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第一章 平安の守護者達
第一話 月下で杯を傾け、あやかしの死を飲む
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――ああ、今宵はとてもいい月だ。
誰も往来せぬ月夜の平安京四条大路の真ん中で、腰を降ろし何やら杯を傾ける男がいる。
その瞳は闇のように黒く――、長く伸び頭後ろで雑に結んだ髪もまた漆黒であった。
薄く朱の浮く唇は美しく――、その端整な顔立ちに微笑みを浮かべて月を仰ぎ見ている。
「ああ――、本当にいい月だ。そうは思わないかい? 姫君――」
不意にその男の近くを牛車が通りかかる。男はそれを振り帰りもせず月を眺め――、そして、言葉を投げた。
その言葉に牛車は止まり、その中から美しい姫が顔をのぞかせる。――そして、微笑んで言葉を返した。
「これは――、このような夜更けに何をなさっておられるのですか?」
「はは――、当然月を眺めておる――。本当にいい月だ――」
その言葉に微笑みを深くして姫は答える。
「フフ――、月はとても美しいですが。それを眺めながら何を飲んでおられるのです?」
「うん――?」
姫君の不意の問いにやっと男は顔を牛車に向ける。そして――、その唇を濃い朱に染めながら言った。
「さぁて――、何に見えるね?」
その唇は以上に朱に染まっている――、杯にあるのは――。
「――、それは”血”かしら?」
姫君が笑みを濃くしながら問いを放つ。それに対し男は――。
「どうだかな? 飲んでみるかね?」
男は杯を姫君の方へと掲げる。姫君は――さらに笑みを濃くした。
「フフフ――なんと……、とてもいい月夜に――、血の杯とは、とても――、とても……」
「クク……、いける口かね? 姫君――」
そう嬉しそうに呟く男に姫君は――。
「今宵は――、東条の君の血で喉を潤そうかと思っておりましたが――、ここで月夜の――血の杯を傾けるのもいいかもしれませんね」
「はは――それはそれは……。とてもいい趣味をなさっておられる」
男は満面の笑みで姫君を見つめる。――その手の杯を空に掲げた。
「さあ――今宵は、コレを酒として月下の宴を開こうではないか? 美しい姫君よ――」
「それは――とてもいいお話ですね」
「クク……決して退屈はさせぬさ――、血の味に貴方も満足するだろうて――」
男の笑みは深く――、そして闇に染まっている。唇だけが赤く――月下に光をともしている。
「ああ――、今宵はとてもいい月夜ね? このような出会いが待っているなんて――」
「はは――光栄であるな姫君……」
「それで――、貴方は何処の”鬼”ですの?」
「クク――、そうさな……」
男は闇の輝く瞳で姫君を見つめる。そして――姫君に向かって杯を投げた。
「拙僧は――、しいて言うなら”鬼喰いの鬼”と言ったところかな?」
「?!」
その言葉に姫君の顔が驚きに変わる。――それを見て男は笑った。
「この杯にあるのが血だと誰が言ったかね? 鬼の姫君――」
「貴方は――」
「宴にのぼる血は――貴方の血の事だよ……」
その男の言葉に――、姫君はそれまでとはうって変わった歪んだ笑みを向ける。
「これは――、これは騙されましたわ。貴方は――どこの兵なのかしら? あるいは――」
「陰陽師?」
男の言葉に姫君は笑みを濃くする。
「都を守護する術師――、貴方たちにわたくしの同胞がどれほど失われたのか……」
「お前もな――」
その男の言葉に、姫君は嘲笑を消さず答える。
「まさか――わたくしが陰陽師ごときに後れを取ると? これまでどれだけの術師の血を飲んできたのか――知らぬのか?」
「はは――……そうか。それは当然――」
不意に男の笑みが消える。そして――、
「――当然に知っているとも。同僚を手にかけた悪しき鬼よ――」
その笑みは怒りにとってかわったのである。
不意に男の両手が前で組まれる。――光弾が飛翔した。
「フフ――つまらない」
姫君はこともなげに光弾を弾いて打ち消す。――嘲笑が深くなった。
「このような児戯――、?!」
不意に姫君の笑みが消える。――男がいない。
「――?! どこに……」
「御前に――」
その時になってやっと彼女は気づく。男が音も気配もなく、自分の足元に跪いていたのを。
「何を――?」
「疾く――」
ドン!!
不意に姫君が牛車から転げ落ちる。髪は乱れ、衣は土に汚れて無残な姿――。
「く――、貴方は……」
「今宵――杯にある神酒にてこの場を清め――、凶星を鎮め――、悪鬼を調伏する……」
男は素早く立ち上がってその場で歩を踏む。そして――その手に剣印を結んで四縦五横の格子状に空を切った。
「さあ――罪を洗え……、人食いの鬼よ。なんとも美しい姫君で、惜しい話ではあるがな――」
「ああ――、まさか?! お前は――、……お願い慈悲を――」
「人を何人も喰らった時点で――もはや拙僧の慈悲はない」
冷酷に告げる男の言葉に――、姫君は怒りの表情を向けた。
「ならば――せめてお前の命を……」
「美しい姫に――、命を差し出したいのはやまやまだが……。あいにく拙僧にはやることがあるのでな?」
地面は淡く輝き――そしてそこから伸びた羂索が姫君をその場に縫い付けていく。姫君はその身を横たえただ月夜の空を仰ぎ見るだけになる。
「ああ――、月が……」
姫君はただ月光を眺めて後悔する。
「貴方のような者に声をかけねば――」
「はは……、今頃、東条の君とやらの血を飲めたのにな」
男の顔は笑顔もなく――、ただ月光に照らされ姫君を見下ろしている。
「宴は終わりだな――鬼の姫君よ……」
「最後に聞きたい」
「ふむ? もしや拙僧の名か?」
頷く姫君に笑みを浮かべず男はただ呟く。
「俺は――、そうだな……”道摩法師”――とでも呼ぶがいい」
かくして美しい鬼はその生を月下に消した。それは、貴族四人――対魔術師二人を喰らった”名もなき鬼女”の命の終わりを示していた。
誰も往来せぬ月夜の平安京四条大路の真ん中で、腰を降ろし何やら杯を傾ける男がいる。
その瞳は闇のように黒く――、長く伸び頭後ろで雑に結んだ髪もまた漆黒であった。
薄く朱の浮く唇は美しく――、その端整な顔立ちに微笑みを浮かべて月を仰ぎ見ている。
「ああ――、本当にいい月だ。そうは思わないかい? 姫君――」
不意にその男の近くを牛車が通りかかる。男はそれを振り帰りもせず月を眺め――、そして、言葉を投げた。
その言葉に牛車は止まり、その中から美しい姫が顔をのぞかせる。――そして、微笑んで言葉を返した。
「これは――、このような夜更けに何をなさっておられるのですか?」
「はは――、当然月を眺めておる――。本当にいい月だ――」
その言葉に微笑みを深くして姫は答える。
「フフ――、月はとても美しいですが。それを眺めながら何を飲んでおられるのです?」
「うん――?」
姫君の不意の問いにやっと男は顔を牛車に向ける。そして――、その唇を濃い朱に染めながら言った。
「さぁて――、何に見えるね?」
その唇は以上に朱に染まっている――、杯にあるのは――。
「――、それは”血”かしら?」
姫君が笑みを濃くしながら問いを放つ。それに対し男は――。
「どうだかな? 飲んでみるかね?」
男は杯を姫君の方へと掲げる。姫君は――さらに笑みを濃くした。
「フフフ――なんと……、とてもいい月夜に――、血の杯とは、とても――、とても……」
「クク……、いける口かね? 姫君――」
そう嬉しそうに呟く男に姫君は――。
「今宵は――、東条の君の血で喉を潤そうかと思っておりましたが――、ここで月夜の――血の杯を傾けるのもいいかもしれませんね」
「はは――それはそれは……。とてもいい趣味をなさっておられる」
男は満面の笑みで姫君を見つめる。――その手の杯を空に掲げた。
「さあ――今宵は、コレを酒として月下の宴を開こうではないか? 美しい姫君よ――」
「それは――とてもいいお話ですね」
「クク……決して退屈はさせぬさ――、血の味に貴方も満足するだろうて――」
男の笑みは深く――、そして闇に染まっている。唇だけが赤く――月下に光をともしている。
「ああ――、今宵はとてもいい月夜ね? このような出会いが待っているなんて――」
「はは――光栄であるな姫君……」
「それで――、貴方は何処の”鬼”ですの?」
「クク――、そうさな……」
男は闇の輝く瞳で姫君を見つめる。そして――姫君に向かって杯を投げた。
「拙僧は――、しいて言うなら”鬼喰いの鬼”と言ったところかな?」
「?!」
その言葉に姫君の顔が驚きに変わる。――それを見て男は笑った。
「この杯にあるのが血だと誰が言ったかね? 鬼の姫君――」
「貴方は――」
「宴にのぼる血は――貴方の血の事だよ……」
その男の言葉に――、姫君はそれまでとはうって変わった歪んだ笑みを向ける。
「これは――、これは騙されましたわ。貴方は――どこの兵なのかしら? あるいは――」
「陰陽師?」
男の言葉に姫君は笑みを濃くする。
「都を守護する術師――、貴方たちにわたくしの同胞がどれほど失われたのか……」
「お前もな――」
その男の言葉に、姫君は嘲笑を消さず答える。
「まさか――わたくしが陰陽師ごときに後れを取ると? これまでどれだけの術師の血を飲んできたのか――知らぬのか?」
「はは――……そうか。それは当然――」
不意に男の笑みが消える。そして――、
「――当然に知っているとも。同僚を手にかけた悪しき鬼よ――」
その笑みは怒りにとってかわったのである。
不意に男の両手が前で組まれる。――光弾が飛翔した。
「フフ――つまらない」
姫君はこともなげに光弾を弾いて打ち消す。――嘲笑が深くなった。
「このような児戯――、?!」
不意に姫君の笑みが消える。――男がいない。
「――?! どこに……」
「御前に――」
その時になってやっと彼女は気づく。男が音も気配もなく、自分の足元に跪いていたのを。
「何を――?」
「疾く――」
ドン!!
不意に姫君が牛車から転げ落ちる。髪は乱れ、衣は土に汚れて無残な姿――。
「く――、貴方は……」
「今宵――杯にある神酒にてこの場を清め――、凶星を鎮め――、悪鬼を調伏する……」
男は素早く立ち上がってその場で歩を踏む。そして――その手に剣印を結んで四縦五横の格子状に空を切った。
「さあ――罪を洗え……、人食いの鬼よ。なんとも美しい姫君で、惜しい話ではあるがな――」
「ああ――、まさか?! お前は――、……お願い慈悲を――」
「人を何人も喰らった時点で――もはや拙僧の慈悲はない」
冷酷に告げる男の言葉に――、姫君は怒りの表情を向けた。
「ならば――せめてお前の命を……」
「美しい姫に――、命を差し出したいのはやまやまだが……。あいにく拙僧にはやることがあるのでな?」
地面は淡く輝き――そしてそこから伸びた羂索が姫君をその場に縫い付けていく。姫君はその身を横たえただ月夜の空を仰ぎ見るだけになる。
「ああ――、月が……」
姫君はただ月光を眺めて後悔する。
「貴方のような者に声をかけねば――」
「はは……、今頃、東条の君とやらの血を飲めたのにな」
男の顔は笑顔もなく――、ただ月光に照らされ姫君を見下ろしている。
「宴は終わりだな――鬼の姫君よ……」
「最後に聞きたい」
「ふむ? もしや拙僧の名か?」
頷く姫君に笑みを浮かべず男はただ呟く。
「俺は――、そうだな……”道摩法師”――とでも呼ぶがいい」
かくして美しい鬼はその生を月下に消した。それは、貴族四人――対魔術師二人を喰らった”名もなき鬼女”の命の終わりを示していた。
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