牢獄王女の恋

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 コーデリアを預かってから一年ぶりにガブリエルは首都ワイエスにある宮廷で叔父夫婦と逢っていた。
 前国王の側室イーリスを含む国の軍事情報を対立国コースリーに売った首謀者たちの洗い出しがどうなっているのかの途中経過を聞きに来たのだ。
 到着してすぐイーリスとその息子、次期国王でもあるハドリーに逢ったガブリエルだったが、その尊大な態度が鼻について気分が悪くなった。
 現在摂政として国王代理をしている叔父に苦労を掛けているので、叔父夫婦のためにもハドリーが王座に付くのを待っていると言い。その時はガブリエルにもハドリーに尽くして欲しいと言われた。
 ガブリエルはもう三十歳で子供ではない。多少なりとも影響力を持つ立場の自分に探りを入れていることくらいわかる。
 何をしに来たのか。叔父夫婦とどんな話があるというのかを他愛のない世間話のように聞かれたが、ガブリエルは笑って答えた。

「たまには宮廷顔を出さないと叔父夫婦から小言を言われるのですよ。なんでもわたしを待ってくれているご婦人たちから叔父夫婦がなにやら言われているらしくて。お前の連絡係ではないと怒られてしまいまして」
「まぁ。女性を虜にしているのは相変わらずなのね」
「こちらで少しの間滞在して田舎暮らしの退屈を紛らわさせていただきます。イーリス様のサロンにもお招きいただければ新しい出会いもあるかもしれませんしね」

 ガブリエルがニヤリと笑って見せるとイーリスは扇子で口を隠して笑った。

「ワディンガム公爵もあなたにはもっと政治の中枢にいて欲しいはずなのに、あなたの興味は女性だけなのね」
「永遠の神秘を生涯の研究題材にしているもので」

 つまりもしないジョークを言ってガブリエルが何をしているのかを疑われないようにしたが、実際にはどう思っているのかはわからない。
 誰も知らないとはマイルスの思い込みで、本当はエロイーズが死んだこと、隠し子がいたことを知っている可能性がないとは言い切れない。
 自分が死に追いやった人間をすっかり忘れることができるなら、それは人ではない。悪魔だ。

 疑われないためにもすぐに帰ることは出来ないので二週間の滞在を予定していた。
 その間屋敷にはシャロンも泊まってくれると約束したし、モーガンに任せてあるので問題はないだろう。ラリサもきちんとコーデリアの面倒は見てくれている。
 ガブリエルはマイルスに現在どこまで調査が進んでいるのかを確認した。
 話しが漏れないよう慎重に進めなければ逆に罪をなすりつけられ、でっち上げられマイルスたちに危険が及ぶ。

「じゃあ、ほとんど話は進んでいないのですね」
「軍の内部までスパイが及んでいる可能性も出て来た。イーリスはコースリーに国を明け渡す気なんじゃないだろうかとも思えてくるほどだ。最近ハドリーの側近はイーリスの身内や近い存在ばかりになってきた」
「でもそれなら叔父上の方が力は全然上だ。危険はして欲しくないが押し切れるだけの勢力はあるのでしょう?」
「それは当たり前だが、万が一の時はコースリーと事を構えなくてはならないとなれば、慎重に慎重を期さないと」

 まだエロイーズやコーデリアについてはどこでも噂になっていないらしい。それだけはガブリエルも安堵するところだ。
 万が一コーデリアの存在が適切ではない時期に公になれば、イーリス側に何をされるかわからない。王座がかかっているのだから乱暴なことをしてくる可能性も考えなくては。

「コーデリアは元気か?」
「ええ。それはもう……。本当にこの一年の成長はすさまじいですよ。よく喋るようにもなったし、笑うようにもなりましたよ」
「そうか。それが聞けてよかった」

 二週間の滞在で知りえる情報を集め、大した収穫もなくガブリエルはジーリのアディンセル侯爵領に戻った。




 *****




「旦那様! 申し訳ございません!」

 帰宅して開口一番、モーガンが汗だくで謝った。

「なんだ? なにがあった?」
「コーデリア様が行方不明です!」

 ガブリエルの背中に冷たい汗が流れた。
 シャロンも青い顔をしている。髪の乱れを見ても必死に探していたことがわかる。

「屋敷の中にはいないのか? 隅々まで探したのか?」
「はい。屋敷の中は今使用人総出で探しているのですが……。外に出て行ってしまったのかもしれません」
「邸内と裏の果樹園ももう一度浚え。敷地の外に出た可能性はないのか?」
「外も今エミリーたちが探しているわ」

 ちょうど懸念を確認して帰ってきたところでコーデリアが行方不明とは。
 ガブリエルは自分が宮廷でヘマをしてコーデリアの存在が知られ連れ去られたのではないかと咄嗟に考えた。

 ガブリエル以外にこの家なかでコーデリアの出自を知る者はいないが、コーデリアがいなくなり焦って探していたところにガブリエルの神経が逆立っていることが全身から伝わって緊迫感が充満する。

 ――カランカラン

 玄関ドアのベルが鳴った。
 フロアにいた全員が振り返る。
 真っ先に飛びついたのはガブリエルだ。ドアノブを握り勢いのままドアを開ける。
 そんなガブリエルと後ろにいたモーガン・シャロンの目に飛び込んできたのは、見知らぬ若い男と。

「コーデリア!」

 ガブリエルが叫んだ。
 男と手をつないで立っていたコーデリアは、いないはずのガブリエルの姿を見て真ん丸の目を大きく見開いてから満面の笑みに変えてガブリエルに飛びついた。

「ガブリエル! お帰りなさい!」

 つい抱き留めてしまったガブリエルだったが、すぐに身体からコーデリアを離して腰を屈め視線を合わせた。眉はもちろん吊り上がっている。

「コーデリア! どこに行っていたんだ! みんな心配して探していたんだぞ!」
「ガブリエル、今日帰ってくるって知らなかったわ。もしかして今帰ってばかりなの?」
「コーデリア、オレの質問に先に答えなさい。どこに!行っていたんだ!」

 コーデリアには緊迫した空気は一切なく、のんきに嬉しそうな顔をしてガブリエルの帰宅を喜んでいるのだからガブリエルは更に怒りに火が点く。
 一瞬前までコーデリアが攫われ命の危機まで考えたのだから当たり前だ。

「あの……。この娘のお父さんですか?」

 コーデリアと一緒にいた男が窺うようにガブリエルに聞いてきた。
 そうだった。この男はなんだ?

「ちがう。父親ではない。君は誰だ。なぜこの娘といた?」

 コーデリアに向けて尖ったままの視線を男に向ける。よく見ると男というより男の子、コーデリアと変わらない年頃に見える。

「あの、このお屋敷の領主様の領地で小作をしているオルガの倅です。バートと言います。ヤギを放していたらこの娘がずっと見ているので家はどこかと聞いたらわからないって。それで歩いたら知っている道に出るかもって一緒に色々歩いて。で、ここがそうだって……。ここのお嬢様だったんですね」

 ガブリエルはバートの話を聞いて両手で顔を覆って擦った。
 コーデリアは勝手に敷地を出て帰り道がわからなくなり、バートと一緒に探しながら歩き辿り着いたのだ。

「コーデリア、なぜ敷地の外に勝手に出てヤギを見ていたんだ……」

 脱力しながら聞くと、コーデリアはキョロンとした目のままでのんきに答えた。

「コマドリかと思ったらちがう青い鳥が飛んで行ったから、もっと見たくて追いかけたら帰れなくなっちゃったの。でね、ヤギがいっぱいいてね、バートが触らせてくれたのよ。でね、どうやって帰ったらいいかなー?って聞いたらバートが一緒に探してくれたの」

 コーデリアの手には昨年のクリスマスにガブリエルが贈った双眼鏡が握られている。
 珍しい鳥を見つけて追いかけて道に迷って助けられたということだ。
 ガブリエルは膝を突いてガクリと頭を項垂れた。それは後ろにいたシャロンとモーガンも同じ気持ちだった。

「コーデリア様!」

 外を探していたラリサがコーデリアの姿を見て跳んできた。

「ラリサ! わたしを探していたの?」

 コーデリアのあまりにのんきな反応にガブリエルは決めた。

「バートと言ったね。コーデリアを連れて来てくれてありがとう。君が一緒で本当によかった。モーガン、彼になにか礼をしてくれ」
「いいえ。あの、いりません。家に帰れてよかったです」

 バートは手を振って引き返そうとしたが、モーガンに背中を押され裏へ回って行った。きっとキッチンで菓子や果物を持たせるだろう。
 それよりもまずはコーデリアだと、ガブリエルは大きなため息を吐いてからコーデリアを片手で肩に担ぎ上げた。

「まったく! お前はどれだけまわりに心配かけたかをまったくわかっていない!」
「ひあー!」

 ガブリエルに担ぎ上げられコーデリアは悲鳴を上げたが、怖がってはいない。

「ガブリエル、乱暴はだめよ」

 シャロンが注意している風で声を掛けるが、その言葉に心は籠っていない。
 ガブリエルがコーデリアに乱暴するはずがないことはわかっているし、コーデリアにお仕置きは必要だ。シャロンも含めこれだけまわりに心配をかけたのだから。

 ガブリエルはコーデリアの部屋に担いで連れて行き、ソファーの上に降ろした。
 一年前とほとんど変わらないが、本も増えコーデリアの生活感がきちんとある。それを脱ぎ散らかされたスリッパが表していて、ガブリエルは黙ってそれを揃えた。
 コーデリアはガブリエルの雰囲気から怒りは感じている。しかしそれよりもガブリエルが三週間ぶりに帰って来たことが嬉しくて顔が締まらない。

「なぜスリッパを揃えることが出来ないのかお前は……」
「次からきちんと揃えます」
「どうして勝手に屋敷から出て迷子になるんだお前は……」
「迷子になるつもりはなかったの。ただ、ちょっと鳥を追いかけたら帰れなくなってしまって」
「どうして素直に謝らないのかお前は……」
「ガブリエルが帰って来たからつい嬉しくて。心配かけたのね? 謝ります、ごめんなさい」

 ガブリエルがチラリとコーデリアを見ると、コーデリアはソファーに座ってソワソワしながら早く抱きつきたいと待っているのが見え見えだ。

「お前は家の者全員に謝らなくてはいけない」
「はい」
「もう二度と黙って屋敷から出てはいけない」
「はい」
「土産もなしだ」
「はい」
「いらないのか?」
「ガブリエルが帰って来てくれたからそれでいいです」

 ガブリエルは顔を手で覆って擦ってから大きなため息を吐いた。
 仕方がないという体で手招きをしてやると、待ちかねたコーデリアが飛び上がるように立ち上がりガブリエルの身体に飛び込んだ。

「おかえりなさいガブリエル!」
「ただいま。頼むから反省してくれ」
「はい。わかりました。反省します。でもこんなに長い期間ガブリエルがいないなんて寂しかったから!」

 絶対に反省していないとガブリエルは思ったが、寂しかったのは違いないと抱き締め返してやった。

 迷子になったせいで今日やらなくてはならない課題が手付かずだったので、夕食までにそれをやるように言った。
 本当はガブリエルに旅の話を聞きたかったコーデリアだったが、やらなくてはならなかったことをやっていないのは確かなので机に渋々向かった。
 ガブリエルが部屋で着替えをしているとシャロンが入って来た。
 従者のレイルを下げてシャロンと向き合う。腰に手を回すとシャロンが頬を撫でた。

「留守の間あの娘の子守に感謝する」
「いいのよ。コーデリアがかわいいからしているのよ。馴染みの女には逢って来たの?」
「馬鹿言うな。君が恋しかったよ」
「わたしじゃなくてコーデリアでしょ? あの娘もあなたがいない間毎日あなたの話していたわよ。かわいいわね」

 この屋敷に来たばかりの頃のコーデリアは殆ど喋らず感情もあまり表に出さなかった。初めてのクリスマスに大泣きしたのがきっかけだったのかもしれない、徐々に感情を表に出すようになり、笑い泣き、怒りはあまりしないが自分に素直にありのままでガブリエルやシャロンたちにも接するようになった。
 先ほどのようにガブリエルに思うままに抱きついて来ては嬉しそうにすり寄る。
 小さな身体全身でガブリエルが必要だ。愛していると伝えてくるのだ。
 抱き返してやると本当に嬉しいと、まるで叫ばれているよに感じる。
 褒めてやれば満面の笑みで喜び、他愛もないことを楽しそうに喋り続ける。
 時々困らせるような事して叱るとシュンと頭を項垂れて、『もうするな』と許すと顔を明るくして喜ぶ。
 天真爛漫で素直で、日に日にガブリエルの目尻を緩ますこの少女が特別な存在となっても仕方のないことだ。
 こんなにも求められれば答えてやりたくなる。
 躾だけは仕事なのできちんとしているつもりだが、シャロンに言わせるとだいぶ甘いようだ。

「さ。わたしは帰るわね」
「だめだ。三週間ぶりなんだから今日は……」
「三週間ぶりなんだからコーデリアが絶対にあなたのベッドに忍び込むわよ?」

 久しぶりにシャロンを堪能したい気持ちで引き留めるのだが、コーデリアが来るかもしれない予感はある。
 自室で眠れるようにはなったのだが、それでもシャロンが泊まる日は必ずシャロンと寝たがるし、たまにガブリエルのベッドに忍び込んでくるときがある。
 フラッシュバックのように闇が怖くなる時と、ガブリエルに甘えたいときだ。
 ガブリエルも最初こそ面倒だったが最近では慣れたもので、ベッドに入ってくればそのまま寝かせてやっている。
 それもいつまでも続くことではないだろう。
 徐々に自分の部屋で寝られるようになったように、そのうち来なくなるだろうくらいに思っている。
 しかし最近はすっかりシャロンよりもコーデリアが優先だ。
 ガブリエルは仕事以外の殆どの時間をコーデリアに捧げているといっても過言ではない。
 時間だけではない。気持ちも含めて生活のすべてがコーデリア優先の状態だ。
 シャロンもガブリエルよりもコーデリアが優先なので、当然ふたりの時間はあまりないのが現状だ。

「コーデリアのせいでいつもおあずけだ」
「何言ってるの。かわいくて仕方ないくせに、パパ」
「パパとだけは呼ぶな」

 娘が出来たらこんなにかわいいものかと想像はするが、やはりパパと呼ばれるのは嫌なガブリエルだ。



 シャロンの言っていた通り、ガブリエルの予感通りにコーデリアは自室では寝ずガブリエルのベッドに入り込んできた。

「お前はまったく……」
「三週間もいなくて寂しかったから……」

 そう言われてしまえば戻れとは言えない事をコーデリアもわかっている。

「ちゃんといい子にしていたか? 帰って早々お前が行方不明で胆を冷やしたぞ」
「いい子にしてました。課題もちゃんとしたし、シャロンの言うこともちゃんと聞きました」
「そうか。それならば明日になったら土産をやろう。お前が気に入るものだぞきっと」
「本当?お土産なしじゃなかったの?」
「反省しているか?」
「しています。もう黙って屋敷を出たりしないわ」
「鳥の本を買ってきた。お前が昼間追いかけたのが何という鳥かわかるかもしれないぞ」
「あのね。コマドリみたいな大きさなのに身体が青くてお腹が白いの」
「それならオオルリかもしれないな。明日一緒に調べよう」
「うん」

 ベッドのなかで向かい合い話をしていると、コーデリアが腕にすり寄って瞼を閉じた。
 ガブリエルがいて安心しているのかすぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。
 この娘がちゃんと成長出来るように願いながらガブリエルは頬を撫でた。
 やはりすっかり父親化してしまっている気がするが、この縋り付いてくる幼い少女は愛しくなってしまっているので仕方のないことだ。
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