亡国の公女の恋

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「姫様。報酬を頂き来ました」

 スヴェトラーナはルカが何を言っているのかわからなかった。
 理解するのには次の言葉を待たなくてはならなかった。

「姫様は言いました。レイルズに無事に到着しこの旅が終わったら必ずあなたの欲しいものを教えてください、と。だから欲しいものを、言いに来ました」

 スヴェトラーナは確かにルカに言った覚えがある。
 報酬を受け取るのはルカの義務だ。ルカは任務を無事完了し、スヴェトラーナは報酬を渡すと約束をしたのだから。
 けれどそれが今だとは思っていなかったし、スヴェトラーナの不安を消し去ってくれる言葉でもなかった。

「わかりました。欲しいものを言ってください」

 ルカは微笑んだままスヴェトラーナを通り過ぎ部屋の中へ入った。
 スヴェトラーナはドアを閉め、ルカを追った。

「姫様、宝石をください。あの時見せてくれた、あの宝石を俺にください」

 違和感がある。確かにルカなのになにかが違う。
 微笑む顔は同じなのに、何が違うのか。
 スヴェトラーナに込み上がる不安が胸を支配していく。
 背中を向けたルカにスヴェトラーナは再びしがみついた。
 どうか今朝と変わらないルカだと見せて欲しい。もう一度頬を撫でて愛しいと伝えて欲しい。

「宝石だけですか? ほかに欲しいものはないのですか? 私を欲しがってはくれないのですか?」

 答えて欲しい。私が欲しいと、言ってください。

 スヴェトラーナは祈るような気持だった。
 共に生きて欲しいと伝えた。何度も離さないで欲しいと伝えた。
 振り向いて。抱きしめて欲しい。

「宝石の他に金貨も頂けるなら、それも頂戴します。俺の欲しいものはそれだけです」

 ルカはゆっくり振り向く。見下ろすと驚愕したスヴェトラーナの瞳がある。
 にっこりと微笑み身体に絡むスヴェトラーナの腕を解く。

「宝石を売って適当に落ち着ける場所を探して家でも買って、のんびり暮らします」
「……それは、私も一緒ですね? そこへは私も連れて行ってくれますね?」
「いいえ。俺ひとりで行きます。姫様とは、ここでおさらばです」
「ルカ!」

 スヴェトラーナはルカの腕を掴んだ。
 ルカが何を言っているのかをまだ理解出来ない。
 いいや、理解したくないのだ。
 ルカが別れを言っていると。

「離さないでほしいと言った時、返事をしてくれました」
「はい。離しませんでした。ここに来るまでは」
「共に生きると約束を」
「俺はしていません」
「私を幸せにすると言ってくれました!」

 ルカの身体を掴み、揺すり。今朝までのあの甘く愛しいルカを探した。
 優しい微笑みは変わらないように見えるのに、なにが違うのだろうか?どこが違うのだろうか?

「姫様は俺に、幸せになってほしくないですか?」
「もちろんです。ルカの幸せは私の幸せです」
「そう言ってくださると思っていました。俺の幸せはひとりでのんびり、平和に暮らすことです。だから宝石を貰ってひとりで出て行きます。それで俺が幸せなら、姫様も幸せですよね?」

 スヴェトラーナは再び絶望の淵に立たされているような心境だった。
 国を亡くし、父を亡くし。家臣を亡くし、国民を亡くし。重い責任と傷を負い、恨まれ蔑まれ。
 ルカまで失ったら、もうスヴェトラーナに生きる理由はひとつも見つけられない。

「お願いです。ルカ、私を置いて行かないでください。ルカの愛がなくては、私はもう生きていけません」

 優しく微笑むルカを見上げ、あなたしかいないのだと訴える。
 スヴェトラーナの全てで縋る。
 しかしルカの表情は変わらずただ微笑んでいるだけで、その表情に愛しさも同情もなにも映していない。
 あれだけスヴェトラーナに訴えかけて来たものがすべて消えてしまっている。
 緊張も、悲しみも。怯えも、喜びも、愛情も。

「早くください、姫様」

 ルカが今スヴェトラーナに与えているのは絶望だけだ。

「ルカ、お願いです。お願いだから、私を離さないで。私を置いて行かないで……」
 
 それでもスヴェトラーナは訴えた。
 心からの叫びを訴えた。

「お願いです。ルカ……」

 縋って掴んだスヴェトラーナの手が振り払われる。

「いい加減にしてくださいよ。俺はもうクタクタです。一刻も早くここを出たいんですよ」

 途端に。
 スヴェトラーナの身体が宙に浮く。
 ルカが腕を掴みベッドに放り投げたのだ。
 強い力で引かれ痛みの衝撃とベッドに投げ出された身体に覆いかぶさる男の身体の威圧感にスヴェトラーナの息が止まる。
 片腕を膝で踏まれ、片腕を掴んで押さえつけられ。喉元に逞しい腕が押し付けられ、身体は跨がれ覆いかぶさる圧迫でやわらかな布団に沈む。
 初めて受ける暴力に反応した身体が震える。
 あと少し腕が喉を圧迫すれば、止まっている呼吸が再開出来なくなる。
 数秒前まで知っていたはずの知らない男の手によって。
 スヴェトラーナを見下ろす顔は眉を顰め口を引き結び、明らかにスヴェトラーナに恐怖を与える意図を持っていた。
 救いは瞳の奥に殺気がないことだ。

「私に……なにをしても、かまいません。私はルカを知っています……。この姿は、本当のルカではないと……知っています……」

 息も絶え絶えに訴えるスヴェトラーナに、見下ろすルカの顰められた眉が尖っていく。

「知っている? 何をですか?公女様が俺の何を知っているというんですか! たった十日一緒にいただけで俺のなにがわかるって言うんだ!」

 スヴェトラーナの腕を握るルカの手に更に力が加わる。
 感じる痛みはルカの叫びだ。

「俺はもううんざりなんですよ。親に疎まれ、なりたくもないのに兵士にされ、理由もなくいじめられて糞みたいに扱われて。旅団に行けば少しはマシに扱ってもらえるかと思えば、やることは過酷な訓練と戦場での人殺し。大会で優勝したって褒賞のはずの近衛兵には身分が足りないと入れてもらえず、警備騎馬兵にやっとなれても兵糧運びの護衛で危険地帯まで行かなきゃならない。国が亡くなったって言うのに公女様はまだ尽くせと言ってくる。まもともで平穏な暮らしをしたいんですよ! それがいけない事ですか? もう面倒なことはごめんなんですよ!」

 叫びが容赦なくスヴェトラーナの胸を刺してくる。
 受け止めるにはあまりに深い。

「いけませんか? 俺みたいなのが普通の暮らしを望んじゃいけないですか?いけないとは言わせません。俺はちゃんとやるべきことをやったでしょ? 任務は終わったんです」

 ルカはスヴェトラーナから手を離し起き上がった。
 惨めに歪む顔でスヴェトラーナを見下ろしてからベッドを降りると、そのまま部屋を見渡して見つけた旅の間持っていた鞄に歩み寄り乱暴に中身を床にぶちまけた。
 床に投げられた荷物の中に巾着袋を見つける。
 スヴェトラーナが風呂に入るときに鞄に入れておいた宝石と金貨の入ったものだ。
 ルカはこの安全な屋敷にいてまだ胸に入れていることはないだろうと鞄に当たりを付けたのだ。
 しゃがんで巾着を拾い中身を確認する。
 やっと起き上がったスヴェトラーナはその後ろ姿に残る力すべてを使って抱きついた。

「ルカ、お願いです。私を置いて行かないでください。なんでもします……。ルカの為に働きます。ルカの為に、なんでもします……」

 ルカの身体に力が入る。スヴェトラーナはその身体を必死で抱いた。
 しかし無常にそれは解かれる。
 スヴェトラーナの腕を引きはがし床に転ばせルカは立ち上がった。

「いいかげんにしてくれ!」

 ルカの怒鳴り声とほぼ同時だった。

 ――ドンドンッ

「姫! どうしましたか?! 大丈夫ですか?!」

 ドアが叩かれ開かれた一瞬後、ルカが部屋の外にいたヴィクトールを肩で突き飛ばし飛び出した。

「ビンセヴ!」
「待って!」

 ヴィクトールがルカを追って駆け出す。
 スヴェトラーナはその場にへたり込んだまま叫んだが、ルカにもヴィクトールにも届かなかった。
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