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第一章 平安の守護者達

第五話 子は母を想い、剣線は闇に奔る

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 その二人の姿を見た瞬間、茨木童子はそれまで荒ぶっていた妖気が落ち着いていくのを感じた。

 ――そうか、――そうだ……。
 ――ああ間違いはない――。

 茨木童子は恐ろしく静かに――冷えた声で二人に問う。

「お前たち――どちらが殺した? あるいはどちらも――か?」
「なに?」

 道満は目を細めて鬼神に言葉を返す。

「匂うぞ――、匂うのだ――、あの方の匂いが――」
「あの方……、それはあの人食い女鬼の事か?」

 道満の言葉に――、茨木童子は大きく目を見開き……、

「く……」
「?」

 ――そして不意に笑い始めた。

「くははははは!! 人食い!! そうさな!! 確かにそうだ!!」

 茨木童子は夜空に向かって大きく笑い声をあげる。そうしてひとしきり笑った後――うって変わった静かな言葉で語る。

「ああそうだ――人食いだ――。鬼神に横道なし……、ゆえにただ楽しい――それだけで人を喰らう彼女は……、親父殿に捨て置かれた」
「親父殿? それは――酒呑……」
「その通りだ――、彼女は人食いの悪鬼……。しかし、親父殿の身内ゆえに幽閉され、彼女はただ無為に生きてきた――」

 茨木童子は夜空を眺めながら静かに語る。

「しかし、ある日――、ある拍子に幽閉より逃れ……、いずこかへと消えた」
「それが……都に隠れていたと?」
「ああ……、そうらしいな――。そして、貴様に殺された……」

 茨木童子は道満の方を向いて感情のない目で見る。

「ああ――”あのひと”は、人の都で人を喰らったのだ……、確かに裁かれて当然――」
「む――、その通りだ……。だが鬼神よ、貴様――何が言いたい?」

 茨木童子のその様子に困惑する道満は、睨みながらそう疑問を投げかける。

「ふふふふ――ははははははは!! 当然!! 当然!! ――ならば……」
「……」

 狂気に捕らわれたかのように笑う茨木童子を困惑の表情で眺める道満。そして――、

「ならば!!」

 ――次に茨木童子は驚きの言葉を発した。

「母を殺された子は――その仇を討つのも当然だな!!」
「?!」

 その時、道満の隣に控える晴明は納得を得たという表情に変わる。目の前のこの鬼神の目的は――、

「母親――? 貴様の?」
「ああ!! その通りだ!! ――我という鬼神を生むために、心と妖気……そして魂を壊した母上!!」

 狂気の表情で笑い――そしてその目から涙をこぼす茨木童子は、さらに道満に向かって言葉をぶつける。

「――それゆえに、ただの人食い悪鬼と化して名すら忘れ……兄にすら捨てられた母上!! だからこそ――、だからこそ!!」

 茨木童子は夜空に向かって吠えながら笑い泣く。

「たとえ横道に奔ろうと――、ただの人食いの悪鬼であろうと――、我はその母の仇を討たねばならぬのだ!!」
「……」

 道満は黙って茨木童子を睨む。それを狂気の宿った目で睨む茨木童子。

(――子は、たとえ母が人食い鬼であろうと……それを想う――。なるほど……)

 晴明はただ静かに茨木童子を見つめる。道満は――、

「そうか――、確かに拙僧おれはお前の母を討った……。だがそれは――」
「そうだな――、我が母が人を喰らったからだ……」
「……」

 ――でも……。

「そんなことは関係ない――。……ないのだ――」

 その瞬間、茨木童子の全身から焔のごとく妖気が立ち上り始める。

「母から――、すべてを奪ってしまった子として……、母の命を奪ったものを討つのは、我が宿命そのもの――」
「……」

 ――それはあまりに純粋――、そして苛烈な愛情……。
 茨木童子のその言葉に道満は言葉を失うほかなかった。

「さあ!! 我が爪に引き裂かれよ!! 陰陽師!!」

 茨木童子の妖気が一気に爆発する。それを道満はただ黙って見つめる。

(――ち、かつて拙僧おれは激情のままに親の仇を討った――、そんな拙僧おれがまた別の子の、親を殺してその仇となるとは――)

 そう心の中で思いながらただ茨木童子の妖気に晒され続ける道満。その時――、

「道満!! ――ためらってはいけません!!」

 不意に道満に向かって激が飛ぶ。それは――、

「晴明――」

 それは自分の師である安倍晴明であった。その言葉に不意に道満は口角を上げて笑った。

「そうだな――、呆けている暇はない……。この鬼神はこれまで何人もの人を殺している……」

 ――ならば……、

「もはや――慈悲も同情も必要ない……」
「ははははは――そうか!! そうだろうな!!」

 道満のその言葉に荒ぶる鬼神は笑う。

「貴様の母を殺したのは拙僧おれだ――、だからどうした? ならば……多くの人の命を奪った貴様も、その母のもとへと送ってやろう!!」

 道満は素早く歩を踏み、剣印を結んで四縦五横の格子状に空を切った。

「オン!!」

 道満の霊力が跳ね上がって吹き上がる。――一気に空を奔った。

 ドン!!

 門前で巨大な霊力と妖力がぶつかり、凄まじい衝撃波が発生する。地面の草葉が舞い散りそして地面が揺れる。
 二つの異なる力のぶつかり合いはそのまましばらく続いた。

「「はあああああああ!!」」

 力のぶつかる中心で、茨木童子の鉤爪が縦横無尽に振るわれる。それはまるで空を裂く光の線のようであり――、その一撃が人の胴を断つ威力を持つ。
 同時に――その光の線を道満の力を纏った剣印の霊光が断ち切り、そして打ち砕いていく。
 それは時間にして、普通の人が一息呼吸する間の相対であった。

「はははは!! 陰陽師とは――、ただ書を読み術を繰るだけの者だと思っていたが!! ここまでやるか!!」

 茨木童子はそう言って笑い声をあげる。――それは確かのその通り。

(普通、陰陽師と呼ばれる者は、直接戦闘を好みません――、あくまで学者ですから……。でも道満は――)

 晴明は心の中でそう思う。それもそのハズ――、蘆屋道満という男、彼は独学で呪を学んだゆえに、明らかに普通の陰陽師とは規格が違っていたのである。

「悪いな鬼神!! 拙僧おれが二番目に得意とするのが、――直接の命の取り合いなのだ!!」

 その道満の言葉に――、ならば……と、茨木童子は呟く。

「――一番得意なのはなんだというのだ?!」

 その茨木童子の言葉に道満はニヤリと笑って言う。

「直視鳶目の法――……、わかりやすく言い換えれば……、直接見たモノの”全てを見抜く”事だ――」
「?!」

 その瞬間、道満の輝く剣印が、茨木童子の纏う巨大な妖力を切り裂く。そして――、

「フ――」

 一息吐いた道満はその両の手で、茨木童子の両の手を掴んで見せたのである。

「な?!」

 道満は一瞬哀れなものを見るように茨木童子を見ると――、静かに笑ってから呪を唱えた。

「ナウマクサマンダバザラダンカン……、その霊威を以て悪しきを焼却す……」
「?!」

 その時、茨木童子は言いようのない嫌な予感を感じて――、それから逃れるように全力で道満の拘束を振りほどこうとした。
 道満は脚を踏ん張り、霊力を爆発させて茨木童子をその場に縫い付ける。

「はなせえええええ!!」

 茨木童子の叫びと共に、道満に切り裂かれて散った妖力が火の粉のように周囲に舞う。
 ――そして、

 ギシ……

 道満の左腕から血しぶきが飛び、それが捕まえる茨木童子の右腕が外れかける。

(く――、呪が完成する前に……!)

 道満はその精神力のすべてをつぎ込んで、術式の展開を加速する――、しかし……、

 ドン!!

 茨木童子の右腕が離れた瞬間に、わずかに遅れて呪は完成した。

「があああああああああ!!」

 爆炎と共に茨木童子が火に巻かれる。たまらずその場を転げまわった。

「くそ……、調伏出来たのは、奴の――」
「がああ!! 腕――、我の左腕!!」

 茨木童子を包む炎が収束し――、そして左腕が瞬く間に炭の塊へと変わっていく。

「くう――、やってくれたな陰陽師!! 我の纏う妖力を砕いて、我そのものを灰に変えようとしたのか!!」
「まあ――、少し間に合わなかったが」

 道満は笑いながらため息をつく。茨木童子は全身から妖力を放出しながら怒り狂う。

「殺す!! 貴様は!!」
「はは!! やってみろ!! ――手負いの鬼神に負けるほど拙僧おれは弱くないぞ?」

 その道満の言葉に反応するように、茨木童子は空を切って奔った。
 ――が、しかし……

「晴明殿――、茶番はここまでにしてよろしいか?」

 不意にそのような言葉が茨木童子の耳に届く。――同時に空を切って光が奔った。
 それは恐ろしいほどに鋭い刃の軌道――”剣線”。そして、その刀を振るうのは――。

「?! 検非違使!!」

 驚く茨木童子が見たのは、確かに検非違使の装束を身に着けた剣士であった。

 ――……。

「……」

 ほんのわずかの沈黙が起こる。そして――、

「ああああああああああああああああああああああ!!」

 不意に茨木童子の悲鳴が夜の闇を裂いた。

「貴様!! ――検非違使ごときが!! 我の腕!!」
「ほう――寸でのところで避けたか……」

 その剣士はただ静かにそう呟く。その足元には先ほど道満によって炭に変えられた左腕が転がっていた。
 茨木童子は切られた腕を押さえながら、ただ悲鳴を上げ続ける。

「ああああああ!! くそがあああ!! 殺す!! 貴様はこの手で殺す!!」
「――ふむ、卑怯にも不意をうって悪かったな……、私の名は渡辺源次綱わたなべのげんじつな――、すぐに死ぬだろうから覚えなくてもよいが」
「あああああ――」

 あまりの怒りに、断たれた左腕から血が吹きだすのも構わず、剣士に襲い掛かろうとする茨木童子。
 しかし剣士は全く無駄のない動きで、その横をすり抜ける。

「ふ――……、鬼神よ先ほどの話……少し聞いていたが」
「?!」

 渡辺源次の冷たい瞳が茨木童子を見下ろす。

「母の仇を子が討つのは当然であると?」
「?!」
「ならば――、貴様に身内を殺された私も――、貴様を討つのは当然であろうな?」

 その手の刃が高速で空を切る。それはもはや普通の人が到達できる域にはない剣線。
 それは確実に茨木童子の首を狙っていて――。

 ガキン!!

 不意に刃同士がぶつかる音が夜闇に響く。

「……」

 渡辺源次の刃を止める刃があった――、それは……、

「ひゃ……百鬼丸……」

 茨木童子はただ驚いてそう呟く。百鬼丸――、酒呑童子の娘である女鬼神の刀が、渡辺源次の刀を押さえこんでいた。

「もういいでしょう? 帰りましょう――茨木童子」
「……」

 刀を押さえこまれた渡辺源次は、目を細めて百鬼丸を見つめる。

「邪魔を……するか」
「悪いが――これ以上は捨ておけんのだ――」

 百鬼丸の視線と渡辺源次の視線が交錯し――、そして離れる。
 ――次の瞬間、百鬼丸の全身から炎が吹き上がった。

「今宵はここまでにしていただきたい都の方々――。もうこ奴……茨木童子にこのような下らぬ真似はさせぬゆえに」
「そんな話を信じろと?」

 その百鬼丸の言葉に、それまでの成り行きを見ていた道満が言葉を返す。

「――鬼神に横道なし……、嘘などつかぬ――。それに、決着の日はいまではない――」
「――フン、それまで待てと言うつもりか?」

 その言葉を聞いた百鬼丸は――、ただ道満に向かって頭を下げた。その態度に道満は少し驚いた表情で彼女を眺める。

「では――失礼……」

 次の瞬間、百鬼丸を包む炎が一騎に膨らんで爆発する。その場にいる者達は、その衝撃でその場に抑え込まれた。
 その爆発が消えた後――、その場に残ったのは黒く焼けた地面だけ……。

「逃げられた……か」

 誰ともなくそう呟く声が響く。
 ――かくして、都を騒がせた連続吸血殺人は、完全な解決をせぬまま幕を下ろす。

「ふう――これは、また光栄さんに嫌味を言われそうですね」

 そう言って晴明だけがため息をついた。
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