静かなふたり

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15 side Juliet-1

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 ジュリエットは緊張していた。
 馬車に揺られながら新たな嫁ぎ先となるガロポロ侯爵の領地に入り、落ち着かず微かに手に汗もかいている。
 こんなに緊張することは最近では滅多にないことだった。
 その緊張を決して察しているわけではないであろうマリリンが目の前に座って窓の外をはしゃぎながら見ている。
 自分がこの娘のような女だったらこんなにも緊張したりはしないのだろうと思いながら膝に置いた小さなバッグを握った。
 
 前夫との結婚生活は八年。その間前夫がジュリエットに触ったのは初夜の一度きりだった。
 当時十八歳のジュリエットは自分が婚期を迎えていることはわかっていたが、幼い頃から感情を表に出すことが苦手だったジュリエットは男性に好まれるタイプではないことを知っていた。自分のような不愛想な女を妻に望んでくれる男性はいないだろうと思っていた。
 一生独身で過ごすなら修道女にでもなった方がいいのではないかと考えてしまうほど、社交場でも男性に声を掛けられることがなかった。
 実際にはジュリエットがモテなかったわけではない。社交場へ行けば美しいジュリエットを男性たちが遠巻きに見ていたことに気が付いていなかっただけだ。
 真っ直ぐ伸びた背筋とツンとすましたような尖った鼻が気高い印象を与え、高嶺の花のようにジュリエットに気安く声をかけることが憚られたのだ。
 今まで何人もの男性がジュリエットに恋をし近づいては必死に関心を引こうとしていたこともあったが、ジュリエットには気が付くだけの勘の良さがなかった。
 男性の機微にとことん鈍感なうえ、ジュリエットのまったく崩さない鉄壁の無表情に男性の方も諦めてしまったが故に、自分はモテないと信じ込んでいた。

 ここまで読んで既視感を覚える方もいるだろう。オデルにも同じような件があったからだ。
 しかし『またかよ……』とつぶやかないほしい。
 仕方がないのだ。彼と彼女は同じ種類の人間でそっくりなのだから。
 
 前夫ピット子爵はジュリエットを社交場で見染め気を引こうとした男性のひとりだった。
 婚期を迎えたジュリエットを嫁に貰いたいとジュリエットの父ランドリー男爵に申し入れた。
 娘の結婚を心配していたランドリー男爵は子爵家の申し入れを喜び、父が喜ぶ相手ならと恋愛を諦めていたジュリエットも決めた。
 ピット子爵とは何度か社交場で行き逢ったことがあり、女性に好まれる色男であることは知っていた。
 そんな男性がなぜジュリエットを選んだのかは不思議だったが、向こうからの申し入れなのだから好意を持ってもらえているのではないかと胸をときめかせた。
 恋愛結婚は無理な話でも愛し合える夫婦になれるのではないかと、夢も見た。
 しかしそれはピット子爵邸に入った次の瞬間には打ち砕かれた。
 屋敷に着くなり夫となる男はジュリエットに『澄ました顔しやがって。たかが男爵の娘が』と言ったのだ。
 ジュリエットにそのつもりはなかったが、新妻が嫁ぎ先に来たというのに微笑みひとつも見せず不機嫌そうな無表情では、言い方は最悪だががっかりされるのも無理のないことだ。
 ジュリエットは自分の不愛想を知っていたので、なるべく柔らかい表情を作っていたつもりだったが、つもりでは足りなかった。
 傍から見ればひとつも柔らかくなかったのだ。
 夫にきつい言葉で迎えられ泣き出しそうな気持だったが、それでもこの先長い時間を共に生きて行くのだから自分も笑顔を作り穏やかな雰囲気を出せる努力をしようと決め、夫にもジュリエットが努力することをわかってもらおうと思った。
 しかし初夜の夜。声を上げていいのかもわからず必死で破瓜の痛みに堪えたジュリエットに、夫は再びきつい言葉を投げつけた。
 『つまらない女だな。人形の方が好きに出来る分まだ楽しめる』と言ったのだ。
 処女なのだから痛みがあるのは当たり前だし、初めてのことに緊張して声も出ないことがそんなにいけない事だったのだろうか?
 見目だけでジュリエットを選び、高嶺の花を手に入れる優越感だけを求めた男に優しさを求めても無理な話だ。
 それでもジュリエットが他の女性のようににこやかに微笑み夫を喜ばせることが出来ていたらこんなことにはならなかった、かもしれない。
 初夜以降、夫はジュリエットに触ることもなく外で女性を求め帰ってこない日も多かった。
 いつか離縁されるかもしれないと思ったが、それでも家にまで女性を連れてこないことと、いつかジュリエットに再び目を向けてくれるかもしれない希望だけで八年間を過ごした。
 決して短くない苦痛の日々だった。
 毎日顔をマッサージしながらどうして自分はこうなのかと悩み続けた八年だ。
 侍女に手を出された時、夫と繋がった侍女から『こんな時でもなにも仰らないなんて感情はないのですか』と言われた。
 感情はある。正直に言えば侍女を叱って泣いて叫びたかった。
 それでも言葉は一言も出て来ず、侍女の言葉の衝撃に涙も鼻の奥で止まった。
 とうとう愛人が妊娠する事態が起こり『お前とは離縁する』と言われ、ジュリエットは実家に戻ることとなった。
 惨めだった。みっともなくて情けなくて、恥ずかしかった。
 社交を許さない夫のもとで八年過ごせば元々少なかった知り合いも遠ざかり、話を聞いてくれる者もいない。
 自分を憐れみながら実家に戻った。
 そこで自分を救う存在と出会う。
 それがマリリンだ。




 すでに弟が家督を継いでいた実家は弟の息子の水疱瘡のせいで人手が足りず、隠居している両親の屋敷から手伝いに来たという十四歳にも満たない小さな少女を臨時の侍女としてジュリエットに付けた。
 マリリンは驚くほど何も出来ず、字すら読み書きが出来ないという。
 髪ひとつ結えない侍女だが出戻りで状況を見れば贅沢を言えるわけがなく、短期間だと言うのでやって欲しいことを教え不器用ながらも必死でこなそうとするマリリンを見守った。
 大きな茶色の瞳がコロコロと表情を変え、出来たことを報告するマリリンに頷いてやると嬉しそうに輝かせた。
 自分がこんな少女だったら夫にも愛されこんな事態にはならなかっただろうと考えると、マリリンが羨ましくて仕方がなかった。
 マリリンのような女性になりたかった。
 マリリンといればそれに近づけるような気がした。
 マリリンの真似をすることは難しいが、マリリンのように微笑みマリリンのように感情を表に出せるようになろうとマリリンを側に置くことを決めた。
 不器用ながらも必死で仕事をする姿も健気でジュリエットの中にある母性を擽り、いつの間にかかわいくて仕方のない存在になった。
 この不愛想で可愛気のないジュリエットを唯一慕うこの娘を愛さずにはいられなかった。
 字を教え仕事を教え、出来ない事を許し、愛情を与え、マリリンからも愛情が返ってきたことが辛く苦しかったジュリエットの八年を洗い流すように癒してくれた。
 そんな穏やかな日々を過ごしていた時だった。弟から再婚の話を出されたのだ。
 ジュリエットを心配してものことだろうが、家に帰って一年も経っていない。こんなに早い段階では再婚などとても考えられなかった。
 しかし弟からバルモア公爵夫人シャーロットからの話だと言われ、会うだけでも会って欲しいと頼まれた。
 実はジュリエットを心配した両親が知り合いの貴族に話をし、それがシャーロットに伝わりこの流れになってしまったのだ。
 世話になっている身分で断ることが出来ず、渋々ではあったがシャーロットのサロンに向かった。
 男爵の娘では普通なら入ることも出来ない宮廷のサロンは絢爛豪華で、これから会う男性のことを何も知らされていないジュリエットは緊張していた。
 よく喋る朗らかなシャーロットの話を聞きながら待っていると、現れたのがオデルだった。
 ガロポロ侯爵オデル・ワットの噂は社交場から遠ざかっているジュリエットでも知っていた。
 前夫の屋敷で使用人たちが噂をしているのを聞きかじったのだ。
 たしか妻が不逞をして庭師と駆け落ちしたとかいう噂の夫の方だ。
 まず侯爵と見合いということに驚いた。侯爵と男爵では爵位の差が大きいこと。更に噂の人物だということ。
 すでに二十七歳のジュリエットの再婚相手が初婚ではないと思っていたが、お互いに不幸な結婚生活を経験した者同士とは。
 
『こちらガロポロ侯爵オデルよ』
『初めまして、レディジュリエット』
 
 落ち着いた低い声は耳に心地よく、とても妻に浮気されるような男性には見えない精悍な美丈夫だ。
 もちろん見目が良いから浮気されないというわけではないだろうが、こんな男性なら自分のような女でなくともいくらでも再婚相手はいるだろう。
 完璧な八頭身は座る姿も正しく仕草も洗練されている。思わず見とれてしまいそうになるのを必死に視線を逸らした。
 胸がドキドキと高鳴り、シャーロットが隣で色々と喋っているのだが全く耳に入ってこない。
 二十七歳にもなってこんなときめきを覚えられるなんて思ってもみなかった。
 
『ふたりは似た者同士だわ。とってもお似合いよ!』

 ご機嫌で根拠もないことを無責任に言い切るシャーロットの言葉にはなんの説得力もなく、ジュリエットはもうオデルに逢うのはこれきりだろうと思っていた。
 まさか自分のような女をオデルのような素敵な男性が望んでくれるなどという夢を見るにはジュリエットは大人になりすぎている。
 しかしそんな夢のようなまさかが起こった。
 オデルと会った翌々日、シャーロットからオデルがジュリエットと結婚したいという申し入れがあったと手紙が来たのだ。
 信じられない手紙の内容を何度も読み返した。手は震え胸が躍った。
 自分でも驚きだが、すぐにオデルへ感謝の手紙を書き始めた。
 何度も内容を精査しながら、浮かれないように大人らしく、よくある結婚の申し入れを受ける言葉を綴った。
 気持ちが弾み、それが文字に現れないよう細心の注意を払った。
 両親と弟にもオデルとの再婚を知らせた。浮かれてだらしない顔になってしまっていないかが気になった。が、そんなことは気にするまでもない。
 ジュリエットが緩んでだらしなくなっているかもと思っている顔は普段と全く変わらない無表情で、両親も弟もジュリエットが無理に結婚を決めたのではないかと心配を増していたくらいだからだ。
 実際両親には『まだ急ぐことはない』と言い、弟も『いつまでもここにいればいいんだよ』とジュリエットに伝えた。
 ジュリエットが喜び心躍らしていることを家族でさえ気が付けない程、鉄壁な無表情だ。
 だた、マリリンだけはジュリエットの心中が伝わっているのかはしゃいで喜び、そして悲しんだ。
 『侯爵と結婚なんて本当にロマンチックです! お幸せになれますよぅ! でも、もう少しでお仕え出来なくなると思うと寂しいですけど……』小躍りしながらはしゃぎ、最後はしょぼんと眉を下げるマリリンを見てジュリエットはマリリンも一緒に行って欲しいと伝えた。
 するとマリリンはそのまま倒れてしまうんじゃないかというほど顔を真っ赤にして喜び、はしゃぎすぎて地に足が付かず部屋を出て階下へ行く途中の階段から滑り落ちた。
 ジュリエットが駆け付けると更に嬉しそうな顔をして『もう幸せすぎて空を飛んでしまいました』と全身で喜びを表していた。
 自分もこんな風に出来たら、そうしたらオデルに愛してもらえるだろうか。
 どんな理由で結婚を申し出てくれたかはわからないが、自分のような女を愛してもらえる期待をしすぎてはだめだ。
 侯爵の立場上独身では都合が悪いと思っただけかもしれない。シャーロットに押し付けられて断れなかったということも考えられる。
 どんな扱いになってもジュリエットならば文句は言えない。
 でもそれでもよかった。オデルが妻として迎えてくれるという今のこの喜びだけで充分だと満足しなくては。




 せめて服だけでも明るいものにしようと白字に小花柄の刺繍がちりばめられているドレスを選んだが、似合っている自信はまるでない。
 屋敷に到着し馬車を降りると、家内全員で出迎えてくれた。
 『よく来た。歓迎する』と言ってはくれたがそれが本心かどうかは読み取れなかった。
 以前逢った時と同じまったく崩れない姿勢と表情だったからだ。
 もしかしたら自分と同じで感情を表に出すのが苦手なのだろうかと思った。
 それが当たっていたと知ったのは夕食前の着替えでマリリンが使用人食堂で聞いてきた話を楽しそうに報告してきたからだ。
 『旦那様はすっごーく、不愛想な方なんだそうですよー。笑ったところを誰も見たことが無いんですって言ってましたよー』と、オデルが不愛想なことのなにが楽しいのかジュリエットにはわからないが、マリリンの話で少しだがそうだったのかと安心出来た。
 笑顔が苦手な人間は自分以外にもいて、オデルもそうならば自分を理解してもらえるかもしれないと思ったのだ。
 そして夜。すでに乙女ではないジュリエットだが十年ぶりの行為に緊張していた。
 十年前に一度だけしか経験したことのないそれは苦痛の思い出しかなかったが、今度こそは失敗したくないとどうか上手く出来るように祈りながらオデルを待った。
 ベッドの隣に入る気配がして、ジュリエットは深く深呼吸をした。
 オデルの手がジュリエットの頭を撫でたので閉じていた目を開けると、ジュリエットの顔の横に肘をついて見下ろしていた。
 オデルがジュリエットの瞳を見てから額、鼻、唇、顎と視線を巡らせ再び瞳を見つめてから唇が落ちてきて目を閉じた。
 唇が柔らかくふれあい、ついばむのに驚いた。人によってやり方は様々なのかもしれないが前夫とのあまりの違いに戸惑った。
 優しく暖かく味わうようにオデルはジュリエットの唇を開かせ舌が侵入して味わうように口腔内を舐めた。
 前夫のように喉元まで突き上げられるようなことはなく、絡め合い舐り合いながら頭を撫で、肩をなぞり胸のふくらみを手が包んだ。
 無口で気難しそうに表情を変えなかったオデルがこれほど優しく穏やかなのかと、ジュリエットを溶かすように柔らかくゆっくりと、感じたことのない官能の甘さを感じ胸が苦しくなった。
 全身に唇が落とされ、時間をかけて解され、頭の芯がぼうっとしてきてから十年ぶりに男性の高まりを受け入れると、破瓜の時ほどではなかったが狭くきつく、痛みを感じぎゅっと目を閉じた。
 ただオデルの愛撫によって充分に潤っていたからなのか、ゆっくりと進めてくれたからのか、拒むことなく最奥までぐっと押し付けるように侵入した。
 ぎゅっと瞑った瞼に唇が落とされゆっくりと開くと、熱を帯びたオデルが切実さを訴えるように見つめていた。
 ジュリエットを思い遣り、すぐに動かずにいてくれていることに喜びを感じ、思わずオデルの頬に手を当てて撫でてしまった。
 するとゆっくりと労わりながら身体が揺れ、登り詰める瞬間まで唇を貪りジュリエットを快感へ導いた。
 ふたりの息遣い以外は言葉もなく微笑みもなく、静かに始まり静かに終わった。
 しかし確実にふたりは熱を交換し合い、ジュリエットは喜びに震えた。
 また再び前夫のような痛みを受け入れる覚悟をしていたが、それとはまったく違った。
 無表情で無口なオデルが本当はどんな男なのかを身体で知った気がした。
 その後も求められる度に受け入れたが、毎回優しく快感へ導かれ、もっと欲しいというはしたない感情がジュリエットの中に芽生えるほど夢中にさせた。
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