもらう、という選択肢もある。俺が謝り、宵闇亭が愚弄されればそれで済む話だが……あと、一名というのであれば、いまからどうにか頭を捻れば、なんとかなるのではないだろうか。
俺はいい。どうでもいい。利益もいい。そんなものはもとより求めていない。
しかし宵闇亭の群青が、鉄紺が、所詮あたまの足りぬものの商売だと蔑まれるのはいただけない。どうにかなるものならば、予約取り消しは回避したいものだ。
唸る俺とフールーの間で、気まずそうに様子を見守っていたハルイが、あの、と声を上げた時。
俺は、なんというか、ものすごく嫌な予感がしていた。
「あのー。……鉄紺が一瞬だけ群青になってもよくて、んで、明日一人足りないんすよね? ……それ、おれじゃだめですか?」
……ああ、ほら。俺の嫌な予感は、当たるんだ。
確かに俺は、なにかイベントやきっかけがあれば、などと考えていたものだが、……ここまでやれ、とは言っていない。
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