牢獄王女の恋

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 十六歳の誕生日を境に、コーデリアの生活が少し変わった。
 今までは着けなかったコルセットを着け、ドレスを着るようになったせいで朝の支度に時間がかかる。
 勉強も国の成り立ちや現在の国の制度、貴族の概念、役割や在り方などの講義を家庭教師が付いて受ける事になった。
 難しいことも増えたが、コーデリアにはそれがありがたくもあった。
 余計なことを考えなくてすむからだ。
 ガブリエルを信じて自分の中の疑問は閉じ込めている。
 ガブリエルはあれきり何も言わないし、コーデリアもそこのことについては触れていない。

 コーデリアにはもうひとつガブリエルには言えないことがある。
 胸の中に引っ掛かってどうしても振り払えない感情が、コーデリアの中で芽生えているのを感じていた。
 コーデリアはあの日、ガブリエルが本当に父親じゃないと証明されて心からホッとした。
 それがどうしてかずっとわからなかった。
 ガブリエルに『父親のように愛している』と言われて、チクリと胸の奥が痛んだ。
 ガブリエルが父親の代わりに父親がすることをした時も同じだ。チクリと胸の奥が痛かった。
 パールの美しいチョーカーをプレゼントされて嬉しかったのに、父親じゃないと言ったコーデリアに『そのようなものだ』と言われて痛んだのだ。
 愛されて嬉しいはずがなぜ痛みを感じるのか。ガブリエルが父親なのは嫌だとなぜ思うのか。
 自分でも理解出来ない感情がコーデリアの心の中にある。
 ガブリエルに愛されるのは幸せだ。ガブリエルが愛してくれないことを想像するだけで泣きそうになる。
 それなのに愛されて胸が痛いのはおかしい。
 自分の感情が理解出来ず、気持ちも沈んでしまう。
 気晴らしに庭に出て空を眺め鳥を探すのだが、上手く行かない。今までは楽しかったことをしても、ひとつも気は晴れないのだ。
 考えて切なくなってガブリエルのベッドに潜り込んでも、今までは安心して眠れたのにそれも出来なくなった。
 ベッドのなかでガブリエルの香に包まれているとソワソワしてしまう。
 ガブリエルの腕に縋り付いていてもドキドキするだけで落ち着かず、結局ガブリエルが寝てから自分のベッドに戻る。
 ガブリエルが疑問に答えてくれないことが自分では気付かないところで引っかかって遠ざけようとしているのか?
 自分のことを想ってガブリエルがしてくれているのだと、納得はしなくても信じると決めたのに信じきれていないのか?
 それも違う気がする。
 ガブリエルより信じられるひとはいない。
 ガブリエルが信じられなかったらシャロンのことも信じられなくなってしまう。
 そう、シャロンのことも引っかかっている。
 シャロンがガブリエルの恋人ではないと聞いたとき、ガブリエルがシャロンを愛していないとシャロンが言った時。
 あの時も不思議な感覚があった。
 ずっとふたりは恋人だと思っていたから違ったので変な感じがしたのか?
 それも違う気がする。
 恋人じゃなくてほっとしたような気がした。
 確かに胸の中に安堵があった。
 なぜふたりが愛し合った恋人じゃないと知ってそれを感じたのか。
 自分が嫌な娘に感じる。愛し合ってない事に安堵するなんていいことじゃない。
 ふたりの関係を誤解していたから。でも本当に誤解だったのかと考えるとまたモヤモヤする。
 ふたりは一時も恋人同士じゃなかったのか? そう考えるとまた正体のわからない不安が込み上げてくる。
 自分の感情を処理できなくてイライラしてしまう。こんな時どうすればいいのか、どうしたらこのおかしな気持ちが無くなるのかがわからない。
 だからコーデリアはひたすら勉強した。
 自分と向き合わないように、ひたすら勉強に集中した。

「最近のお前は本当によく勉強しているとジュリアン先生が褒めていたぞ」

 夕食の時にガブリエルが嬉しそうに言った。
 ジュリアン先生とはコーデリアの家庭教師だ。
 ガブリエルも幼い頃に彼の教えを受けたらしく、信頼する老教諭をコーデリアの為に頼んだのだ。

「勉強、楽しいから」
「それはいいことだ。勉強をすることで考える力も身に着けるとこが出来る。勉強は知識を得るためだけではないからな」

 ガブリエルの言葉にコーデリアは黙った。
 考えたくなくて勉強しているのに、考える力を身に着けてしまっては元も子もない。
 少し前だったらガブリエルに話したい事がいくらでもあった。
 内容のほとんどに意味はなく、ただ喋るのが楽しかった。ガブリエルがそれを聞いてくれて、微笑んでくれるのも嬉しかった。
 それが最近は上手く喋れない。
 だからガブリエルを笑わせることも出来ないし、こうやってふたりだと沈黙が落ちる。

「今日はシャロンが来るんだろう?」
「うん……」

 ガブリエルが話題を振ってくれるのだが、やはりそこから会話にはならない。
 ガブリエルが気遣ってくれている雰囲気をコーデリアも感じている。
 それでも上手く言葉が出てこない。どうしてこうなってしまったのかと思えば思うほど、コーデリアの顔は下がって俯いてしまう。




 *****




「今日はピクニックに行きましょう。すぐそこの湖まで行くのよ。コーデリアは外出着に着替えて、モーガンはお茶の支度を籠に詰めてちょうだい」

 シャロンは屋敷に来るとすぐに支持を出した。
 ガブリエルに確認を取るとラリサと下僕も一緒だからいいと了解してくれた。
 ガブリエルは一緒に来ないのかと思ったが、書斎に戻って行ったのでコーデリアは少しほっとした。
 ガブリエルと一緒にいて上手に喋れないのが切ないかだら。
 ガブリエルの笑顔を作れない自分が嫌だ。
 また以前のようにガブリエルを笑わせ、ガブリエルの胸に飛び込みたいのに。それが出来ない。



 アディンセル侯爵邸から暫く馬車で揺られ林を抜けると、湖の畔で止まった。
 ラリサがブランケットを広げコーデリアとふたりで座ると、シャロンはふたりだけで話があるからとラリサたちを遠ざけた。
 シャロンが茶の用意をし、モーガンが詰めておいてくれた菓子や果物をナフキンの上に広げた。
 天気も良く風が気持ちよくて、コーデリアは被っていたボンネットを脱いだ。
 空を見上げて風の匂いを嗅いで憂鬱を吹き飛ばしたかったが、胸の中にあるモヤモヤとしたものは消えなかった。

「どうしちゃったかな?最近のコーデリアは。まさかガブリエルが嫌いになっちゃった?」

 紅茶のカップを渡しながら、シャロンが窺うように聞いてきた。
 コーデリアはシャロンの言葉に驚いてカップを受け取り損ねそうになった。

「おっと、危ない」

 シャロンが上手く支えたので零しはしなかったが、コーデリアは動揺し手が震えた。

「どうして? そんな風に見えるの? わたしがガブリエルを嫌いになったように見えているの?」

 そんなことがあるはずない。コーデリアはガブリエルが大好きだ。でなければこんなに沈んだ気持ちにはならない。
 なのに嫌いに見えるなんてショックしかない。

「あなたの態度がおかしいから、ガブリエルがあなたの疑問を晴らしてくれなかったことを怒っているのかと、わたしが勝手に思っただけよ?」

 シャロンはやんわりと否定するが、もしかしたら……。

「ガブリエルも、そう思っているかもしれない……?」

 聞く声がか細くなる。
 もしそうだとしたらコーデリアは更に胸が苦しくなる。

「ガブリエルはあなたが怒っても、あなたが万が一嫌いだと言い出したとしても、絶対にあなたを嫌いになったりはしないわ。父親ってそういうものよ」

 コーデリアの胸の奥がチクリと痛む。
 『父親』というキーワードがその痛みを与えているのだ。
 
「ガブリエルは父親じゃないから……」
「娘のように愛しているはずよ」
「ガブリエルの娘じゃないし。娘はいやだから……」

 言ってからわかった。
 コーデリアはガブリエルが父親なのが嫌なのだ。娘なのが嫌なのだ。

「どうしていやなの? コーデリアもガブリエルをそんな風に思っていたんじゃないの?」

 コーデリアは父と娘の関係がどんなものなのかは知らない。
 でもガブリエルをパパと呼んだことはないし、そう思って接していたつもりもない。

「そんなふうだったかな?」
「うーん……。傍から見たら、そんな感じだったかな。パパのように思っていないひとのベッドに忍び込んだりはしないし。コーデリアは全身でガブリエルが大好きって伝えていたし、ガブリエルもそんなあなたがかわいくて受け止めていたわ」

 自分のしてきたことを振り返り、あれらは父娘がするようなことだったのかと初めて知る。

「話してみて。今思っていること、感じていること。解決出来るかはわからないけど、口に出せば少しは気がまぎれるかもしれないわよ」

 シャロンに言われて口を開こうとしたコーデリアだったが、自分の中にあるものをどう説明したらいいかわからない。
 説明出来ないまま、今思っていることだけをそのまま話した。

「ガブリエルが父親のようっていうのが、いや。ガブリエルに愛されていたいけど、愛されているのが苦しい。ガブリエルを信じているけどソワソワする。前みたいにしたいのにドキドキして出来ない。それと……シャロンのこと、本当にガブリエルと恋人じゃないのかも気になってる……」

 上手く言えないのは自分で自分の心の中がわかっていないから。
 ただ今胸の中にあることを整理せず言ってみたが、口に出してもやはり紛れないしすっきりもしない。
 戸惑ったままで俯いていると、シャロンがコーデリアの手を握った。

「驚いたわ。コーデリア、あなたはもう子供じゃないのね」

 シャロンは眉を下げ、コーデリアを愛おしそうに見つめた。
 自分が今言った言葉のどこに子供じゃなくなったという要素があるのだろうか。
 シャロンの言っている意味もコーデリアには解らなかった。

「コーデリアはガブリエルが好き?」
「うん」
「ガブリエルはコーデリアにとってどんなひとか言える?」
「……ガブリエルはわたしの天使。優しくて、暖かくて、いつもわたしを見守ってくれて。撫でられると気持ちが良くて、抱きしめられると嬉しい。ガブリエルが微笑んでくれたら、わたしも笑顔になれる。ガブリエルはわたしに幸せをくれるひと。愛してくれるひと」
「昔から、ここに来た時からあなたにとってのガブリエルはそうだったでしょ?」
「うん。前からそうだったのに、思っていることは変わらないのに。どうしてかわからないけど、最近はガブリエルと上手に話せないし、イヤだと思うことが出来て……」

 シャロンはコーデリアの手をぎゅっと握って微笑んだ。

「そうね。コーデリアの心が娘でも女でも、言葉にすると同じなのよね。でも娘と女では大きく変わってくるところがあるわ。それは心の形。娘はね、父親にソワソワしたりドキドキしたりしない。でもそれが女になるとソワソワしてドキドキするの。ここに来た当初コーデリアはガブリエルの娘のような存在でなんの問題もなかったわ、でも子供から大人になって、娘から女になったのね」

 コーデリアはシャロンの言っている意味がまだ理解出来ない。
 コーデリアはまだ子供だとガブリエルは言うし、自分でも大人だとは思わない。
 大人の女性と言えばシャロンのようなひとだとコーデリアは思っている。シャロンに比べたらコーデリアは大人の女には見えない。
 コーデリアが混乱した顔をしているので、シャロンは笑った。

「見た目じゃないのよ。心の話。たぶん、なんだけど。あなたがガブリエルの娘は嫌だと言うのは、女のコーデリアがガブリエルを求めているんじゃないかしら?」
「どうしよう。シャロンの言っていることが本当にわからない……」
「あなたは娘じゃない、女としてガブリエルに恋しているんじゃないかと思ったのよ」

 コーデリアは首を傾げた。シャロンの言っている『恋』がよくわからないのだ。

「コーデリアは私が羨ましい? ガブリエルの恋人だったわたしをどう思う?」
「シャロン、ガブリエルとはやっぱり恋人同士だったの……」

 コーデリアは無意識に落胆し、今にも泣き出しそうな顔になった。
 シャロンはコーデリアの頬を撫でて首を振った。

「正直に言うわ。そんなような時期もあった。でも、恋とは違ったわ。わたしはガブリエルが好きだけど愛することは出来なかったし、ガブリエルもそうよ。それにもう随分前にそういう関係は終わっているわ」
「でも、そんな時期もあった」
「コーデリア、誰にも言っていないことを告白するわ。わたしはね、一生分の恋心を捧げた相手がいるの。ガブリエルと知り合う前よ。でもその人はすでに結婚していて、わたしの想いは受け止めきれなかったのよ。でもね、その人が大好きで大好きで。彼以上に好きになる人はもう出来ないわ。わたしの心は彼に捧げてしまったから、もう他の男性に恋をして愛することは出来ないの」

 シャロンは淋しく笑った。
 シャロンが恋心を捧げた相手はサッカレー伯爵だった。シャロンはガブリエルと付き合う前に四年間彼の愛人だった。
 妻のあるサッカレー伯爵とは当然別れが訪れ、それでもシャロンは今でも彼を愛し続けているし、この先もそうだ。
 優しいだけで優柔不断な男だったが、シャロンの純情は彼だけに捧げられ今後他の誰にも捧げることは出来ない。

「無理だとわかっていたから結婚は望まなかったけど、子供が出来たらひとりで育てるのにって思ったこともあったわ。だからなのかしら、あなたがわたしの胸に縋ってきた瞬間から錯覚したのかもしれない。わたしが欲しかった娘のようだって。あなたは幻の代わりではないけど、あなたを愛したのは彼との子供に憧れていたことがあったからなんじゃないかって、少し思うわ」

 コーデリアは無意識にシャロンに抱きついた。

「あなたがいなければ今のわたしはいないわ」
「かわいいコーデリア。安心しなさい。わたしとガブリエルはあなたが嫉妬するような関係ではないわ」

 背中を撫でられ『嫉妬』と言われ、コーデリアはシャロンを見た。
 
「嫉妬?」
「コーデリアが恋してしまったガブリエルの元恋人かもしれないわたし。わたしとガブリエルの関係を気にしてしまったのは嫉妬じゃないかな?」

 コーデリアは胸の中の何かが弾けたような衝撃と共に、愕然としてシャロンにしがみついた。
 やっと心の中のモヤモヤした正体がわかった気がした。
 シャロンに感じていたのは嫉妬だとはっきり自覚した。
 それはなぜか。ガブリエルがシャロンのものなのはいやだからだ。
 ガブリエルに愛されたい。でも子供としてはいやなのも、わかった。子供も特別だとはわかる。でもそうじゃない。
 コーデリアはシャロンのような女性として、ガブリエルの心が欲しい。

「シャロン、ごめんなさい。わたしシャロンによくない感情持った……」

 腕に縋り付いて、コーデリアは謝った。
 シャロンはコーデリアを本気で愛してくれているのに、そんなシャロンに嫉妬するなんて。

「いいのよ。女同士だもの、気持ちわかるわ。あなたがわたしに謝ることはないのよ」

 シャロンへの罪悪感と共に、もうひとつの罪悪感がコーデリアの中に渦巻く。
 ガブリエルは娘のように愛してくれているのに、コーデリアはそれを裏切っているような気がしたのだ。
 純粋に想ってくれているガブリエルに、コーデリアは不純な想いを持ってしまっていると。

「ガブリエルが大好き。ガブリエルがわたしだけのものになって欲しい。でもこの気持ちはガブリエルの愛情を裏切っている……」

 ほろほろと涙をこぼし始めたコーデリアの肩を抱き、シャロンは涙をハンカチで拭った。

「裏切りではないわ。ガブリエルの気持ちはガブリエルの自由。コーデリアの気持ちはコーデリアの自由なのよ。愛することも愛されることも、誰かに命じられたものではないでしょ?どのような形でも自由なの。だからあなたがガブリエルに恋をしてもそれはコーデリア、あなたの自由よ。ただ、同じ形の気持ちになれと強制出来ないことは、わかるわね?」

 シャロンは難しいと思っていた。
 ガブリエルがコーデリアの気持ちを受け取るには、愛の形が違いすぎる。

 コーデリアもそれを思っていた。
 ガブリエルはコーデリアの恋心は受け止めてくれないだろうと。
 ガブリエルの形はコーデリアがそれはいやだと思った形だ。その形を変える方法がわからない。
 自分の愛の形がいつどうやって変わったかもわからないのだから、ひとの形を変える方法がわかるわけがない。

「ガブリエルには言わないで……」
「辛いわね。大丈夫よ。絶対に言わないわ」

 人の心はどうしようもできない。
 欲しいと言って手に入るものではない事をシャロンは痛いほど知っている。

 コーデリアは心の中にあった違和感が恋だと、受け止められた。
 そしてこれから自分はどうしたらいいのかと思うと苦しくなった。
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